獄門墓村本陣一族が 手毬首塔の笛を吹く舞踏会

旋風次郎

第1話 ―佐兵衛の想い―

 岡山県と広島県の県境、しかもすぐ北には鳥取県の県境にも手が届く山深い村があった。緑豊かなこの村では、現在でも世俗から少し隔離されているほど、あまり人の行き来がない村である。それほどに交通の便は良くない。

 その村はいつのころからか、獄門墓村と呼ばれていた。その由来といえば、江戸幕府が開かれて間もなく御公儀より謀反の疑いをかけられたこの地方の大名の家来などが密かに磔刑や打ち首のために連れてこられた地であるとされているが、今となっては定かではない。

 ただ、この地で少なからず処刑が行われていただろうことは、村の外れに首塚があることで容易に想像できるだろう。処刑が行われる際、それを確認するのも幕府役人の仕事である。こと、謀反人とあっては地方大名に任せる訳にもいかぬ。江戸より名の馳たる大名が検分し、幕府へと報告するのである。その際、大名自らが馳せ参じることもあるが、多くの場合は家老か奉行などが名代として赴くこととなり、いかに名代であるとはいえ、チンケな旅籠に陣を置いたりはしない。名代として歴とした本陣に泊するのである。

 そしてこの村にも江戸時代から続く本陣の一家があった。古くは庄屋の名家で、この辺り一帯の山も田畑も支配していた豪族上がりの大地主である。名を飛鳥佐兵衛といい、元来家主がその名を受け継いできた田舎名主である。今日の名主をもって五十七代目と聞く。意外と代替わりが激しいのは、祟りや怨念の概念が蔓延っていたためか、精神的に耐えられなかった名主が、狂いざまに若死にしたことも珍しくないらしい。村人たちは色々と揶揄したものだが、結局は小作であるが故に黙って名主に仕えるしかなかったといわれている。


 昭和五十年、獄門墓村は戦火をまぬがれただけに、当時の面影を大きく変えることなく、昔ながらの様相を残していた。飛鳥家は村の農地の約半分を所有しており、多くの小作を抱えていた。稲作は村内で消費する分しか生産できないが、山林を多く所有しており、それらの山から産出される木材は質の良い材木として高値で売買されている。また、山の一部を切り開いての畑やハウスでの野菜づくり、斜面を活用した桃や葡萄などの果樹生産も軌道に乗り、一大産業となりつつある。早くからこうした事業を全て法人化し、グループ経営するとともに、新見市内や倉敷市内に直売所を設け、毎日新鮮な野菜と果物を提供している。さらには、洋食が盛んになった近代、牛肉需要が高まってきたことに先駆けて、肉用牛の生産に係る事業にも着手している。これも大きな利益を上げているようだ。

 初夏の田植えが終わる頃、そろそろ明けそうな梅雨空にトンビやヒバリがゆるやかに宙を舞っていた、とある日の昼下がり。作業に一区切りついた小作たちが、こぞって飛鳥家に訪れては口上を述べ、振る舞い酒を馳走になっていた。畑ではそろそろトマトやメロンの作業が忙しいようで、順調な作付けに小作たちも笑顔がほころぶ。今年も村の産業は好景気だと。

 そんな賑やかな台所とは打って変わって、奥の座敷では神妙な空気が流れていた。五十七代目当主飛鳥佐兵衛が死の病床にあったからである。


 ここで、現在の飛鳥家の一族を紹介しておこう。その方が今後の話を進めていく上で何かと都合がよいのである。

 まずは当主の佐兵衛、当年齢七十七という。そして佐兵衛の身の周りの世話をしているのが七つ違いの妹の早苗で、一度嫁したが夫が早くに病死し、子供もいなかったため、四十そこそこで帰って来た。以降、再び結婚はせずに佐兵衛の面倒をみている。なぜなら佐兵衛の妻は小梅といったが、結婚してまもなく病死している。小梅との間に子はなかった。

 すぐに再婚した佐兵衛は月代という隣町の娘を嫁にした。しかし、子が小学校に上がる直前、佐兵衛が突如月代を離縁している。離縁の理由については明らかにされていない。その息子が跡取り候補第一人者の長男賢蔵であり、京都の大学で古典学者として今でも教鞭をふるっている。

 第二の候補者は後妻雪枝の息子で次男の英輔であり、これもまたフルートの第一人者としてアメリカの音楽大学に籍を置いている。雪枝が女学校を出てすぐに知り合い、あっという間の結婚であったためか、結婚してからは仲が良くなかったとされている。佐兵衛とも歳の離れた女であったが、英輔が五つのときに失踪した。その理由は未だ解明されていないが、その後の捜索を行っていないところをみると、その後死亡したか、佐兵衛も承諾していたのではないかと噂されている。

