第15話 水と油
学院での生活にもそこそこ慣れていたレイ。
陰口は言われているものの、特に誰かに話し掛けられることもなく──一名やたらと突っ掛かってくる王女様はいるが──レイの平穏な学院生活は守られていた。
時折生徒会の書類整理などに付き合わされたりもするが、これといった生徒会らしい仕事はまだない。
まあ、ケルトには自分の学費を払ってもらっているという大きな恩があるので、レイは基本ケルトの頼みごとは聞くつもりだ。
そして、今日は日曜日。
土日は基本学院が休みなので、レイは土曜日に宿題を全部終わらせ、今日はこうして一人で街をぶらついている。
ソフィリアは今日どうしても外せない用事があるとのことで、一緒に散歩することは叶わなかった。
恐らく冒険者として重要な依頼でも受けたのだろうが……
(最近ソフィーと話してないな……)
いや、同じ家に住んでいるのだから会話はかなりしているはずなのだが、レイが学院の生徒となってからは日中ソフィリアと過ごすことが出来ないので、そう感じてしまう。
なんせ、四年間一日中傍に──いつも隣にいたのだから。
と、どこか寂しさのようなものもを感じながらメインストリートを歩いていると────
「げっ……あ、貴方がどうしてここに……」
レイはそんな声を前から聞く。
視線を上げると、嫌そうな顔を隠そうともしないアリシアの姿があった。そして、その隣には長身のメイドが佇んでいる。
レイは心の中で、王女様ともあろう者が人に向かって「げっ……」と言うのはどうなんだと呆れる。
「そりゃ同じ街に住んでんだ。すれ違うことくらいあるだろ」
「よりによって貴方とですか」
「他にもすれ違ってるだろ、絶対」
そんなレイとアリシアのやり取りをどこか微笑ましそうに見守っていたアリシア付きのメイドが、クスッと笑う。
「はい、すれ違っていましたね。アリシア様が気付いておられないだけですよ?」
「えっ、ウソッ!?」
メイドの指摘に、アリシアが目を丸くして、「まったく気が付かなかったわ……」と呟く。
メイドはレイに視線を向けて小さく会釈する。
「私はアリシア王女殿下の側仕えをしております、リーンと申します」
「あ、ああ……これはどうも。俺はレイです……」
レイもリーンに向かってぎこちなく頭を下げる。
「レイ様のことはいつもアリシア様から聞いておりますよ?
相当仲がよろしいようで──」
「「どこがッ!?」」
珍しくレイとアリシアの意見が一致し、ツッコミも重なる。
「アリシア様ったら、帰宅なさってくるなりアイツがアイツが……と、いつも貴方様のお話ばかり──」
「……いや、それ全部愚痴のつもりだったのだけれど、貴女には違うように聞こえていたのかしら……?」
「そうですね。アリシア様がここまで特定の方に興味を持つのは大変珍しいことなので」
「っ……!? 変な勘違いしないでくれるかしら!?
も、もう貴女は帰りなさい! あとの買い物は私がするわ!」
「いえ、アリシア様をお一人にするわけにはまいりません」
「いや……貴女がいると余計なことをコイツに喋りそうだから……」
そう言ってアリシアは鋭くレイを睨み付ける。
(こりゃ、相当嫌われてるな)
レイはそんなことを思いながら肩をすくめる。
「ああ……じゃあ俺は──」
────これで。と言ってこの場からおさらばするつもりだったレイ。
自分がいなくなれば、別にリーンを先に帰す必要もないし、内容は知らないが、アリシアが知られたくないことを教えられる心配もないと考えてのことだ。
何より、自分を嫌っている人間と同じ場所にいたいとは思わない。
しかし────
「あっ、そうですか! わかりました! では私は先に失礼しますが、やはりアリシア様をお一人にするわけにはいきません……ということで──」
「えっ?」
リーンはレイの両肩を一度しっかりと掴んで、真っ直ぐ目を合わせる。
「護衛は任せました!」
「…………は?」
「では!」
リーンはそう言い残して、足早にこの場から去っていった。
レイとアリシア──水と油、相性最悪な二人がポツンと残される。
気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「はぁ…………」
わざとなのか、それとも自然と溢れ出てしまったのか──聞いたこともないような長くて重たいため息が、アリシアの口から出ていく。
これで幸せ半年分くらいは出ていってそうだ。
「別に護衛なんて良いから。私、優秀だし? 特待生だし? 第三位だし? 自分の身くらい自分で守れるから」
「まあ……俺もそう思う」
リーンが一方的にレイに押し付けてきただけで、別に約束を交わしたわけではない。
