阿修羅のように 

髙橋洋

第1話 50歳の蹉跌

 20年前、私は東京の金融会社に勤めていた。入社から課長職までは順調に昇進したが、生来の生真面目さが災いしたのか、担当業務の推進方針を巡って役員の不興を買うことがあり、前任者が定年となる人事部の調査役に左遷されていた。職掌は従業員に対する懲戒処分で、不祥事案当事者からの事情聴取に始まり、処分案立案・審議・決定・実行で終わるという何とも厳めしい職務であった。

 私は事情聴取の相手に対しては厳正でありながらも、穏当な態度で接することを心掛けていたが、先方の眼には閻魔大王に仕える鬼卒のように映っていたかもしれない。解雇に至った人達の中には、私を怨む人も少なからずいた。私はこの志願者のない業務を7年程務め関連会社に出向した。

 10年前、私は癌を告知された。右腎臓全摘後、腎細胞癌と腎盂癌の極めて稀なダブルキャンサーであることが判明した。医学文献を検索した結果、私と同様の症例は2、3年後に癌死という記載が多く、自らの余命があと数年ではないかと考え、甚だしく落胆したが思い悩む暇はなかった。他臓器への転移が始まったのだ。初手術から右副腎、右肺、左大腿骨への各転移巣の摘出まで、7回の手術と4年に亘る10クールの化学療法を実施した。初告知の日、妻は落胆する素振りなど見せず、私を大いに励ました。10年に及ぶ私の闘病生活に妻は常に寄り添いサポートしてくれた。感謝してもしきれないほどである。

 3年前、私は脳への転移を告知された。脳内の悪性腫瘍は大小11個に及び、2回のガンマナイフ治療は功を奏さず脳内に数個が残存し、初孫との初旅行に向かう直前の羽田空港内で脳腫瘍による癲癇を発症し、入院先で最早治療の選択肢はなくなったとして、治療終了と余命数ヵ月の宣告を受けた。度重なる手術で画像上の転移巣を全て切除し、このまま寛解するのではとの希望を持った時期もあったが甘かった。万事休すだった。

 情けないことに、脳転移を発見したのは主治医ではなく、私が頭痛を訴えた近医であった。私の初手術後の経過観察部位は胸腹部のみであった。腎細胞癌から肺転移を経て脳に転移する確率は数パーセントとの統計があるので、主治医は肺転移が発見された時点で脳のCT検査をルーティン化すべきであった。早期発見で治療が奏功した可能性がある。残念無念である。

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