14:うちのヨル知りませんか?


 一難去ってまた一難。

 ……とまではいかないかもしれないが、今日こそはいつも通りの平和な一日だと思っていた。


 朝起きると、真っ先に目に入るはずのヨルの姿が見当たらない。

 いつもなら朝食をねだるヨルが、眠っている俺の頬を冷たい肉球で叩いて起こしに来るのだが。目を覚ましても、見慣れた黒猫は部屋の中にいないようだ。

 猫たちの様子を確認がてら、カフェの中を探してもその姿はない。珍しいことではあるのだが、カフェでは猫たちを自由に生活させるスタイルを基本としている。

 それはヨルも例外ではなく、朝の散歩にでも出かけたのかもしれない。

 腹が空けば帰ってくることだろうと思い、俺は自分の朝食を済ませてから仕事を開始した。


 猫カフェSmile Catには、今日も開店から多くの客が足を運んでくれる。

 すっかり馴染みとなった客も多ければ、口コミを聞いて新たにやってきてくれた客もいた。店では数日前から新たに、スタンプカードを取り入れることにしたのだ。

 スタンプは来店ごとに一つ。枠がすべて埋まると、来店一回分の料金が無料になって、ドリンクもついてくるという特典がある。

 元の世界ではリピーターを獲得するためによく見るものだったが、この世界ではそれが珍しく映ったらしい。特典目当てというよりも、スタンプを目的として来店してくれる客も増えるようになっていた。


「フレアは花を食べるから、お母さんが庭でガーデニングを始めたんだ。今じゃ僕より積極的にフレアの世話をしてるくらいだよ」


「仲良くできてるみたいで良かった。新しい首輪の種類が増えたんだけど、持って帰る?」


「いいの!? じゃあ帰る時に選んでく!」


 花猫フラワーキャットの飼い主となった少年・クルールだが、未だに店にもよく遊びに来てくれる。飼い猫には「フレア」という名前を付けたらしい。

 店の猫と遊びがてら、フレアとの生活についても報告してくれている。両親も揃って猫を可愛がっているらしく、すっかり家族の一員として馴染んでいるようだった。

 以前はオドオドとした態度の少年だったが、猫を飼い始めてから明るくなったのだと、来店した両親が話してくれたのは最近のことだ。


「クルールはいいなあ、あたしも早く猫が飼えるようになりたい」


「俺も。けどホロンの家は、じいちゃん説得できればすぐだろ」


「うちのおじいちゃんが頑固なの、アルマも知ってるでしょ! 一緒にここに来てくれたら、猫が可愛いって絶対わかるのに」


 クルールの友人たちは、仲間内で唯一猫を飼うことができた彼を羨んでいる。

 それでも妬むようなこともなく、自分たちも早く猫を飼える日を心待ちにしているのだ。心根が素直な子供たちであり、仲が良い証拠なのだろう。

 アルマの家は狭いので、猫を飼うだけのスペース確保に苦慮しているらしい。一方、ホロンの家は準備は整っているのだが、祖父の魔獣に対する偏見が障害になっている。

 この町の住人の多くは猫を受け入れてくれているが、全員とはいかない。未だに、魔獣は恐れるべき生き物だという考えを変えられずにいる人もいるのだ。


「そういえば、ヨルは今日いねえの?」


 アルマが、今日は何も乗せていない俺の肩を見て不思議そうに首を傾げる。

 その言葉に他の二人も俺の肩へと目を向けるのだが、子供たちの目から見ても、俺とヨルが一緒にいないことが不自然に映ったのだろう。そのくらい、ヨルとは一緒に行動している自覚がある。


「ああ、今日は散歩に出てるみたいなんだ。天気もいいからかな」


「そうなんだ、ヨルちゃんにも会いたかったね」


「ごめんね。みんなが会いたがってたって、ヨルにも伝えておくよ」


 そう言ったはいいのだが、店が閉店する頃になっても、ヨルが帰ってくる気配はなかった。

 皿に盛りつけておいたヨル用の食事は減っている。しかし、猫の出入りは自由にしているので、ヨルが食べたとは限らない。


「ヨルさんですか? そういえば、今日はお見掛けしていないですね。てっきり、ヨウさんが居場所を知っているものだとばかり思っていました」


 コシュカにも訪ねてみたのだが、どうやらヨルの姿を見た記憶はないようだ。

 掃除をしつつヨルがいそうな場所を探してもみたのだが、結局日が沈んでからもヨルの姿を見つけることはできなかった。


 黒猫のヨルは、暗くなると一気にその姿を見つけることが困難になる。

 そうなって初めて、俺はもっと明るいうちにヨルを探すべきだったかもしれないと後悔した。

 もしかしたら、誰かに攫われてしまった可能性もあるのだろうか? この町にそんなことをする人間はいないはずだが、最近はカフェの噂を聞きつけて、いろんな町から人がやってきている。

