恋文
海星
恋文
ある日のことだった。父宛に一枚の手紙が家のポストに投函された。
「長友義信様」という父の名前だけで郵便番号もなにもかかれていないことから、直接ポストに投函されたことがわかる。
だれだろうかと、私が思わず後ろを見ると、可愛らしい文字で「森本佑実子」とだけかかれていた。
「森本佑実子」とはだれだろうか。
そんなことを考えながらも父にその手紙を渡すと、父は懐かしそうな顔をしていた。
◇
私の父は40になったばかりの普通の男性だ。娘である私の身内の欲目があったとしても、お世辞にも格好いいとは言えない。そう言うと父は泣くかもしれないが。だからその手紙を見た時に、父が浮気したとは欠片も思わなかった。
二人で炬燵に向かい合って座り、父が手紙を開いて文字を追う様子をつぶさに観察する。もしかしたら一人で読みたいのだろうかとも思ったが、どうしても気になった私は父についてきてしまった。
やがて父は俯きがちになり、手紙を持つ手が小刻みに震え始めた。炬燵の天板にぽつぽつと水滴が落ちる。それでも手紙を汚さないようにと父は手紙を庇う。それほどまでに大切な手紙なのか。
少し悔しくなった私は手紙を奪おうと前のめりになって手を伸ばす。父は抵抗することなく渡してくれた。いや、破られたくないから抵抗できなかっただけなのかもしれない。
いいのだろうかと思いつつ、私もその手紙を見る。何故か封筒の白さとは反対に、便箋は少し黄ばんでいる。恐らく書かれて時間が経っているのだろう。書かれた文字を父と同じように追った。
『義信くん、約束を破ってごめんなさい。あなたと約束していたあの日、私はどうしても行けませんでした。引っ越しの日をずらして欲しいと両親に頼んだけど、だめでした。一緒にお祭りに行くのを私も楽しみにしていたのに。
本当はね、あの日にあなたに告白するつもりでした。だけど、行けなくてよかったのかもしれないと、今は思います。思いが通じ合ったところで離れ離れになって、余計に辛い思いをしただろうと思うから。
それに、別れがあれば出会いもありました。私はまた恋をして、結婚して、子どもも産まれました。今は本当に幸せです。
義信くんは幸せでいますか? こうして届くはずのない手紙を書きながらも、あなたのことを考えます。きっと、私の命は近いうちに尽きるでしょう。だから、最期に心残りだった、あなたへの謝罪と告白をしたくて。本当にごめんなさい。そして、子どもなりの精一杯で、私はあなたが好きでした』
そうか。この女性はもしかしたらもう……。書かれた内容と、手紙の黄ばみ。出すつもりのなかった手紙をこの女性の家族か誰かが、女性の遺志を汲んで代わりに届けたのかもしれない。それがわかったから父も涙を堪えることができなかったのだろう。
父の心に土足で踏み込んだような罪悪感でいっぱいになった。誰にだって触れられたくない秘密はあるものだ。私は父に頭を下げた。
「お父さん、ごめんね……。これは私が読んでいい手紙じゃなかった」
父は涙を拭うと小さく笑う。
「いいんだ。だけど、母さんには内緒にしておいてくれ。ヤキモチを焼くかもしれないからな」
「お父さん……」
「これで謎は解けたか? 顔に知りたいって書いてあったからな」
「嘘っ!」
「嘘だよ」
「もう、お父さん!」
怒りながらも、私はどこかほっとしていた。父にも若い頃があって、大切な思い出があって、その先に──私や母がいる。
──ごめんね、お父さん。お世辞にも格好いいとは言えないなんて思って。今のお父さん、すごく格好いいよ。
いつか私も父やこの女性のような恋ができるといい。そんなことを思った。
恋文 海星 @coconosuke
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