　ある男がどこかで奉公しようと思い立ち、加賀国までやってきて、町屋に宿を借りた。

　宿の主人の娘は見目麗しく、容姿が優美であった。

　男は物の隙間から彼女を見初め、ひたすらに想うようになり、娘の身の回りの世話をしている者に云い含めて、手を変え品を変え、浅からぬ想いがあるということを伝え続けたところ、娘もいつしか心を許すようになり、お互い仲睦まじくなった。

　そもそも人目を忍ぶ恋であるので、夜更けに人が寝静まったのを見計らって、娘は男の部屋へ通っていた。

　ある夜のこと、娘は今頃男の部屋にいるはずのに、主人の部屋の方からも娘の声がするのを、二人の仲立ちをしている者が不審に思い、なんとなく主人の部屋の様子を伺ってみれば、声の主は紛れもなく主人の娘であった。

　あまりに不思議なことなので、仲立ちの者は男の部屋へ行き、彼を物陰へと呼び出して、このことをこっそり教えてやった。

　男は怪しいことだと思い、

「どうにかして私の心を誑かそうとしている化物の仕業に違いない！」

と、娘のいる自分の部屋に戻り、何事もなかったようにふるまいながら抱き寄せるなり、ずぶりと一刀突き刺せば、娘は「アッ」と声を上げて忽然と姿を消した。

　サテ、夜が明けて、男が残った生血の痕をたどってみると、二里ばかり行ったところで山に行き着いた。さらに痕をたどって山に分け入ってみれば、大きな岩穴の中に、あの娘の姿をしたまま斃れているものがあった。

　日が経つにつれ、それは普通の死人のように朽ちていった。

　一方、主人の娘には、特に変わったことはなかった。

　どういうことなのか、理解しかねる話である。

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。（ログインが必要です）

新規登録で充実の読書を

マイページ: 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる; 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める; フォローしたユーザーの活動を追える
通知: 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴: 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい