28:コシュカ


 聞いてほしいことがあると言われて、俺とグレイは一体何の話かと顔を見合わせる。

 母猫と子猫たちも、今は眠っているようだ。ひとまず、落ち着いて話ができる場所にということで、三人で食卓へと移動した。

 グレイが温かいお茶を淹れてくれたので、それが並べられるのを待ってから俺たちはコシュカへと視線を集める。


「聞いてほしいこと、って……どんな話かな? もしかして、店を辞めたいとかそういう……?」


 もしも、コシュカが店を辞めたいと思っているのであれば、俺にはそれを止める術がない。

 できれば留まってほしいというのが本音だが、ここで働くことを無理強いしたくはないのだ。


「そういうお話ではありません。ただ……どうお話しすれば良いか、自分でもあまりよくわかっていないのですが」


 少なくとも、俺が案じたような内容ではないと聞いて安心する。かといって、改めて話をされるような何かがあっただろうか? 心当たりがないので予想がつかない。

 言い出しにくい話なのだろうかとも思ったが、コシュカは話すことを迷っているというよりも、どんな風に話し出せばいいかがわからないように見えた。


「お二人は……私が魔獣だった、と言ったら、信じてくれますか?」


「え?」


「ハ?」


 コシュカの言葉に、俺とグレイはほぼ同じような反応をしてしまったと思う。というよりも、言われたことの意味がよくわからなかった、という方が正しいのかもしれない。

 しかし、その反応はコシュカにとっては予想の範囲内だったのだろう。手元のカップへ視線を落として何かを悩んだ後に、彼女は言葉を探しながらぽつりぽつりと話し始めた。


「突拍子もないことを言っている自覚はあるので、とりあえず聞いてください。私は魔獣でした。……正確には、前世で魔獣だったという方が正しいのだと思いますが」


「前世……」


 前世とは、その言葉通り前世のことなのだろう。その概念がいねん自体は理解できるのだが、まず前世というものが本当に存在するのかが、俺にはわからない。

 異世界だからあり得ることなのかもしれないと思ったが、グレイを見ると、ぽかんと口を開けている。どうやら、この世界でもよくある話というわけではなさそうだ。


「魔獣だった私は、まだ産まれたばかりに等しい状態で、人間に殺されました。ヨウさんがこの世界に来るずっと以前のお話なので、魔獣を恐れる人間ばかりでしたから、近づけば敵意を向けられて当然だったのだと思います」


「殺されたって……人間たちは、魔獣を恐れて近づかなかったんじゃないのか?」


「普通はそうですね。ですが、私はとても小さかったので、殺せると思ったのではないかと」


 魔獣を恐れる人間ばかりの世界だったとはいえ、命まで奪うような事態になっているとは、俺は考えていなかった。

 けれど、俺の頭が平和になりすぎていただけで、あり得ない話ではないのかもしれない。

 現に、狼猫ウルフキャットのいたヴァンダールの町では、猟銃を使って狼猫ウルフキャットに怪我を負わせているのだ。当たり所が悪ければ、命を落としていた可能性だってある。

 怯えた人間が、その命を奪うことがあっても不思議ではない。


「人間というものを知らずに、不用意に近づいた私もいけなかったのだと思います。ただ、そういうわけなので。もし生まれ変わることがあるとしたら、今度は人間になって、人間に復讐してやろうと考えていました」


「復讐、か。確かに、オレがその立場でも同じこと考えたかもしんねえな」


 幼かったコシュカは、恐らく何の悪意もなく人間に近づいてしまったのだろう。その結果として迎えたのが、怯えた人間による最悪の結末だったのだ。

 理不尽に自分の命を奪った人間という生き物に対して、恨みを抱いたとしてもおかしな話ではない。


「そうして、本当に人間に生まれ変わったわけなのですが。覚えているのは五歳くらいの頃で、路上で蹲っていたところを、町長に拾われたんです。始めは、私が一体誰なのかもわからない状態でした」


「そうか、だから両親はいないって言ってたんだ」


 生まれ変わったというコシュカが、どのようにして人間になったのかはわからない。人間の親から産まれて捨て子となったのかもしれないし、何らかの力でその場に誕生したのかもしれない。

 魔法すら使えるこの世界でなら、何が起こっても不思議ではないと思えた。


「成長していくにつれて、前世の……魔獣だった頃のことを思い出していくようになりました。人間への憎しみ、恐怖、怒り……けれど、人間である祖父母から与えられる、優しさも知ることとなりました」


 彼女の葛藤を表すかのように、澄んだ青い瞳が揺れたのわかる。

 復讐したいほど憎むべき相手だった人間から、確かな愛情を受けたのだ。それによって、コシュカの心は板挟みになっていたのかもしれない。


「魔獣の話を聞く度に、祖父母の優しさを疑う自分もいました。もしも、私の姿形が今とは違っていたのなら……祖父母から受けた優しさや愛情が、同じように私に向けられることはなかったのではないかとも」


 コシュカの言うことはもっともだ。人間の子供として拾われたからこそ、彼女は愛情を受けて育つことができた。

 しかし、路上で蹲っていたのが人間ではなく、魔獣であったらどうだっただろうか?

