02:世界を救う勇者になる!?
町の住人たちが、自分の姿を見て蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。その理由がわからずに、俺は戸惑いながら町の中を歩き回ってみる。
誰かに話を聞けたらと思ったのだが、どの家も戸締りをしていて話を聞けるような様子ではない。
(あの人たち、何で逃げ出していったんだろう……?)
俺がもしもナイフなどの凶器を手に立っていたとすれば、逃げ出す理由にも納得がいく。けれど、何の所持品も持たない俺が、当然そんなものを持っているはずもない。
薄汚れた不審者に声をかけられて驚いたのならわかるが、最初の女性はともかく、他の住人まで逃げ出す理由にはならないだろう。
「魔獣……って、言ってたよな?」
叫びながら逃げていく住人の中には、そんな単語を口にしている人もいた。魔獣というのは、言葉から連想するにファンタジーゲームに登場するような、恐ろしい獣のことだろう。
俺がその魔獣に見えたとは思えないのだが。
「……もしかして、お前のことか?」
心当たりがあるとすれば、俺にはひとつしかない。そう思って肩の上のヨルに問いかけてみるのだが、言葉がわかっているのかいないのか、ヨルは丸い瞳で見つめ返してくるだけだ。
このままでは場所がわからないどころか、野宿をする羽目になってしまう。
「その通りです」
「えっ!?」
遅れて返ってきた言葉に、俺はヨルが人の言葉を話したのかと驚く。けれど、ヨルは相変わらず「ニャア」と鳴いて俺と言葉を交わしたようには見えない。
「そちらではありません、上です」
「上……? って、危な……!」
再び声が聞こえたのは俺の頭上からで、見上げた屋根の上に人影があるのを見つけた。かと思うと、その人影は俺の方を目掛けて飛び降りてきたのだ。
思わず避けようとした俺は、脚をもつれさせてその場に尻もちをついてしまう。ヨルは俺の肩の上から地面へと器用に着地していた。
人影もまた、二階以上の高さから飛び降りたにも関わらず、平然と俺の前に立っている。
そこにいたのは、よく見れば女の子だった。鎖骨辺りまであるアシンメトリーの赤髪に、透き通るような碧眼は明らかに異国の人間だ。胸も大きくて、スタイルはかなりいい。
(というか、めちゃくちゃ可愛い子だな……)
「それ、魔獣を飼い慣らしているのですか」
「魔獣って……ヨルの、この猫のこと?」
少女の視線は、明らかにヨルの方を向いている。魔獣といわれても、ヨルはただの猫なので俺は首を傾げるしかない。
表情の動かない少女は何を考えているのかわからなかったが、尻もちをついたままでは格好がつかないので、汚れを払いながら立ち上がる。それに合わせてヨルが再び肩の上へと飛び乗ってきた。
「……アナタ、魔獣を知らないのですか?」
あり得ないことだと言いたげに問われるのだが、知るはずもないのだから仕方ない。
素直に頷いて見せると、彼女は俺を品定めでもするかのように視線を向けてくる。
「魔獣もだけど、そもそもここがどこなのかもわかってないっていうか……気がついたら森の中にいたんだけど、ここって日本……じゃないよね?」
「ニホン……?」
今度は彼女が首を傾げる番だった。嘘をついているようには見えないのだが、日本を知らないなんてあり得るのだろうか?
少女は何かを考える素振りを見せた後、俺とヨルを交互に見てから踵を返す。
「着いてきてください」
「え、ちょっと待って……!」
短く言葉を発する少女は、俺の返答も待たずに歩き出してしまう。他に頼れる相手もいない俺は、慌てて彼女の背中を追いかけることにした。
案内されたのは、この町の町長だという人物の家だった。
現れたのは背中の曲がった白髪の老人で、やはりヨルの姿を見て驚いたのがわかる。しかし、少女と何やら話をした後に、俺とヨルを家の中へと招き入れてくれた。
「おぬし、魔獣を従えながら魔獣を知らぬというのか?」
「それは……はい。魔獣って言われても、ヨルはただの猫なので。どうしてこの町の人たちは、猫……魔獣にあんなに怯えているんですか?」
「魔獣に怯えるのは当然のことじゃ、奴らは人間に害をなす生き物なんじゃからの」
害をなす、と言われても俺には理解ができなかった。そんな俺の言いたいことを察したのか、町長は棚に並ぶ書物の中から一冊の分厚い本を取り出す。
革で作られたハードカバーの表紙は、所々が剥げているように見える。開かれた中のページも染みや日焼けが多く、古い本なのだとわかった。
その中の一ページに、大きくイラストが描かれている。見慣れた愛らしいシルエットは、どう見ても猫そのものだった。
「これが、この世界で魔獣と呼ばれる生き物じゃ。家財を傷つけ、不気味な鳴き声を響かせる。時には人間に危害を加えることもあるんじゃ」
「それは……確かに、そういうこともあるかもしれないですけど」
猫は自由な生き物だ。躾をしていなければどこでも爪を研ぐし、発情期なら特に鳴き声も大きくなるだろう。鋭い爪で人間を引っ掻くことだってある。
この書物によれば、魔獣の吐瀉物を撒かれた家は呪いを受けるのだという。
(呪いって……まさか毛玉を吐いてるだけなんじゃ……)
疑問を覚えつつ書物に目を通していた俺は、とある記述に目を留める。
猫ならやりかねないだろうと思うことばかりだったが、これに関しては一体どういうことなのだろうか?
