No.13 Concorde 作者:うみぜり さん
微睡の中にいた。
******
放課後。
自分の席に腰掛けたまま、ボサッとしていた
几帳面な真四角が並んだ窓からは、真っ赤な夕日が差し込んでいて、等間隔に並べられた机を強かに照らしていた。既に蛍光灯が消された教室は薄暗く、そのせいか、机の脚から伸びる影は只々色濃く、その輪郭をフローリングに張り付けている。
か細い記憶の糸を辿る。恐らく、終礼の時間に居眠りをして、そのまま寝こけたのだろう。仁は昼間が苦手だ。学校ではほとんど寝て過ごしている。無論、教師からは小言を良く言われるが、余り気にしていなかった。テストの成績は中の上程度はとっているし、別に難関大学に進学したいと言うわけでもない。なのでまぁ今で十分だろうと、只々怠惰に溺れていた。
余計な思考に囚われた。
今は、そんな事はどうでもいい。
今は、声を掛けられている。
そちらの対応が優先だ。
仁は、ハッキリ言って会話が苦手だった。声を出すのも億劫だし、ウィットに富んだ会話ともなれば、もう、絶望的だ。そもそも他人にあまり興味がない以上、他人に適した会話など望めようはずもない。
人である自分が人に興味がないとはこれ如何に、などと真っ当な正論を言われてしまうかもしれないが、まぁ、なんというか……要するに仁は他人が良く分からないのだ。だからって自分の事が分かっているのかと言われれば無論それも違うが、他人に比べたらまだマシだろう。自分とは一生付き合って行く他ないのだから、他人と自分のどちらに対して日頃の理解努力をしているかと言われてしまえば、自分と答える他ない。
じゃあ、結局それは自分が好きと言う事であり、それは唾棄すべき歪なナルシシズムではないかと言われると、まぁ、やっぱり反論は出来ない。確かに単純な二元論に落とし込んでしまうなら、他人よりは自分の方が好きと言うのは全くその通りであるし、それを歪な自己愛であると謗られるなら、多分そうだろうと、仁も他人事みたいに答える他ない。それが一面の事実としてある以上、それは確かに真実であると言えば真実であるし、否定する意味も理由もないのだ。まぁ、そんなこと誰かに言われた事も無ければ、そもそもこんな話を他人とするわけもないので、全ては全て、他者と関わらない言い訳を自分に続けている、仁の稚拙な自己弁護に過ぎないのだが。
また、思考が逸れた。
つまらないことですぐに自分の思索の殻に閉じこもってしまうのは、仁の悪い癖である。かといって別に誰かに迷惑を掛けているわけでもないので、仁はそれを直そうとも思っていなかった。いずれ社会に出る時は矯正の必要が出るのかもしれないが、幸いなことに仁が社会に出るまではまだ足掛け数年の猶予があるし、そも他人と大して関わらないで済む仕事を選べば良いだけなので、仁からすれば、あまり気を揉む必要もないことだった。
……いや、今はそんなことはどうでもいい。誰かに声を掛けられた以上、返答くらいはしなければ。見たところ、放課後の教室には誰もいない。終礼が終わってからそこそこの時間が経っているのだろう。そんな教室で仁に声を掛けてくる相手なんて、クラスには誰もいない。なら、必然的に声の主は他のクラスの生徒か教師のどちらかであり、しかも仁を気安く下の名前の呼ぶ誰かなど、全く限られている。
そう、仁の知る限り、そんな風に仁に声を掛けてくる相手など、簡単に予想する事が出来る。この声の主。わざわざ、クラスで赤塚仁に声を掛けてくる誰かなんて――。
仁の知る限り、誰もいない。
結局、それが答え。
つまり、その声は、その声の主は。
……仁の微睡が齎した、つまらない幻聴でしかなかった。
******
赤塚仁は、無口な高校生だった。
中肉中背。成績そこそこ。
安い床屋で切りそろえた短髪に、野暮ったい黒縁眼鏡。
特徴らしい特徴はなく、部活は帰宅部。
知人はいても友人はいない。
休み時間は誰とも喋らず、ただ寝てばかりで、クラスでは孤立気味。
かと言って、いじめられていると言うわけでもない。
良くも悪くも、空気のような存在。
その他大勢の一人。
それが、赤塚仁の客観的評価であり、同時に自己自認でもあった。
別に最初からこうだった、と言うわけでもない。昔はそれなりの交友関係はあったし、今ほど会話が苦手と言うわけでもなかった。小学校くらいまでは毎日友達と遊んでいたし、それなりにクラスで発言力もあった。そんな仁が何故こうなってしまったのかと言えば、会話がなくなったからであり、何故会話がなくなったのかと言えば、話が合わなくなったからである。理由はいくつもあるが、最大の理由は、仁があまり複数の事に興味を持たず、単一の趣味に極度にのめり込んでしまったせいである。
此処で器用に他人の趣味や複数の物事に興味を持つことが出来れば、もう少し違う未来もあったのかもしれないが、生憎そうはならなかったので、仁はこうなってしまった。それ自体に危機感を抱くという事すらせずに。
そんなこんなで、仁は高校一年生となった今も、たっぷり十年間ずっと同じ趣味……オンライン上での対人対戦ゲームを続けていた。
簡単に夕食を済ませて、両親と短く言葉を交わしてから、自室に引きこもり、デスクトップパソコンの電源を入れる。全然アイコンが置かれていない殺風景なデスクトップは、仁の自室とそっくりだった。手早くダブルクリックをして、ゲームを起動する。もう大昔のゲームなので、偉く起動が早い。
