綺麗な歌声の女の悲恋(巻第三「色好みなる男みぬ恋に手をとる事」)

 北陸道を目指して京より下る商人の男が、ある宿に泊まったところ、宿の主が親切で、様々にもてなしてくれた上に、奥の間を用意してくれた。


 連れあいもいないので、すごすごと床に就いたが、深夜、次の間から、誰かは知らないが、極めて上品な声で小唄が聞こえてくる。

「それにしても、このような趣のある歌声は、都でも今まで聞いたことがない。このような田舎で耳にするとは大層不思議なことだ」

 男はますます目が冴えてきたので、次の間に行ってみると、

「お入りになったのはどなたでしょうか? こちらにお越しください」

 と云われたので、男が声のする方へに近寄ると、

「奥の間には誰もいないものと思って、聞き苦しいものをお耳に入れましたこと、返す返すもお恥ずかしく存じます」

と、なよやかに伏している姿が見えた。

「今宵は添い寝しながら、貴方のお声をお聞かせいただき、私がお慰めいたしましょう」

 男が云うと、

「これは思いもよらないことをおっしゃります。そのようなことをおっしゃるのでしたら、妾はこの部屋から出ていきます」

と女は出ようとする。

 男は女に大層心惹かれたので、

「隣の部屋に泊まりあわせてましたことも、きっと巡り合わせでございましょう」

などと、色々と恨めし気に口説くと、

「真にそのように思し召されるのであれば、妾は未だ良人もおりませんので、末永く妻としてお定めいただけるのであれば、どのようにでも、お計らいに従わせていただきます。さりながら、堅き御誓言がなければ、当てにならないのが人の心でございます」

と女が云うので、男は、あらゆる神仏に誓いを込めて、

「私も妻を持たぬ身、これを幸いに、二人で連れ立って、私の国へ帰りましょう」

と云った。

 さすがに女も岩や木ではないので、打ち解けて、秋の夜の、千夜を一夜とかこつけて、浅からぬ妹背の契りを結んだのであった。


 そうして、夜もほんのりと明けゆくままに、隣で寝ている女に目を遣ると、その姿は実に興醒めな姿をした、醜い瞽女であった。

 男は大いに肝を消して、宿の主に暇乞いをすると、北陸道へ向けて下るのをやめて、上方へ引き返した。

 ある大きな河を渡ったところで、後を振り向けば、例の瞽女が二本の杖に縋って、

「逃すまいぞ、逃すまいぞ」

と追いかけてくるのが見えた。

 男は荷を預けていた馬方に、

「ひらにお頼み申し上げます。あなたの機転で、あの瞽女をこの川へ沈めてください」

と云いながら銭を握らせた。

 この馬方も強欲で、不道徳な人間だったので、易々と請け負い、瞽女を川の深みに突き倒して、何食わぬ顔で去っていった。


 その後、商人は日も暮れたので、ある宿に泊まることにした。

 夜半ごろ、門を乱暴に叩き、

「この宿に商人は泊まっておらぬか」

と問いただす声がする。

 宿の主が出てきて何者かと見れば、尋常でない凄まじい気色の瞽女がいるので、門をきつく閉じて、

「そのような人はこの宿にはおりませぬ」

と答えた。

 それを聞いた瞽女はさらに怒り、

「いやじゃ! いやじゃ! 何と言おうが、ここにあの男がいなければ妾の望みは成就せぬ!」

 戸を押し破って、内へ入るや、商人が隠れている土蔵の中へ押し入った。

 土蔵はしばらくの間、雷のように鳴動していたが、あまりの恐ろしさに、宿の主は近づけなかった。


 夜が明けて、土蔵の様子を見に行けば、商人の男は身体をずだずだに引き裂かれており、首はどこかへ消えていた。

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