第97話 老人の忘れ物

 此岸で語られる怪談は数多あるとはいえ、それらをまとめ共通項を揃えていくと、有限のパターンに分類する事ができる。そのうちの1つが「病院あるいは老人ホームという死に近い場所における幽霊譚」だ。特に病院といえば様々な怪奇譚が渦巻く場所であるが、今回に限っては直接霊が姿を見せるのではなく“サイン”を使ってその存在を示すものに限定させてもらう。

 サイン――すなわちナースコールであったり呼び鈴であったりといった、病院や老人ホームには付き物の連絡手段である。大抵の場合サインを発するのはそこで亡くなった人であるとされているが、全部が全部そうであるとは限らないのではないか……と肩を震わせながら話してくれたのがHさんだった。


 都市部の老人ホームに勤めてたHさんはある日、薄暗い廊下で呼び鈴のなる音を聞いた。ちょうど深夜の見回りの最中だったという。その老人ホームのトイレには、何かあった時に外の職員に知らせるための呼び鈴がついている。誰かがトイレで動けなくなったのかもしれない、そう思ったHさんは、小走りに音が聞こえた方向へと向かった。

 そこの角を曲がればトイレはすぐそこ……というところで、Hさんの耳に別の音が飛び込んできた。トイレの扉がゆっくりと開くカラカラという音が、静かな廊下に響く。

 トイレで困っていた人が自力で出たのだろうか。ならせめて部屋までは送り届けないと。

 Hさんが角を曲がると、ちょうどトイレからが出てきたところだった。

 それはまるで“巨大な米俵”のようだったという。常夜灯の弱い光が、それの真っ赤な体を照らしていたそうだ。米俵は左右にフラフラと揺れながら、Hさんとは反対の方向へ消えていった、とHさんは少し覚束ない口調で締めくくった。


「あれが夢ならよかったんです。でも他にも誰もいないトイレから呼び鈴が聞こえたって人が出始めた時、耐えきれなくなってそこを辞めました。なぜって……あれがずっと、亡くなった〇〇さんの名前を呼んでいたんですよ。もういない人を探して、あの化物が永遠に徘徊し続けるところにいたくなんてありません」

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