もうすっかり過疎に見舞われているこのゲームを遊んでいるプレイヤーは恐らく全国、いや全世界でもほとんどいないのだが、仁は別に気にしない。仁がやりたいからやっているので、そこはどうでも良かった。
毎度の如く、一応オンラインに設定をいれて、マッチング許可の指定を入れてから、トレーニングモードに籠る。毎日、寝るまでこれを繰り返す。無論、対戦相手は現れない。でも、気にしない。対人対戦ゲームであるが、必ずしも対人戦をする必要を仁にはなかった。想定と検証を繰り返す。それだけでも、時間は幾らあっても足りなくなる。そうやって、一人でこの古臭いゲームに齧りつく事が、仁の唯一の趣味であり、日課だった。実はこのゲームは続編が出ているので、旧作であるこれにこだわる必要は余りないのだが、仁は新作よりこっちの方が好きなので、ずっとこれしかやっていなかった。
今日もキャラクター操作を効率化し、高難易度のコンボや特殊な連携を開発するため、ひたすらにキャラクターをコントローラーで操作し続ける。楽しいとはもう思っていない。ただ、間違いなく好きなことではあった。好きでなければ続けられない。この静謐で、ただ一つの目標に打ち込める時間が、仁は好きだった。
これがもうちょっとカッコいい趣味や、実社会への還元が容易い趣味だったならば、仁ももう少し外交的な人間になっていたのかもしれない。だが、そんなのは全てありえないもしもでしかないので、仁は気にしていなかった。
ただ、只管にキャラクターを操作する。操作スティックを素早く縦横無尽に動かし、六十分の一秒の世界でボタンを叩き続ける。仁の体感時間が加速して行き、最後には何も感じなくなる。ランナーズハイと似ているかもしれない。仁はこの感覚が大好きだった。何者に縛られる事もなく、何者に咎められる事もない。限りなく時間が零に近づいて、それすらも感じられなくなり、ついには消える。一種の中毒症状なのかもしれないとたまに思う事もあるが、別に思うだけで、それ以上気にすることはなかった。
しかし。その静寂は、突如破られた。
画面に躍る、久しく見なかった英単語の群れと、軽快な電子音。
トレーニングモードは強制中断され、仁の加速した世界が一気に現実に引き戻される。たっぷり二秒は、仁は何があったか分からなかった。
だが、三秒目にはもう答えが出た。
一人だけの仁の世界に現れた異物。
たっぷり数年以上は見なかった……自分以外のプレイヤー。
オンライン上の対戦相手だった。
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翌日。仁は睡眠不足で、昼間は微睡どころか、深い眠りの中にいた。
何とか登校だけはしたが、一限目から四限目までほぼずっと眠り続けていた。今日ほど、大して教育熱心ではない教師が揃ったこの公立校に感謝した日は恐らくない。何とか頭がはっきりし始めたのは昼休みになってからだった。
睡眠不足の理由はわかりきっている。夜更しし過ぎたからだ。何故夜更かしをしたのかといえば、これも理由は全く自明であり、例の対戦相手とずっと対戦をしていたからである。
勝率は五分五分。情けない結果とは思わない。相手はべらぼうに強かった。コンボ精度やセットプレイでこそ仁が勝っていたが、読みの深さと勘の良さは相手の方が上だった。
そんな相手に食らいつけた自分を、仁はむしろ褒めたいくらいだった。一人でやるトレーニングモードなんて、何年やったところで対人戦の経験になるわけじゃない。想定と検証は幾らでもできるが、それらはあくまで想定と検証でしかないのだ。いわば、机上の空論である。それを実践し、何が使えて何が使えないのかを試す機会に巡り会えた。それだけで、仁は十分満足だった。惜しむらくは、もう次がない事くらいか。
相手はいわゆるゲストアカウントと言う奴であり、普通のアカウントではなかった。お試しの仮入場券のようなものであり、それである限りは戦歴や設定などは保存されない。挙句にアカウント名は『you3829』……明らかに適当に自動生成された捨てアカウントである。つまり、長く遊ぶ気がないということだ。
大方、どこかの古参プレイヤーが久しぶりに昔のゲームで遊ぼうと適当にゲームを購入し、そのまま適当に仮アカウントでログインして、適当に遊んでくれただけなのだろう。
まぁ、大したことじゃない。
仁にとって、対戦は重要ではない。
相手がいても、いなくても、別に構わない。
相手がいるならいるなりに楽しみ、いなければいないなりに楽しむだけである。
そんな風に仁が納得して、欠伸をしながら軽く伸びをしたところで……教師から名指しで呼び出された。流石に、午前中一杯爆睡していたのは目に余ったらしい。
しばらく振りに互いに目を合わせた担任教師に廊下まで呼び出されて、いつもより長めの小言を言われた。それでもせいぜい小言で済む辺り、この教師の仁に対する興味の程度も知れる。もっとも、仁もこの担任教師のフルネームを未だに覚えていないので、そのへんはお互い様だった。
教師と仁の順番で、互いに吐き出し合う建前の応酬は、儀式以上の意味を持っていなかった。わざわざ人目につく廊下でこのやり取りをしているのも、単に互いに面倒なだけで、晒上げや締め付けなどと言った理屈は一切ない。無関心は、言葉にせずともある程度は伝わるものだ。
