13:国王と王妃、やってくる


 猫カフェSmile Catにようやく日常が戻ってきてから、半月ほどが経った頃だった。

 今日は定休日なので、客を迎える予定はなかったのだが、昼近くになってバンのブラッシングに勤しんでいた俺は驚愕する。

 馬の足音がすると思っていると、なんとまたしても王妃がやってきたのだ。

 さらに驚いたのは、同じ馬車の中からバダード国王も姿を現したことだった。

 国王と王妃が揃ってカフェに現れるなど想像もしていなかったので、何事かと挙動不審になってしまう。


 どうやらお忍びでやってきたようで、従者はルジェとシェーラの姿がある。あとは馬車を引く馬に乗った兵士くらいだ。少数精鋭ということなのだろう。

 客もいないので、ひとまずVIPルームに二人を案内することにする。

 店内の掃除をしていたコシュカも驚いていたが、俺は彼女も呼んで話を聞いてみることにした。


「……というわけで、バダードは魔獣を目当てに通い詰めていたのですね」


 聞けば、城に帰還した王妃にあれから粛々と尋問を受け続けた国王は、とうとうお忍び先の目的が猫であることを白状したようだった。

 密かに作らせていた部屋についても、やはり猫を迎え入れるために準備していたものだったという。

 王妃が話をする間も、国王はその威厳をどこへやったのやら、大きな身を縮こまらせてじっと座っていた。

 二人のやり取りからも、どうやら国王は、普段は王妃の尻に敷かれているらしいことが見て取れる。

 すべての隠し事を曝け出すこととなった国王だが、当の王妃に怒りの様子は見られない。

 それは、国王が猫を飼いたい理由に起因しているようだった。


「私は、猫という生き物に心底惚れ込んだ。だからこそ飼いたいと思ったのだ」


「はい、それはよく存じております」


 譲渡会では念願叶わなかったものの、あれからも変わらず通い詰める国王からは、猫愛が溢れ出ていた。──その愛情が空回ってはいるのだが。

 できれば叶えてあげたいとも思ったのだが、猫が国王を選ばないのだから仕方がない。


「それとな、ディアナにもサプライズができればいいと考えていたんだ。こんなに愛らしい生き物なのだ、彼女もきっと気に入ってくれるだろうと」


 国王がこれまで、部屋の用途についてを頑なに話そうとしなかったのには、そんな理由があったのだ。

 猫のことばかりを考えているのだと思っていたが、王妃の喜ぶ顔も見たかったのだろう。

 けれど、俺やコシュカも知る通り、王妃にとって猫は寵愛の対象にはならなかった。サプライズで喜ばせたいという国王の思惑は、見事に外れてしまったのだ。


「誤解が生じてのこととはいえ、お前たちには迷惑をかけたわ。話し合うということの重要性を思い出させてくれたお陰で、不要な亀裂を生まずに済みました」


「黒き魔獣を従えた勇者が世界を救う。やはり言い伝えは本当だったのだ」


「そんな……俺はただ思ったことを言っただけで、話し合うことができたのはお二人の力ですよ」


 肩の上に乗るヨルを見る二人の視線に耐え切れずに、俺は慌てて首を横に振る。

 勇者と呼ばれるのには未だに慣れないし、そもそも俺自身が勇者だなんて今でも思っていない。

 ただ、猫をきっかけに二人が仲違いするようなことにならなくて、本当に良かったと思うばかりだ。


(とはいえ、これで国王陛下の猫を飼うって夢は潰えるのかな)


