〈弐章:深淵ヲ往ク影法師〉

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【深層1日目()】


踏み込んだ直後に感じた冷気は、巨大かつ虚ろな空間に圧倒されたがゆえ――。

当初はそう考えていたが、奥から吹きつける風は、外界に通じる穴の存在を示唆している。


つまり人が靴や苔を食べている間に、邪教徒は自由に外を行き来していた可能性があったわけだ。


外界には魚や獣が繁殖し、様々な実りが彼らを潤した事だろう。何とも羨まし……由々しき事態だ。

死者を永久に閉じ込めておくために、毒酒まで呷った身。

このままでは死んでも死にきれん。



決意を胸に歩みは増々進むが、道は何処までも続いている。

横穴で休息を取れば、念の為に虎挟みを設置しておいた。


あわよくば外界より迷い込んだ獲物が掛かれば儲けものだろう。




【深層2日目()】


亡霊が再び現れた。


それも寝起きに、眼前で覗き込むようにして――喉があれば悲鳴を上げていたろう。


だが剣を掴んだ直後に亡霊は去り、罠に掛かる事なく進行方向に消えた。

最後の靴片を頬張れば大急ぎで出立したが、程なく前方に佇む亡霊に追いついた。


1歩進めば“彼女”も下がり、さらに踏み出せば奥へと後ずさる。

警戒されている一方で、案内をしているようにも感じられたが、罠を疑おうにも進める道はただ1つ。

渋々移動すれば亡霊が先導するも、その光景はかつて通り過ぎた村の子らが、戦士団と並走する姿を思い起こした。


大の大人ですら我々を畏怖していたと謂ふに、子供とは不思議な生き物だ。




【深層3日目()】


道中、ちょっとした休憩所を発見した。


岩に生える苔や茸。天井から伝う微量の流水。

採り立ての食材は、炙って香辛料をふりかけ、立ったまま頂く事にした。

久方ぶりの贅沢に心が躍りそうだったが、知らぬ間に亡霊が傍に佇んでいた。


急げと催促しているのか。

あるいは珍妙な物でも見つけたのか。


すかさず立て掛けた剣の柄を握れば、霞の如く彼女は消える。

度々邪険に扱っていると謂ふに、何故すり寄ってくるのだろうか。


餌でも与えれば成仏してくれそうだが、餌付けにより懐かれる危険性も孕む。

今後とも監視対象として目を離さない方が良いだろう。




【深層4日目()】


延々続いた深淵にも、ようやく変化が訪れた。

道が左右に分かれ、普段であれば軽く偵察を行ない、進行方向を見定めていた事だろう。


だが片側に亡霊が佇んでいた時点で、彼女がいない道を進む事に決めていた。

振り返れば訴えるように揺れていたが、罠の可能性も否めない。


願わくばこれが最後の関わりにならん事を。




【深層5日目()】


単調な道が続き、亡霊も後ろから距離を開けてついてくる。

いまだ彼女の狙いは分からないが、万が一行き止まりであったならば、引き返し際に出くわすだろう。


結果を見極め次第、すぐさま亡霊を斬り伏せる準備を整えておく事にする。




【深層6日目()】


道が松明の灯りに呼応して光り、当初は湿った地面が照らされているのかと思っていた。

だが一帯に転がる獣の骨や、干上がった邪教徒の骸。

何よりも白い絹糸が覆う光景に、危機感が急速に募っていく。


一刻も早く立ち去るべきだったのだろうが、骨の量から外界に繋がっている可能性も否めない。

さらなる探索のために突き進んだものの、程なく辿り着いたのは行き止まり。

壁も垂直にそそり立ち、脱出する事は不可能だろう。


亡霊の道先案内正しさを認めるのは癪だが、戻る以外に道はない。

渋々踵を返そうとするや、突如全身が宙に引き上げられた。


視界も白霧に包まれ、まさか天に召されているのかと。

一瞬よぎった番人としての任期の終わりも、粘着質かつ不快な感触によって裏切られる。


あれよと言う間に我が身を糸で巻かれ、その最中に捉えた黒蜘蛛の巨大さは、魔女の差し金を疑うほどに禍々しい。


反撃を試みようにも身動き1つ取れず、やがて胸部を幾度も叩いた牙が、甲冑内に毒液を流し込む。

不快な感触は込み上げてくるも、痛みを覚える事はない。


蜘蛛も勝手の違う獲物に戸惑ってか。牙を抜けば8つの目を向けてきたが、直後に興味を失ったように去って行った。


喰らうつもりがないのなら、いっそ解放してもらいたいものだ。




【深層6日目 - 追記()】


蜘蛛糸から脱出する事も叶わず、もはや守り人の役目もここまでかと思ゑた時。

ふいに熱気を感じれば、程なく浮遊感に襲われた。


そのまま地面に勢いよく叩きつけられたが、視界に映るのは天壌の業火。

火に包まれた蜘蛛も転げ回り、咄嗟に獣の骨で眉間を穿てば、おぞましい慟哭を上げた。


もっとも亡霊の悲鳴に――ましてや、災厄の魔女が上げた断末魔には程遠い。

捻じ込んだ骨がぐじゅりと。不快な音を立てたのを最期に勝敗は喫したが、それは同時に任務が続く事を意味する。


永劫糸で絡まれずに済んだ事実を噛み締め、早々に装備を回収しようとした矢先だった。

愛刀の傍に亡霊が佇み、靄から伸びた“手”には火打石が握られていた。


一瞬疑念はよぎったものの、恐らく偶然発火したのだろう。

手癖の悪い亡霊も早々に去り、荷を纏める間も燃え盛る周囲を観察すれば、残糸が消えた天井には縦穴が続いていた。


獣の侵入経路も把握し、この場で野営すれば新鮮な肉にもありつけるはず。

普段ならば迷わず待機を選んでいたろう。



だが視線を移せば、亡霊は元来た道の先で佇んでいた。

まるで移動を急き立てるようであったが、従来の目的が狩猟では無い事も確かである。


出立すべく蜘蛛の足を2本斬り落とし、無事だった糸は獣の骨に巻きつけておいた。

前者は食用。後者は何かの役に立つ事を期待してだが、ついでに削ぎ落とした下腹部も、漬け壺の中へ放り込んだ。


仕上がりが楽しみである。

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