教師と生徒の役を演じきった両名は、そのまま互いの持ち場へと戻っていく。教師は職員室へ。仁は教室へ。クラスメイトからは微かな嘲笑が、仁へと向けられている。まぁ、笑われて当然の事ではあるので仕方ないが、それはそうと仁もいい気分はしない。日頃互いに干渉しあわずに生きているのだから、こういう時も干渉しないでいて欲しいと思うのは、果たして贅沢な事だろうか。もっとも、その不本意を口に出さない以上、答えが返る事はないのだが。
その後、仁は眠りこそしないがボサッとしたまま、気のない表情で午後の授業を受けていた。昼食後の午後は絶好の昼寝日和だったため、先ほど仁を笑った生徒も何人かは気持ちよさそうに居眠りをしていたが、教師は咎めなかった。
少しだけ仁は理不尽を感じたが、想えば仁も授業中は咎められていなかったことを思い出し、小さな不満はすぐに消えた。良くも悪くも、誰もが今この場では、互いに関心を持っていない。生徒は授業なんて適当に終わって欲しいし、教師も適当にカリキュラムを消化したい。利害は静かに一致していた。
そう思えば、悪い気はしない。むしろ、居心地良くすらある。互いの利権を侵害しない範囲で互いの役を演じきれば、それだけでいいのだから。
終礼まで自分の役割を演じきれば、それで終わり。世は全て事もなし。後腐れもない。そういうスッパリした関係を維持してくれるこの学校は、なんだかんだで仁の気性に合っていた。
故に、本日の生徒の役を終えた仁は気兼ねなく、いつも通り速やかに帰宅し、いつも通り速やかに夕食と諸用を済ませ、いつも通り速やかにパソコンの電源をつけて、いつも通り速やかにゲームを起動したのだが。
……トレーニングモードはロクに出来なかった。
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仁の日課には、多少の変化が訪れた。
毎日のトレーニングモードの時間は大幅に削減され、代わりに『you3829』との対戦時間が大幅に追加された。
時間は午後十時過ぎから、午前一時を回る頃くらいまで。別にどちらが決めたわけでもないが、何となくそうなった。十時くらいになるとお互いにログインして、一時過ぎくらいにどちらともなくゲームを落とす。勝率は五分五分のままで、お互いに少しずつ成長しているが、お互いしか対戦相手がいないので、大きな変化はない。
やることは只管対戦だけ。
ゲーム内チャットでのやり取りなどは一切しない。アイコンやスタンプも使わない。なんだったら、開始前の挨拶すらしない。
本当にただ、互いにゲームを繋げて、対戦をするだけ。
それだけの関係。
顔も名前もわからない。
なんだったら、何かの間違いで現れた、スーパーAIか何かかもしれない。
それでも、別に構わなかった。
構わなかったのだが。
雨の降る夕方。放課後。微かなノイズ音にも似た雨音が響く図書室。
傘を忘れて雨宿りをしていた仁は、古いインクと紙の匂いで満たされた微睡の中で、またあの「仁ちゃん」という幻聴を聞いた。
夕方に微睡む度、時折耳にする……あの幻聴。少女の声。
古い知人だけが使う、「ちゃん付け」での名前呼び。
一定年齢を過ぎて出来た知人は、全員仁の事は「赤塚君」と苗字で呼ぶ。だから、仁に対して面と向かってその呼び方をする人間は、この高校には一人足りとて居ない。
故にこその幻聴。
事実、これが聞こえた時、仁の傍に誰かがいたことは一度もなかった。
だから、仁も寝惚けているだけと大して気にしたことは今までなかったのだが……最近は、どうにも引っかかっていた。
具体的に言えば、ここ数ヶ月。
もっとわかりやすく言えば……『you3829』との対戦が始まってから。
いつまで経っても仮アカウントなのも気になるが、それ以前にあの番号がおかしい。
余計な詮索はしまいと、仁は意図的に目を逸らしていたが……よくよく考えてみれば、仮アカウントの自動生成のナンバーとしては、四桁という数字は若すぎるのだ。
普通、仮アカウントというものはそのゲームのサービス開始直後に乱造されるものであり、悪質なプレイヤーの中には初心者狩りを楽しむ為に、自分も初心者であると騙る術として、何度もアカウントを作り直す輩さえ存在するのだ。故にこれらの仮アカウントの自動生成ナンバーは加速度的に膨れ上がっていくものであり、四桁程度のナンバーはせいぜいサービス開始一ヶ月以内に使い切られてしまうはずなのである。
なのに、もうサービス開始から十年以上が経過している大昔のゲームで、しかも今四桁の仮アカウントを使っているという事は……仮アカウントを登録してから十年以上、本登録をしていないということになる。つまり、黎明期にちょっとだけゲームを遊んで、その後はずっと放置されていたアカウントが、今頃になって動き出しているということになる。
まぁ、別にそれだけなら、当初の解釈通り、古参プレイヤーが何かの気まぐれで戻ってきたというだけでも辻褄は合うので、それ自体は気にするような事ではないはずなのだが……仁は、今更になって、あのアカウントは大昔に見た覚えがあるような気がしてならないだ。
今まで、ずっと忘れていた。いいや、思い出さないようにしていただけで。
