第2話 帰任命令

 コートの中にある自動式拳銃ハンドガンのグリップを握った。

 圧倒的な暴力を目の当たりにして、警戒するように自然と体を動かせていた。

 撃つべき相手でないのは理解している。

 ぼくは法務省に属する公安調査庁PSIAの諜報員だ。国内の敵対国の工作活動を防止するのが役目であり、戦後間もなく作られた第三部の第一課に属している。要は日本政府の人間だ。

 一方、少女兵器は第三次世界大戦開戦の四年前に設立された独立行政法人「国防軍兵器開発機構」によって開発された日本の兵器であり、戦中では日本国防軍に貸与されていた。つまり、日本が所蔵する兵器だ。

 組織は違うとはいえ、同じ日本側の存在だ。

 殺るか殺られるか、そんな物騒な関係ではない。

 ぼくが愛用するチェコ産の自動式拳銃ハンドガン――Cz75を握っているのは安心を与えてくれるお守りみたいなものだからだ。実弾はいつもぼくを守ってくれていた。同じ数だけ敵の死体が並び、多くの生死を共に見てきた。相棒だと言っていい。


「怖い顔をしないで欲しいであります」


 そう言うと、電光刀の刀身が消えていき、おもちゃのような柄だけになった。ヘレンはチョコレート箱みたいになったそれを腰のパーツの出っ張りに引っかけた。


「自分は仲間でありますよ」


 手を挙げて武装を解除したことを示す。外見が少女のせいか、ばんざいをした小学生のように見えないこともない。


「国防軍の兵器が何のよう……」

「自分が受けた命令は二つであります。一つは伝言」


 ヘレンは中空で腕を振った。すると、そこには青枠の仮想ウィンドウが出現した。指先で突くとふわふわとぼくの方まで飛んできた。

 ヘレンの体内にあるチップ型ウェアラブルコンピュータ――拡張チップ――から、ぼくのこめかみにある同一のものへとデータが送られてきたのだ。戦闘を優位に進めるために開発された道具の一つで、対象者はこの拡張チップをこめかみに入れることで拡張現実ARを見ることが出来る。具体的には今のように自分と許可した対象者のみにしか見えない空中に浮かぶ仮想ディスプレイが操作出来るようになったり、地図に目的地を設定すればぼくがヘレンを追いかけたように電子矢印が出現したりする。およそパソコンで行える操作はこれで全て済ませることが出来るし、自分の体温、心拍数、発汗量等の体調も分かる。銃と連携すれば残弾数も表示することが出来る。

 戦時中に作られた軍事用補助具であるが、終戦後には最低限の機能だけをつけた低性能廉価版が一般人に普及するようになり、東京都では埋め込んでいない人間の方が少ない。


「これは……」


 送られてきたのは動画情報だった。癖になってしまっているウィルスチェックを済ませ、再生のボタンを触った。

 すると、仮想ウィンドウ上にショートカットの中年女性が写った。髪は七三分けに整えられ、氷のように冷たい瞳がオーバル型の眼鏡から覗いていた。


『久しぶりだな、ミィル。公安の仕事はどうだ、と世間話から入ってもいいが、時間がない。用件だけ言う。公安への出向は終わりだ。今すぐ国防軍第肆情報保全室まで来たまえ。それとお前の所属を国防軍へと戻しておいたから、前のIDを使って敷地内に入れる。以上だ』


