夏月桃真短編集
夏月桃真
幻想水路
「ここ・・・どこ・・・」
私は迷っていた。沼の近くだからはぐれちゃだめだよっていわれてたのに、おじいちゃんとはぐれてしまった。
「おじいちゃん・・・どこ・・・こわいよう・・・」
私はとうとう泣き出してしまった。そのとき、
「おーい、おーい」
と、声が聞こえた。
「おじいちゃん?」
おーい、こっちだこっち」
その優しい声に吸い込まれるようにして、私は歩き出した。
「まって~」
私はその人に懸命についていった。どのくらい走っただろう。急に視界が開けて、おじいちゃんが見えた。
「おじいちゃん」
「文香ーどこ行ってたんだ。心配したぞ」
「おじいちゃん」
私は一気に安心したので、おさまりかけていた涙の堤防が決壊してしまった。それから、優しい声の主を探したが、どこにもいなかった。
「おじいちゃん、あのね、だれかがここまでつれてきてくれたんだよ」
おじいちゃんは少し周りを見てから、こう言った。
「水神様、ありがとうございます」
そう言った途端、目の前に石段が現れた。おじいちゃんは一瞬びっくりしたが、私の手を引いて登りだした。
その日、私はいつもより早く起きた。いや、起きてしまったと言ったほうがいいだろう。なにしろ、今日は全国鮒釣り大会なのだ。午前三時に目が覚めてしまってもしょうがない。のそりと起き上がり、一階の台所に降りていく。私の好きな玄米の香りが鼻をくすぐった。胸いっぱいに吸いながらしゃもじで茶碗に盛る。
持っていくものをまとめてからいつもの服に着替え、その上に愛用のフィッシングベストに腕を通す。このベストは、私の釣欲のレバーを最大にあげてくれるだ。これを着ているだけで神経は研ぎ澄まされ、胸は高鳴る。釣果だって全然違うのだ。
最後に大切な麦わら帽子を被り、ひっそり閑としている家を出る。
「行ってきます」
駅のホームは始発なだけあって静かだった。陽炎のようにゆらりと現れたガラガラな電車に乗り込む。もちろん座れるが、立っていないと寝過ごしてしまいそうだ。つり革に掴まり、流れる景色をぼーっと見る。鉄橋下の川面がキラリと光った。日の出だ。
かなり早く来たつもりだったが、大会本部には多くの参加者が集まっていた。素早く受付を済ませる。
ふと、藪の中に奇妙な道を見つけた。獣道にしてはきれいだし、人が通るには狭いような気がする。
「なんだろう?」
もう受付は済ませたし、開始までは三十分以上の時間がある。
「ちょっと行ってみようかな・・・」
道は思ったよりも歩きやすかった。所々に生えている白丁花がいい香りを辺りにまいている。と、突然鳥居が現れた。しかも、普通の鳥居ではなかった。
一般的な朱色の鳥居でも、石造りの鳥居でもなかった。
太い丸太で造られており、色は塗られていない。所々苔生している。
それが伏見稲荷のようにズラーッと連なっていた。
「きれい・・・」
思わず声が漏れる程凛としていて、美しかった。これは朱色に塗らなかったんじゃない。あえて塗らなかったんだ。恐る恐るくぐると、空気までキリッとしていた。
鳥居の林を抜けると、小さいながらも立派な社があった。ただ、普通の神社にある狛犬が河童なのだ。片方は河童らしく胡瓜を持っていて、もう片方は「酒」と書かれたヒョウタンを持っている。その事に驚きつつ、私は河童の間を通り、社を見上げた。
社は鳥居同様所々苔生している。しかし、社殿自体は豪華で、彫刻が至る所に施されていた。
一応、お詣りしたほうがよいと思い、ちりめんのがま口を取り出した。しかし、賽銭箱らしきものはどこにもない。このまま直にお賽銭置いても大丈夫かなと安直なことを考えていると、
水の神様には農作物をお供えするのが一番
誰に言われたのかわからない程古い記憶が思い出された。なぜ思い出されたのかわからない。ここには初めて来たはずなのにここの景色だけ、切り抜かれて記憶に貼り付けられている。これ以上思い出そうとしても、ただ風がさらさらと流れているだけである。変だなあと思いつつも、弁当に持ってきたミカンを皿の上に
あれ?と私は首をかしげた。皿なんてさっきまでなかったような気がする。まあ、ミカンを直接社に置くよりはいいかと深くは考えないようにした。本坪鈴をならし、二礼二拍手一礼。無事に大会が終わりますようにとお願いした。
お詣りを済ませふと振り返ると、皿ごとミカンが消えていた。狐に化かされているような感じだなと思いながら参道を出ると、ちょうど開会式が始まろうとしていた。急いで向かう。
壇上に日本鮒釣り連盟の会長であり前年度優勝者の奥田さんが昇る。奥田さんは積極的に釣り場のごみ拾いをするくらいいい人。なんだけど・・・
「え~本日は曇りですが絶好の釣りびよりですね。昔から降らず照らずのいい天気と言いまして、これは昔(以下略)」
とんでもなく話が長いのだ。おそらく放っておいたら三日三晩話続けるだろう。あの家は電話代が大変そうだなあ。それに、電話の相手も悲惨だ。
そんなことより、今なんとかしてこの長話を終わらせなければならない。今日は暑いうえに湿度が高く、熱中症になりやすい天候だ。空気が重く苦しい。何とかしてくれと皆が思い始めたその時、