あのアカウントは、確か。
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十年前。あの頃の赤塚仁は、ヒーローだった。
その言い方は多少大袈裟かもしれないが、それでも少なくとも、今の仁よりは明るく社交的で、人脈豊富だった。まぁ、人脈と言っても、ようは同級生の友達が多かった……というだけのことなのだが。
それはそうと、あの頃の仁は、今の仁とは真逆の存在だった。
少数よりも多数を好み、静謐よりも騒乱を好み、寡黙よりも多弁を好み、不干渉よりも介入を好み、子供とも大人とも、広く温かく交わり続けることを良しとした、快活な子供だった。
特に当時からゲームが得意だった仁は、近所のホビーショップの大会などにも積極的に参加し、小学校低学年ながらに上級生にも対等以上に渡り合い、地元のジュニア大会では何度も優勝を果たした新進気鋭の若手(もクソもないが)ゲーマーだった。その頃は、誰もが仁の事を「仁ちゃん」「仁ちゃん」といって、一目置いたものだ。
子供の世界とは狭いもので、そうやって遊びでも何でも何かに一芸に秀でるだけで、社会的地位が保証される。あの頃から既にちょくちょくオンライン対戦でも猛者に揉まれていた仁は、それこそ子供相手には無敵の存在だった。今思えば、年齢はともかくとして、実績を鑑みれば、その腕前で近所のホビーショップのジュニア大会を荒らすというのは、やっていることは立派な初心者狩りでしかないので、多分に自省するところはあるが。
閑話休題。
あの頃の仁にとって、ゲームこそがアイデンティティであり、ゲームこそが人生だった。それを一切疑いもせず、それを一切省みもしなかった。だが、他に得意な事がないものだから、子供たちが少しずつ大人になり、ゲーム以外にも関心を持ち始め、同じゲームでも最新の違うゲームへと皆関心を移していくにつれて、不器用でそれしかできない仁は徐々に孤立していった。
それでも、仁はゲームを取った。
自分の『好き』を取った。
自分の『夢中』を取った。
自分の『興味』を取った。
少しでもゲームから離れて腕前を落とすのが嫌だった。負けるのが悔しかった。昨日の自分より今日の自分が弱くなるのが嫌だった。友達と少しずつ疎遠になるより、そちらの方がよっぽど我慢ならなかった。
幼稚で意固地だったと、今の仁は思う。もう十年ぶち込んでしまった今の仁からすれば、馬鹿な事をしたものだと少しばかり呆れてもいる。
今の仁は、ゲームは『好き』ではあるが、『夢中』ではないし、『興味』もさほどあるわけでもない。この十年で上には上がいると散々思い知った以上、負けるのが悔しいとは別に思わないし、昨日の自分より今日の自分が弱くたって、そもそも対人戦をあまりしてないんだから当然としか思わない。『好き』ではあるが、『熱意』はない。
じゃあ、何故やっているのかといえば、恐らくは惰性である。
もう十年続けてしまったからという、後ろ髪にだけ引かれて続けている。
辞めたら勿体ないから。
恐らく、その程度の理由で、その程度の『好き』だと思う。
世間でいうところの、コンコルド効果と言う奴だ。
開発に手間と費用を注ぎ込み過ぎたが故、いくら赤字を垂れ流しても「これで辞めたら勿体ない」という感情的な理由だけで運用され続け、最終的には多くの富と資材を腹に抱えたまま、それを親元に還元する事もなく翼を折った世界で唯一の音速旅客機。
仁のやっていることは、それと何も変わらない。
そういう自覚がある。
それでも辞めない。
辞められない。辞めたくない。
その理由は。
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雨上がりの商店街。転倒注意の看板が林立するが、人気も往来もまるで感じられないアーケード街の一角で……仁は缶ジュース片手に、昔日に思いを馳せていた。
通学路から外れた寂れた商店街は、十年前から寂れていたが、あの頃は今よりはまだ多少マシだった。少なくとも、今よりは活動圏が狭かったあの頃の仁達にとって、此処は格好の遊び場であり、同時に盛り場であり、貯まり場であった。
それが、今ではこの有様。通販がいよいよ強くなり、郊外に大手ショッピングモールが建設された昨今、此処には中高年もあまり足を運ばない。少ない地元客で細々やっているだけの、いつか消えるしかない商店の群れでしかない。その多くが、昔からの想い出や、今更辞めるのも億劫と言う感情的な理由で、軒を連ね続けている……と、どこかで他人事のように聞いた。
辞めるに辞められないという意味では……この街は、仁と全く同じだった。
仁と同じ、過去にしがみ付き続けている残骸だった。
熱意や覚悟でそうしてるわけじゃない。
惰性でこうしている。
言葉ではそう言えるが、実際は違う何かがある気もする。
だが、それを言葉にすることに、何の意味もない。
どうせ、結果は同じだし、誰に語る事もないのだから。
アーケードが、途切れる。
商店街の隅も隅。昔は毎日のように通ったホビーショップ。
玩具のクロサワ。
自然、足はそこに向いていた。
かつての仁の聖地。
仁が英雄として凱旋していた場所。
仁の全てがあった場所。
ああ、だから、思い出した。
確か、ここで使われていた。
その時は、確かアカウント名じゃなかった。
