21:ウルフキャット-後編-


 翌日。カフェでの開店準備を済ませた俺は、再びヴァンダールの町へと転移した。

 まずは町の住人に、狼猫ウルフキャットに手を出さないようにと指示を出す。

 始めは納得のいっていない様子の住人も多かったが、俺が必ず対処をするということで、渋々ではあるが了承を得ることに成功した。

 そうしてまた、あの山へと足を向ける。


 昨日狼猫ウルフキャットに出会った辺りまで辿り着くと、置いて帰った固形食は無くなっていた。雪に埋もれたわけではなく、彼らが持ち帰っていったのだろう。

 今日は再び食糧を置いていくことを目的としていたので、この場にいるのは俺とヨルだけだ。ヨルは昨日と比べても落ち着いているように見える。

 ヨルの頭には、首輪と同じ白い毛糸の帽子が被せられていた。

 これは俺が、一晩かけて編んだものだ。また雪山を訪れるのだから、ヨルも寒いだろうと思ってのことだった。形は多少いびつではあったが、ヨルはそれを嫌がるでもなく、今日も懐に収まっている。


 その場で少し待ってみると、狼猫ウルフキャットの群れが再び姿を現した。

 恐らく、この辺りが縄張りなのだろう。部外者が踏み込んでくれば、すぐに気がつくようになっているのかもしれない。

 彼らはやはり警戒をしている様子だったが、昨日のように唸ることはしてこない。

 食糧を置いて帰ったことで、敵意が無いことが伝わったのだろうか?

 狼猫ウルフキャットに近づくことはせずに、今日もまた固形食を置くだけに留め、俺はカフェへと戻っていった。


「おかえりなさい。大丈夫でしたか?」


「ああ、問題なかったよ。昨日置いていった固形食も食べてくれたみたいだし、やっぱり腹を空かせてたんだと思う」


「そんなら、明日はもっとガッツリしたやつ持ってくのはどうスか?」


 カフェの扉を開くと、数匹の猫たちがわらわらと足元に集まり、出迎えてくれる。

 それに続くようにやってきたコシュカとグレイも、俺のことを心配してくれていたようだった。

 ヨルの帽子を脱がせて下ろすと、自分も防寒具を脱ぐ。猫たちを踏まないよう気遣いながら、店の奥へと移動すると二人に簡単な報告をした。


 効果が薄いのなら、マタタビ草の配合を増やした饅頭を作ってみてはどうか。

 バランスを考えた固形食も良いのだが、腹を空かせているのなら、しっかり腹に溜まるものが良いだろう。

 二人と相談をしながら、俺は日ごとに狼猫ウルフキャットに対するアプローチ法を変えていった。


 そんな生活を繰り返して一週間が経った頃。定休日であることを理由に、同行を希望する二人と再びあの山を訪れることとなった。

 温暖な気候の町から雪山への移動は、やはり何度行き来をしても身体が慣れる気がしない。


「ヨウさん、あそこに狼猫ウルフキャットがいます」


「わ、マジだ! この前より距離近くなってないスか?」


 コシュカの言葉に前方を見上げると、待ちわびていたかのような狼猫ウルフキャットの姿があった。

 グレイの言う通り、警戒心を剥き出しにされていた時よりも距離は確実に縮まっている。


「食べ物をくれる人間だって、認識してもらえたのかも」


「今だったら触らせてくれそうな感じっスね」


「そうだな、けどまだダメだよ。下手に驚かせたりしたら、また振り出しに戻るかもしれない」


 やっとその姿を近くで視認できるようになったのだ。本当ならすぐにでも保護したいところだが、今は焦るべきではない。

 逸る気持ちを抑えて、俺はいつものように持参した食糧を置いてやる。

 それが自分たちに与えられた食べ物だと理解しているので、狼猫ウルフキャットたちは近づいてくるのだが。俺はそのまま背を向けて、二人と共にその場を去ることにした。


「それじゃあ、二人はこのままカフェに戻ってくれるかな? 俺は今日は町に泊めてもらって、被害が無いか確認しておきたいし」


 転移する前、二人には事前に、今日はヴァンダールの町に留まることを伝えてあった。

 俺が食糧を持ってくるようになってから、町での狼猫ウルフキャットの被害は報告されていないと聞いた。けれど、実際に自分の目でも確認しておく必要があると思っていたのだ。