 次の妻花子が産んだ三男は久弥といい、隣町の高校を出ると獄門墓村の農協に勤めていた。今は、農協を辞して飛鳥グループの村内事業における役員として佐兵衛を手伝っている。花子は久弥が小学校のころ、風邪をこじらせた際に誤って劇薬を飲んでしまい、死亡している。

 その二十年後、佐兵衛が見初めて結婚したのが珠世という若くて美しい女だったが、娘を産み落とすと同時に死亡してしまった。もともと体があまり強くなかった珠世であったが、難産であったがゆえに、無理がたたったのではとされている。

 この時の佐兵衛の悲しみようは相当なのもので、平常な暮らしぶりに戻るまで、まる一週間はかかったという。急きょ母を失った乳飲み子の乳母が見つかり、ようやく赤子の元気そうな声が佐兵衛の耳に届いたとき、佐兵衛は全精力を上げてこの赤子に、珠世の分まで愛情を注ぐことを決意したのかもしれない。このとき生まれた赤子は音禰と名付けられ、現在は二十二歳になり、神戸の薬大に在学中である。

 音禰も母に似て類まれなる美貌の持ち主である。街を歩けば、万人が振り返るほどに。佐兵衛も若きころは大いに美女を侍らせたらしいが、あるいは財の力だけではなかったやもしれぬ。そんな彼女をして我が物にと企む輩が後を絶たぬというが、その美貌こそが、のちの事件を引き起こしたきっかけになっている。ここまでがいわゆる直属家族である。

 さらには弟の儀兵衛とその妻小竹が近所に住んでおり、佐兵衛の仕事を番頭的な立場で手伝っていた。なお、佐兵衛の最初の妻小梅と儀兵衛の妻小竹は双子の姉妹であることをここで書き留めておこう。以上が主だった親族たちである。


 もちろん、村のことだから対抗一族があるに決まっている。

 それは新宮家といって、古くは飛鳥家の親戚筋だった地主であるが、何代か前に事業で失態をおかし、その尻拭いを飛鳥家が行ったころから、飛鳥家に頭が上がらなくなったといわれている。従って、地主ではあるが、村人は飛鳥家よりも一段下がった地主として認識している。それでも地主であることに変わりはなく、飛鳥家が村の東側に位置するのでこちらを東屋、西側に位置する新宮家を西屋と呼んで村の双璧としている。


 さて、話を奥の座敷へ戻そう。

昨年の秋、急な発作から病の床についた佐兵衛は節分のころ、一時的に持ち直したものの、また春過ぎころから具合が悪くなり、医者の話では夏を越すのは難しいとさえ告げられていた。

 そうなると普通なら元気なうちの、生きているうちの顔を見ておこうと座敷詣でが増えるだろうはずなのに、賢蔵も英輔も同居している久弥までもが座敷への訪問をめんどう臭がった。佐兵衛にとって一人娘の音禰だけはたまに顔を見せに行ったが、佐兵衛の方が言葉につまりがちで会話は長く続かなかったという。しかし、妹の早苗には佐兵衛も心置きなく話せたようで、結局のところは兄妹の時間が一日のほとんどを占めていたのである。

「早苗や、今日は音禰は来るかのう」

「さてなあ、先週来なさったばかりじゃけんなあ」

 会話は進まぬと言いながらも娘の顔を見るのはやぶさかではない。ましてや音禰ほどの美人ならなおさらである。

「そろそろ、遺言もしたためねばならんかのう、いやいやわかっておる。夏を越す越さぬの話ではない。跡取りを決めておかんと、あとで争いがあってはいかんからのう」

「ほんになあ、兄さんの心うちはもう決まっておるのかえ?」

 佐兵衛は少し沈黙をおいたのち、枕元の屏風を指差した。そこには松竹梅の絵とともに三枚の短冊が貼られており、またそれぞれに短歌が達者な筆使いで綴られていた。

 早苗は含み笑いをこらえながら佐兵衛につぶやいた。

「あの子らにこの意味がわかろうかえ」

 佐兵衛もニタリと笑みをこぼすと、

「諏訪どんと古さんを呼んでおくれ。よう聞かせねばならんでな」

 諏訪どんと古さんというのはいずれも弁護士と会計士で諏訪弁護士は佐兵衛の父方の従兄弟の息子であり古館会計士は佐兵衛の妻であった小梅の姪の息子である。いずれも親戚付き合いから縁があり、二人して飛鳥グループの経営を支援している顧問弁護士と顧問会計士である。