 その中には悪いことを考えたり、譲渡会で手に入らなかったからと、猫をこっそり盗もうとする輩がいないとも限らないだろう。

 姿形が同じ種類の猫はいるが、ヨルと同じ種類の猫はこの世界では見ていない。

 ましてや町の住人やカフェの常連ならば、ヨルが俺の相棒であることは周知の事実だ。


 森の中を探してもそれらしき姿は見つからなかったので、俺は町の方まで足を伸ばしてみることにする。

 通りすがる住人は大抵、俺のことを知っている。ヨルについてを聞いて回ってみたのだが、黒い猫を見かけたという情報を得ることはできなかった。

 途中まではコシュカも一緒に探してくれていたのだが、時間も遅くなってきたので帰ってもらうことにする。

 町での目撃情報が無いのであれば、やはりヨルは町の方へは来ていないのだろう。


(ヨル……どこに行っちゃったんだよ……)


 カフェには多くの猫がいるし、どの猫も自分の本当の家族のように可愛がっている。猫は皆平等に可愛いものだし、優劣をつけるつもりなどない。

 それでも、やはり俺にとってヨルは特別な存在だった。

 猫は気紛れな生き物なので、いつ自分のもとを去ったとしてもおかしくはない。ヨルが自分の意思で俺の傍を離れたというのなら、それは仕方がないことだった。


 死期を悟った猫は姿を隠すというが、ヨルはまだ子猫だ。少なくともそれはないだろう。

 ならば、怪我をしてどこかで動けなくなっている可能性もあるかもしれない。現状では、それがもっとも最悪のパターンだ。

 マイナスな可能性ばかりが脳内を巡るが、結局ヨルを見つけることはできないまま、カフェに戻ることとなった。


「……バン、お前もヨルを見てないよな?」


「ブミャア」


 今日は一日店の横で日向ぼっこをしていたバンにも、念のために確認をしてみる。

 俺の問いかけを理解しているのか否か。返事をしてくれたバンだが、恐らくヨルを見かけてはいないのだろう。

 もう一度だけ周囲をぐるりと確認してから、俺は店の中へと戻っていった。


 今日は本当に天気の良い日だった。だから、少し遠出をしているだけかもしれない。

 明日になったら、何でもなかった顔をして眠る俺を起こしに来るのではないか。

 そんな風に前向きに考えようとしたが、シャワーを浴びた後も、食事が喉を通らずに重い足を引きずって寝室へと入った。


「…………え」


 このまま眠れる気もしなかったが、眠らなければ明日の仕事に支障が出てしまう。無闇に捜索を続けても、体力を消耗するだけなのはわかっているのだ。

 必要なら、早起きをしてまたヨルを探したらいい。まずは横になろうと、ベッドを見た俺は我が目を疑った。

 真っ白なシーツの真ん中に、黒い塊が埋もれているのが見える。

 まさかと思ってそっと近づいてみると、そこには大の字になって気持ち良さそうに眠るヨルの姿があったのだ。


「ヨル……何で……?」


 ヨルにそっくりの別猫かとも疑ったが、真っ黒な毛並みに見慣れた鍵尻尾は、確かにヨルだった。

 そこで俺は、寝室のクローゼットが少しだけ開いていることに気がつく。

 覗いてみると、そこに畳んで置かれていた衣服が黒い毛だらけになっていたのだ。


「お前……まさかずっとここで寝てたのか?」


 灯台下暗しとは、まさにこのことだろう。

 猫は狭い場所や、隙間が大好きな生き物だ。これまではクローゼットに入り込むようなことがなかったので、無意識に捜索の選択肢から外してしまっていた。

 というのも、自力でクローゼットの扉を開けるようなことがなかったからなのだが。


(自分で開けられるようになるくらい、ヨルも成長したってことか)


 小さな子猫だと思っていたヨルだが、俺が思うよりも日々成長を遂げているのだろう。

 毎日のことなのであまり気にかけていなかったが、肩の上を占領する重量も、この世界に来た頃よりも増している気がする。


 とにかく、ヨルが俺のもとから去っていったわけではないことに、心底安堵した。

 猫には自由な暮らしをしてほしいと思っている。それは本心なのだが、ヨルとはできる限り長く一緒に暮らしていけたらと願ってしまうのは、俺の我儘なのだろうか?


「……お前も、そう思ってくれてたらいいんだけどな」


 そんな俺の呟きなど知るはずもないヨルは、何の夢を見ているのか、時折前足を動かしている。何かの獲物を追いかけているのかもしれない。

 指先で小さな肉球に触れてみると、そのまま二本の前足で指を捕らえられる。

 夢の中でも獲物を捕まえることができたのか、満足したらしいヨルはスピスピと鼻を鳴らしながら眠り続けていた。


 その晩俺は、ヨルの健やかな寝顔を眺めながら、ヨルの邪魔にならないようベッドの隅っこで縮こまって眠ることになったのだった。

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