12:王妃、再びやってくる


 王妃がやってきた時のために、何らかの対策を考えておく必要があるとは思っていた。

 思ってはいたのだが、「その日」は思いのほか早く訪れることとなる。


 あの騒動から数日を置いて、王妃が再び姿を現したのだ。もちろん、シェーラという従者も同席している。

 俺は思わず身構えたのだが、先日とは打って変わって落ち着いた様子に見えるのは、気のせいだろうか? 少なくとも、開口一番に罵声を浴びせられるようなことはなかった。

 猫がまた無礼を働いてもいけないので、普段は幼児連れの客を通している部屋へと案内する。この部屋は猫が入れない代わりに、ガラス越しに別室の猫の様子を見ることができるのだ。

 今日は店の奥にいていいと話したのだが、コシュカも同席するといって聞かなかった。


「ええと、王妃様。改めまして、先日は店の猫がドレスに傷をつけてしまい、本当に申し訳ございませんでした」


 先手を打って、まずは謝罪をしておく。

 シェーラはそんな俺の様子を眼光鋭く見ているのだが、肝心の王妃の視線は俺には向けられていない。かといって、コシュカを見ているわけでもないようだ。

 頭を上げると、王妃はガラスの向こうで猫たちと戯れる、子供たちの様子を眺めているようだった。


「ディアナ様は寛大なお方だ。魔獣の行いについては、不問に付すとおっしゃった」


「あ、ありがとうございます」


 予想外の言葉に、俺は目を丸くした。だって数日前には、牢に放り込む準備でも進めるのではないかと思うほど、激昂して帰っていったのだ。

 けれど、そういえば今日の王妃は、先日のそれよりもタイトなデザインのスカートを穿いている。装飾品も控えめだ。

 まさか、猫カフェという場に合わせて、装いを変えてきたというのだろうか?


「……お前は、本当に国王の愛人ではないというの?」


 ようやく口を開いた王妃は、俺の隣に立つコシュカを見て、そんな問いを投げ掛ける。

 この間は弁明の余地すら与えてくれなかったというのに、どういう風の吹き回しなのだろう? どうやら今日の王妃は、話し合いに応じてくれるつもりのようだ。


「はい、もちろんです。国王陛下はこのカフェのお客様としてお迎えしておりますが、私個人との関わりは誓ってありません」


「コシュカとのことについては、ルジェさんも証明してくださるはずです」


「ルジェ……あの者も絡んでいるのか」


 予想していたことだが、やはり二人は国王の従者であるルジェのことも知っているようだ。忌々しそうに眉根を寄せたシェーラは、どこか殺気立っているようにも見える。

 一方の王妃は穏やかなままで、俺が出した紅茶に口をつけていた。何が入っているかわからないと拒絶されるかと思ったのだが、庶民の味は口に合うのだろうか?


「……夫、バダードは……ある時を境に、『何か』に執着を見せるようになったの。そして、自身の蓄えていた財を、その『何か』に注ぎ込むようになったわ。わたくしの目を盗んでは外出を繰り返して、どこかに通っていた」


「それが、このカフェだと突き止められたんですよね」


 頷く王妃は手にしていたカップを置いて、再びガラスの向こうの子供たちを見つめる。

 一般市民の使う安物のカップなのだが、それを扱う仕草はとても美しい。


「国ではなくバダードの私財だから、始めはわたくしも気にしないよう努めたわ。けれど、あの人は知らないうちに、城の中にこっそりと新しい部屋を作らせていたの」


「部屋……ですか?」


「ええ、何の部屋なのか尋ねてみたわ。バダードはもちろん、彼の従者や兵士たちにもね。皆、言葉を濁すばかりで答えを得ることはできなかった。わかったのは、何か特別なものを招き入れるための部屋だということだけ」


(何かを迎え入れるための部屋、って……もしかして……)


 俺の考えを、恐らくコシュカも理解したのだろう。二人で目を合わせるが、王妃はその様子に気がついていない。

 俺の知る限りではあるが、今の国王にとって、喉から手が出るほど欲しいものなどひとつしかないのではないだろうか?


