11:王妃、やってくる


 今日も今日とて、カフェは繁盛している。

 特にこれといったサービスはできないのだが、猫を眺めたり触れ合いを目的としている客にとって、さしたる問題ではないようだ。

 それもそうだろう。人間から受けるサービスを目的としているのであれば、相応の店に足を運ぶはずだ。この店の主役はあくまで客ではなく、猫たちなのだから。

 幸いにも、マナーの悪い客がやってきたことはない。初めての来店で、うっかりマナー違反をしてしまう人はいた。それでも、注意をした上で猫への正しい接し方をレクチャーすれば、すぐに理解してくれる。


 そんな平穏が破られたのは、突然のことだった。

 夕方近くなって客足が落ち着いた頃、新規の来客があった。女性の二人連れだったのだが、一人は明らかに平民には見えない。

 上等なドレスに煌びやかな宝石は、明らかに猫カフェに訪れる人間の装いではないだろう。


(何か……既視感……?)


 以前にも似たようなことがあった覚えがあるのだが、それを思い出す前に女性は声を上げる。その先には、接客を終えて店の裏に戻ろうとするコシュカの姿があった。


わたくしの夫を誑かしたのはお前ね? 上手く取り入ったつもりだろうけれど、平民ごときが愛人になろうなど身の程知らずも甚だしい……!」


「あの、おっしゃることがわかりかねるのですが……貴女のようなお方がなぜ」


「黙りなさい! お前のような者がわたくしに意見するなど汚らわしい」


 困惑するコシュカの言葉を、女性は遮るように怒りを露にする。

 長い金色の髪を後頭部で纏め上げ、言動と同じく気が強そうに見えるその顔立ちは、横顔だけでもかなりの美人であることが窺える。

 とはいえ、そんな容姿に見とれている場合ではない。


「すみません、何かの誤解ではないかと思うんですが。彼女はうちの従業員で、そんなことをする子ではありません」


 間に入ろうとした俺のことを、女性は恐ろしいほどの形相で睨みつけてくる。

 その後ろで押し黙っている女性も同様だが、そちらからは殺気すら感じられるような気がした。こちらの女性は、菫色のショートヘアーに左サイドの長い髪を編み込んでいる。

 金髪の女性は高貴な人物なのだろう。ならばパンツスタイルのこちらの女性は、さしづめ金髪女性の従者か何かなのだろうか?


「貴様はディアナ様のおっしゃることが誤りだと言うつもりか? 無礼者が、この場で処刑されても文句は言えんぞ」


「そう言われても……ご主人がどなたか知りませんが、ここには猫を目当てにいらっしゃるお客様しかいませんよ」


 確かにコシュカは可愛いので、彼女を目当てに来店する客がいても不思議ではない。けれど、始めはそうだったとしても、猫を口実に通い続けているかどうかくらいは見分けられる自信がある。

 ここはいかがわしい店ではないのだ。誤解が生じているとしか思えない。


わたくしの夫を知らない……? まさか、この国にそのような者が暮らしているとは。ならばわたくしの顔も知らぬというつもりか」


 コシュカに敵意を向けていた女性は、俺の言葉を聞いて信じられないと言いたげな表情を浮かべる。彼女に感じた既視感、その正体は従者の言葉によって確信へと繋がった。


「このお方は、我がルカディエン王国の王妃、ディアナ・ルカディエン様であらせられる」


「王妃様……ってことは、バダード国王陛下の奥さん……!?」


 失礼な話ではあるが、あの国王にこんなに美人な妻がいるとは想像もしていなかった。

 つまり、コシュカはあのバダード国王の愛人だと思われているということだ。


「バダード様はお忍びで外出されることが増えたのだが、側近の兵士の一人に口を割らせたのだ。その行き先がこの店だった」


「た、確かに……国王陛下はこのカフェをご贔屓にしてくださっていますけど……」


 国王がお忍びでカフェに通い詰めていることは、間違いない事実だ。けれど、それがなぜコシュカとの不倫という話に繋がるのだろうか?


「陛下が通われていることを認めたな。よりにもよって、国王陛下に手を出すなどあるまじき行為だ! 魔獣を保護しろなどという通達も、そこの女に誑かされての行為だろう!」


「いや、だから違いますって……! ちょっと落ち着いてください」


 怒りと思い込みが先行してしまい、こちらの話を聞き入れてもらうことができない。

 他の客も王妃がいることに気がついて驚いているし、怯えて身を隠す猫もいる。

 とにかく彼女たちをどうにかしなければと思ったのだが、そんな王妃の足元に、一匹の猫が近づいていっているのを見つけてしまう。


(ッ……マズイ……!)


