【死ぬのが怖い人へ】 私が死恐怖症を克服した方法
みなもとあるた
私が死恐怖症を克服した方法
【はじめに】
この文章は、何としてでも死の恐怖を和らげたいという人に向けたものです。
誰でもいつかは死ぬのが怖いと思う時が来ます。その時には、ここに書くことをぜひ思い出してほしいと思います。
念のために言っておきますと、なんか怪しいセミナーとか自己啓発本をおススメするものではございません。
特定の宗教を支持したり否定したりするものでもありません。
結論だけ別で有料にするとかそんなつもりもありません。広告も表示してないので広告料も作者には入りません(入ればいいのに)
じゃあ何のために書いているかというと、私自身も死恐怖症にはとてつもなく苦しんだため、その解決策を記しておきたいからです。
私は小学生くらいから死を極端に怖がるようになりました。
死を怖がるのは誰にでもあることかとは思いますが、私は特にその恐怖心が強く、体調や生活に影響を及ぼすほどのレベルでした。
正直、一番苦しんでいた時期のことは今でもあまり思い出したくはないです。
手始めに、これまでの趣味だった一切のことに喜びを感じられなくなり、何かを楽しみだと思う気持ちが全く感じられないのです。
そして意識のある時間は常に死以外のことが考えられず、無になること、無が永遠に続くこと、何かが永遠に終わらないことを異常に恐れるようになりました。
おぞましいほどの恐怖に24時間怯えて生きるのは本当にひどいものです。
この世のすべてが絶望的なものであると考えたり、何をやっても意味がないと思ったりするようにもなりました。
結局死んでしまうのだったら、今努力して何かを積み上げてもぜんぜん意味がないじゃないか、とも思いました。
本当にひどい時には、テレビに映る芸能人やアニメのキャラクターを見て「いつかは死ぬのになんで彼らはこんなに楽しそうなんだろう」と思うこともありました。
確かにそういった苦しみは今すぐ簡単に解決できるというものではありません。
というか、簡単に答えが出るのであれば誰も苦しんだりはしません。死が怖くて苦しいのは当たり前のことです。
ですが、死の恐怖を解決する方法は確かに存在します。
また仮に自力で死の恐怖を解決できなくても、「死の恐怖を克服する方法が実際に存在する」ということを知っておくだけでもかなり楽になります。
あなた以外にも、死の恐怖を和らげようと努力している人は少なからずいるのです。とりあえずそういう人たちの真似をしてみるのも悪くないとは思いませんか?
実際に私は、苦しみの中で様々な方法を試しました。
新しい趣味に没頭しようとしたり、死を考える余裕がなくなるくらい運動をしてみたり、世界の宗教を調べてみたり、哲学を勉強したり…
効果を感じられるものもあれば、あまり効かなかったと思うものもあります。
しかし様々な方法を試したおかげか、一時期は人生をあきらめかけた私でさえ、今はその恐怖に打ち勝って社会人として生活することができています。
あの時あれほど恐れていた死の恐怖を、完全には消せないまでも今や感情の一つとして冷静に見ることができます。
ここでは私が見つけた死恐怖症を克服する方法や、死を過剰に恐れなくなった理由をなるべく具体的に記載していこうと思います。
特別なものは必要ありません。
人によって相性の良し悪しはあるかもしれないので、私と同じ方法で解決できるとは限りませんが、きっと解決の糸口にはなるはずです。
もしかしたら、この文章を読むだけでかなり効く人もいるかもしれません。
ちなみに、今の私には「死の恐怖」がそこまで消すべきものであるという感じはありません。
ですが、もし昔の私と同じように死を恐れている人がどこかにいるかと思うと、自分が死恐怖症を乗り越えるために必死で試してきた数々の経験がその人たちを救えるのではと思ってしまうのです。
もし本当に誰かの気持ちが少しでも軽くなったのなら、昔の私の苦しみが報われる思いです。
死が怖いと思う人たちへ
私も苦しみましたけど、とりあえず大丈夫ですよ。
理由はここから説明しますので、だまされたと思って気軽に読んでみてください。
【死恐怖症を克服する方法】
・なんかめちゃくちゃ難しい学問を勉強してみる
大事なのは、自分に理解できないくらいとにかく難しい学問をやってみることです。とりあえずやってみることが重要で、別に理解できなくても全然問題ないです。特に本格的な哲学とか量子力学とかおススメです。
