落語・太宰奇譚

菅江真弓

第1話

さて、武蔵野の三鷹といいますと、今ではスタジオジブリとかで有名ですかね。しかし、その昔は文豪の町とかで知られておりまして、太宰治なんかが住んでいたそうでございます。

「まだ日が高いとどうもコートじゃあ暑いなもうすぐ冬だってのに…」

眼鏡をかけた五十がらみの男が白髪頭を掻いてつぶやきます。男は新聞記者です。 と言いましてもいわゆる高級紙ではございませんで、ゴシップ紙、タブロイド紙と呼ばれるものの記者ですな。

「そりゃまぁ、今は政治ネタは扱いづらいし、芸能もなんだか低調だし、太宰治の話ならある程度の人気が出るだろう、て、話は分かるよ」

「亡くなってから四年か。新しい話は何か出てくるだろうか」

三鷹の駅から西に向かって省線、国鉄、今のJRですな、の車両庫の跨線橋に参ります。

「ああ、太宰がよく訪れたとかいう跨線橋か、ちょっくら上ってくるかな」

「なるほど汽車がよく見える。 太宰は新聞記者になるとか言って東京に残ったそうだが、ここから見た夕日がメロスなんかのイメージになったんだろう」

再び、言うておきますけどこの人、自分も新聞記者なんですよ、ゴシップ紙の。

それから東に向かいまして、最後に入水した玉川上水にやってまいります。

「ははぁ、ここが入水したところか、なるほど確かに今は穏やかなもんだが雨でも降ったら手のつけようのない感じだな。 この近くには井の頭公園があるのか、御殿山ってのは徳川家光公の鷹狩が行われた場所だからっていうが、故郷にあった御殿山は藩主の屋敷跡だったな」

なんでもべらべら喋りながら歩いている記者さんでございまして、まるでお散歩番組のようでありますな。 というのは嘘で、これは落語ですから心の中の声もこうやって演じていかなければならないわけでして。

「次は、と銀座のバーか、大怪盗の名前だっけ。 太宰は借財はよくしていたようだが、何か盗んだとかいう話でも出てこないもんかねぇ」

好き勝手言っております。

「ごめんよ」

お話というのは便利ですね。三鷹から銀座だと1時間はかかりますよ。 もう着きました。

あと、まぁやたらべらんめぇ調でしゃべらせていますけれどこの人、関西の出身ですからね。設定的には。

「いらっしゃい」

いかにも銀座のママ、てな上品なお姉さんが受け答えをしてくれます。 このころには文壇バーなんてものができていまして、こういうところのママは教養もある、上品な方が多かったんですな。

「太宰さんねぇよくお飲みにはなっていたけれど…」

結局、その頃もう知られているような話ばかり、空振りか、ということで翌日からは伊豆、鎌倉へ、自殺未遂をした鎌倉では、

「こちらがその浜で…」

とか、もう観光名所のようになっています。

「まあ、新聞にも大々的に出たぐらい、有名な事件だからな」

とくにこの記者さんの書いているのはゴシップ紙、それはもう連日のように面白おかしく書き立てたものなんでありましょう。

次に伊豆、旅館の従業員からは、

「あんなに悪く書かれて、最初は嫌なこともあったけれど、えらい先生への当てつけもあったんだってね、

今では太宰さんが泊まったとか言ってくるお客さんも大勢いますから、感謝していますよ」

なんてことを聞き出してみたり。

「東京八景でも井の頭が入るならあの跨線橋の夕日が入ってもいいとか書いていたし、

どうやらもう少しこの辺りをうろうろとしてみたほうがよさそうだな」

さて、最初の場面から二週間、

「そういえば今日は優駿牝馬があったっけ」

三鷹から武蔵境まで行き、西武鉄道で是政へ、今は完全に住宅街ですけれど、昔は墓場はあり、田園風景が広がっていて、競馬場の近くにはわさび田もあったというんですな。

府中の東京競馬場につきまして、

「三番、一枚」

窓口で券を購入します。 ついでにそういえば太宰は競馬には来ていなかったのかしら、とか考えて、売店に移動し、

「おばさん、ちょっと尋ねたいことがあるんだが…」

「太宰さん、ですか?」

「亡くなる前のことですかね、東京競馬場に今日もやってる優駿牝馬がやってきた年がありましたでしょ」

「はぁ」

「ふらっとやってきて馬券を一枚だけ買っていったことがありましたかねぇ」

「よく覚えているね、そんなこと」

「だいぶお酒を飲んでいたみたいで、ベロベロになっていましたからねぇ」

「そうそう、お酒といえば」

「お酒といえば?」

「その何年か前ですか、アルコールが検出されて失格になった事件がありましたでしょ、その時もこっそり検査して検出された、てな噂を聞きましたけれど」

「太宰みたいな人が来て、アルコールが検出されて、何かの符号じゃないかって、もっぱらの噂でしたね」

「ほら是政の祟りがあるとかいう噂もあるぐらいですもの、何か不思議なことがあってもおかしくありませんでしょう?」

「あと、帰り際に一言つぶやいた、とか聞きましたね」

「なんて?」

「グッド・バイ」

その年の優駿牝馬は初めての二冠馬が誕生した年でもございます。

ちょうど時間となりました。 おあとがよろしいようで。




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