20:ウルフキャット-前編-
これまでの人生において、銃口を向けられた経験など生まれて初めてだ。
明確な敵意を剥き出しにする住人に驚くが、彼らは俺を殺したいわけではない。ただ、魔獣という存在に怯えているだけなのだということはわかる。
「とにかく、落ち着いてください……! 俺たちは、あなた方に危害を加える目的で、ここに来たわけではありません」
「国王陛下からの通達は、この町にも届いているはずです。黒い魔獣を従えた勇者のこと、聞いたことはないですか?」
「黒い……魔獣……」
しばしの睨み合いが続く。けれど、通達の内容についてを思い出したのか、男性はやがてゆっくりと銃口を下ろしてくれた。
「俺たちは、この町が魔獣から被害を受けているという噂を聞いて来ました。知っていることを教えてもらえませんか?」
「…………入りなさい」
俺の言葉を信じるか否か、悩んでいたのかもしれない。男性はヨルを見て思案したあと、俺たちを家の中へと招き入れてくれた。
一家を怯えさせないように、ヨルは懐から出さずに入り口の傍に立つ。
「いきなり銃を向けてすまない。だがわかってほしい。魔獣のことで、もうずっとピリピリしていてね」
まだ警戒心は解けきっていないのだろう、男性は手元に銃を置いたまま謝罪を口にする。
男性はこの家の主人で、ビスターと名乗った。女性は彼の妻で、ライナという。息子夫婦と孫たちと共に、この家で暮らしているそうだ。
「ここ最近のことだよ、山に棲みつく魔獣が定期的に町を襲いに来るんだ。徒党を組んだその姿は恐ろしく、一斉に襲い掛かってくる。撃退しようと試みたこともあったんだが……動きがかなり素早くてな」
「家の中に避難するので精一杯なもんだから、今じゃ町の人間はほとんど出歩かなくなっちまったんだよ」
猫がそんな風に人を襲うなんて、信じ難い話だと思った。けれど、別の町でも食糧を求めた猫たちが、町を荒らすことは多々あったのだ。
現にそれこそが、猫に対するイメージを悪くする要因のひとつとなっていたのだから。
「魔獣の特徴は、どんな感じだったか覚えてますか? たとえば、身体の大きさとか」
「特徴ねえ……少なくとも、ソイツよりずっと大きいヤツだったよ」
そういってビスターが指差したのは、俺の胸元にいるヨルだ。町に刻まれていた爪痕の通り、やはり体格は普通の猫よりも大きいことは間違いなさそうだった。
「徒党を組んでるって言ってましたけど、町を歩いていて襲われたんですか?」
「いや、最初に襲われたのは山ン中だったな。山菜採りに行ってる途中で、奴らに遭遇して」
「山菜? あんなに雪が積もってる山で……?」
「雪の降る土地にしか生えない野草や山菜もあるんですよ。その分野に関しては、グレイさんの方が詳しいのではないかと思いますが」
浮かんだ俺の疑問は、コシュカがすぐに解消してくれた。
ビスターから話を聞く限りでは、初めて襲われたのは山の中だったようだ。それが次第にふもとへと移動してきて、町の中までもが荒らされるようになっていったらしい。
食糧不足もあるのだろうが、俺には他にも何か原因があるような気がしていた。
「山に入るのなら気を付けなさい。魔獣だけじゃない、足場が悪くなっている所もあるからな」
「わかりました、ありがとうございます」
話を聞き終える頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
俺とコシュカは一旦引き上げることにして、翌日にまた出直すことにする。雪山に入るというのなら、装備を整えなければならない。
その考えは正解だったようで、完全に防寒をして足を踏み入れた山の中は、想像以上に厳しい寒さだった。猫用の防寒具は無かったので、昨日と同じくヨルは俺の懐の中だ。
「店長、さすがに寒すぎなんスけど……!」
「だから出る時に言っただろ、しっかり着込んでくるようにって」
「グレイさんのような人は風邪をひかないというので、大丈夫だと思います」
「何だそれ? どういう意味だオイ?」
そして、今日は一段と賑やかなのは、グレイも同行しているからだった。
始めはコシュカと二人で来るつもりだったのだが、雪山にしかない珍しい食材があるかもしれないということで、グレイも来たがったのだ。
とはいえ、相手によっては危険が伴うかもしれない。万が一に備えて、男手が欲しかったというのも本音だった。
店の方は、猫と人間用それぞれの食事を作り置きしてもらい、あとはメイドたちに任せてある。
何やら言い合い──といっても、主にグレイが一方的に吠えているだけなのだが──をしている二人に気付かないふりをして、俺は慣れない山道をひたすらに進んでいく。
この山にいるという魔獣の棲みかはわからなかったが、少なくとも積もる雪の上にそれらしき足跡は無い。
「あ、コレってもしかして
「食べられるの?」
「スライスして酢漬けにするとめちゃくちゃ美味いっス。採ってっていいかな」
住人にも確認を取っているので、山に生えている山菜などは持ち帰ってもいいらしい。グレイは早速その場にしゃがみ込むと、収穫したキノコをいそいそと袋に詰めている。
「よし、今日の晩飯のおかずゲット! 店長、今日は……」
「シャーッ!!」
そんなグレイの様子を眺めていたのだが、彼が立ち上がった時、突然ヨルが威嚇する声を上げた。普段は大人しいヨルが、真っ黒な毛を逆立てて、俺の防寒具に爪を食い込ませている。
その姿を見て、近くに他の生き物がいるのだと悟った俺は身構えた。
背後から襲われては敵わないと、三人で自然と身を寄せ合い、周囲の変化に気を配る。
ほどなくして、俺の前方に一匹の動物が姿を現した。
「……!?」
そこにいた獣は、俺の想像とは違った姿をしていた。
現れたのは、まるで狼のような姿をした大型の生き物だったのだ。狼といえばイヌ科の生き物であるはずだが、遠目に見てもその顔はネコ科のそれに近い。
(猫……なのか……?)