自分が全く理解できないほど難しい理論やノーベル賞受賞者のスピーチを聞いていると、だんだんこう思えてきます。
「こんなクソ難しいことを理解できる天才が死をあんまり怖がってないんだから、もしかして死って怖くないのでは?」と。
想像してみてください。
学校で一番頭いい奴いますよね?学生の方は今通ってる学校を想像してもいいですし、大人の方は昔通ってた学校でもいいです。
しかし学校で一番頭のいいA君も有名大学に進学したとしたら「いやー、俺って頭いいと思ってたけどB君には全然かなわないわー」という天才のB君が確実に現れます。
しかしそのB君にも「いやー、俺って頭いいと思ってたけどC君にはかなわないわー」という超天才のC君が確実にいます。
しかしそのC君にも「いやいや、俺って頭いいと思ってたけどD教授はまじでヤバい」という超超天才のD教授が確実にいます。
そんな風に何十回も天才をたどっていくと、最終的にはノーベル賞受賞者とかにたどり着きます。
この時点で、もはや一般人には想像もできないレベルの天才です。
分野は違いますが、その天才性だけで言えばアインシュタインとかブッダとかイエス・キリストとかはこのレベルにいます。
(読者の中にノーベル賞受賞者ほどの天才はいないと思いますが)あなたよりはるかに頭のいい天才たちが、あなたよりはるかに長い時間をかけて人生や死について考えてきているのです。
その結果、あなたと同じ人間である彼らは死を怖がっているでしょうか?そこまで怖がっていませんよね。
もし彼らが「死はとても恐ろしいもの」と考えているのであれば、「いや、マジで死ってやべーから哲学なんてバカなことやってないで早く全人類で協力して不老不死の研究しようぜ」とか言ってるはずです。
彼ら天才がなぜ死を恐れないのかは教えてくれません。それはきっと、もし彼らが解説してくれたとしても私たちが理解するのに大変な時間がかかってしまうからです。いますぐ死の恐怖を何とかしてほしいのに、それでは困りますね。
ですが彼らが死を恐れないということは、その根拠が確実にあるということです。彼らの頭の中には、「○○だから死を恐れる必要はない」という確かな根拠が存在しているのです。
もしあなたが一生をかけて勉強すればその理由を理解し納得できるかもしれませんが、個人的には無理に理解しなくてもいいと思います。
それは、あなたが物理学を詳しく知らなくても飛行機に乗って空を飛ぶことができるのと同じです。
飛行機を飛ばせるレベルで物理学や機械工学を理解するには何十年もかかると思いますが、あなたが物理学をちゃんと理解していないからといって、別に飛行機は落ちたりしません。
あなたがもし物理学を知っていれば「飛行機が飛べるのは揚力がなんたらかんたら」と思いながらシートに座りますし、
あなたがもし物理学を知らなければ「飛行機はなんで飛べるんだろう」と思いながらシートに座ります。
でも、操縦するのは機長です。あなたの知識は関係ありません。あなたが寝ていても目的地にちゃんと着きます。
それと同じで、「死を恐れる必要がない理由」をあなたが知っていてもいなくても、死んだときに起こる現象は変わりません。
「死はむやみに恐れる必要はない」という哲学者たちの姿勢を信じてみたらどうでしょうか。
中には「いくら天才がそんなこと言ってたからって、俺は自分で納得するまで信じないぞ!」という人もいるかと思います。
もしあなたがそんな風に考え、彼ら大天才と同じ視点に立ってみたいと思うのであれば、ぜひ哲学を学ぶことをお勧めします。
哲学を究めた先にはきっと、「なるほど!だから先人たちは死ぬことを怖がらなかったのか!」という達成感があるはずです。
まあ自力で達成できてもできなくても、とにかくあなたが納得できさえすればそれが一番なのです。
・宗教について学んでみる
私は特別どれかの宗教を熱心に信じているわけでもありませんし、どの宗教を学べとかいうつもりはありません(私はお墓参りもするしクリスマスパーティーもやりますが)。
ですが、宗教とは決して気休めではなく確かに哲学的に意味のあることだと私は考えています。そしてもちろん、宗教とは魔法のように問題を解決してくれるものでもありません。
ではなぜ、「信じているだけで天国に行ける」といったようなオカルト的な理論を誰もが真面目に信じているのでしょうか。