 少なくとも、今と同じ未来に辿り着いていたとは、とてもではないが俺には言えない。


「そんな時でした。ヨウさんに出会ったのは」


「……俺?」


「はい。魔獣を受け入れようなどという人は、ヨウさんが初めてでした。なので始めは、ヨウさんが魔獣と共にこの世界を支配してくれたらと思って、私も便乗しようと考えたんです。そのために、お店で雇ってもらえるようお願いに来ました」


「お前、店長のこと利用しようって考えてたのかよ?」


「その通りです」


 悪事を企んでいたのだと、コシュカはあっさり認めてしまう。投獄されたあの商人がこの話を聞いていたとしたら、自分の話は嘘ではなかったとしたり顔をしていたかもしれない。

 俺自身には世界征服をするつもりなど微塵もないのだが、彼女はそうしたいと願っていたのだ。


「……始めは本当に、そのつもりだったんです。ですが、ヨウさんを見ていて、少しずつ自分の考え方が変わってきていることに気がつきました。ヨウさんは、相手が猫であっても人であっても、敵意を向けることをしない人でした」


 これはもしかして、褒められているのだろうか?

 俺を見るコシュカの表情は、どこか優しげな、これまでに目にしたことがないような柔らかさだ。


「本心から猫のことを考えて、お世話をして、その上で人間側の気持ちも汲んでいる……そんな姿を見るうちに、私の抱える憎しみは、何も生まないものなのだと気がついたんです」


 人間から酷い仕打ちを受けて、憎しみとの狭間で葛藤していたコシュカ。その胸の内は、俺には想像もつかないほど複雑なものだっただろう。

 そんな彼女の考え方を、俺の行動で変えることができたというのか?


「ヨウさんは、人間と猫が共に生きていくことができると教えてくれました。私も、もう一度生きていくのなら、そんな温かい世界がいいと思ったんです」


「……どうして、その話を俺たちにしようと思ったの?」


 これは、純粋な疑問だった。

 彼女の前世が魔獣だったり、俺を利用しようとしていたことなんて、黙っていれば絶対にわからないことだったはずなのだ。

 それをわざわざ、こうしてカミングアウトするメリットは、コシュカには無いだろうに。


「……今までの私はずっと、不純な動機と共に働いてきました。ですが、新しい命が産まれてくるのを見て、私が殺された日のことを思い出したんです」


 産まれたばかりに等しい状態で、人間に殺されてしまったというコシュカ。

 彼女は、産まれたばかりの光花猫フラミナスキャットを見て、どう思ったのだろうか?


「私を殺した人間は、魔獣をとても恐れていました。その時の私にはわかりませんでしたが、人間に生まれ変わって、祖父母と接するようになって……人間側の認識も、理解できるようになったんです」


 人間が魔獣のことを理解できなかったように、魔獣側もまた、人間についてを理解する機会を与えられてこなかったのだ。

 そのどちらもを経験したコシュカだからこそ、この世界にとっては異質な、俺の考えを理解してくれたのかもしれないと思った。


「私の抱えていた復讐心は、人と猫との間に負の連鎖を生むことしかできません。だから、その連鎖を断ち切るためには、まず私が変わらなければダメだと思ったんです」


 俺とグレイ、そしてヨルの顔を順番に見た後、コシュカは深々と頭を下げた。


「笑顔の溢れるこのお店で働くのに相応しい、お二人に向き合える人間になりたいんです。勝手な言い分かもしれませんが……私をもう一度、このお店の従業員として雇ってはいただけないでしょうか?」


 赤い髪の向こうに、表情は隠れてしまってわからない。いつもと同じ無表情かもしれない。けれど、その声は震えていたようにも思う。

 これまで感情の読めない部分もあると思っていた彼女だが、これは心からの言葉なのだと伝わってきた。

 そんなコシュカに対して、俺が出す答えなんて最初から決まっている。


「……雇うもなにも、解雇した覚えはないし。コシュカがいてくれないと、俺も猫たちも凄く困るよ」


「そうっスね。オレはフロアで接客なんかできねーし、今から新しく変な奴に入ってこられてもめんどくせえし」


 改めて相談をするまでもない。グレイもまた、俺と意見は同じようだった。

 そろりと顔を上げたコシュカは、俺たちを見てなぜかきょとんとした顔をしている。


「……そもそも、信じていただけるんでしょうか? だって、こんな、突拍子もない……」


 俺はグレイと目を合わせると、思わず吹き出してしまった。

 ここまで真剣に話を聞いてきたというのに、今更彼女の作り話だなんて思うはずがないのだから。


「信じるよ。俺だって異世界から来てるんだから、前世があったっておかしくないだろ?」


「それは……そうかもしれませんが」


「それに、コシュカはそういう冗談言うタイプじゃねーしな。付き合い短いオレだって、そんくらいはわかるっての」


 初めて会った時、彼女が屋根の上から飛び降りてきたこと。

 保護活動の時に、俺よりも随分と目が良かったこと。

 何より、初めて見た猫に対して怯えていなかったこと。


 彼女の前世が魔獣だったという根拠として、俺には思い当たる要素がいくつもあった。むしろ、ようやくモヤモヤが解消されたと感じたくらいだ。

 それらを抜きにしたって、グレイの言う通り、コシュカはそんな作り話をするような人間ではないのだ。信じるか信じないか、そんなことを考える必要がない。

 最初は俺を利用するつもりだったのだとしても、彼女のこれまでの献身がすべて嘘になるわけではないのだから。


「打ち明けてくれてありがとう。俺はこれからも、猫と人間が一緒に暮らしていける場所を作れるよう、頑張っていくからさ。コシュカの力も貸してほしい」


 俺の言葉を聞いたコシュカは、口元を引き結んだ後で俯いてしまう。

 けれど、すぐに顔を上げた彼女は、普段の無表情が嘘のように綺麗な笑顔を浮かべていた。


「はい。これからも、よろしくお願いします」

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