03:洗脳魔法


 異変の原因を探るために、俺はルジェとシェーラと行動を共にすることになったのだが。

 ひとまずは作戦会議の必要があるということで、安全な隠れ家に移動することとなった。


「ここって……工房、ですか?」


 シェーラに先導されてやってきたのは、城の裏手の雑木林を抜けた先にある、古びた小屋だった。

 城からも近く危険なのではないかと思ったのだが、それはルジェも同じだったようだ。セキュリティ面を確かめるように、部屋の中を歩き回っている。

 しかし、シェーラは特に気にしていない様子で、荷物を適当な場所に置いていた。


「まあ、そのようなものだ。……私は不要だと言ったのだが、ディアナ様が気が向いたら使えばいいと用意してくださったのだ。この辺りは兵の巡回も無いし、この場所を知っているのは私とディアナ様だけだ」


 小屋の中は簡素な造りをしているが、最低限の家具などは揃えられている。外観で想像していたよりも、内装はずっと綺麗で手入れが行き届いているのもわかる。

 そして、部屋の半分以上を占めているのが、絵を描くための道具とキャンバスだった。

 不要だなどと言ってはいるが、しっかりと使われているように見える。もしかすると、あの図鑑に提供してくれた絵も、ここで描かれたものなのかもしれない。


 もっと遠い場所まで逃亡しなければならないのではないかと危惧きぐしていたので、こうして休める場所があるのはありがたい。

 俺たちは椅子やソファーにそれぞれ腰を落ち着けると、改めて今の状況についてを整理することにした。


「まず、この状況の一因を作り出したのは、十中八九あのセルスという男だろう。あの男がやってくるまでは、異変など起こっていなかったのだからな」


「私……いや、オレは、集団催眠に近い状態なのではないかと考えている」


「……ルジェさんって、一人称オレだったんですね」


「どちらでもいいだろう、くだらん指摘をするな」


 ルジェが一人称を変えたことに驚いたのだが、城を離れたからなのだろうか?

 少し空気も砕けたような気がするが、これまでの姿はあくまで『国王陛下の従者モード』ということだったのかもしれない。

 その指摘にシェーラが笑った気がしたのだが、それを睨むルジェに彼女は普段通りの澄ました表情で言葉を続ける。


「集団催眠というと、何らかの魔法をかけられているということか」


「単純に考えればそうなる。催眠……というより、洗脳に近いのかもしれんがな。そうでなければ、この男に対する町の人間の態度に説明がつかん」


 顎先でこちらを示すルジェの予想に、俺はそうであるならばと納得ができた。

 いくら新たな勇者が現れたからといって、勇者だと証明できるのは、黒猫を連れているということだけなのだ。

 条件は俺と同じであるはずなのに、セルスという男は何の疑いもなく本物の勇者だと受け入れられていた。

 もしも証明する術があったのだとしても、それがイコール俺が悪事を企てていると信じることには繋がらないだろう。


「ということは、あのセルスって男が洗脳魔法をかけているってことですか?」


「その可能性は十分にあるだろう。突然現れて勇者を名乗った、そこから町の人間がおかしくなったのだからな。オレはそうだと思っている」


「だが……あの男がきっかけであることに間違いはないのだろうが、本当にあの男が洗脳魔法を扱えるように思うか?」


「シェーラ、どういう意味だ?」


 セルスが現れたことで町の住人がおかしくなったのであれば、彼がその原因に関わっていることは間違いないのだろう。

 しかし、シェーラは何かが腑に落ちないらしく、考える素振りを見せている。


「確かに人を洗脳する魔法は存在すると聞くが、魔法を扱える人間には限界がある。一人二人ならばともかく、これほどの広範囲だ。洗脳魔法をかけたのは、相当な使い手であるはずだろう」


「……言われてみれば、そこまでの魔力を持つようには見えなかったな」


「それってつまり、セルスにはそんな魔法を扱えないってことですか?」


 俺には魔法や魔力のことなどさっぱりわからなかったが、腕の立つ二人には、セルスがどれだけの力がある人間なのかがわかるのだろう。

 シェーラは手近にあった真っ白なキャンバスを掴み取ると、それをテーブルの上に乗せる。

 そして、絵の具の乗った白いパレットを手に取ると、そこに筆を走らせ始めた。

 水色の小さい円を描いた後、隣に赤い石を描いて、円の周りを赤いオーラで囲む。


「人には、生まれ持った魔力の器というものがある。個人差はあるが、大抵の人間は魔石ませきの力を借りて、初めて補助程度の魔法が使えるようになる」


「魔石って何ですか?」


「魔力の込められた特殊な宝石のようなものだ。貴様の持つ転移の腕輪に嵌められている宝石もそうだが、それは魔石の中でも特殊なものだからな。貴様のように魔力の無い人間でも扱うことができる、希少な石だ」


 俺は、腕輪に嵌められた深紅の宝石を見る。魔法は誰にでも使えるものというわけではないのか。

 言われてみれば、コシュカやグレイも魔法を使っているところを見たことがない。

 シェーラは、小さな円の隣に今度は大きな円を描き始める。そこに石は描かれず、赤いオーラだけが円を取り囲んだ。


「魔法を仕事に活かしている者は、大半が魔石の力を借りている、魔力の器の小さい者たちだ。だが、魔力の器が大きい者の場合……魔石無しで魔法を扱ったり、まれに洗脳のような強い魔法を使うことができる」


「だが、それも範囲が広くなれば効果は分散されていく。それを国単位で行えるとなれば……少なくとも、一般の人間にできることではないだろうな」


「けど、セルスが本物の勇者だった場合、そんな力を持っている可能性は無いんですか?」


 その言葉に、二人は驚いたように俺を見る。

 ルジェやシェーラは俺のことを信じてくれているが、俺からしてみれば、あの男が勇者ではないという証明もできないのではないかと思っていた。


「俺には勇者だなんて自覚は無かったけど、あのセルスって男は自分を勇者だと名乗っていた。人を洗脳するような魔法を使う男がいい奴だとは思わないですが、言い伝えの勇者だっていうなら、特別な力を持っていても不思議じゃないと思うんです」


 勇者とは一般的に、凄い力を持った人間のことを言うのだろう。

 だとすれば、俺はたまたま勇者だとされる条件に当てはまっていただけで、本物の勇者には特別な力があってもおかしくはない。

 ましてや、一般人が使えないような魔法だって、勇者ならば使えるのではないだろうか?