ここでは宗教が死の恐怖に与える効果について解説したいと思います。
先ほども述べましたが、ブッダやイエス・キリストはいうなれば哲学の大天才です。
そんな天才たちが「真理」=「世界のしくみ」に気付いた時、どうなったでしょうか。
実はブッダも我々と同じく死ぬことに非常に恐怖を感じており、それを克服するために仏教を学び始めました。ブッダが生まれるずっと前から仏教はあったのです。
ブッダは死の恐怖を乗り越えるため、ただひたすら厳しい修行を続けます。
そんな人生を数十年続けた結果、ついには「世界ってそういうことか」と悟りを開き、生きていても死んでいてもとにかく大丈夫だという境地に達しました。その結果、「大丈夫ならなんでもいいや」と、そのまま何もせず餓死しようとしたのです。もう完全に死の恐怖など乗り越えてますね。
それを見ていた人々は、「いやいや、そんなすごいこと知ってるなら死なないで俺たちにも教えてくれよ!」と必死に教えを乞い、そこから彼の教えは始まったそうです。
さて、そんな風にして発達した仏教とキリスト教ですが、共通点があります。
それは、「とりあえず教えに従えば天国とか極楽の素晴らしいところに行けるよ」と人々に説いたことです。
死を本気で怖がっている疑心暗鬼の人であれば「本当にそんなところあるのかよ」とか「どうせそんなの気休めだろ」と疑うことでしょう。
「そんなオカルトはどうでもいいけど、それよりなんで死が怖くないのか教えてくれよ!」という気持ちにもなるかもしれません。
なぜそんなオカルトじみたことを言ったのかというと、それは彼ら天才の理論を正確に理解するのが凡人には難しいからです。
ぶっちゃけブッダだって、「いや、よく考えればわかるじゃん。大丈夫なものは大丈夫なんだって。まあ信じてよ」とか言いたかったと思います。でも一般人には無理です。難しい理論は理解できないし、ただ信じろと言われても全く信じられません。
ですがブッダやキリストはもちろん天才ですので、凡人の理解力が足りない事ぐらい理解しています。
それに、一般人に理解できない理論をただ伝えるだけでは、真理というせっかくの大発見も広めることができません。
だから彼らは自分たちの理論を難しく解説する代わりに、一般人でも想像できる簡単な概念で例えたのです。
簡単に言うと、「あー確かにこんな難しいことを一般人が理解するのは難しいよね。よし、じゃあ、死んだら天国や極楽っていう素晴らしい場所に行けるってことにしよう。それくらい死は怖くないものだよ」ということにしたのです。
それはまるで、お化けを怖がる子供に対して「お化けがいてもスーパーヒーローが助けてくれるから怖くないよ」と諭すようなものです。
小さな子供に対して「お化けなんて非科学的なものを信じるのは論理的でない。よって証明完了」といくら言ったところで効果はないですから、あえて本当のことを語らないのは彼らなりの優しさだったのかもしれません。
非科学的なものを出してくるのは、一般人でも理解できるようにするため。布教するのは、目の前で苦しんでる人間をほっとけないから。
そう考えると、宗教も単なるオカルトとは違うと思えてきませんか?(ただしお金儲けを目的とした宗教はダメ)
こんな風に宗教の成り立ちを調べてみると、死を恐れる人々にどうやって宗教が受け入れられてきたか、なぜ宗教という非科学的なものが今も存在しているのか、ということがわかると思います。
そして彼らが本当に伝えたかったことを理解すれば、もしかしたら死を恐れる気持ちも薄れるかもしれません。
・わかりやすい哲学書から勉強してみる
ステマっぽくなるのが嫌なので特定の書名は出さないようにしますが、個人的に私を一番救ってくれたと感じているのはある一冊の哲学入門書です。
それと出会ったとき、本気で人生や価値観が一気に変わりました。
あなたも本格的な哲学書をガチで勉強すれば、数十年後にはもしかしたら哲学者や教祖レベルになって死の恐怖を余裕で克服できるかもしれません。
ですが、そんなレベルまで達する人はほぼいないと言っていいでしょう。
我々一般人でも、これまでの哲学史や概要をまとめて解説してくれる入門書を読むことで、詳細は理解できずとも哲学の目的とするものが分かってくるかと思います。
前述のとおり、真理に気付いた人間が死を過剰に恐れることはありません(正確に言うと、脳が死の恐怖を感じていても特に気にしなくなる)。
