第15話  記録

 案内された部屋は左右の天井からヘルメットみたいなのが吊り下げられている何とも奇妙な部屋だった。美容院でパーマをかけるときに使うヘアスチーマーのようなものだ。レザーチェアも置いてあるし、ここは少女兵器の髪形をセットする場所なのかもしれないと、ありえない想像を巡らせてみた。

 外藤博士によると、ハードディスクに収めた動画情報を見るための専用機械だと教えられた。万が一、動画情報が漏洩した場合でもこの機械がないと動画は再生出来ないらしい。


「ヘルメットを被ると自動で電源が入るようになっている。あとは拡張チップでの仮想ウィンドウの操作と変わらん。何かあれば、部屋にある電話で9を押すのだ。受付に繋がるようになっている」


 お礼を言うと、外藤博士は仕事があると部屋から出ていった。

 早速、ヘルメットを被った。顔全体が覆い隠されて視界が真っ暗になる。気分的には宇宙飛行士にでもなったかのようだ。

 すぐに電源が入り、画面が開いた。少女兵器だけではない他の無人兵器の動画記録もある。

 実際の腕の動きと連動しています、と表示が出てきたのでぼくは手を動かして少女兵器のファイルを叩いた。更にフォルダがあって第壱機から第拾機で分類されていた。他の少女兵器も気になるが、今はパスティとアーヴィングのことについて調べよう。


 まずは第壱機体――パスティのフォルダを開いた。


 脱走の首謀者ということもあるが、彼女と直接話をしたこと。それからパスティの雰囲気がヨシカに似ていたからだ。まあ、アーヴィングもあとで見るので、順番はあまり関係ない。

 動画情報は日毎に分類されていた。どれを開くか迷ったが、壇ノ浦海陸戦の日を選んだ。この戦闘が九州奪還作戦の中で最も激しいとされている。戦闘そのものよりも、彼女たちが生死をかける戦闘に臨む前、何をしていたのか。それを見てみたかった。

 動画を叩くと、ぼくの目の前には真っ暗な画面が映った。しばらくそのままの状態だったので故障かと思ったが、右下に表示されている日時を見て夜中の零時だと気付く。再生時間を九時に合わせると、場所が変わった。

 パスティは輸送車の中にいるようで運転席には迷彩服を着た国防軍の人間がいる。目の前には艶やかな黒髪を後頭部で結った少女――ヘレンがいた。今と同じ青い模様のロングケープを身に纏っている。


「ねえ、ヘレン。緊張しているのかしら」

「しているであります……」


 声が震えて、顔が引きつっている。肩にも力が入りすぎている。時折、フロントガラスから外を見て彼女達を待つ戦場がいつ来るのかと恐れている。新兵だってここまでは固くならないだろう。


「自分はちゃんと有用性を証明出来るでしょうか……」

「大丈夫よ。シミュレーション通りやりましょう。何度も訓練はしたし、いつも通りすればいいだけ。不測の事態が起きるかもしれないけど、落ち着いて何をすべきか考えなさい」

「が、頑張るであります……」


 これはパスティが見た映像を記録しているものだから、ぼくの視界はパスティとリンクしている。音声もパスティが聞いたものを鮮明に録音しているので、まるでぼくが喋っているかのようだ。


「パスティは随分と落ち着いているでありますな」

「焦ってもいいことはないもの」

「いやまあ、それは知っているでありますが。それが出来たら苦労しないであります」

「わたしはわたしで、あなたはあなた。アドバイスと協力はしてあげるけど、結局、あなた自身の問題はあなたが解決するしかないの。まあ、平常心を得るためには日常の再現も手の一つ。いつも通りお話をしましょう」

「パスティのお話は難しいのであります……」

「きらいかしら」

「いえいえ、大好きであります。ただ必然的に自分が聞き役になってしまうので、パスティが楽しいかどうか……」

「わたしは楽しいわ」

「それなら問題ないであります」

「良かったわ。それじゃあ、お話をしましょう。話題はあなたが決めていいわ。いつもわたしが難しいお話を振っちゃてるものね」


 了解であります、とヘレンは腕を組んで考え始めた。目を瞑った。唸り声が聞こえる。更に大きくなる。首が右に傾き始める。つられて義体からだも右に倒れ始めた。


「思いつかないであります……」

「ふふっ、じゃあ、わたしが選んであげるわ」

「あっ、簡単なものでお願いするであります。JTB定式に反論したゲティア問題からは古典的定義の欠落があってそれは現代にも言えることで今を生きる人々はコペルニクス的転回をしないといけないとか、そういう話ではなくて簡単なもので――ッ」

「ふふっ、分かったわ」


 パスティは何を話題にするのだろうか。死が蔓延る戦場を前にしたこの時間で。

 ヘレンが言っていたゲティア問題は知識論、認識論と呼ばれる哲学の一種だ。ヨシカが話していたのを覚えている。当時、子供だったぼくはヘレンと同じようにあまり理解出来ていなかったのだが。