「りょーかいです! 明日の昼に迎えに来たらいいんスよね?」


「ああ、大事な腕輪だから失くさないでくれよ?」


「ヨウさんこそ、何があるかわかりませんから気をつけてください」


「大丈夫。それじゃあまた明日、店の方は頼んだよ」


 そうして転移した二人を見送ると、途端に辺りは静まり返る。

 何となく寂しさを感じはしたのだが、俺は一人ではない。ヨルがいるのだ。


「それじゃあ、町に向かおうか。風邪でもひいたらコシュカに叱られるからな」


「ミャア」


 柔らかな雪を踏みしめながら、俺は町へと続く道を歩き出した。その道中で、この間グレイが見つけていた雪纏茸せってんたけが生えているのが目に入る。

 グレイの言う通り、酢漬けにした雪纏茸せってんたけはかなり美味しかった。せっかくなので、土産に少し持って帰ろうか。

 そう思って、雪纏茸せってんたけの生える木の根元へと足を向けた。そこにしゃがもうとした瞬間、踏み込んだ足場が崩れて俺はバランスを崩してしまう。

 雪が積もっていてわからなかったのだが、雪纏茸せってんたけは崖っぷちギリギリに生えていたのだ。


「うわああああああッ!!!!」


 反射的に雪を掴んだが、それが意味を成すはずもない。

 俺の身体はあっという間に宙に放り出されて、崩れた雪と共に崖下へと落下していった。


「……ッ、痛った……」


 さすがに死を覚悟したのだが、どうやら雪がクッションになってくれたようだ。俺はなんとか生き延びたらしい。

 見上げてみると、想像以上に高い場所から落下したことがわかる。真っ白な雪の中に小さな黒い塊が見えて、それがヨルなのだと理解するまでに時間がかかった。

 幸いというべきなのか、ヨルは落下を免れたようだ。けれど、あんな場所にいては凍えてしまう。自力では下りてくることもできないだろう。

 すぐに迎えに行かなければと思ったのだが、立ち上がりかけた俺は痛みに崩れ落ちる。どうやら、足首を盛大に捻ってしまったようだ。


「ヤバ……どうしよう」


 この程度の怪我で済んだことは、不幸中の幸いといえるのかもしれない。落下の仕方が悪ければ、いくら雪の上とはいえ首や背中を骨折していた可能性だってあるのだ。

 腕輪があれば怪我など関係ないのだが、今の俺は転移することもできない。そもそも、ヨルを残したまま転移するわけにもいかないだろうが。

 町まで歩けば良いのかもしれないが、この足ではどれほど時間がかかるだろうか? 町に辿り着けたとしても、それまでヨルがあの場所で耐えられるとも思えない。


 そうかといって、ここは雪山だ。こんな場所に長時間いれば、凍死する可能性だってあるだろう。

 魔獣のいる山に、人間はやってこない。転移は一日一往復までだ、コシュカとグレイが戻ってくる可能性もない。絶望的だった。


(ヨル、ごめんな……お前だけでもどうにか、町に辿り着いてくれたらいいんだけど)


 どうにか移動してみようと試みはしたのだが、動くほどに痛みは増すばかりだ。時間が経つにつれて、寒さで手足が思うように動かなくなってきているのがわかる。

 見上げてみても、もう黒い塊を見つけることはできない。ヨルはどこかに行ったのだろうか?

 少しでも可能性があるのなら、這いずってでも町を目指した方が良いかもしれない。


 そんなことを考えながら身を縮こまらせていると、どこからか足音のような何かが聞こえてくる。人間かと思ったが、近づくにつれてそれは人の足音ではないとわかった。

 やってきたのは、狼猫ウルフキャットの群れだったのだ。


「お前たち……ごめんな、もう何も持ってないんだ。できれば、俺のことは食べないでほしいんだけど」


 座り込んだまま動こうとしない俺を不審に思ったのか、狼猫ウルフキャットたちはますます近づいてくる。持ち込んだ食糧は無いが、狼猫ウルフキャットは人間も食べたりするのだろうか?


(生きたまま食べられるのは、さすがに嫌だなあ)


 などと考えていた俺だが、狼猫ウルフキャットたちは驚きの行動に出た。

 それぞれが俺のことを取り囲むように、密着して座り込んできたのだ。まるで、俺を温めようとしているかのように。


「ニャウ、ガウ」


 不思議な鳴き声の狼猫ウルフキャットは、濡れた鼻先を俺の鼻にくっつけてきた。これは、猫からの信頼の証ともいえる行動だ。


「ハハ、ありがとな」


 狼猫ウルフキャットに囲まれた俺は、天然の毛布を得たような状態だ。背や頭を撫でてみても、彼らは逃げようとはしなかった。

 そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。しばらくして聞こえてきたのは、今度こそ間違いなく人間の声だった。

 いくら狼猫ウルフキャットがいるとはいえ、一晩このままでは凍死するかもしれないと思っていた俺だった。けれど、ビスターを始めとする住人たちが、救助に来てくれたのだ。

 人間たちがやってくると、狼猫ウルフキャットたちは一斉に距離を取る。それでも、威嚇をすることもなければ、その場を去ろうともしていなかった。


 住人たちに支えられて町に運んでもらった俺は、着替えを借りて暖炉の前で冷え切った身体を暖めながら話を聞く。あの山に住人は近寄らないはずが、救助が来たのは偶然ではなかった。

 ビスターは、狼猫ウルフキャットが町にやってきたのだと言った。

 始めはまた町を荒らしに来たのかと警戒したのだが、やってきたのは、たった一匹の狼猫ウルフキャットだったという。

 普段は群れで行動しているというのに、住人はなぜ一匹だけなのか疑問を感じたようだ。

 そして、その狼猫ウルフキャットが住人を呼んでいるように見えたのだという。


「アンタが来て以来、町での被害も無くなっていた。そんな中であの魔獣が、たった一匹で俺の顔を見て鳴くんだよ。そんで、背中にはアンタの黒い魔獣も乗ってた。何かあったんだと思ったら案の定だったさ」


 俺が崖から落ちたことを、狼猫ウルフキャットたちは気がついていた。そして、崖の上にいたヨルを拾って、町に人を呼びに行ってくれたのだ。

 今でも信じられない様子のビスターだったが、それは俺も同じだった。


「アイツの脚は、俺が撃っちまったんだよ。威嚇が目的で、当てるつもりじゃなかったんだ……アイツは許してくれるかね」


「……きっと、大丈夫ですよ。人間は怖い生き物じゃないって、ちゃんと伝わります」


 家の外では、狼猫ウルフキャットたちが大人しく座って待っている。恐れられていた狼猫ウルフキャットだが、その姿は何とも可愛らしい。

 それを窓越しに見たビスターは、申し訳なさそうな顔をしていた。

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