この状態になれる人間は決して多くはないですが、なれればもう言うことないです。死恐怖症の克服どころか、もっといろいろ超越した人間になってます。
ですが、そこまでいかなくても東洋哲学などを勉強して「真理というものがあること」だけでも知っておけば死を恐れない有力な根拠となります。
これが私にとって大きな支えとなりました。自力で真理には到達できなくても、「真理に到達した人間は死を恐れていない」という事実があることにより、「賢い人たちは死を恐れていないのに、自分が死を恐れているのは何か重大な勘違いをしているのではないか」という思考をすることができるからです。
時には自分の感覚を疑ってみるのもいいんです。
自分の感情や思考に流されて「死は怖い」と結論付けてしまうのではなく、「自分は死を怖いと思っているがそれは本当に正しいのだろうか?」と立ち止まってみましょう。
・瞑想してみる
ここで言う瞑想とは、静かに目を閉じて自分の気持ちを冷静に見つめてみることです。一応言っておくと瞑想自体は宗教的な行為でもなければ、オカルト的な行為でもありません。
具体的にどうするのかというと、まずは落ち着ける環境で座り、目を閉じて自分の感情を観察します。
ここで死ぬのが怖いとかいろんな感情が浮かんでくるかとは思いますが、消そうとかどうしようとか思わずにただ観察します。
ここでのコツは、「あなたが恐怖を感じている」と思うのではなく、「恐怖を感じている自分がいる」と外側から観察することです。
冷静に観察すればわかると思いますが、「感情が生まれること」と「その感情に反応してしまうこと」は全く別のことです。
感情が生まれるだけでは大したことありませんが、感情が生まれたことに対して「何とかしなきゃ」とか「どうしよう」という気持ちが生まれることで苦しむのです。
感情が生まれた時点でパニックにならず、「感情が生まれたけど大丈夫だ」と言い聞かせる訓練を続けていくと、いつか瞑想中以外も冷静に感情を抑えることができるようになります。
これは恐怖以外の感情にも使える方法です。
怒りや絶望も、「ああ、今自分はこんな感情なんだな」と冷静に外側から観察することで、感情にとらわれたパニック状態が和らぎます。
感情に反応して対処しなきゃいけない、という思い込みがなくなるだけでかなり楽になるからです。
そのためにはまず、死の恐怖や絶望を感じても大丈夫なんだという信念や根拠があることが大事になります。
「やばい、死ぬのが怖い!」と感じたら、「いや、確か死を恐れる必要はないって誰かが言ってたな」と自分に言い聞かせる癖をつけましょう。そしてゆっくりでいいので、その根拠を思い出しましょう。
これを続けていれば、「死ぬのが怖い!」と発作的に感じたとしても、次の瞬間には冷静になれているはずです。
根気強く価値観を変えていけば、自然と死の恐怖にとらわれることも減っていくでしょう。
瞑想にはいろいろやり方があるので、良ければ調べてみてください。
・誰でも死ぬものだという価値観で世界を見てみる
これは気休め程度ですが少しは効果がありました。
当たり前ですが、生物であれば誰でもいつかは死にます。
あなたの家族やペットもその例外ではありません。ですので、あなたが死んだ時と同じ現象が起こるわけです。
あなたの好きな芸能人でも、アイドルでも、声優でも。
一人で死ぬと思うと孤独感に襲われそうになりますが、あなたにとって大切な人もいつかは同じ死というものを迎え、あなたと同じようになると思えば、多少は寂しさも紛れるかもしれません。
・子供向けのアニメを見る。
私は死恐怖症の一番ひどい時期から復活したときにはプリキュア見てました(ステマじゃないよ!)。
「良い年した大人がこんなの見るなんて…」と最初は思っていましたが、やっぱりプロが気合入れて作ったものが面白くないわけないのです。
それに、いくら頭で「死は怖くないもの」と論理的に理解していても、暗い気持ちは簡単に晴れないことがあります。
そんな時はやっぱり、まっすぐに主人公たちが努力する子供向けアニメを見ていると心が癒されます。日常系でもいいです。
内容が明るいものだとより良いですが、そうでなくてもアニメに熱中して死を忘れられる瞬間があるというのがいいと思います。
死にとらわれている時間を減らし、何でもいいので他のことを考える時間を増やすのです。