誰かのリングネーム。
大会に登録されていた、普通の横文字や英単語の組み合わせの中にポツンと一つだけ混じった、異質なリングネーム。
それが確か。
『you3829』
使用者は、玩具のクロサワの一人娘。
******
翌日。
相変わらず、仁は欠伸を噛み殺しながら、教室でぼさっと授業を受けていた。
昨夜も日課で白熱したので、毎日朝は眠くて仕方がない。
いつも通りの日常。変わる事のない学生生活。不干渉が美徳の学び舎。
何も、変わることはない。
それが、仁の選択だった。
昨日の夕方、結局、仁は……玩具のクロサワに立ち寄らなかった。
そのまま真っ直ぐ家に帰って、いつも通りに諸用を済ませ、いつも通りに夕飯を食べて、いつも通りに両親に短い言葉を投げてから、自室にこもって『you3829』との日課をこなした。無論、対戦以外は何もしていない。
よくよく考えてみれば、それ以外をする必要がなかった。
もう、黒澤裕子とは何年も会話していない。そもそも小学校すら別だったし、接点はホビーショップでの幼少期の会話だけ。今どんな姿であるかすら知らない。
だいたい、『you3829』が黒澤裕子であるという保証もない。
親父さんかもしれないし、親戚の子供か誰かと言う可能性もある。
そもそも、微妙に仁の記憶違いでしかなく、実は微妙に違う文字列で、全くの勘違いである可能性も多分にあるのだ。
何より、よしんば『you3829』が黒澤裕子だったとして、今更何を語るというのだか。
もう、『you3829』との連日の日課は三ヶ月にも渡っている。その間、お互いに対戦以外何もしていない。意思疎通らしい意思疎通はゼロだ。お互いにその必要を感じていない。しかも、仁の使っているアカウントは当時とは別物だ。小さい頃は親のメールアドレスを使ってアカウントを作成していたが、スマートフォンを買い与えられた時に一新し、全て自前のメールアドレスを使った新しいアカウントに変更している。つまり、『you3829』が黒澤裕子だった場合、相手が仁とは知らずに対戦している事になる。となると、これは赤の他人だから遠慮なく遊んでくれているという可能性だってあるという事になり、仁と知った途端に動きが鈍るか、最悪日課を辞めるという可能性すらあるという事だ。
まぁ、別に対戦相手がいなくなったところで仁もそこまで困るわけでもないが、だからと言って遊び相手が減るのはそれはそれで惜しい。相手がいるならいるなりに楽しみ、いなければいないなりに楽しむだけではあるが、相手がいるなりの楽しみは、相手がいなくなれば当然出来なくなるのである。
だったら、相手がもし黒澤裕子だとすれば、受験シーズンになる頃にはどうせいなくなるだろうし、違う相手だとしても、いずれ飽きれば消えるだろう。
なら、この高確率で期間限定の楽しみを、今すぐに御破算にする必要は……どこにもない。それに、仮に黒澤裕子だった場合、彼女の実力は当時は仁の足元にも及ばなかった。それが今は対等かそれ以上の実力を兼ね備えて連日の対戦に挑んでいるということは、それだけ血の滲むような努力をしたという事である。それだけ積み上げた彼女の実績と実践の現場を、そんなつまらない事で潰してしまうのは気が引けた。
故に、仁は何もしなかった。
現状維持を選択した。
十年続ける日課を辞めなかったように、この三ヶ月の日課にも余計な干渉はしないことにした。
多数よりも少数を好み、騒乱よりも静謐を好み、多弁よりも寡黙を好み、介入よりも不干渉を好む今の仁には、これ以上、『you3829』の素性を探る理由はなかった。
なんだったら、煩わしかった。
本当に何も知らない、赤の他人でいてくれた方が良かった。
まだその可能性が残っている以上、そちらの方に仁は認識と希望を寄せる。
真実など、重要ではない。
夜になれば、画面の向こうに対戦相手がいる。
それなら、もうそれで十分だろう。
それ以上に望む事など、何もない。
言葉も、会話も、何もいらない。
意思疎通など必要ない。
ただ、対戦だけすればいい。
それ以上なんて、今の仁には必要ない。
恐らく、『you3829』もそうだろう。
******
そうと決めてからは、もう仁は何一つ憂う事も気にすることもなく、ただただ毎晩、『you3829』と対戦をした。
何を語る事もなく、何を伝えることもなく。
ただただ、対戦をした。
何があっても対戦した。
小躍りするような喜びがあった日も。
言い知れない怒りに打ち震えた日も。
いやな事があって泣きそうな日も。
細やかな幸運で楽しく笑った日も。
ただただ、対戦をした。
毎晩、夜十時から深夜一時まで。
きっちり三時間。
毎晩毎晩、対戦をした。
気付けば、それは日課から習慣になり、習慣から日常になり、ついにはただの当たり前になった。
無論その間、お互いに会話などは一切ない。
ただただ、対戦だけをしていた。
ゲームの過疎化はさらに進み、この世界には仁とこの好敵手しかいないんじゃないかと錯覚さえした。
それくらいに、仁は『you3829』と戦い続けた。
ただただ、只管に。
ただただ、直向きに。
そうして、気付けば一年の歳月が流れたころ。
終わりは、唐突にやってきた。
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その終わりが来た時、仁は一年前の乱入の時のように、たっぷり二秒は……何があったのか理解出来なかった。