 猫を飼いたいと思っている人間が、そうできないのは俺としても残念だ。

 けれど、猫に対して好意的ではない王妃がいる以上、国王も無理を通すわけにはいかないだろう。

 そんなことを考えていると、どこからやってきたのか、一匹の猫が二人の足元に近づいていくのが見える。始めに王妃の怒りを買った、あの悪戯猫パンプキンキャットだった。

 今日も王妃はタイトな服装をしているので、猫がじゃれつくような装飾はない。

 けれど、あの猫の性格上、何か悪戯を考えているであろうことは明白だ。


「あ、すみません。すぐに別室に……!」


 何かをしでかす前にと、俺は悪戯猫パンプキンキャットを抱き上げて引き離そうとする。

 しかし、驚くことに王妃が自らの片手を悪戯猫パンプキンキャットに向けて差し出したのだ。

 悪戯猫パンプキンキャットは王妃の指先の匂いを嗅ぐと、そのまま彼女の掌に頬を擦りつけて、甘えるような仕草を見せる。

 猫から自発的にそのような態度を受けたことがなかった国王は、隣でショックを受けている様子だった。


「お、お前……! なんと羨ましい……!」


 思わず本音が漏れ出している国王に構わず、王妃は猫を見下ろしている。かと思えば、服に毛がつくのにも構わず、悪戯猫パンプキンキャットを抱き上げたのだ。

 これには俺もコシュカも、従者二人も驚きを隠せない。


「……飼育環境と知識、それから猫に選ばれることが必要なんだったわね」


「え……ハイ、確かにその通りですけど……」


 一瞬、彼女が何のことを言っているのかわからなかった。

しかし、王妃が挙げたのは彼女が知らないはずの、猫を譲渡するための条件だ。


「これなら、条件は揃っていることになるのかしら?」


 その言葉に、目玉が飛び出るのではないかというほど驚いたのは、バダード国王だった。

 大きく開いた口が塞がらないまま、ディアナ王妃の横顔を見つめている。


 王妃の言う通り、譲渡の条件は完璧に揃っている。抱えられた悪戯猫パンプキンキャットは、王妃の腕の中ですっかり寛いでいた。

 まるでそこが、始めから自分の居場所だったとでも言うかのように。


「た、確かに……条件は揃っています。だけど、王妃様にとってその子は、寵愛の対象ではないんですよね?」


 余計なことを言うなとばかりに国王の視線を感じたが、それは無視することにする。

 条件だけなら揃っている。しかし、猫を大切にする気持ちの無い人間に、猫を譲り渡すわけにはいかない。そこだけは、何があっても揺らいではいけないポイントだ。


「お前の言う通り、わたくしは今でもこの子を寵愛する気持ちが理解できないわ」


 王妃は、本心を隠そうともせずにそう口にする。


「……バダードは、これまで国のことにばかり気を向けて、夫婦としての生活を省みることなどなかった。わたくしも一国の王妃です。それでも良いと思って、心を押し殺してきました」


「ディアナ……」


「それが、ある時期を境に彼の雰囲気が丸く、柔らかくなったことに気がついたの。それを愛人の影響なのだと嫉妬したのだけれど、魔獣の……猫の仕業だと知ったのよ」


 寵愛の対象ではないという王妃の手は、優しく悪戯猫パンプキンキャットの背を撫でている。

 バダード国王に良い変化をもたらしたことで、嫉妬に狂っていたディアナ王妃の心境にも変化が生じたのだろう。

 だからこそ、二度目にこの店を訪れた時には、あれほど穏やかな態度を見せていたのだ。


「寵愛の対象ではないけれど、今は猫という生き物に感謝をしているわ。家族として、愛していく努力をしていけたらと思っているの。……それではダメかしら?」


「ダメじゃないです。それにその子はもう、王妃様からの愛情を感じているように見えます」


 王妃自身には自覚がないのかもしれないが、腕の中の悪戯猫パンプキンキャットを見下ろす瞳は、ひどく優しい。

 初めて王妃がこの店を訪れた時から、悪戯猫パンプキンキャットは彼女の本質を見抜いていたのかもしれない。王妃が家族として、自分を迎え入れてくれる人物なのだと。


 こんな展開になるとは予想していなかったが、誓約書にサインを貰い、国王と王妃に悪戯猫パンプキンキャットを譲渡することが決まった。

 掌猫カップキャットにご執心だったバダード国王は、最後までもう一匹譲渡してくれないかと粘っていた。

 けれど、小さな猫にあの部屋は広すぎると、王妃に一蹴されたのだ。

 とはいえ、念願の猫を迎えられるということで、首輪をプレゼントする頃には国王はキャリーバッグの中の悪戯猫パンプキンキャットにメロメロになっていた。


 馬車に乗り込む二人の背中は、どう見ても円満夫婦そのものだ。

 新たな家族が加わったことで、より良好な関係を築けるようになってくれれば良いのだが。


「まさか、王妃様が猫を引き取る提案をなさるとは思いませんでしたね」


「うん。国王様も驚いてたし、ひょっとして王妃様からのサプライズだったのかな」


 バダード国王は、ディアナ王妃を喜ばせようとサプライズを画策していた。結果としてそれは失敗に終わったのだが。

 一方のディアナ王妃は、バダード国王に愛人がいるという思い込みからの嫉妬心で、暴走してしまっていた。それはつまり、国王を愛しているからこその行動だろう。

 そんな王妃がお返しとして、バダード国王を喜ばせるサプライズを計画していたとしても不思議ではない。


(振り回されはしたけど、仲のいい夫婦なんだろうな)


 自分の城で猫を飼い始めるのだから、国王がお忍びでカフェにやってくる頻度は減ることだろう。

 少しだけ寂しいような気もしたが、円満に解決できたのだから喜ばしいことだ。

 むしろ、飼い猫を放置してカフェにばかり遊びに来るようでは、いくら国王といえども見過ごすわけにはいかない。

 その時は、ルジェ伝いに王妃に伝言を頼んで、叱りつけて貰う必要があるかもしれない。


「そろそろ、次の譲渡会を企画してもいいかもしれないな」


「そうですね、猫たちもまた増えてきましたし。希望してくれるお客さんも、まだまだ多いみたいですよ」


「……と、その前にバンのブラッシングが途中だった!」


 世話の途中だったことを思い出した俺は、バンの抜け毛が絡まったブラシを手に店の外へと駆けだした。

 外では、待ちわびていたとばかりにバンが無防備に寝そべっている。

 両腕に抱えられるほどの毛玉の山を作りながら、俺は今日も丁寧にバンの全身をブラッシングしていくのだった。



 後に知ったことだが、城へと貰われていった悪戯猫パンプキンキャットは、「スアロ」と命名されたらしい。

 そして、その名前は王妃が名付けたのだとか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る