死に思考をとらわれているときは何をしていても死を連想してしまいますから、少しずつでも思考を死から切り離すのです。
まあ重要なのは死以外のことに集中できることですので、ゲームや映画なんかでも死恐怖症からの復帰には効くはずです。
・病院に行く
どうしようもなかったら、最終的にはこれですかね。
正直に言うと、困ったらなんでもプロに任せておけば間違いないのです。だってあなたと同じ症状の人をこれまでに何人も相手にして治療してきているのですから。
いや、それどころかあなたよりずっとひどい状態の人だってこれまでに治療してきたことでしょう。
あなたは自分の感じている恐怖感が特別なものだと感じるかもしれません。
もしかしたら、「こんな大きすぎる恐怖が病院に行ったくらいで治るわけないだろう」とか、「自分はただの病気じゃなくて病院でも治せない何か特別な状態なんだ」とか、「いや、どうせ病院に行ったって死ぬこと自体は解決しないじゃないか」と思うかもしれません。
ここまで書いてきた方法を試しても、うまく効かなかった人がいるかもしれません。
でも大丈夫です。
なぜなら、「死」そのものは病院に行っても決して変わらない現象ですが、「死をやたらと怖がってしまう」という状態は病院で変えられるからです。
言い方を変えると、「あなたが死をちゃんと怖がっている」のではなく、「死とか関係なく怖いという脳内物質が出やすくなっているだけ」という可能性があるということです。
それはもはや死を怖がっているのではなく、ただの化学反応の結果です。
であればあなたには全く問題ありません。悪いのは脳内物質です。
恐怖という脳内物質が大量に出たら怖いと感じるのは当たり前です。それはあなたに怖いと感じさせるためのものですから。
誰でも塩をなめたらしょっぱく感じるのと同じで、どんな哲学を勉強しようが宗教を信じようが、怖いものは怖いし、塩をなめたらしょっぱいのです。
恐怖を感じさせる脳内物質が出たら恐怖を感じる。ただそれだけのこと。
死を意識したときに恐怖を感じること自体は凡人でも哲学の天才でも変わりません。違うのは、その恐怖を正しく理解しているかしていないかだけです。
正しく理解していないと、いつしか死を恐怖することにも恐怖するようになって、ずっと恐怖を感じた状態が続きます。
恐怖を正しく理解していれば、「ああ、私はいま恐怖を感じているな。でもこれは恐怖する必要のないものだ」と冷静に恐怖を見つめてそこで止めることができます。
でも、ネガティブな脳内物質が大量に出る状態になると、どんなに考え方を変えようがもうどうしようもありません。
だったらもうつべこべ言わずに病院に行くしかありません。
骨折という症状が気合で治らないのと同じで、「恐怖を感じやすいという症状」も気合では治りません。
病院に行くことを恥ずかしく感じる必要もありません。心療内科や精神科に行く人なんていくらでもいます。
精神の病気だからといって何も特別なことはありません。歯が痛ければ歯科に行くし、精神が辛ければ精神科に行きます。
現代医療は、確実にあなたの苦しみを軽減してくれます。
・作者を信じてみる
ここまでいろいろ書いてきましたが、とにかく実際に死恐怖症を克服した人間がここにいます。
そしてその人間は、かつて死恐怖症に苦しんだ自分に向けたつもりでこの文章を本気で書いています。
(でなきゃせっかくの連休に何時間もかけてこんなブクマされなさそうなもの書かないよ!)
死恐怖症を克服するには、まずはその恐怖が克服できるものだと信じることが大事です。
しがない物書きの私を、どうか信じてみてはいかがでしょうか。
【あとがき】
本気で死ぬのが怖い時に藁をもつかむ思いで死恐怖症の対策方法をググるじゃないですか。
そしたら「恋人のおかげで立ち直れました(笑)」とか「死ぬことばかり考えてないで人生のすばらしさを知りましょう(笑)」みたいなのがいっぱい出てくるんですよね。
うるせえよ!誰もそんなこと聞いてねんだよボケ!!こちとら文字通り恐怖で今にも死にそうになっとるんやぞ!!!
いますぐこの絶望を何とかする方法を教えろや!!!!はよ助けてくれ!!!!!
そんな気分になりました。
そんな思いをする人は自分で最後にしたいです。
ほんと、苦しんでる人に何とか届いてほしいです。
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