第6話 悪夢①

「――人間は道具と一緒よ。有用性を証明出来なきゃ、捨てられるの」


 ぼくの部屋で、ジグソーパズルを組み立てながらヨシカは言った。

 窓の外では雨がざーざーと音を立てている。先日から梅雨入りをしたせいで休み時間は部屋の中でごろごろしていた。同室の友達は体育館にバスケをしに行っているので、ここにいるのはぼくと遊びにやって来たヨシカだけ。


「どういうこと」


 二段ベットの上から顔を出して、彼女に問いかける。

 ヨシカはパズルのピースを一つ、嵌めてから答えた。


「例えば、このパズルのピース」


 摘まんだ真っ白なピースを持ち上げる。飛び出した部分が左右と上。へこんだ部分が下。何の変哲のないどこにでもある白無地ピースだ。


「この道具の有用性ってなにかしら」

「ピースのこと……。パズルに嵌められることかな……」

「ええ、正解。××は賢いのね」


 ××。それはぼくの本名。男らしく古風な日本名は白人のぼくには似合わない。嫌いというわけではないが、本当に自分の名前なのか疑問に持つことさえある。まだこの時はミィル・バラノフスカヤという偽名は与えられていない。

 いや、なぜ子供の頃のぼくが大人になって与えられたら偽名を知っているのだろうか。


 ――ああ、これは夢か。


 夢とは浅い眠りであるレム睡眠時に脳が起こす記憶の整理という説がある。その学説が正しければ、ぼくはヨシカという女の子のことを未だに整理が出来てないのかもしれない。

 この夢を、この場面を何度も見てしまうのだから。

 ならば、夢ではなく、悪夢。目を閉じれば暗闇の向かうに見える地獄だ。


「ピースの有用性はパズルに嵌められること。枠の中に納まることで証明が出来るの。じゃあ、こうしたらどうなるかしら」


 ヨシカは飛び出した右部分をぱきりと折った。それがなんだか無邪気な子供がアリの足を千切ったのと似たような感じがして不気味さを覚えた。


「こうなったピースはもうパズルに納まらないわ。有用性がなくなったもの。じゃあ、このピースはどうなると思う……」

「どうするって……どうしようもないじゃないか」

「ええ、そう。その通りよ。ただ、捨てるだけ。使い物にならないんだから仕方ないわね」


 ヨシカは有用性の証明が出来なくなったピースをゴミ箱へと放り込んだ。


「でもさ、そうしたらそのパズルは完成しないんじゃないの」

「いいえ、製作会社に問い合わせて同じ形のピースを送ってもらうわ。変わりなんて、いくらでもいるの。道具だもの。それでね、始めに言ったことに戻るけど、人間は道具と変わらないと思うの。現にわたしたちがそう。諜報員としてこの学校で育てられてるけど、使い物にならないと判断されたら孤児院に返されるわ。返されるならまだいい方。最悪、前線送りになるでしょうね」


 ここは表向きには学校教育の機能を有した施設。四十名ほどの子供が施設内で朝を迎え、勉学に励み、夜にはまた施設内で就寝する。義務教育に即した授業とは別に諜報技術の取得をさせられる。ようはスパイ養成所だ。


「だから、わたしたちは大人に、国に、自分の有用性を証明しなければならないの。そうしなければ、捨てられてしまうのよ」

「孤児院に帰るのは、そんなに悪いことなの……」

「悪い、とは言わないわ。けれど、あそこで育って大人になったときに普通の生活が出来ると思うの……。あそこで身につけられる技術は何もないわ。屋根があってお布団で寝れて、三食無料で貰えることにはもちろん感謝してる。でも、大人になったとき、わたしたちは何も残らない。自身の有用性を証明する手段がないの。

 昔はそうじゃなかったのかもしれないけど、経済が悪化して情勢も不安定。いつ戦争が始まってもおかしくない。生活保護だって基準が異常に高いし、年金支給はお墓に入ってからなんて皮肉もあるもの。自分のことは、自分で守らないと」

「ヨシカは色々なことを考えてるんだね。ぼくと同じ年齢には思えないよ」

「女の子は男の子より成長が早いの。体も精神こころも」


 そう言ってヨシカは悪戯っぽく微笑んだ。


「でも、今の話だと人間は道具と一緒ってよりも、ぼくたちだけが道具と一緒ってことのように思えるんだけど」

「まだ話の途中よ。……それより、わたしたちが道具だってことは納得してるのね」

「それは……、ヨシカの言ってることに、ぼくは何も反論出来ないから……。そうかもしれない」


 ヨシカは残念そうに少し俯いた。もしかしたら、彼女はぼくが言い返すことに期待していたのかもしれない。自分がただの道具じゃないということを教えて欲しかったから。そう、信じさせて欲しかったから。