わたくしといても、バダードは常に上の空だったわ。そこでふと思い至ったの。あの部屋は、彼が特別な愛人のために用意した部屋なのではないかと」


「その部屋は……っ、恐らくですが、王妃様の誤解ではないかと思います」


 恐らくではなく、かなり高い確率で間違いないだろう。その理由が、王妃にわかるはずがないというだけで。


「随分はっきりと言い切るのね。ならばお前は、あの部屋が何のために作られたものなのか、知っているというの?」


「それは……」


 国王が、猫を迎え入れるために作らせている部屋だ。

 そう言うのは簡単なことだが、国王自身が内緒にしていることを、俺が勝手に話してしまって良いものか躊躇われた。

 言い淀む俺の態度を、王妃がどう捉えたのかはわからない。

 いい加減なことを言うなと責められるかとも思ったのだが、俺に一瞥をくれた王妃は席を立つ。そのまま、ガラス越しに丸くなって眠る猫の方へと歩み寄った。


「……お前は、なぜこのような店を作ろうと思ったの?」


「え……俺ですか?」


 急に切り替わった話題に、俺はすぐにはついていけずに聞き返してしまう。

 従者のシェーラにとっても意外な質問だったようで、俺と同じような顔をして王妃の方を見ていた。


「理由はいくつかありますけど……猫が好きだからです」


「魔獣を寵愛するなど、理解に苦しむわ」


 この世界で俺を突き動かした原動力は、猫に対する愛情だ。しかし、王妃にとっては理解し難いことだと一蹴されてしまう。

 この世界に限らず、元の世界でも猫が好きな人間ばかりではなかった。

 猫だけではないのだが、世界中のすべての人間に好かれる生き物など存在しない。多くの人が、赤ん坊は無条件に可愛いものだというが、嫌いだという者もいるだろう。

 逆もまた然り。大多数が嫌う生き物でも、世界中を探せば好きだという人間は必ず存在する。

 その意識を変えることはできないし、俺はそうする必要もないと思っていた。


「猫が……魔獣が嫌いなら、それで構わないと思います。この世界では、まだまだ魔獣を恐れている人も多いはずだ。だけど、それが彼らに危害を加えていい理由にはなりません」


 猫たちは、意味もなく人間に危害を加えるようなことはしない。

 だからこそ、人間もまた無意味に猫たちを傷つけるようなことはしてほしくない。


 きっぱりと言い切った俺の方を振り向いた王妃は、宝石のような赤い瞳で見つめてくる。

 視線を逸らすことができずに固まっていると、次いで彼女はその頭を恭しく下げてみせたのだ。


「ディアナ様……!?」


 思いがけない行動に、シェーラが激しく動揺を見せる。そんな彼女の様子を気に留めることもなく、そのままの姿勢で王妃は言葉を紡いでいく。


「先日の非礼をお詫びするわ。魔獣を傷つけることも、お前に怪我を負わせたことも本意ではなかった。わたくしは、自制もままならずお前たちに感情をぶつけてしまいました。一国の王妃という立場でありながら、あるまじき失態です」


「いや、あの、誤解が解けたのであれば大丈夫なので……!」


「そちらのお前も。耳を傾けることもせずに濡れ衣を着せてしまい、申し訳ないことをしました」


 そう言って、王妃はコシュカに対しても謝罪の意を示した。

 王妃が平民に頭を下げるなど、前代未聞のことなのではないだろうか? シェーラなど、卒倒してしまいそうな様子で王妃を見ている。


「……魔獣のことは理解できないけれど、バダードがこの店に通う理由は、少しだけ理解できた気がするわ」


「え……?」


 頭を上げた王妃の視線は、再び猫の方へと向けられていた。

 その瞳には、始めにあった猫に対する嫌悪や恐れの色は見えないように思える。


「時間を取らせてしまったわね。今日の目的はお前たちに謝罪することだった、この辺りで引き上げることにするわ」


「あの……!」


 シェーラに声を掛けて店を出ようとする王妃を、俺は思わず引き留めていた。

 殺気立っていた先日とは異なり、振り返る仕草ひとつを取っても優雅な女性だ。


「差し出がましいことかもしれませんが、国王陛下ときちんと向き合ってお話し合いになられれば、王妃様の不安もきっと解消されるのではないかと思います」


 余計な世話だと言われてしまうかもしれないが、二人のすれ違いは複雑なようでいて、とても簡単に解ける糸なのではないかと思えた。

 だからこそ、疑い責め立てるのではなく、話し合う姿勢を見せれば変われる気がする。


「……留意しておくわ」


 そう言って微笑む王妃は、これまで見た中で一番美しい表情をしていた。



「店長、王妃様に鼻の下を伸ばしていましたね」


「え!? いやいや、そんなことないよ! 確かに綺麗な方だとは思ったけど」


 ディアナ王妃とシェーラが店を後にすると、どっと疲れが押し寄せてくる。自分で思っていたよりも、ずっと気を張っていたのだろう。


「不敬罪にならなくて良かったですね」


「ああ、そうだね。あれから時間を置いて、冷静になってくれたのかな」


 始めは怒り心頭とばかりに店を出ていった王妃が、別人のように穏やかな様子でやってきた時には驚いた。けれど、あの姿こそが本来のディアナ王妃なのではないだろうか?

 見た目からも気の強そうな女性だという印象を受けたが、あれほど感情的に行動してばかりでは、一国の王妃は務まらないだろう。

 だからこそ、自分が誤った行動を取ったと思えば、相手の身分を問わず非礼を詫びることができるのだ。


「あとは国王様が、ちゃんと話し合ってくれたらいいんだけど」


「そもそも、なぜ王妃様には内緒にしているんでしょうか? 猫を引き取るつもりでいるのなら、いずれは知られることだと思うのですが」


「そうなんだよなあ」


 国王が本当のことを話していたのなら、今回の騒動が起こることはなかったはずだ。

 しかし、魔獣を忌むべき生き物だと思っている王妃に、猫を飼いたいなどと言い出せない気持ちもわかるような気がした。


(だけど、あの王妃様なら理解してくれる気がするんだよな)


 国王と王妃との間のことに、これ以上俺が首を突っ込む真似はできない。

 成り行きを見守るしかないのだが、悪い方向には進まないような気がしていた。

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