妖幻の吹き溜まり
白木錘角
第1話 ぼんぼり箱
もう数年前の事だ。
暇を持て余していた大学生の俺は、大学の同期に連れられ一週間ほど秋田に遊びに来ていた。
そこは同期の実家がある場所らしく、彼は「うちに泊まれば宿泊費もかからんから」と笑っていた。
一週間も知らない人間に泊まりこまれるなど、あちらからしてみれば迷惑極まりないところだろうが、独り暮らしとそれに伴う様々な雑事に疲れ切っていた俺は、それに気づかないふりをして秋田観光をエンジョイしていた(もちろん少しばかりの家事手伝いや買い出しなどはしたが)。
さて、有名なところはあらかた制覇し、隣の県に足を伸ばそうかと話をしていた頃、煙草を吸いに家の外に出た俺は、妙な物を見つけた。
アスファルトの黒と溶けた雪の白が混在した道の中心に、小さな木箱が落ちている。
明るい茶色の箱だ。普通ならただのゴミとして放っておくところだが、何か違和感を覚えた俺は、近づいて手に取ってみた。
片手に収まるほど小さなそれの側面には、墨のようなもので何本か線と丸が書かれている。丸の中にうねうねした線が丸まっておさまり、その先っぽだけが丸からはみ出している。そんな模様が各面に一つずつ、計4か所に描かれていた。持った感じは軽く、中には何も入っていないようだ。手触りも特におかしなところはなく、見た目通りの木の箱である。
―—感触。そうだ、それだ。
俺は違和感の正体に思い当たった。乾いているのだ。普通雪の積もった道に木箱を置けば、木が水を吸い込んで湿ったり、色が暗くなったりするはずだ。だがこの箱は明るい色合いのままで、どの面を触っても湿っている感じはない。今の今まで地面に設置していた面でさえもだ。
妙な箱だな。そう思いながら、俺の指は無意識に箱の蓋にかかっていた。何かに操られて……とかそういうのではない。重さから何も入っていないと分かっていても、ちょっと箱を開けて中身を確認したくなる。人間なら誰にでもある好奇心が俺に箱を開けさせようとしたのだ。
「阿呆!!」
その瞬間、大声がしたかと思えば、俺は道路に倒れ込んでいた。友人が叫びながら俺をぶん殴ったのだと、一瞬遅れて理解する。
「ちょっ、何する……」
「そっから手ぇ放せ!」
俺の抗議にも耳を貸さず、友人は強引に俺の手から箱を奪い取り、思い切り遠くへと投げた。
「開けてないな!? あれ開けてないな!?」
いつものおちゃらけた友人からは想像もできない剣幕に、俺はいきなり殴られた怒りも忘れて頷くしかなかった。
それを聞いた友人は心底ほっとした様子で、雪解け水でズボンが濡れるのも気にせず道路に座り込む。水が跳ねるベチャッという音を聞いて、そういえ彼が箱を投げた時、投げた先は濡れたアスファルトだったのにも関わらず聞こえてきたのは乾いたカラカラという音だったなと思った。
「いきなり殴ったのはすまん。けどな、あれはぼんぼり箱って言って絶対に開けちゃいけない奴なんだよ」
ぼんぼり、と聞いて真っ先に思い浮かんだのが、ひな祭りの時に見る行灯のようなあれだった。だがあの箱のどこにもぼんぼりの要素はなかったはずだ。
そう言うと友人は苦笑し、「あーそっちじゃねぇんだわ」と答えた。
「
以下は友人の話になる。
――かまくら、分かるよな。あれって一般的には子供の遊びとか伝統行事って思われてるけど、本当は神様を祀るための社なんだよ。あの中に祭壇を作って、水神を祀るんだ。昔は今以上に水は大事だったからな。どの家庭もかまくらを作って、水神を祀ってたらしい。だけど時が経つにつれて、水神にお願いしなくても水が安定して手に入るようになった。だからもう水神を祀る必要がないんだよな。でもはいそうですかって水神がいなくなるわけじゃないから、何とかして家から追い出そうって話になる。それで作られたのが、あのぼんぼり箱だ。
ヒノキで小さな箱を作って、そこに水神を閉じ込める。ヒノキは防水性に優れるから材料としてはちょうどいいんだと。箱の側面は見たか? あの模様はかまくらに閉じ込められた水神を描いてるんだよ。箱の中にもあれと同じものがあるから万が一箱が開けられても水神は出てこれない。
「けど、開けた奴はみんな数日以内に溺れ死んでるからさ。本当、お前が開けてなくてよかったよ。一応ちゃんとした廃棄の仕方があって、みんなそれに従ってるんだけど、なぜかたまにああやって現れるんだよな」
「なぁ」
「ん……どうした?」
「あの箱を開けたら数日以内に溺れ死ぬって……じゃあなんで箱の中に模様がある事を知ってるんだよ。それに水神を追い出すって、それじゃまるで本当に水神が……」
「いるぞ」
何気ない調子で友人はそう答えた。
「ウチでも爺ちゃんがぼんぼり箱作ってたからな。それまでは水神様もいたし。だから中身を見た事がある。それだけだ」
あー尻が気持ちわりぃとぼやきながら友人は家の方に戻っていく。
俺は立ち上がる事も忘れ、それを呆然としながら見ていた。
自分を支える何かが外れたかのような、大事なルールを知らずにゲームをプレイし続けていた事に気づいたかのような、なんとも言えない気持ちの悪さを覚えて。
「どしたー?」
「あ、あぁ。ちょっと……いや、すぐ行く……」
家に入る直前、振り返って道路の方を見る。そこにあったはずの木箱は、どこにも見えなかった。
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