「続けるわね。わたしたちみたいに特殊な生まれじゃない子供たちも有用性を証明しないといけないの。入試試験だって、自分の学力を示すものだし、両親にだってそう。『あなたの可愛い子供です』って伝えてあげないと、ご飯すら貰えないわ。無償の愛なんて存在しないのよ。血の繋がった子供だけど、自分とは違う存在――他人。終始、子供が反抗的に接してくれば、親だって嫌気もさすわ。

 大人になると、それこそ顕著じゃない。入社試験は自分の有用性をアピールする場だし、入社後だって利益をあげて自分が会社に対して役に立つって証明し続けなければならない。利益をあげられない社員なんていらないもの。自主的に退職するよう仕向けられちゃうわ」

「社長だったらどうなるの」

「彼らは社長室で寝てるわけじゃないのよ。自分の会社の有用性を他社にアピールしなければならないし、無能の社長には部下の不満もたまるわ。どんな人でも、自分の有用性を証明し続けなければならないの。そうしないと、社会という枠から外されるのよ」


 ゴミ箱の中に目を移す。中には折れたピース。道具が人間と同じ意味だとしたら、あれは社会から外れてしまった人間の末路なのだろうか。


「社会という枠組みで生きる以上、人は歯車になり、どこかの枠に収まって社会を回さないといけないのよ」


 ぼくは目を閉じて考える。

 ヨシカの言うことは正しいのだろうか。人間は自分の意志を殺して、道具として生きていくしかないのだろうか。

 彼女はこういった小難しい話をぼくによく語りかけていた。資本主義と社会主義。合理主義と観念主義。ユングとフロイト。少子化。精神減少主義。ゲーム脳。現実と虚構。

 この日だって、日常風景の一つに過ぎない。

 だけど、この時の会話はぼくの心の奥底に癌となって残った。癌は治らず、心に根を生やす。ミィルとして働き始めてからも、ふと思うのだ。命令を受けて行動するぼくは人間じゃなくて道具なのではないか。ロボットだって命令を受けて動いている。何も変わらない。

 ロボットは替えが効くし、ぼくという人間も替えが効く。ぼくが死ねば、他の人間が、ぼくのいた枠に嵌まるだけだ。


「――あなたは、その答えをパスティとアーヴィングに求めてるのね」


 目を開くと、そこはスパイ養成学校ではなく、ホテルの一室だった。忘れるわけがない。ぼくは戦時中にロシア国内で虐殺を引き起こした。ここは、それを眺めた場所だ。

 窓の外では雪が降り積もる中、現政権に対するデモ活動が行われている。日本のように生易しくはない。彼らは暴力を用いて意見を振りかざす。六万を超す民衆が人を殺す道具を持ち、ロシア陸軍と向き合っている。


 ――ぼくが彼らを焚きつけた。


 正義感溢れる若人は心理誘導を行いやすい。不平不満を政府に向けさせ、そうすることが正しいことだと誘導する。昭和の学生運動の心理メカニズムを応用したものだ。


「道具でありながら、道具の枠を外れた兵器」


 ぼくの身体はいつの間にか子供ではなく大人になっていた。だけど、ヨシカは子供のままだ。それはそうだ。ここはぼくの夢の中。そして、ぼくは彼女が大人になったときの姿を知らない。


「……そうだね。パスティの目的を知ることで、ぼくなりの答えを見つけられるんじゃないかって思ってる」

「見つけられるといいわね」


 道路では大勢の群衆が喚きたてながら赤の広場に向かっている。対面するはロシア陸軍。もはや警察では抑えきらず、武力を持って押さえつけるしか出来ない。

 AK74Mの銃口は敵国の軍人ではなく、守るべき自国民の心臓へと向けられている。


「見つけられなかったら、また探すだけだよ」

「ふふっ、そうね。少女兵器の行動原理が有用性を証明することなら、××の行動原理はそれだもの」


 ヨシカは立ち上がってぼくに向き直った。

 ――と、同時に外で発砲音が聞こえた。

 一発の銃弾を皮切りに、嵐の雷鳴へと変わっていった。途切れぬ銃声。悲鳴。怒声。爆音。銃声。銃声。銃声。


「頑張ってね、応援してるわ」


 そう言って、彼女は子供のころと変わらない笑顔で微笑んだ。

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