 プツンという音と共に広がっていた仮想ウィンドウは線となって消えた。

 二度と見たくはないと思っていた室長――元上司の顔が思わぬ形で現れ、驚きと落胆が同時に味わった。

 ――いや、どうやら自分の所属は国防軍に戻ったらしいので、自動的に上司と呼ばないといけない間柄に再度なってしまったようである。

 眼前には降り注ぐ雨と、ヘレンと名乗る少女兵器が一体。


「それで……きみが言うもう一つの命令は……」


 答えは分かりきっているが、確認のために尋ねる。


「ミィル。あなたを室長の元へと連れていくことです」

「断ったらどうなるのかな」


 問いへの返答だとでも言うように、ヘレンは自分の足元に転がる死体に視線を向けた。上半身と下半身に。そこから零れ落ちる二十一グラムの魂へと。

 どうやら機械のくせに冗談が通じるらしい。スライスされたチーズになるのはごめんだ。


「その前にコンビニでタオルと傘を買ってもいいかな」


 ヘレンは最短距離のコンビニへのルート情報を投げ渡した。冗談を言えるだけでなく、思いやりを持った人造人間ということだ。

 とはいえ、思いやりでは冬の雨風に盗まれた体温は戻ってこない。さっさとタオルで髪を拭いて、怖い上司のところへと向かうとしよう。


 ◇  ◇  ◇



 公安に連絡をして、他の諜報員と死体処理屋を呼ぶように連絡した。前者には部屋に目ぼしい情報がないかの調査、後者には死体の撤去だ。

 ついでに本当にぼくが国防軍へと籍が移されたか確認したが、間違いないとのことである。調査記録を全て渡せば、細かい引き継ぎは後日で良い、とも伝えられた。

 コンビニでタオルと使い捨ての傘を二個ずつ、それからタバコを切らしていたことを思い出してピースを購入。


「ほら、きみの分だ」


 袋から取り出して、自動ドアの隣で佇むヘレンに渡した。


「ありがとうございます」


 髪や服に染み込んだ水を拭き取り、使い終わったタオルはゴミ箱へと捨てた。

 自動走行レーンを走る無人タクシーに向かって手を挙げる。シートに座って目的地である国防庁を告げると、道路に設定されている制限速度を超えないスピードで走り出した。


「ミィル、自分は寒さを感じないであります。正確には寒さや熱さ、痛みを感じてもそれを苦とは思わない抑制機能がついているのです」

「さっき、タオルを渡したことかい」

 

こくり、とヘレンは頷く。


「迷惑だったかな」

「いえ、そうではないであります。その配慮には素直に嬉しく感じるでありますが、ひょっとしたらご存じないのかと」

「きみの言う通り初耳だよ。けど、知ってたとしてもぼくは渡してる。ずぶ濡れの女の子をそのままにしておくのは、紳士のやることじゃない」

「ほうほう、ミィルは自分のことを〝女の子〟と。そう扱うでありますか」

「〝兵器〟として扱った方が良かったかい」

「お好きにどうぞ」


 ぼくはヘレンとの距離感を掴みかねていた。

 そもそも戦時中でさえ少女兵器の詳細を知る者はほとんどいなかった。それは徹底した情報規制によるもので、貸与された先の隊でさえ、接触できるのは極一部の上官に限られていた。詳細を知るのは開発元である独立行政法人「国防軍兵器開発機構」の一部くらいしかいない。ぼくも戦時中はモスクワで諜報活動を行っていたので、実物を見るのは初めてだった。

 そんなわけも分からない少女兵器が前線で重宝されたのは圧倒的に強かったから、という単純明快な理由だ。

 銃の分解から組み立てを出来なくても、人は引金を引いて敵を殺すことが出来るし、ナイフを胸の辺りに向かって突き刺すだけで人は死ぬ。武器そのものについて知らなくても問題ないものも多い。深い知識が求められるならば中東で少年兵がAKを握ってはいない。

 ぼくは再び、ヘレンに目を向けた。


「ねえ、ヘレンは人間なのかい」


 からだは金属の機械で覆われているが、体型は人間の女の子のそれであるし、顔は女の子特有の柔らかい肌をしているように見える。首から下だけが義体で、脳は人間のものが使われていると言われても納得してしまう。


「いいえ、純度百パーセントの機械です。そもそも自分が人間の女の子であるなら、国際条約違反であります」

「言われてみれば、そうだね。未成年の身体を改造して戦争に行かせられるわけがない」


 国家として成り立っている日本は国際条約を無視出来ない。もし、そんなことをすることがあるとすれば、無条件降伏を呑みこまされる一歩手前の状態だ。それは国としての崩壊の始まりかけたことを意味する。


「それなら、どうして人間の格好をしているんだい」

「自分ではなく作った人に訊いて欲しいでありますな。ミィルも『どうして頭と体と手と足があって二足歩行しているんですか』と訊かれても困るでしょうに。自分からはそういう風に生まれたからとしか答え様がないであります」

「むう……それもそうだ……」

 

 理由として一つ考えられることがあったが、敢えて口にするのは避けた。

 その会話を最後に車内に沈黙が生まれた。

 国防庁まで、まだしばらくはかかる。無言のまま目的地につくまで夜景を眺めていても構わないのだが、せっかく少女兵器というブラックボックスが隣に座っているのだ。何かしらの情報を聞き出してみたい。

 それは情報収取を主とする任務に就いていたぼくの性分でもあった。

 とはいうものの、どういった話題を振ればいいのか。

 訓練で老若男女、陰気なタイプから陽気なタイプ、研究家からスポーツ家まで、あらとあらゆる相手と打ち解け、情報を盗むすべを叩きこまれている。

 だが、機械人間を想定した訓練なんてしたことがない。

 少し重苦しい雰囲気が車内に漂い始めた時だった。


「ミィルは名前も見た目も日本人には見えないでありますな」

「ん。ああ、まあそうだろうね」

 

