第15話 迷惑な客

 接客業のバイトをしたことのある人の中で、クレーマーの対応をさせられた、あるいはクレーマーともいえない、店に迷惑をかける事が目的の人間が商品に難癖をつけたり騒いだりしている現場に遭遇しなかった人はほとんどいないでしょう。かくいう私も数十種類のバイトを経験する中で色んなタイプのクレーマー、迷惑な客を見てきました。今日はその中で特にだった客(?)の話をしたいと思います。

 当時、大学2年生になったばかりの私は、今まで勤めていたスーパーのバイトを辞め、心機一転書店でのバイトを始めていました。

 仕事自体は非常に忙しかったですが、私自身本が好きだった事、同じバイト仲間にサークルの先輩がおり、その先輩経由で他のバイト仲間とも円滑な関係を築けた事もあり、充実したバイトライフを送れていたと思います。

 そうして数か月が過ぎたある日。私はレジで接客をしていたのですが、前の人の会計を終え、小銭をしまおうとした私の前に、マンガが大量に詰められたカゴが音を立てて置かれました。

 顔を上げると、いかにもな若い男がニヤニヤしながら立っています。髑髏がデカデカとプリントされたTシャツに、短く刈られた金色の髪。もちろん首には大量のチェーンネックレス、十指には銀色のリングと武装も完璧です。その背後には同じように派手な恰好をした長い髪の女が、これまた同じように不愉快な笑みを浮かべてこちらを見ていました。

 つとめて明るく言った「いらっしゃいませー」に帰ってきたのは舌打ち。当然ムッとはしましたが、それを顔に出さないのが客商売というもの。それに、こんな相手に絡まれればどんな面倒くさい事になるか分かったものではありません。私は笑顔を張り付けたまま、カゴからマンガを取り出しバーコードを読み取り始めたのですが……。

 なぜか全てのマンガが互い違いに積まれていたのです。分かりやすく言うと、表表紙が上になっている一巻をどけると、下から裏表紙が上になった二巻が、さらにそれをどけると表表紙が上の三巻が……といった調子に、表表紙と裏表紙が交互に出てくるようになっていました。バーコードは裏表紙についているので、表表紙が上のマンガはいちいちひっくり返して読み取るしかありません。

 バーコードを読みながら上目で男の様子をうかがうと、もたついている私を焦らすように舌打ちしながら、しかしニヤニヤ笑いは崩さずこちらを見ているようでした。

 奇妙なマンガの積み方で薄々気づいてはいましたが、この男は初めからだったのでしょう。手間のかかる本の積み方をする事で店員が苦労している様子を見て楽しみ、会計が遅いとか店員の態度が気に食わないとか文句をつけるつもりだったに違いありません。

 ですが相手の意図が分かった以上、その通りに事を運ばせる気は毛頭ありません。私は可能な限り手早く読み取りをすませ、速やかに全てのマンガを紙袋の中に入れました。正社員顔負けの手際の良さでしたが、当時の私がそんな事を考えていられるわけもなく。ただただこのまま何事もなく終ってくれるよう、心の中で何度も念じていました。


「お会計が23960円になりますっ」


 しかし、帰ってきたのは予想もしなかった言葉でした。


「2万かー、持ち合わせないからやっぱやめるわ」


 は?

 出かけた言葉を何とか喉元で押しとどめます。しかし、さすがに表情まで誤魔化す事はできなかったようです。


「あぁ? なにか文句あんのかよ、その顔はよぉ」


「い、いえ! ではこちらは戻しておきますので……」


 せっかくここまで耐えたのにこれで因縁をつけられてはたまりません。頭を深く下げたままでいると、男が再び舌打ちをして去っていく気配がしました。

 はぁ……と心の中でため息をついて頭を上げた時、ちょうどサークルの先輩(仮にSさんとしておきます)がバックヤードから出てきました。


「あれ、どしたん。なんかあった?」


「Sさん! ちょっと聞いて下さいよ! 今さっき――」


「待った、Aちゃん(私のことです)ストップ」


 Sさんは私を手で制すると、顔を近づけてきて小声でこう言いました。


「もしかして派手な格好をしたカップルさんか?」


 私が頷くと


「後ろ振り向いたらあかんで、こっち見とる。とりあえずしばらく裏に引っ込んどき」


 Sさんはバックヤードから出てすぐに不審な2人組に気づき、彼らや私の様子、そして長年の経験からあれがクレーマーの類であること、私が彼らの悪口を言うのを待っている事を理解していたそうです。


「そんじゃ、頼んだで!」


 Sさんは顔を上げると、さも仕事の連絡をしていたかのように私の背中を叩いてバックヤードに送り出してくれました。その時はいつも以上にSさんが頼もしく見えたのを覚えています。




 それから20分ほどバックヤードで作業をしていると、Sさんが来て「もういなくなった」と教えてくれました。

 彼らはしばらくレジの周りをウロウロしたり、遠くの本棚の陰に隠れてレジを見ていたりしたようですが、私が戻ってこないと判断したのか足音荒く出ていったそうです。


「ありがとうございました」


「別にええで。まぁ、ああいう人もたまにおるからな……あんだけ粘着質なのは中々珍しいけれど。もういないとは思うけど、一応閉店までは他の人に話したりはしないようにな」


 結局閉店までその2人組が再び姿を見せる事は無く、私は安堵しながらSさんと休憩室に向かいました。


「それにしても、今日はAちゃん災難やったなー」


 休憩室のドアを開けながらSさんが笑って言います。もう喋ってもいい。そういう意味だと私は捉えました。


「本当ですよ! ほんと、何なんですかあのひ――」


 その瞬間、休憩室にガンガンという音が鳴り響きました。休憩室の窓が誰かに叩かれているのだと気づき、私は反射的にそちらの方を見てしまいました。



 カーテンの隙間から、あの2人がこちらを覗いていました。真っ黒な目と口を限界まで大きく開いた無表情で、微動だにせず。

 情けない話ですが私は腰を抜かしてしまい、Sさんも呆然としてその場に立ち尽くすばかり。時間にしておよそ数分、他のバイトの人が休憩室のドアを開ける寸前まで、彼らは窓を叩き続けていました。

 一応補足ですが休憩室は2階にあり、窓の向こうに人が2人いられるだけの足場などはありません。警察に届け出は出しましたが、案の定というか犯人は見つからなかったそうです。


 私はその後すぐにバイトを辞めてしまいましたが、Sさんは大学院を卒業するまでその書店で働いていました。あのような出来事はそれっきり起きていないそうですが。

 


 

 

 

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