「それはねえっスよ」


 俺たちの会話に、突然第三者の声が割り込んでくる。

 条件反射のようにルジェとシェーラが武器を構えたのだが、開いた扉の先から飛び込んできた黒い塊は、俺目掛けて突撃してきた。


「ぐふっ!! ヨ、ヨル……!?」


「ミャア」


 俺は、弾丸のように腹部に衝突してきたそれを見下ろす。ピンと立てられた鍵尻尾を、見間違えるはずがなかった。

 ヨルが飛び込んできた扉の向こうに立っていたのは、コシュカとグレイだ。

兵士ではなかったことを確認すると、ルジェたちは武器を持つ手を下ろす。


「なぜ、この場所がわかった?」


「ディアナ王妃様に伺いました。始めからそのつもりでしたが、私とグレイさんにも、ヨウさんを手助けする力になってほしいと頼まれたんです」


「外は脱獄騒動で大騒ぎっスよ。店長スゲー有名人。顔出して歩き回るのはまず無理そうなんで、外套がいとうも持ってきてあります」


「二人とも……ありがとう」


 俺は悪いことをしていないとはいえ、表向きは脱獄をした指名手配犯なのだ。

 これ以上二人を巻き込みたくないという気持ちもあったが、こうして二人とヨルにまた会えたことが、素直に嬉しいと思う。


「ルジェさんとシェーラさんも、町の人たちのようにヨウさんを敵視してはいないのですね」


「そういうことになる。少なくとも、ここにいる人間は信頼して良さそうだな」


「ミャウ」


「ああ、もちろんヨルも信頼してるよ」


 ここにいる『人間』とくくられたことが気に食わなかったのだろう。抗議の声を上げるヨルの頬を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らすのが聞こえる。

 コシュカたちが加わったことで、俺たちはさらに情報を得ることできた。


「オレはコシュカと合流する前にカフェに寄ってきたんスけど、あの野郎が我が物顔で店を使ってました。けど、猫の世話する様子も無かったし、カフェは休業状態でしたよ」


「偽者の勇者が造ったカフェだということで、派遣していたメイドたちが仕事を嫌がってな。営業はしないということになっている」


「そんな……! それじゃあ、カフェの猫たちは……!?」


「国王様の直々の命だということで、猫の世話だけは続けさせている。私の目でも確認しているから、心配はしなくていい。少なくとも、カフェの猫たちが野生に戻るような事態にはならないだろう」


 あれだけ気さくに猫たちの世話をしてくれていたメイドたちもまた、町の住人たちと同じように、俺に敵意を抱いているのだろう。

 現状はバダード国王が手を打ってくれているようだが、それもいつまで持つかはわからない。


「だから、『それはねえ』って言ったんスよ。オレの目から見たって、どう考えてもあの野郎が勇者には見えねえ」


「そうですね。あの人では世界どころか、猫一匹救うことはできないと思います」


「ミャア」


 もしもあの男が偽物の勇者であったとしても、俺は構わないと思っていた。

 俺がこの町や国を追い出されることになったとしても、猫たちのことをきちんと考えてくれるのなら、カフェだって譲り渡しても構わないと。



「カフェを……取り戻さないと」


 しかし、そうではないとわかった以上、俺はあの男を勇者だと認めることはできなくなってしまった。

 カフェを取り戻すためにも、俺は絶対にこの騒動の原因を突き止めなければならない。


「そういえば、お城に向かう途中でアルマさんたちにお会いしました」


「アルマに……!?」


「アイツら、他の住人とは違って店長のこと心配してましたよ。薬も、店長から受け取れるの待つって言ってました」


 町の人間が全員洗脳されてしまったのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 ルジェたちと同じように、まだ洗脳されていない人間も残っているのだ。だとすれば。


「洗脳されている人間と、そうではない人間……何が違うというんだ?」


 ルジェの疑問は、まさに俺が今感じていた疑問そのものだ。

 一人一人を洗脳して回ったというよりも、国全体にかけられた魔法だと考えるのが妥当だろう。それならば、洗脳にかからない人間の基準は何なのか。


「……ヨウさんと、深く接したことのある人、ではないでしょうか」


 コシュカがぽつりと落とした言葉に、全員が俺へと視線を向ける。

 確かに、ここにいる人間は皆、町の住人たちよりも何かと関わりが深いかもしれない。

 町長も世話になった相手ではあるが、カフェを建てて以降はそれほど接する機会がなかった。

 なぜそれがきっかけになるのかはわからないが、可能性はあるのかもしれない。


「なるほどな。洗脳魔法をかけたのがあの男ではないとすれば、その後ろで糸を引いている黒幕がいるはずだ」


「なら、あの野郎に直接吐かせるのが一番手っ取り早いんじゃないスか?」


 普段ならすぐに手を出そうとするグレイを止めるところだが、その言葉には一理あると思った。

 どうせ現状は何の手がかりも無いのだ。

 俺たちは、あのセルスという男に直接話を聞いてみるという結論に至った。

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