港へ

「聰明と落ち合う手筈が整ったぜ」

 CELIAの二階から階下の店舗へと顔を覗かせた無明は、開口一番に告げた。コーヒー豆を挽いていた手を止め、何かを思案するような空白を挟んでから真知はエプロンを脱いだ。

「日時と場所は?」

「今夜の丑三つ時、港の集積場だ」

「急だな」

 カウンターから身を乗り出して、真知はうたた寝する美玖の肩を揺すった。身軽な猫か、器用なインコのように背もたれのない椅子の上で膝を抱えて、彼女は夢を視ている。外界からの刺激によって意識は覚醒しそうになるが、呻くだけで目を開けようとはしない。

「意外だな。怪異殺しがこんなに子供っぽい奴だったなんて」

「先輩は成長が止まっているからね。実際、子供なんだよ。どれだけ精神が先行したところで、成熟したところで――。そういう意味ではキミも同類なんじゃないのか?」

「俺の場合はどれだけ成長が進んでいるのかも分からない感じだからな。でも、何にだってなれるぜ? 大人でも子供でも、人間でも畜生でも、それこそ原型を忘れちまうくらいに」

 もうすでに忘れているだろうと返そうとして、口を噤む。《思考螺旋》を使えば無明のオリジナルも探り当てられるかもしれないが、そこまで親密な間柄というわけではない。世話を焼いてやる義理はなく、彼にしても押しつけがましいと拒否するだけだろう。

「それより、聰明に引き合わせたら本当に自由にしてくれるんだろうな」

「心配するな、反故にはしない。聰明の影に怯えて、せいぜい逃げ続けることだな」

「心配なんてしてねえよ。そのための《千変万化》だからな」

 互いを睨め付けるように瞳を交錯させ、先に真知が逸らした。美玖を起こす作業へと戻る。かなり荒々しく肩を揺すっているというのに目覚めの兆候は見えず、ううんだとか、んにゃあだとか、間抜けな呻き声が漏れてくるだけだ。本当に子供っぽいのだからと微笑ましくなる。

 それはわずか十歳のときの物語だ。髙田美玖という少女が誤って父親を殺してしまい、呵責の念から、罪の意識から父親を生き返らせたいと願ったのは。

 真知はそっと瞳を持ち上げ、本棚の左端に忍ばせるように収納した本を見つめる。彼の著作。怪異を綴った、怪異譚の遍歴書。あれを美玖が読もうとしたことはない。あの本の中には――美玖が登場する。彼女をモデルとした怪異譚が収められている。みづほは勘付いているかもしれない。物語に登場する少女の境遇が、あまりにも美玖と酷似していることに。

 だが、真知の前で眠る少女は、物語の中の少女と違って活字を好まない。悲しいと思うことはなく、仮に彼女が活字中毒者であったなら、この関係は長続きしなかっただろう。

 歪められていることに、食い違っていることに感謝する。

 上半身を折り曲げて美玖の耳朶まで唇を近付けると、そっと吐息を吹きかけた。

 ふぅー。

 耳朶をくすぐるそよ風にあてられて、美玖の体がぴくりと震えた。唇がわずかに引き締められ、目元がぷるぷると震える。真知はいたずらっぽく笑い、長く伸ばされた美玖のもみあげを指で寄せた。ふっくらとした頬が現れ、真知は人差し指を伸ばすと指先を押し付けた。

 彼女の頬は低反発で、やわらかい。

「あのさ、普通に起こせばいいんじゃないか?」

 無明が介入する。真知は興醒めしたように顔を上げた。

「別にいいだろう?」

「イケメンと美少女がいちゃついてるのを見ると、こう、むず痒くなるんだよ」

「その辺りの耐性がないのは意外だな。そういう人間にもなってきたんじゃないのか?」

「少しくらいは否定しろってんだ。いやな、あんまりそういう人種になろうとしたことはないな。整えたとしても二枚目、今みたいに三枚目かそれ以下ってのが大概だよ」

「美の追求は人間の性分だろう? それはまた、どうしてだ?」

 むふぅ、とだんご鼻を膨らませると無明は肩を竦めた。

「整えすぎるとな、偽物だってばれやすくなるんだよ」

 そうして無明は顔を引っ込め、夜に備えて俺は寝るぜ、とだけ声が聞こえた。

「あいつ、居座るつもりじゃないだろうな」

 当初に比べて傍若無人に振舞い始めたことに危惧を募らせたところで、

「案外、居心地がいいんじゃないの? 今まで一人だったんでしょう?」

 むくりと美玖が顔を上げた。

「…………おはよう」

「おはよう、真知」

「確認のために聞かせて欲しいんだけど、いつから起きてた?」

「そうねぇ」

 美玖はもったいぶるようにアンニュイな表情を浮かべ、反転して無邪気に前歯を覗かせると真知の額を指で弾いた。デコピン。そんなかわいらしい呼称に似合わず、真知は背後の壁まで吹き飛ばされた。

「寝込みを襲うくらいなら起きてるときにやってきなさい」

「……悪かったけど、自分の体が常人を凌駕していることは自覚してくれないかな?」

「ちゃんと手加減したわよ。お店を壊さないくらいには」

「僕の体は壊れそうだけどね」

 首筋を軽く痛めたのか擦りつつ、美玖の横に顔を並ばせた。

「今夜だってさ。港の集積場に、秋槻聰明は現れる」

「ちゃんと本人が来るかしら?」

「さあね。聰明がどこまで用心深いかによるだろう」

「悩んでも仕方ない、か。真知も少しだけ休んでおく? 今夜は長くなりそうよ」

「知ってるだろ? 僕は休養なんてものに縛られていないって」

 美玖の目がわずかに伏せられる。

 そうだったわね。薄桃色の唇が寂しそうに言葉を紡いだ。

 淹れたての珈琲をゆっくりと飲みながら時間を潰し、日付をまたいでから起きてきた無明を引き連れ、一同は港へ向かった。

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