「わかりました。さそくに電話しておきましょうや。明日でもええかな」

「いつなんどき何があるや知れん。早い方がええ」

 早苗は二人に電話してみると、諏訪弁護士は二、三日なら体が空くというし、古舘会計士にいたってはちょうどこちらに出向く用事があるということで、あすの昼過ぎにには会見の約束が取れた。こうして数奇の運命を伝達する二人の使者が座敷へ訪れることになったのである。


 そんなこととはいざ知らず、久弥はこの日も相当酔って帰って来た。昼間っから小作らと飲んでいたのはやむを得ないとして、その後で子分まがいの仁礼直平や由良敏郎を連れて村役場近くの赤ちょうちんへなだれ込んだ。久弥自身が本陣庄屋の息子であることをはばからないので、口の利き方も横柄極まりない。いきおい周囲の客たちはあからさまな顔をする者や席を立つ者も少なからずであったが、女将の青池リカはよくしたもので、そのあたりの扱いは心得ている。

「旦那はん、そろそろ奥さんや姐さんがお待ちやおへんか。お迎えが来る前にお帰りにならはったほうがようござんせんか」

 酔ってふらふらしながらも、叔母のことを出されると弱い。

「わかっちゅう。もう帰るで、また叔母さんにつけといてつかあさいや」

 リカはいつものことながら仕方がないような顔をして見送るのであるが、この人があの本陣の跡取りになったとしたらと考えると心配でならなかった。

 リカには歌名雄という息子と里子という娘がいたが、歌名雄は隣村の高校を出た頃に岡山の飲み屋の酌婦をしていた大空ゆかりという女と共に失踪してしまっていた。そのときに随分と早苗には世話になったのである。現在の店を持てたのも早苗の口利きである。もちろん資本は飛鳥家から出ている。従って名目上は雇われ女将なのであるが、早苗はリカからは一円もしのぎを受け取っていない。

「早苗姐さんもたいへんぞな。久弥さんも若い頃はもっとええ青年じゃったのに」

 三人が夕暮れの田舎道を帰って行く後ろ姿を見送りながら、ため息交じりにつぶやくのだった。


 子分二人にかかえられ、千鳥足も相当な体で屋敷にたどり着いた久弥は、玄関を上がるとそのまま台所へ直行し、女中の咲枝に酒を所望した。

「おう咲枝、あの棚の下に酒瓶があったろう、それを持ってきてくれ」

現在屋敷の若旦那に命令されては否やはない。咲枝はおろおろとあたりを見回しながら酒瓶がおいてある棚まで行くと、後ろに気配がしたので足を止めて振り返った。

「久弥、だらしない。なにをしちゅう。もうちっとしゃきっとせんね。咲枝さん、酒はええで水をもってきてつかあさらんか」

 咲枝にとっては救いの神となった早苗であった。

「水なんかええ。まだ大丈夫じゃ」

「何をいうてなさる。もうふらふらじゃないかえ。賢蔵や英輔がそんな姿を見たらなんというか」

 久弥はデキのよい兄たちには頭が上がらぬようで、二人の名前を引き合いに出されると弱いのである。

「ふん。兄じゃらはおっかさんのデキがよかったで、頭のええ遺伝子もらえたぞな。わしのおっかあはしょせん豊畑村の酒蔵の行き損ないじゃったけえな。もともとの畑のデキがちがうんよ。そんな兄じゃらと比較されても困る」

 実際、久弥の母の実家は豊畑村にある造り酒屋の末娘であった。しかし、特段デキが悪かったわけではない。事実、久弥の母もちゃんとした女学校を卒業している。

「お前のデキとお前のおっかあのデキは関係ねえ。それよりも今の仕事をちゃんとしてくれればええがね。どのみち今はお前さんしか、この飛鳥家の面倒見られる男衆はおらんのじゃけえなあ」

「ああ、兄じゃらが帰ってくるまではな。その後はおん出されてどっかでのたれ死ぬんじゃろう」

「馬鹿なこと言っちゃいけん。おっとさんもそこまで馬鹿でなかろうに」

「じゃがのう、兄じゃらはもうこっちには帰ってこんけえ、跡取りはワシしかおらんはずじゃ。じゃがおやじ殿はワシに跡を譲ってはくれぬ。きっとワシには渡さぬ腹じゃろうて」

