姉ストーク

礫ラッカ

姉(太田遊子)視点

姉(太田遊子)視点・第1話 「視線」

昼下がり。すでに九月の下旬だというのに、太陽は燦々と、行き交う人々を照り付ける。まるで高みの見物を決め込んで、奴隷を働かせている悪徳商人のようだ。

凶悪な紫外線と染み出る汗に辟易するのはこれで何回目だろうか?いらいらともやもやの入り混じった、どす黒いようでいて白みがかった感情があふれでる。


「はぁ・・・。」


思わず太田遊子はため息を露骨に出した。社会の歯車となるのは楽じゃない。身だしなみを整えるのはもちろん、上司への接待、明らかに残業前提の仕事量、後輩への指導(手当なし)etc・・・。

客観視すれば、いかにも標準的な悩みといえるだろう。特別難題というわけでもない。これが日常、これが普通、これで満足・・・しているはずだった。

しかし最近、な悩みが増えてしまったのである。その悩みとは、一言で言えばストーカーだ。それも、一般的なストーカーではない。通勤途中に視線を感じたり、家で過ごしているときにも視線を感じ、風呂に入っているときにも・・・。


ただの自意識過剰だろうか?それとも日頃の疲れでノイローゼに?または本当にストーカーがいるのだろうか・・・。分からない。あの視線がストーカーであることに確証がつかない。

とりあえず、今日の商談を終わらせて、早く家に帰らなきゃ・・・。



ーーー午後6時46分、K市A町○○公園付近。

遊子は疲れ果てた足でとぼとぼと帰路につく。家とは500m離れた公園がもうすぐそこまで見える。

この辺りで、いつもの視線が現れる。だが、今日はその嫌な感じ・・・いわゆる雰囲気は全くもってなかった。自分一人、夕暮れの道を孤独に歩いている。まるで砂漠のオアシスを求める遭難者のように。


遊子は一歩づつ、家へと歩み出す。不安の欠片もなく順調にハイヒールは前へ進んでいく。前までは視線に慄いてその場を5分も立ち尽くしていたことがあるぐらいなのに、ありえないほど足取りは軽い。


「やっぱ勘違いか・・・。」


遊子は少し頬を緩ませ、胸を撫で下ろした。もうすぐ家の玄関だ。いつもの視線はここまで付いてくるのだが、今日はその心配もない。今までになく温和な気持ちで鉄製のゲートを開いた。そして、ドアさえ開ければ、弟のいる安心安全な空間へ戻ることができる。

ああ、終わる。わたしの勘違いだったんだ。視線なんて元からなかった。無いものだったんだ。ただのノイローゼかもしれない。そうだ、来週に有給でもとって温泉にでも出かけよう。久しぶりに家族旅行にでも行こうか。反抗期真っ只中の弟も、温泉とあらば尻尾を振って付いてくるだろう。うん、そうだろう。そしたら、早く予定を立てなくちゃ・・・。


「ーーー今日は、ずいぶん楽しそうだ。」


「ーーーー!??」


遊子は、その意味深な呟きに耳を奪われる。

後ろから聞こえた。誰だ。すぐそこに視線の主がいる?すぐに後ろを振り向いたが、誰もいない。幻聴か?それにしてははっきりしすぎた声調だった。中性的な声だ。恐怖が身を穿つ。鳥肌が全身を覆う。また、怯えるのか。あの視線から。もう嫌だ。もう嫌だ。


「もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だっ!」


遊子はすぐさま玄関ドアを開け、リビングに飛び込んだ。

土足のまま何やら不穏な表情を浮かべた姉に、弟の純真じゅんまは仰天したように駆け寄ってくる。「姉貴、どうしたの?」


ああ、守らなきゃ。あいつから、弟だけは守らなきゃ。絶対にこの手で。守り抜いて見せる。わたしは涙ぐみながら純真を両手で抱きかかえた。


「絶対に、何があっても、わたしの傍にいて・・・!」


「姉貴、痛いって。」


わたしは、何があっても弟を守る。 ーーー太田遊子の手記

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