「ねぇ、ヘレン。〝好き〟ってどういうことだと思う」


 これまた随分と難しい話題を振ったものだ。目に見えず、人によって異なる感情に正しい答えはない。ヘレンはそれなら自分にも分かるであります、なんて言っている。

 ……いや、ヘレンみたいに深く考えないなら答えやすいかもしれない。


「一緒にいたいと思うことであります」


 予想通り、即答した。

 正しい答えがないのなら自分の考えを言えばいい。答えがないということは不正解がないということだ。


「綺麗で美しい答えだわ。まるでスノーフレークみたい」

「スノーフレークとは何でありますか」


 綺麗なお花の名前よ、とパスティは答える。頭を垂れるように花をつけるスノーフレークは日本名で鈴蘭水仙と言う。花言葉は純粋、純潔、汚れなき心。


「パスティはどう思うのですか」

「まだ答えが出てないの。わたしが最も機械的な考えをするように作られた少女兵器だからかしら。好きという概念は説明出来るのよ。好きな食べ物、好きな動物、好きなスポーツ、好きな映画、好きな国、好きな友達、好きな異性。どの〝好き〟もわたしは分かっているの。ヘレンが言う好きは友達や異性に向けて言う言葉ね。ワインが好きだからって一緒にいたいって言わないでしょう」

「そうでありますな。というか、そういう意味の質問かと思ったであります」

「そういう意味で質問してたわ。わたしね、〝好き〟は理解してる。けれど、それは知識として――いえ、文字としてかしら。記録装置に書きこまれた内容を話すだけ。分かってても、知ってないの」

「はあ……なるほど」

「例えば、ヘレンは好きって一緒にいたいことって言ったわよね。きっと人間も同じ答えを言う人がいるでしょうし、それを間違っているって言う人はいないわ。けれど、人間はどうして一緒にいたいことが好きだって知ったと思う?」

「辞書を引いたでありますか」

「多分、違うと思うわ。わたしの頭の中の辞書には『心がひかれること』ってあるもの。実際に人間さんに訊いてみましょう。ねぇ、わたしたちの担当官さん。あなたはどう思うかしら」


 視線が運転席に向かう。ハンドルを握る軍人からは返事はない。聞こえていないわけがないので無視しているようだ。

 面白くない男ね、とパスティはヘレンに聞こえないように呟く。


「どうして人間が好きというものが何かを知っているか。ユングなら集合的無意識、カントならアプリオリと言ったもの。人間には経験して知るもの以外に最初から持っている知識があるの。ねえ、ヘレン。あなたはどうして〝好き〟が一緒にいたいと思うことって知っているの……」

「言われてみれば、そうでありますなあ……。自分はいつ知ったのでしょう」

「人間もきっと答えられないと思うわ。運命の赤い糸で結ばれた時に知った、なんてロマンチストなことを言う人だって、その前から好きが何かを知っていたはずよ。でも、いつそれを知ったのか。それは分からない」

「うあ……だんだん混乱してきたであります……」


 頭を抱えるヘレンを見て、パスティはクスッと笑う。


「人間にはお勉強をして得られる知識以外に、全ての人間が生まれた時から備わっている知識があるの。好きが何か、ってことも。わたしが好きを何か理解しているのは記録があるから。だから、わたしは分かってても、それを知っているとは言えないの。でも、ヘレンは知っていた。いつ知ったのか不思議ねってこと」

「自分が人間に近い考えをするよう作られたからでしょうか」

「そうかもしれないわね。あなたが知っていて、わたしが知らないのは、それが原因なのかもしれないわ」


 そこで一旦、会話が途切れる。


「パスティ」

「何かしら」

「自分はパスティのことを友達と思っているであります」

「わたしもヘレンのことを友達だと思っているわ」

「どうして友達かと思っているかというと、パスティのことが好きだからであります。一緒にいたいと思っています。パスティはなぜ自分と友達だと言ったのでありますか」

「それは……」


 矢継ぎ早に喋っていたパスティが初めて言葉に詰まる。


「きっとそれがパスティにとっての〝好き〟だと思うであります。その理由が分かったら自分に教えてください」

「ふふっ。そうね。真っ先にあなたに……いいえ、あなただけに教えてあげるわ」

「約束でありますよ」


 ヘレンは微笑む。

 会話が始まる前のように緊張はしておらず、肩に変な力も入っていない。この数分の会話で彼女は自然体に戻っていた。

 輸送車が乱暴にブレーキをかけて止まる。パスティの視界は揺れに身を任せるように左右に動いた。

 運転席に座っていた担当官と呼ばれていた男が二体の少女兵器に降りろと命じる。周囲はやけに静まり返っていた。まだ苦悶の声も悲痛な叫びも地図を塗り替えるような爆弾の音も、響いてはいない。これから彼女たち少女兵器が始まりの鐘を鳴らすのだ。

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