アリシア本人も要らないと言ってあるのだから、レイがこれにわざわざ付き合う必要は皆無だ。
「じゃ、私はこれで」
「お、おう……」
アリシアは無愛想にそう言って、レイの横を通り過ぎていった。
レイは一度そんなアリシアに振り返ったが……
(まあ……大丈夫だろ)
自分の中でそう納得して、レイはアリシアと反対方向に歩き出していった────
□■□■□■
「あぁ!? テメェ……自分からぶつかってきておいて何なんだその態度はよぉ!?」
「きゃぁっ!?」
メインストリートからかなり離れた細い路地裏での出来事。
アリシアは道に迷って辺りをキョロキョロしているときに、体格の良い青年にぶつかってしまった。
そして、自尊心の高いアリシアに、人に謝るという選択肢はなかった。
当然のようにこの状況になる。
三人の青年が、アリシアを壁に押し込んで取り囲んでいる。
魔法学院を好成績で入学した優秀な魔法師であるアリシアなら、たかが男の数人など簡単に返り討ちに出来るはずなのだが、なぜかアリシアはされるがままになっている。
「何か言ったらどうなんだ、あぁ!?」
「うっ……!?」
────そう、アリシアは今魔法行使が出来る状態ではないのだ。
魔法行使には安定した精神状態であることが必要で、今のアリシアは背の高く体格の良い青年三人に囲まれ、怒鳴られていて、とても平静を保てているとはいえない。
普段は気高く見せているアリシアもやはり少女──今にも泣いてしまいそうなのを我慢するので精一杯なのだ。
「ってか、よく見たらコイツめちゃくちゃ可愛くね!?」
「あぁ? まあ確かにな?」
一人の男の発言によって、場の空気が微妙に変わったのを敏感に感じとるアリシア。
「ここ人目ねぇし、バレねぇか……」
「……」
「おう……」
アリシアは三人の青年に生理的嫌悪感を抱く。
そして、とてつもなく嫌な予感がする。
「んじゃ、俺からちょっと……」
「い、いや……いやぁ……っ!?」
一人の男が恐る恐るアリシアの胸部へ手を伸ばしていこうとする。
同年代の少女と比べても大きくはない。しかし、確かにそこに存在する二つの膨らみ。
この際大きさなどどうでも良い。とにかくこの手で触れてみたいという欲望に逆らえず、男の手がゆっくりと、ゆっくりと迫り────
「なーにが『俺からちょっと……』だよ。恥ずかしっ!」
「「「──ッ!?」」」
三人の青年はそんな声が飛んできた方向に驚き焦ったように目を向ける。
アリシアも潤んだ緑色の瞳をそちらに向けると、そこにはどこか気だるそうな雰囲気を放っているレイの姿があった。
レイは呑気に四人の傍まで歩いていき、アリシアの腕を引っ張って自分の後ろに隠す。
「お前さ、道迷いすぎな? 方向音痴ってレベルじゃないぞ、これ」
「……うん」
いつになく素直でいじらしいアリシアの様子に、レイは少しやりづらさを覚えながら、三人の青年に視線を向ける。
「な、何だぁガキ?」
「レイだよ」
「いや誰だよッ!?」
どこか抜けたようなレイの雰囲気に、青年達は苛立ちを募らせていく。
「な、なあお前、ここであったことは何も見てない……そうだな?」
「は? いや、それ本気で聞いてるんだったら俺のことバカにしすぎ。歴史とかいう暗記教科は苦手だが、数秒前見た出来事を忘れるほど頭悪くないな」
違う……そういうことを言ってるんじゃない。
アリシアも含め、レイ以外全員が心の中でそう思った。
しかし────
「ちっ……めんどくせぇ! もうボコった方が早い!」
「「りょうか~い!」」
と、青年三人は指をポキポキと鳴らしながらふらふらレイに近付いてきて────
「俺らじゃなくて、この場に居合わせた自分を恨めよっ!?」
そう言って一人の青年が拳を振りかぶり、思い切りレイに向けて放つ。
しかし、その拳はレイの眼前で止まった。
レイが手首を掴んで受け止めたのだ。
自分達より背が小さく線も細い。おまけに髪を後ろで括って一見少女のようにも見えるレイに、難なく拳を受け止められた男は目を剥く。
マナを身に宿し、身体能力と肉体強度を高めたレイにとって、ただの打撃など児戯に等しい。
脂汗を滲ませる青年達。そして、レイの顔を再び見て心臓が凍り付きそうになった。
酷薄に細められた瞳には鋭利な眼光が宿っており、見た者に『死』を予見させる。
「失せろ」
底冷えするような声でレイがそう呟くと────
「は、はいぃ……すみませんでしたぁあああああッ!?」
「お、おいてくな!」
「ひいぃ……!?」
情けない声を上げて、青年三人は脱兎の勢いで駆け出していった────
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