 意外なことにヘレンの方から話を振ってきた。

 こちらから問いかけない限り、無駄な話はしないものだと思っていた。

「ミィル・バラノフスカヤは偽名コードネームだからね。見かけは白人コーカソイドかもしれないけど、れっきとした日本人だよ」


 白い肌に、蒼い瞳、アッシュブロンドの髪。外見的特徴で言えば、模範的な白人だ。さらさらの髪の毛はぼくの右目を隠すほど伸ばしてある。これは顔を覚えられないように、そうしてある。バラノフスカヤという女性苗字を名乗るのも似たような理由だ。


「ほほう。珍しいでありますな。日本に住む白人は一部の地域を除いて、ほとんどいないに等しいのに、その白人が日本の諜報員だとは」

「そのせいでモスクワなんかに諜報に行かされたんだけどね」


 いかんせん、白人の多いモスクワにおいて東洋人は目立って仕方ない。どれだけ能力があろうと見かけだけで警戒されてしまう。その点、白人であるぼくならば、怪しまれることはない。


「両親も日本人なのでありますか」

「それは……」


 両親のことは何も知らない。

 ぼくは孤児だ。

 生後数か月の頃、一通の手紙と共に孤児院前に置かれていたと施設の職員から教えてもらった。七歳の頃、国防軍の関係者たちが設立したスパイ養成学校へと引き取られている。

 物心がついたころから両親がいないのが普通だったため、自分を捨てた彼らを恨んでもいないし、探そうという気も湧いてこなかった。

 というわけで、ぼくは両親が日本人かどころか、人種も名前も年齢も答えられない。


「すみません。少し踏み込み過ぎた質問でありましたね」


 答えに窮するぼくに、ヘレンは訊いてはいけないことを尋ねてしまったと思ったのか申し訳なさそうに謝った。


「あっ、いや、別にいいんだ。ただ職業柄、他人に自分の出自を言いにくいってだけなんだ」

「ああ、なるほどであります」


 両親のことも自分の育ちのことも何の感傷もないので、話せない理由としてはヘレンに言ったことが大きな理由だ。ヘレンは納得したのか、ふーむと頷いていた。


「ぼくが自分のことを話さなかったから、別に答えなくてもいいんだけど、きみたち少女兵器って何だい」

「正式名称『人型局地制圧戦闘兵器』で、人の型を模した機械であり、人造人間であり、道具であります。少女兵器は俗称です」

「それは知ってる。もう少し詳しく」

「少女兵器は独立行政法人『国防軍兵器開発機構』が開発した兵器であります。開発に成功したのは二○七六年の九州が実効支配されてから一年後です。肉体部分である義体はチタン合金の金属骨格、その上にバイオ皮膚を被せてあります。髪の毛も同じく培養されたバイオ繊維であります。人ならざる筋力を持っているので、今、自分が着ている強化外機動装甲」


 ヘレンはこんこんと自分が着ている鉄の服を叩く。


「これを問題なく扱えます」

「身体が機械で出来ているから、その重そうな金属の洋服を扱えるってわけか」

「その通りでありますが、少し訂正を。重いこともそうですが、この強化外機動装甲の特徴は筋力、速度、あらゆる身体能力を飛躍的に上昇させることであります。服が動きを速くさせる、というと分かりやすいでありましょうか。なので、人間が着ると重くて動けないのではなく、強化外機動装甲の動きに肉体がついていけなくて、腕が引き千切れたりします」

「痛そうだね……」

「それから特筆すべき点としては、複層パーセプトロンAIという人工知能を搭載していることで自律稼働スタンドアローンが出来ることでありますか。コンピュータ内で誕生から成長までを暮らさせることで、人間生活を体験させ、現実社会に適応させるように学習させます。勿論、コンピュータ内では加速世界アクセルワールドに設定してありますので、何年も待つ必要もありません」


 人間のように成長まで何年も待っていたら戦争が終わってしまうでありますから、と続ける。


「さて、着いたであります」


 ヘレンがそう言うと、無人タクシーはゆるやかに減速していった。

 国防庁と書かれた門の奥には高層ビルが六つ連なっている。夜だというのに、建物の中は明々と光が照っていた。

 停車すると、自動音声が料金の支払いを促した。

 指認証機器に人差し指を乗せると、人間が感じられない程度の微弱な電気信号が拡張チップに送られる。拡張チップはぼくの銀行口座に通信してタクシー会社の口座へと入金を済ませる。

 ありがとうございました、という機械音声と共にドアが開いた。

 雨に濡れないよう傘を広げて、守衛へと向かった。

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