第6話 今、ここにある命
佐野にランチに誘われた夏樹は、病院の最上階にある、病院には煌びやか過ぎるレストランに居た。
通常、ランチを普通の時間に取れない夏樹達だが、午前中の手術が急遽、午後へと変更になったため、久々に早目のランチに有り付けたのだ。
「そうそう、先日守屋先生が、夏樹の事を褒めてたぞ」
空になった皿を前に、佐野が思い出したように夏樹に告げた。
「本当に? 守屋先生の救急対応、超かっこ良かった」
「ああ、ベテランだもんな。あの先生、お世辞とか言わないから、夏樹が亮さんの弟とかで、褒めたんじゃないと思うよ。やっぱり、僕の指導の賜物かな」
「全くのその通りです。いつもご指導有難うございます(棒読み)」
「いやいや、そんなに褒めなくても」
「佐野先輩って本当に、いつも幸せですよね」
「うん。これで、亮さんが美人を紹介してくれたら、向かう所敵なし、だね~」
【いや~ 敵だらけだろぉ 女の怨念が見える】
夏樹は、満腹になったお腹を摩った後、両手を前で合わせた。
「御馳走様でしたぁ。じゃ先輩行きましょうか?」
夏樹が佐野に話掛けるのと、まるで重なるように頭上から声がした。
「佐野先生、加瀬先生、お疲れ様です」
夏樹達は声をした方を見ると、看護師の上原が、春音と共に立って居た。
夏樹は、心拍数が高まるのと同時に、一瞬視線が春音に釘付けになった。
「お疲れ様」
佐野の応答する声で我に返った夏樹も、座ったままで会釈をした。
「加瀬先生、私の友人の高城春音さん。彼女が先日の講演会でのゲストスピーカーです。春音、こちら加瀬先生、貴方の講演会に来てくださったのよ」
「そうだったんですね。お忙しいのに、わざわざ有難うございます」
「あ、いえ。俺、移植外科医を目指しているので、講演会はとても勉強になります」
この言葉を聞いた春音は、目頭が熱くなるのを必死で堪えた。
二人の反応を見ていた佐野は、無愛想な夏樹には珍しい春音への対応に驚き、上原は、夏樹と春音が見つめ合う姿に、怪訝な気分になった。
「済みません声を掛けてしまって。私達はこれで失礼します」
上原は、春音を押し出すようにその場を離れた。その様子を佐野も感じ取っていた。
「夏樹、神木の彼女知ってるの?」
「え? あっいえ」
「へぇ~」
佐野の疑う目が夏樹の罪悪感を刺激する。
「実は先日、病院で少しだけお会いして、、、、」
勘の良い佐野に、動揺を感じ取られないように応答した。
「へぇ~」
頬の熱さを必死に取り除こうと、レストランのおしぼりで、口回りを拭く素振りをしながら顔も冷やす。
「神木と彼女って、確か幼馴染。もう20年来とかの付合いなはず。夏樹ぃ、神木も僕にとっては、可愛い後輩だからね」
意味深な佐野の言葉の真意が、理解出来ない夏樹だったが、神木と春音が長い付合いなのだと知ると、腹の辺りがモヤモヤとした。
「そうなんですね。20年ってまるで夫婦みたいですね。って俺には関係ないですけど・・・・」
「そっか。じゃ僕の勘違いかな」
「勘違いって何をですか? 意味が分かりません」
佐野は、テーブルに顎肘を付きながら、目の前で動揺を露にする夏樹と、少し離れたテーブルに座る春音を、交互に見つめた。
「御馳走様。じゃ仕事に戻りますか」
佐野の呼び掛けに、夏樹は立ち上がると、椅子をテーブルに戻す。そして、レジに立つ佐野の後ろに並ぶと、意識と反して春音を探した。
そんな様子を佐野は察すると、手で夏樹を追い掃う振りをする。
「今日は、僕の驕り~ だからさっさと出て出て、仕事仕事、シッシッ!
そうだぁ夏樹ぃ、僕この後、寄る所あるから、夏樹は先に戻ってて」
「じゃあ、御馳走様でした」
夏樹は、レストランを追い出されると、エレベーターホールに向った。
「やれやれ」
佐野はお金を払いながら呟いた。
夏樹は、夜遅くに自分のマンションに帰宅するや否や、書斎に入ると、机の一番下の引き出しを開けた。
引き出しには数冊の本と封筒しか入っておらず、無造作に全部を取り出すと、引き出しの底に指穴の様な物が見えた。
机の一番下の引き出しは2重底になっており、下に重要な書類を隠せるのだ。
仕切りになっている底を取り出すと、中には白いA4サイズの封筒が入っていた。
夏樹は、一瞬躊躇したが、意を決して封筒を手に取った。
封筒は糸で閉じられていて、それを丁寧に外すと、中には、数枚の書類とフラッシュドライブが入っており、夏樹は書類を取り出した。
ドナー: 高城冬也
享年: 十五歳
*臓器提供意思表示カード所持
出身地:大阪府
病歴: 特になし
死因: 事故による脳死
提供臓器:心臓
レシピエント: 加瀬夏樹
年齢:十四歳
夏樹は、重要な部分だけを確認する。
「高城・・・・やっぱり」
珍しい苗字では無いが、一般的だとも言えない。そして、所在地に目をやった。
「大阪」
佐野が、神木と加瀬春音が幼馴染だと言っていた。神木の出身は確か関西。
「間違いない。俺の心臓は、きっと彼女と関係があるのだ。彼女の事が気になるのも、きっとこのせいだ」
そう考えが纏まると、床に座り込んだ。
夏樹は、生まれながらに心臓に病気を抱えていた。幼い頃から入退院を繰り返し、投薬の生活を強いられた弟を、年の離れた三人の兄は、いつも優しく面倒を見た。
外を子供らしく駆け回る事は叶わなかったが、兄達に交代で本を読み聞かせて貰う内に、読書が好きになっていった。飼っていた大型犬にもたれながら、兄の古本を読むのが習慣となり、いつしか父や兄の様な外科医を目指すようになった。
しかし、成長と共に、心臓の発作が頻繁に起こるようになると、夏樹の家族は、心臓移植だけが、延命の手段だと医者に告げられる。
加瀬家は裕福だったため、海外での移植手術を考えたが、夏樹の体調は悪化する一方で、長旅には耐えられないと危惧され、可能な限り日本での移植を待つ事になった。
発作が多い夏樹は、訪問教育での学習が多かったが、中学に上がると、テスト期間や体調が良い場合は、出来るだけ通学させられたのだ。
中学二年生になり、学校生活にも慣れて来た頃、夏樹に転機が訪れる。
夏休みが明けて暫くした時、心臓のドナーが現れたのだ。
幸い無事に手術も成功し拒否反応も起こさず、健康な身体を手に入れた夏樹は、現在に至るのだ。
「高城春音」
夏樹は、彼女の名前を口にした。
春音は、一人真っ暗なマンションの一室に帰宅していた。そして、最近では頻繁に開かなくなった、戸棚の奥に閉まってある木箱を取り出した。
「冬也」
春音の涙で歪む視界には、優しく笑う冬也の笑顔があった。
「加瀬夏樹」
春音は、彼の名前を口にした。
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