「あの奥田さん、時間押していますのでここで切らせていただきますね」
ナイス運営さんだ。テカる頭が後光に見えてくる。奥田さんはしょんぼりしているが、しょうがない。
開会式が終わり皆臨戦態勢になる。この大会では鮒のいそうな場所を先に陣取った者勝ちなのだ。
「それでは皆さん頑張ってください。では、スタート」
アナウンスが開始を告げ、釣り人たちが思い思いの釣り場に足を運ぶ。私は下調べでかなりよい場所を見つけていたので、その水路沿いに釣ることにする。ただ・・・
釣り人は皆考えることが同じなので、早くいかないと既に人がいる・・・なんていうことがよくある。私の場合、なるべく被らなそうな場所を選ぶ。が・・・
予定していた水路には既に人がいた。今回は失敗したようだ。
仕方がない、他をあたるか・・・と諦めかけたその時、私の視界にキラッと光るものが見えた。もしやと思い近づいてみるとやはり水路であった。しかもちょうどいい具合に木がせりだして物陰になっている。絶好のポイントだ。見たところ他の釣り人はいない。
「ここにするか」
そう呟いた途端、スイーッと目の前を影が通っていった。
・・・大きい。
三十センチ以上はある大物だ。普通鮒は十五センチくらいの大きさである。それが三十センチだなんて・・・。今日の優勝は私で決まりだ。急いでエサをつける。
驚かせないようにそっと仕掛けを送り込む。シモリウキがゆっくりと一つ、また一つと沈み、すとんと三つ目で止まった。二十秒程間をおいてツツツッと移動する。動いていたウキがピタッと止まり、またゆらゆら揺れる。その静けさの中にカミソリのような緊張があった。これが、好きだった。
突如その静けさは破られた。ウキが一気に引き込まれ、反射的に竿をあげた。ゴゴンッと重量感のある引きに竿が満月になる。この重みがたまらない。
何度かヤツは逃げようと試みたが力尽き、玉網の中に収まった。見事に輝く銀色の体。丸くふくれた白い腹。クリクリとした愛くるしい眼。美しいと心から思える。
この調子でいこうとエサをつけ直し、仕掛けを送り込む。トン、スー、トン、スー、トンと繰り返し、水路の中をくまなく探っていく。また、ウキが引き込まれた。
先ほどではないにしろ大きい。ビクに入れ、仕掛けを送り込む。トン、スー、トン、スー、トン・・・
「ピピピピッピピピピッ」
「ひゃい!?」
音の元を探ると腕時計だった。終了三十分前のアラームだ。そろそろ納竿しようと辺りを見ると、まったく知らない景色が広がっていた。水路沿いにずいぶんと遠くまできたみたいだ。
「今どこら辺かな?」
こういう時はスマホスマホ・・・
「あれ?」
圏外だった。
「え・・・嘘でしょ・・・」
まずい。いくら水路に沿って歩いてきたとはいえ、所々枝分かれしている。それに私は方向音痴だ。
・・・どうしよう。あと三十分で本部に戻らないと、失格になってしまう。何より、運営の方に心配されてしまう。迷惑をかけるわけにはいかない。でも、どうすれば・・・
その時、フッと頭の麦わら帽子がなくなった。辺りを見回すと小学生くらいの男の子が被りながらニヤニヤしている。人が困っている時にイタズラとはやってくれる。内心ムカッときたが相手は小学生だ。大人にならなくては。
「それ、お姉さんのだから返してくれる?」
男の子は麦わら帽子をとるとこちらに差し出した。物わかりがよくて助かった。が、次の瞬間、私の期待は裏切られることとなる。手を伸ばすと同時に奴はあろうことかまた被り、舌を出しながら逃げ出したのだ。
「ちょ・・・」
あまりの事態にポカンとしていると、奴は「ここまでおいで~」とばかりに尻を叩いた。なんて奴だ。大切な物なのに。
「コラッ」
私が追いかけると逃げる。私が止まると止まる。これではいたちごっこではないか。これではいつまでたっても追いつけない。こっちは既にヘトヘトだ。それでも気力で追いかける。逃げる。追う。休む。また逃げる。追う。休む。また逃げる。追う。休む・・・
どのくらい走っただろう。不意に奴が止まった。私は止まらない。それでも止まっている。どんどん近くなる。それでも止まっている。とうとう追いついた。と思った時、急に視界が開けた。そこは本部の前の広場であった。麦わら帽子もいつの間にか被っていた。時間は?と腕時計を確認すると、十五分が経っていた。間に合った。
振り返ると、奴はもういなかった。
本部に戻り、計量してもらう。後から他の人もやってきたが、大物を釣ったのは私だけだった。サービスの麦茶をもらう。程よく冷えていて、疲れた身体にしみわたるようだった。
「優勝おめでとうございます」
やはり今回の優勝者は私だった。壇上に上がり、賞状と副賞の竿をもらい受ける。初めて釣り大会で優勝した。おそらく、この賞状は一生忘れないだろう。じいちゃんも喜んでくれるに違いない。
なんとなく優勝できたのはあの神社のお陰のような気がして、お詣りしようと藪の道を探したが、どこにもなかった。
夏月桃真短編集 夏月桃真 @kagetsutouma
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