「空飛ぶ魔獣に……火を噴く魔獣、って……おとぎ話ですよね?」
「何を言うか、ここに記された魔獣はすべて実在する。だからこそ人間は皆、魔獣を恐れているのじゃ」
俺の知っている猫は、さすがに空を飛んだり火を噴いたりはしない。
魔獣という呼び方をしていた時から薄々感じてはいたのだが、もしかしなくともここは異世界という場所なのだろうか?
「町長、魔獣のことだけではありません。続きがあるでしょう」
「おお、そうじゃった」
少女の促す言葉に、思い出したように町長はページを捲っていく。そこには一人の人物が描かれていて、その傍には猫の姿もあるようだった。
「……これは?」
「この国にはの、古い古い言い伝えがあるんじゃ。『暗黒の魔獣を従え、異世界より召喚されし勇者が世界を救う』とな」
「暗黒の魔獣を従えた勇者……?」
いよいよファンタジーじみてきたと頭を抱えそうになるが、俺はふとあることに気がつく。
魔獣が猫のことなのだとすれば、暗黒の魔獣とは黒猫のことだろう。そして、黒猫を従えて異世界から召喚された勇者というのは、つまり。
「今まさに、暗黒の魔獣を従えし勇者がこの国に現れたということじゃ」
「勇者が現れたって……まさか」
「そう、アナタのことです」
外れていればいいと思った俺の予想を、あっさりと肯定したのは少女だ。町長もそれを否定することはなく、俺はただヨルを連れていたというだけで勇者認定されてしまった。
「いや、俺は勇者じゃないですって。どこにでもいる普通のサラリーマンだし、特別な力とか無いし……!」
大きく首を横に振って否定するのだが、二人は俺を勇者だと思い込んでしまったようだ。
(いやいやいや、勇者って何だよ!? そんな力無いし、魔王と戦えとか言われても俺には無理だし!!)
特別な力の無い不良相手にだって、ボコボコにされたばかりなのだ。こんな俺が勇者なはずはないし、戦う力が無いことは俺が一番よく知っている。
「この国の長い歴史の中で、魔獣を従えた者などおぬしが初めてじゃ。間違いなく勇者であろう。どうか、魔獣退治を頼まれてはくれんか」
「魔獣退治って……」
頼まれたのは、魔王ではなく魔獣退治だった。退治といわれても、そもそもこの国の魔獣とは猫のことなのだろう。だとすれば、退治などしたくない。
話を聞いてみると、俺が目を覚ましたあの森の中には、多くの魔獣が生息しているらしい。そして、その魔獣たちが度々やってきては、町を荒らしていくのだという。
それに困っているというのであれば、退治ではなくどうにか猫たちを手懐けられないだろうか。そんな風に思った。
話し合いを終えて、一先ず森に向かってみた俺はヨルと共に魔獣探しを始める。町まで来た道を戻ってさらに奥へ進んでいくと、魔獣の大群が棲む洞窟をすぐに見つけることができた。
そこで俺は、改めて驚くことになる。要は野良猫の群れなのだが、そこにいたのは背中に翼の生えた猫や、俺よりもずっと大きな体躯をした猫だったのだ。
基本のフォルムは確かに猫なのだが、明らかに現実世界ではあり得ない。ここは間違いなく異世界なのだと実感させられた。
確かに、未知の存在がやってくれば恐怖するのも無理はないのかもしれない。けれど。
(……超絶可愛いんですが)
一般的な猫とは異なる部分があるとはいえ、俺の目にはどの魔獣も可愛く映っていた。こんなに可愛い生き物を退治するなんて考えられない。
元より退治などするつもりのなかった俺は、事前に準備してきていたマタタビ草を袋から取り出す。これはヨルと戯れていた時に偶然見つけたもので、マタタビに似た効果のある草だとわかった。
試しにそれを使ってみると、どの猫もあっという間にメロメロな状態になってしまった。姿が異なる部分があるとはいえ、やはり本質は猫なのだとわかる。
ゴロゴロと喉を鳴らしながらじゃれついてくる猫たちを見ながら、俺は町を荒らすのにも理由があるのではないかということに気がついた。
猫たちは住む場所のない野良猫で、毛並みもボロボロだ。食糧だってすべての猫が満腹にとはいかないのだろう。
加えて町の人々からは敵意を向けられていて、猫たちもまた人間を敵だと認識せざるを得なかったのではないだろうか?
(この猫たちを……どうにかしてやれないかな)
元の世界では、人間に愛されている猫は多かった。けれど、この世界では人間と猫が互いを敵だと思い合っている。
猫は決して恐れるべき生き物ではない。そして、猫にとっての人間もまた同じだ。
猫のことをよく知る俺だからこそ、できることがあるのではないだろうか?
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