恋する子猫の足あと踏んで

雪白楽

01


 私だけが知っている――

 この人が、今から死ぬのだと言うことを。


「ソラ……っ!」


 大好きな声が、聞いたこともないような必死さで、私の名前を呼んだ。それなのに、その背中は私の指先をすり抜けて、境界線の向こう側へと走り去って行く。


(ああ、また……)


 この感情を諦めと呼ぶのだと、かつて教えてくれた人も、同じように消えて行った。それでも諦めきれなかった想いが、衝動が、この借り物の全身を貫いて、走り出す。


 境界線の、向こう側へと。


《どんっ――》


 骨の軋むような音と、世界の軋むような音が、混じり合って不協和音になる。こぼれ落ちた星の欠片かけらをかき集めて創り出した、命の砂時計を引っくり返して。



 カチリ、と。


 世界の歯車が巻き戻される前に、この一瞬だけ……それだけで、いい。愛しいあなたに触れていたいと、願っただけなのに。


 鐘の音は響き、容赦なく時は狂い始める。私だけを置き去りにして、この世界のあなたも遠ざかって行く――ざわめきの、中で。




 雑踏の中、一匹の猫と男が死んで行く。


 その姿をまた、一匹の猫と男が見つめていた。淡い溜め息に、嘆きと諦めを滲ませて。


 また長い、旅が始まる。




 *



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