 そこにいたのは、悪戯好きの悪戯猫パンプキンキャットだ。頭にカボチャのような模様があるのが特徴的で、そう名付けた種類の猫である。

 警戒心などよりも好奇心の方が勝るようで、何かと悪戯して回る手のかかる猫だ。

 王妃に近づけてはいけないと思ったのだが、止めに入るよりも先に悪戯猫パンプキンキャットは彼女のひらひらとしたドレスの裾に爪をかけてしまう。

 嫌な音と共に、見るからに高級そうなドレスが破れたのがわかった。


「……! ディアナ様……!」


 従者の声で足元を見た王妃は、自身のドレスに傷をつけられたことに気がつく。

 驚いた表情がみるみるうちに怒りへと変化していくと、握られた拳が震えているのがわかる。


「魔獣め……! このようなものを保護などあり得ない、やはりお前たちは忌むべき生き物よ……!」


「ディアナ様、お下がりください。速やかに排除します」


 王妃と悪戯猫パンプキンキャットの間に割って入った従者は、その言葉と共に腰に携えていた短刀を素早く手に取る。

 その切っ先は、キョトンとした表情で二人を見上げる悪戯猫パンプキンキャットへと向けられた。


「ッ……!」


 俺は咄嗟に、悪戯猫パンプキンキャットの上へと覆い被さっていた。

 短刀は確かに振り下ろされたのだが、驚いた従者は寸でのところで的をずらしたらしい。刃が背中に突き立てられることはなく、僅かに頬を掠める程度で済んだ。


「ヨウさん……!」


「貴様……っ、魔獣を庇い立てするつもりか!?」


 興奮気味に怒りをぶつける従者を無視して、俺は怪我が無いことを確認すると悪戯猫パンプキンキャットを別の部屋へと逃がしてやる。


「……王妃様、今は確かにあの猫が無礼を働きました。代わりに俺が謝罪します」


「謝罪で済むものか! 王妃様のドレスを傷物にするなど、貴様ごときの言葉ひとつで許されるはずがないだろう!」


 頭を下げる俺にも怒りが治まらないようで、従者は今にも短刀を振り回さんばかりの剣幕だ。ドレスに傷をつけてしまったのはこちらなのだから、それは仕方がない。

 だが、それとこれとは話が別だ。


「ドレスについては謝罪します。ですが、たとえ貴女がどのような立場の方であったとしても、猫たちを傷つけることは許しません。お引き取り下さい」


 頭を上げた俺は、床に膝をついたまま二人を威圧するように睨みつける。

 コシュカについての誤解ならば話し合いができるかと思ったが、猫を傷つけようというのであれば黙ってはいられない。

 そんな俺の怒りを感じ取ったのか、ヨルや他の猫たちも毛並みを逆立てて、王妃たちを威嚇するように唸る。

 気がつけば、客たちも遠巻きにこちらを見守っていた。


「っ……これほど不愉快な思いをさせられたのは初めてだわ。魔獣も魔獣なら、それを飼い慣らそうなどという者たちも無礼極まりない。シェーラ、帰るわよ」


「ディアナ様……!」


「これ以上わたくしにこの者たちと同じ空気を吸わせないで頂戴」


 身の危険を感じたのか、場の空気に耐えられなくなったのか。あるいは両方か。

 店を出るという王妃の言葉に従うと、シェーラと呼ばれた従者は不服そうな顔をしながら扉を開ける。

 王妃はこちらを振り返ることすらせずに、外で待たせていた馬車に乗り込むと、あっという間にこの場を去っていった。


「……ハア。とりあえず、マジで斬られなくて良かった」


「店長さん、大丈夫かい? 王妃様に盾突こうなんて、勇者様ってのは怖いもの知らずなんだね」


「ハハ……お騒がせしてすみませんでした」


 一部始終を固唾を飲んで見守っていた客たちが、個室からゾロゾロとやってくる。こんな中で、猫の殺傷沙汰にならなかったのは不幸中の幸いかもしれない。


「笑いごとじゃないですよ。血が出ているので、裏で手当てしてきてください」


 コシュカの言葉に、思い出したように頬が痛むのを感じる。傷は浅いのだろうが、このまま店に出続けるわけにはいかないだろう。


「そうするよ。なんとなくまた来そうな感じだったし、不敬罪で投獄されたり……なんてことになったらどうしよう」


「洒落になっていないのでやめてください」


「洒落のつもりはないんだけど、そうなったら猫たちが困るからさ」


 店自体は最悪休業したって構わない。

 しかし、俺がいなくなってしまったら猫の世話をする者がいなくなってしまう。それは大問題だ。


「ヨウさんは、こんな時でも猫のことばかりなんですね」


 呆れたように言われて苦い笑みがこぼれるが、どうしても頭がそちらに回ってしまうのだからどうにもならない。

 まずは傷の手当をしようと、俺は店の奥に向かおうとする。


「さっき、庇ってくださってありがとうございました」


 背中に向けられた感謝の言葉に振り向くと、コシュカがどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「礼なんていいよ、あっちの誤解なのは明らかなんだし。必要なら、ルジェさんにも証言してもらえるんじゃないかな」


 信用を得られるかは別として、いつも従者として連れられているルジェは本当のことを知っている。

 真面目そうだし、嘘をつくような人物かどうかは王妃の方が俺よりも知っているのではないだろうか。


「コシュカは何も悪いことしてないんだから、また王妃様が来たって堂々としてればいいよ」


「はい……ありがとうございます」


 俺の言葉に、彼女も少しだけ安心したように見えた。

 とはいえ、次に対峙した時にはどのようにすれば理解してもらえるのだろうか?

 その日が訪れるまでの間に、対策を考えておく必要があると感じていた。

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