その日も日課はいつも通り夜十時から。いつも通りトレーニングモードをしながら数分待ち、マッチングしたら対戦開始。あとは深夜一時まで再戦を繰り返すだけ。
そのはずだった。
しかし、その日は……何故か、初戦が終わってすぐに、相手がゲームから落ちてしまった。仁は負けてしまったので、すぐにでも再戦して逆襲してやりたかったのだが、お預けを喰らった形である。
機材か回線のトラブルだろうか? それとも、何かリアルで急用でも?
この一年、一度もそんな事なかったのに?
どうにも、不審だった。
とはいえ、どれも可能性がないわけではない。
しばらく待ったが、結局、『you3829』は戻らなかった。
仕方がないのでマッチング許可を出したまま、その日の日課は急遽一年前の一人でトレーニングモードに逆戻りする事になったのだが……仁は何処か不完全燃焼のままで、ちっとも集中が出来なかった。それでも、半ば意地で久々の昔通りの日課を深夜一時までこなし、その日はそのまま眠りについた。
まぁ、そんな日もあるだろう。
どうせ数日中には戻るさ。
無理矢理そう自分を納得させて、仁は布団にもぐり込んだ。
だが、そんな仁の予想を裏切り、ついに『you3829』は……一ヶ月経っても、対戦の場に現れることは無かった。
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微睡の中にいた。
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放課後。
自分の席に腰掛けたまま、ボサッとしていた
几帳面な真四角が並んだ窓からは、真っ赤な夕日が差し込んでいて、等間隔に並べられた机を強かに照らしていた。既に蛍光灯が消された教室は薄暗く、そのせいか、机の脚から伸びる影は只々色濃く、その輪郭をフローリングに張り付けている。
あれから三ヶ月。また幻聴が聞こえるようになった。
正確には単純なフラッシュバックなのだろうが、まぁ、仁にとってはどうでも良かった。
日課はまた以前のトレーニングモードのみに戻り、仁の日課は好敵手との対戦から、以前と同じ想定と検証を繰り返しに戻っていた。同一の対戦相手とはいえ、たっぷり一年分の最新の対戦データが一気に増えた事で、退屈はしていなかった。
毎日毎日、リプレイを見返しては研究し、想定し、実際にダミーを動かしながら検証をする。これの繰り返し。時間は幾らあっても足りない。
相手がいるならいるなりに楽しみ、いなければいないなりに楽しむだけ。
その方針通り、また一人でやっているだけ。
別に何でもない。
何を気にすることもない。
そもそも、期間限定とわかりきっていたのだ。それが少しばかり早くなっただけのことだろう。
だいたい、所詮はネット越しに対戦をしているだけの仲でしかないのだ。顔も名前もお互い知らないどころか、会話さえゼロ。知人と言っていいかどうかすら怪しい。
今日日、ネットの付き合いがリアルに波及することは何も珍しい事ではないが、それだってここまで他人行儀な関係でそこまで行き着くことは、そうそうないだろう。
つまりは、仁と『you3829』の関係その程度のものであり、この程度でああだこうだと考える必要は微塵もないのだ。
だいたい、気にしても仕方ない。
互いにフレンド登録すらしていなかったので、連絡手段は完全に断たれている。
元から連絡なんてするつもりはなかったし、連絡したところで相手に伝えるべき言葉なんて何も仁は持たないのだから、やっぱり何も変わりなんてない。
そう、何も。
何も、変わりなんて。
――――何も、かわりなど。
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気付けば、仁は走り出していた。
息を切らして、ただただ走っていた。
運動なんて何年も体育以外でまともにやってない。
持久走だってケツから数えたほうが早い。
ランナーズハイにゲームプレイを例えたりしたことはあったけど、本当のランナーズハイなんて経験したこともないし、したいとも思わない。
そんな仁が、今は走っていた。
顔を汗まみれにして、荒い吐息を吐きながら、不格好に、それでも必死に。
仁は、走っていた。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
そんな気持ちで一杯だった。
それは自分への怨嗟であり、同時に『you3829』への怨嗟でもあった。
こんなになるまでスカして何もしなかった自分が憎かった。
突然現れていきなり消えた『you3829』が憎かった。
友達なんて仁にはいない。昔はいたけど今はいない。
学校ではいつだって独りぼっち。家族とすらもうまともに喋れやしない。
会話がないんだ、出来ないんだ、仕方ないだろ。
もうやり方わかんないんだから。
それでも良いなんて口では言ってた、自分でも自分に言い聞かせてた。
だけど、全部嘘っぱちだ。全部全部嘘っぱちだ。
独りで大丈夫な奴が、未練がましくオンライン対戦を繋ぎっぱなしになんかするもんか。
一年も一緒だったろ、毎日殴り合ったろ。
お前だって楽しくてそうしてたんだろ、『you3829』!
