揀退天明

合澤臣



 五泉ごせん太学たいがくといえば軍学にほかならない。


 しかしこの大泉地だいせんちにおいておおよそ兵革など起きることはそうそう無い。個々の泉国せんごくとはそもそもが由霧ゆうむと呼ばれる瘴気の渦で隔てられた国々であり、ごく限られた人でしかその中を渡って他国に移動は出来ないからである。よって侵略戦争その他の国外紛争とは歴史を通して滅多に勃発するものではなく、大抵戦と言えばそれは国内における謀叛や民による現朝廷に対しての蜂起などの内乱を指した。


 この大地には九つの泉が湧く。それはもとを辿れば地の最果てにあるというひとつの大泉――黎泉れいせんから流れでてくるものであるという。従ってそれは各国に共通して信奉される崇拝の対象だった。


 九つの泉は九つの国それぞれが所有する。ここ五泉でもひとつの巨大な泉を源流として水は国内の隅々にまで行き渡る。通常その主泉しゅせん、黎泉から賜った泉の源が生じている場所がその国の泉畿みやこなのであり、王都があり王宮がある。泉とは神聖な名、銘、貴号。ために王宮を慣用としては泉宮せんぐうと言い、黎泉から任じられた国を統べる天子のことを尊称もしくは親称して泉主せんしゅと呼んだ。


 泉主は誰にでもなれるものではない。古来より泉を澄明にする力を持つ家系によりその血はつむがれる。泉主がおらねばその国の水は腐る。民草にとって泉主とは神にも等しき存在だ。王家における最重要の責務とはつまり子孫繁栄に他ならず、それは国民の生命に関わる問題であるがゆえに国家を主導する朝廷の政治指針において掲げる基本的な命題でもあった。


 神秘に満ちる黎泉は由霧で囲まれた最奥地から見えない根脈により各国へとその命水を注ぐ。泉主とは黎泉の伸ばす根の先に生ずる泉の継承者、ゆえに泉主の子は泉根せんこんと呼び習わした。継嗣けいしとなるのは男子の泉根である。本来であれば長子が次代の泉主となりうる者、しかし、その条理を曲げる方法はいくつかあった。







 ――――とはいえ、こんなことが許されるはずが、とすすでけぶって灰味に霞む青天を振りあおいだ。そこここで呻き声が聞こえ、一瞬空白に飛んだ意識が引き戻される。隣で自身の配下である男が埃まみれで咳をした。


「ちょっと、お待ちください。我々は演習に招かれたのではありませんでしたか⁉」

「の、はずなんだが」


 聞いておりません、と彼は憤慨した顔であたりを見回した。火矢が撃ち込まれた森は盛夏の若芽を散らして燃え上がっている。


「とにかく、ここから出ましょう。きちんと事情を説明して頂かなくては」

 次いで歯ぎしりした。

「仮にも他国の将軍を巻き込むなど、到底許されません!」





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