一匹だと思われたその狼のような猫の後ろから、同じ姿をした猫たちが続々と現れる。
ビスターの話では徒党を組んでいると言っていたが、どうやら群れて行動しているらしい。その数は、少なくとも五匹以上はいるように見える。
「シャーッ!!」
ヨルと同じように、その猫たちも威嚇の声を上げる。間違いない、あれは狼に似た見た目を持つ猫なのだ。
「……
見た目そのままに名付けてみるが、今は名前どころではない。
相手の動きを警戒する必要があると思ったが、俺はふとあることを思い出す。
「二人とも、アイツらから目を逸らすんだ」
「え、店長なに言ってんスか……!?」
「いいから」
グレイは動揺している様子だったが、コシュカは意図を察したのか、すぐに俺の指示に従って
慣れた飼い猫ならば、状況に応じて視線を合わせることもある。しかし、それが野良猫相手となれば話は別だ。
猫の世界において、目を合わせるということは、喧嘩を売っているのと同義だったりする。だからこそ、敵意はないことを示すために、目を逸らす必要があると判断したのだ。
構わず飛び掛かられる危険性もあるかと思ったが、
しばらくして、こっそりと
それと同時に、群れの中にいる一匹が、前足を引きずるように歩いているのが見えた。
(あれは……もしかして、怪我をしてるのか?)
魔獣についての話を聞かせてくれたビスターは、撃退を試みたこともあると話していた。魔獣を恐れる人間が、素手で立ち向かっていくとは思えない。
その方法は、猟銃を使ったものだったのではないだろうか?
元々この山は、
食糧不足となった
(だから人間を敵だと思って、攻撃的になってるのか……?)
すべて俺の憶測にしか過ぎないのだが、可能性は低くはないのではないか。
現に、こちらが敵意を向けていない今、
「……グレイ、マタタビ饅頭持ってきてたよな?」
「え、ハイ。一応、猫用の固形食もありますけど」
「よし。それ、渡してくれるか? ゆっくりな」
疑問符を浮かべながらも、グレイは素直に鞄の中からそれらを取り出す。
俺は
先頭にいた
その動きを確認してから、他の
始めはこちらの動きを警戒していたようだが、やはり
できれば怪我の手当てもしてやりたいと思ったのだが、一歩近づこうとすると、
効果があるとはいえ、他の猫たちよりもマタタビ草に耐性があるのかもしれない。
俺は、すぐに傍に寄ることはできないと判断して、今日はこのまま引き上げることを決めた。
グレイが持ってきてくれていた固形食をその場に置くと、
「あの猫たちは、他の猫に比べて少し……攻撃性が強いのかもしれませんね」
「ああ、そうかもしれない。だけど、あの猫たちもきっと、怖がってるだけなんだ」
これまでは、マタタビ饅頭さえあれば、比較的保護しやすい猫が多かった。それもあってか、コシュカの目には違いが強く映ったようだ。
「まさに飢えた獣、って感じでしたね。……保護できりゃ、美味いメシたらふく作ってやれんのに」
グレイの作る食事は、猫たちにも好評だ。置いてきた固形食を口にしてくれていたら、その美味しさも
ヨルも始めこそ威嚇していたが、無差別な敵意ではないと感じたのだろう。
「長期戦でも構わないよ。あの猫たちも、保護対象であることに変わりはない」
一筋縄ではいかないだろうが、このまま引き下がるつもりはない。
そんな俺の覚悟をよく知る二人と一匹と共に、俺はカフェへと転移をした。
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