「だからというて、家の仕事に手抜きをしてええという道理はなかろう。小作らの顔もある。もちっと仕事に精出してもらわんとな」


 そういうわけで佐兵衛には思い悩む理由があった。長男賢蔵はすでに大学での地位が確立しており、とてもこの片田舎へ戻って来そうもない。次男についても同様である。音禰も神戸の大学に在籍中である。唯一村に残っている久弥にいたっては、あの体たらく。周りの目が久弥では、とても飛鳥一族を支えてはいけぬと思い始めているのも事実である。

 後継者の選定。その事だけが佐兵衛に残された最後の仕事なのである。

「兄さの会社じゃ。兄さの好きにすればええがね。あたしは一人でも大丈夫じゃけえ」

 枕元でにこやかな笑みを浮かべて佐兵衛を見守る早苗は、いつもそう言って佐兵衛を諭すのである。

「うんにゃ、早苗にも世話になった。一人で放り出すわけにはいかん。ワシにまかせておけ」

 そういうと、ゆっくりと天井を見上げ、虚空の一点を見つめていた。


 翌日のこと。その日は朝から雨が降っていた。しょぼしょぼと小太鼓の弾けるような雨音が耳を賑わせる五月の週末だった。

 この日はちょうど音禰が来る日だった。佐兵衛は愛しい娘が来るのを今や遅しと首を長くして待っていた。

「早苗や、お前は月代や雪枝のことを覚えておるか」

「ええ、ええ、覚えておりますとも。花子のことも珠世のこともみんな覚えておりますとも。兄さは無類の女好きじゃったけえ、おっとうもおっかあも苦労したげな」

「そう責めるな。今では反省もしておろう。しかし、・・・久弥がもうちっと才のあるやつじゃったら・・・」

「久弥もそれがわかっちょるけえ、もどかしさもあろおのう」

「諏訪どんと古さんに頼んでおいたで、あとはよろしゅうにな」

「なんの気の弱いことを、兄さまらしゅうない」

「親父も爺さんもみんな七十が寿命じゃで、ワシらの家計は。なぜか女どもだけが長生きしよる。それにワシはもう、十分に生きた。孫もようけえおる」

「まだひ孫を見とらんぞな」

「それもまた家系じゃて。飛鳥の一族でひ孫の顔を見た当主の話なぞ聞いたことがない。それでええのじゃ。ワシの代まではな」

 その時早苗は、いつもなら佐兵衛の枕元に飾られてあった三枚の色紙が無くなっているのに気がついた。

「兄さん、あの色紙はどげえしたぞな」

 佐兵衛は早苗の目を見つめながら、

「諏訪どんに託した。後はごろうじろ、そして何も聞いてくれるな。聞いても答えぬぞ」

 心配そうな表情で佐兵衛を見つめる早苗。

「聞かいでもわかりそうなものじゃけんどな」

 そう言うと意味ありげな笑みを浮かべた。

 その時だった。廊下から小走りにかけてくるバタバタとした足音が聞こえてきたかと思うと、佐兵衛の部屋の障子が開き、麗しき音禰の姿が飛び込んで来た。

「お父さん、元気やった?」

 言うが早いか、一目散に早苗の隣にずかっと座り、

「はい、お土産」

 といいながら、紙の袋を差し出した。

「なんねえ」

 早苗はその紙袋をまじまじと見入りながら、中身は何かと尋ねていた。中には神戸で有名な菓子店の水羊羹が入っていた。

「お父さん、甘いもの好きやったやろ?」

「いつもありがとな。神戸の暮らしはどうじや、不自由はないか?」

「ええ、お父さんが充分な仕送りをしてくれているから助かるわ。でもね、このお土産は私がアルバイトをして稼いだお金で買ったものなのよ」

「アルバイトをせんといかんほど足りない生活をしてるのかな」

「うふ、そんな訳ないじゃない。何事も経験よ。それに薬屋さんのアルバイトだから、色々教えてもらったりもできるのよ」

「そうか、それなら良かった。ところで音禰には決まった人がいたりするのかな」

「お父さん、私まだ大学生よ。それに卒業したらこっちに帰ってこようと思ってるから、彼氏も結婚も一生無理かもね」

「お前ほどの器量なら、都会で充分通用するじゃろうに。なにもこげえな田舎に戻ってこんでも」

「いいの。戻ってきて、お父さんやおばさんのお世話がしたいの。だからね、もう少し待っててね」

 その時、佐兵衛の目からも早苗の目からもひと筋の涙が光っていた。

 さすがに末っ子である。親への甘え方を知っている。佐兵衛にとっても老楽の恋の上、赤子を授かると同時に愛妻を亡くすという顛末のドラマがあった。その愛娘が可愛くない訳がないのである。


 その週末、三人でゆっくりと時を過ごした音禰は、また翌月に来ることを約束して神戸へと舞い戻った。



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