じゃあなんでいなくなったんだよ、どうしていきなり消えたんだよ!
何でお互い一言も何も言えやしないんだよ!!
八つ当たりだった、全部全部みっともない八つ当たりだった。
それでも、想わずに居られなかった。自分にも『you3829』にも叩きつけてやらなきゃ気が済まなかった。
どっちだって他者を欲して繋いだんだろ。
誰か何かの間違いで現れないかと期待して。
誰か何かの間違いで待ってないかと期待して。
きっとそうに決まってんだろ。
とっくに終わった廃墟みたいなネットの片隅で、どっちもお互いを待ってたんじゃねえのかよ。一言、「こんにちは」からどうして始められないんだよ。
自分もアイツもどっちにも腹が立って、仁はしょうがなかった。
だから、仁は走った。
あの頃は毎日走ってた商店街。転倒注意の看板ばっかり立ってるくせに、人っ子一人もう立ってないアーケード街。
汗でずり落ちる眼鏡を直しながら、だらだらと額から流れる汗を拭いながら。
まだ「仁ちゃん」と言われてたあの頃みたいに、ただただ必死に。
昔良く通った安い定食屋の角を曲がって。
親父がおっかなかった靴屋の前を走って。
店員のお姉さんがやけにかわいかった花屋の隣を横切って。
必死に、必死に、走って。
あの頃と同じように走って。
辿り着いた先。
玩具のクロサワ。
仁がはじまった場所。
仁がおわった場所。
かつて、世界の全てがあった其処に駆け込んで。
仁は思わず、笑った。
笑わずには、いられなかった。
玩具のクロサワ。
そこにあったのは。
ただの、空き家だった。
******
母親から、あっさりと答えは聞けた。
夜逃げしたらしい。
いつしたのかとかは、聞く気も起きなかった。
仁はそれにただ気のない返事だけをして、いつもより長く風呂に浸かり、諸用を済ませ、夕飯を食べて、簡単に両親に声をかけてから、いつも通りに自室にこもった。
体に染みついた癖は仁の意志とは関係なく、パソコンをつけ、ゲームを起動し、仁が使用するキャラクターをトレーニングルームにまで導いたが、それ以上、仁は何をする気も起きなかった。
涙すら出なかった。
ただ、打ちひしがれていた。
何故?
そうとすら思わなかった。
そも、プロでもない限り、ゲームをやりに来る人間の動機など知れている。
一時、現実を忘れるためだ。
僅かな時間、気晴らしをして、英気を養うためだ。
言葉も、建前も、本来人と関わるためには必要であるはずのそれらを二の次にして、ただ行動だけに夢中になるために来る。
大半の人は結局その為に、こういうアクションゲームをするのではないだろうか。
少なくとも、仁はそうだった。
これで何かを成しえたいとか、これで何か実益を得たいとか、そんなことは思わない。とっくに人のいなくなった遥か昔の過疎ゲーを、惰性でもなんでもずっとやって、実感以外に何を求めているのかなんて。
……もう、分かり切っている筈だった。
その行動そのものが、その一瞬そのものが、ただ夢中にコントローラーを握れるそに瞬間だけを目的にして、これをやっているんじゃないか。
今も、昔も……思えば、仁はそうだった。
それじゃあ、『you3829』は?
答えを、知る術はない。
だが、それでも。
仁には、出来ることがある。
******
仁は、日課を続けた。
毎日毎日、以前と変わらず。
オンラインに設定をいれて。
マッチング許可の指定を入れてから。
トレーニングモードに籠る。
毎日、寝るまでこれを繰り返す。
無論、対戦相手は現れない。
でも、気にしない。
すべて以前に戻っただけ。
すべて最初に戻っただけ。
それなら、またそれを繰り返せばいい。
ずっと続ければいい。
そうして、奴と出会ったのだから。
一年前と三カ月前のあの日。
好敵手、『you3829』と。
あれだけ長く殴り合った。
あれだけ長く戦い合った。
それでも、お互いに言葉を交わさなかった。
仁が交わさなかった理由は保身とカッコつけが大きいかもしれない。
だが、『you3829』が交わさなかったのは?
仁と一緒なら、とんだ大馬鹿かもしれない。
だが、もし、もしも。
言葉を交わせないだけの何かがあったとしたなら。
空き家になった玩具のクロサワ。
地元の学校のどこかに通っている筈なのに、玩具屋以外で見ない黒澤裕子。
夜逃げの話にも、ちっとも同情的じゃない大人たち。
パンドラの箱。
そんな言葉が、仁の脳裏を過ぎる。
全て、推測に過ぎない。
ただの悪い想像かもしれない。
ただ、そんな事は今重要ではない。
分かっている事実は一つだけ。
自分たちは、会話なんかなくても一年上手くやっていた。
ならば、仁がこれからできることは。
たった一人の好敵手、『you3829』にできることは。
もう、決まり切っていた。
時間は過ぎる。
期末で良い点をとってゲーム時間が伸びた。『you3829』は来ない。
時間は過ぎる。
クラスの委員決めで揉めて嫌な思いをした。『you3829』は来ない。
時間は過ぎる。
大好きだった漫画の連載がいきなり終わった。『you3829』は来ない。
時間は過ぎる。
両親に小言を言われそうなので成績を気合で上げた。『you3829』は来ない。
季節が過ぎて、先輩達がいなくなって、最高学年になって。
日が何度もあがって、夕日が何度も沈んで、雨が何度も降って。
気付けば、また一年が過ぎた頃。
その静寂は、突如破られた。
画面に躍る、久しく見なかった英単語の群れと、軽快な電子音。
トレーニングモードは強制中断され、仁の加速した世界が一気に現実に引き戻される。たっぷり二秒は、仁は思わず深く笑みを浮かべ。
だが、三秒目にはもうボタンを押していた。
よう、久しぶりだな。
――『you3829』。
******
あとは、いつも通りだった。
いつもと同じように挨拶もなく。
いつもと同じように言葉もなく。
二人は、ただ戦った。
一年のブランクなど物ともせず。
身内読みと身内読みの応酬。
お互いに相手の数手先を当たり前に読んで攻防する接戦。
時間が加速する。
六十分の一秒すら長すぎる。
相手が次に何をしてくるかわかる。
自分が次に何をするべきかわかる。
だが、その全てが次の瞬間に裏切られる。
その連続。
その連鎖。
たかが電気信号の見せる選択肢を押し付け合うだけの単純な闘争行為。
割と大味な昔のゲーム特有の理不尽も山ほどある。
だが、それすらお互いに手札の内と読み合って、殴り合い、ぶつけ合い、叩き付け合う。
目前の視覚情報以外の全てが邪魔になる。
リソースなど他に割いていられない。
一瞬でも見落とせば命とり。
一瞬でも読み違えば付け込まれる。
戦闘時間はどんなに長引いても五分に満たない。
たったそれだけで決着がつく。
たったそれだけで優劣がつく。
たった五分。
一年待って、たったの五分。
高校生活三年間、この五分の為に捧げてきた。
仁はこの好敵手と出会って、それだけをずっと考えてきた。
何の意味もないことかもしれない。
下らないコンコルド効果に下らない報酬を無理に見つけようとしているだけかもしれない。
それでも、それがどうした。
知った事か。
俺は、後悔などしない。
仁と、『you3829』のキャラクターが交錯する。
普通の対戦では見れないような不可解な挙動。
不合理的な動き。
身内読みと身内読みが噛み合い過ぎて起きる奇妙な盤面。
相手を打倒す。
それ以外の意図は何も存在しない、純粋な闘争。
そう、これだ。
このために俺達は。
このためだけに俺達は。
……ずっと、これを続けてきたんだ。
******
永遠とも思えた五分は、過ぎてみればタダの五分でしかなかった。
張り付いた笑みを押し殺しもせず、一人だけの部屋で。
仁は、拳を握って勝鬨をあげた。
これで、一勝一敗。
勝ち逃げのツケは払わせた。
それでも、仁は笑ったまま、コントローラーから手を離す。
何となく、次は読めていた。
本当に、何となくでしかないが。
それでも、それは殆ど確信に近かった。
次に『you3829』がとる行動。
それは、まるで対戦中に相手がする行動が手に取るように分かるのと同じように。
仁には、読み切れていた。
再戦は、ない。
これで、終わり。
気晴らしは終わった。
現実から目を逸らす時間は終わった。
それなら、また現実と向き合うべきだ。
互いの二年間。
実際に過ごしたのは一年と一日だけ。
それでも、分かっていた。
コイツはそうすると。『you3829』はそうすると。
理由までは分からない。
意図までは分からない。
知る術は何処にもない。
互いの正体は予測できても、それ以上にまで手は伸びない。
伸ばす術がない。
いや、伸ばすべきではない。
仮に、次があるとするならば。
まぁ、また、気晴らし程度なら、付き合ってやるよ。
俺はずっと、日課を続けるだろうから。
言葉の必要ない、この気晴らしの場で。
******
微睡の中にいた。
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