二度目の恋は甘やかに
秋月忍
発端
外から差し込む光が消え、魔道灯の光が強く感じられる。
帰宅時間はとうに過ぎた。ほとんどの団員たちは、宿舎に戻っているだろう。
「だから君にアリシアさまの警護をお願いしたいんだ」
ダークブラウンの髪。鳶色の瞳がイリーナ・ランスローを見つめている。
イリーナは大きくため息をついた。
「人事に関することは、上司を通していただけますか?」
「もちろんするさ。これは根回しってやつだよ?」
セドリック・ダーナー第一師団、団長はにこやかに微笑んだ。多くの女性を虜にする甘ったるい表情であるが、イリーナにとっては何の効果ももたらさない。
「公務上の打ち合わせと伺ったのですけれど?」
イリーナはセドリックを睨み返す。
「僕たち第一師団は 龍の試練に行く次期女王陛下の警護を任されることになったことは知っているだろう? アリシアさまの一番近いところでの警護を、イリーナ、君に頼みたいってことなんだけれど。なんといっても君は女性騎士の中で一番腕が立つ」
新しくこの国を治めるものは、そびえたつ
護衛が同行することは許されているけれど、継承者は絶対に洞に入らねばならない。
また、洞に入る時点ではまだ『王』ではないから、連れて行けるのは一個師団までと決まっている。
今回の継承者であるアリシアは女性であるけれど、例外は認められないのだ。
「そう、言われましても」
セドリックの言いたいこともわかる。
第一師団は精鋭ぞろいだが、女性の団員がいない。そもそもそんな団がなぜ今回の警護の任にあたるのかといえば、やはり第一師団はエリート揃いだからだ。アリシアが、目の前にいるセドリックを気に入っているからという噂もある。
セドリックは侯爵家の次男坊。すらりとした長身で端整な顔をしていることもあり、軍の訓練所に女性が何人も押しかけてくるらしい。
浮名も何度となく流しているがいっこうに身を固める様子もなく、イリーナからみればふわふわした印象の男だ。
とはいえ。この男は仕事となれば有能であり、剣を取っては国で一、二を争う腕前だ。
彼がイリーナの腕を借りたいというのであれば、それは本当に必要なのではないかとはイリーナも思う。
ただ、イリーナは第二師団の副長である。それなりに責任の重い立場だ。第二師団は王都の警備を任されてはいるが、平時である。団長であるガドルは有能で自分がいなくても何とかなるだろう。だが、それはそれで唯一の居場所を失ってしまうようにも思える。
「イリーナ、君は軍をやめるつもりだろう?」
「なぜ、それを」
セドリックの言葉にイリーナは驚いた。
少し前から準備はしてきたが、まだ誰にも告げていないことをなぜ、セドリックは知っているのだろう。イリーナとセドリックは当然顔見知りで職務上つながりがないわけではないが、それほど親しいわけでもない。
「ランスロー家の家督を、君の妹の婿であるカーライトが受け継ぐらしいな」
セドリックの鳶色の目がイリーナを捕らえる。いつもの柔らかな表情は消え、武人としての鋭いまなざしだ。
「家督相続が終わったら、君の地位まで譲るつもりだろう?」
セドリックは呆れたように息をついた。
「カーライトは優秀だ。義理の弟に何もかも譲って引退してもいいだろうという君の気持ちもわからなくはない。だが、考えてもみろ。君の上官である、ガドル団長は、妹が結婚したという理由で、君が軍を辞めることを許すわけがない」
「妹が結婚すれば、我がランスロー家は安泰です。私が推薦したところで、カーライトが副官になれるとは限りませんが、私が家名を背負って軍にいる必要はなくなります」
ランスロー家は、このファガロ帝国の武門の名家だ。数多くの武人を輩出している。イリーナは女性だがそれでも武勲をあげ、ランスロー家の家名を守ってきた。
「違うだろう、君が軍をやめるのは、ガドルから逃げるためだ」
「な、何を」
セドリックの目は、イリーナをいるように見ている。
「ガドルは、半年後に結婚する。フラウ・ミグペラ嬢とは恋愛結婚だ。ミグペラ嬢は頻繁に第二師団に差し入れに来ているそうだね」
イリーナは答えない。
「ガドルは鈍い男だ。そしてミグペラ嬢に夢中で、君の気持などお構いなしだ」
「お言葉ですが、私は別に」
「君が辞めたいといって、ガドルは納得すると思うか?」
セドリックは大きく息をついた。
「僕ですら説得できない理由で、ガドルを説き伏せることはできないよ。奴は君の腕を誰よりも買っている男だから」
「ですが」
「だからね。軍をやめたいなら、まず僕の隊に移動すればいい。今回の龍の試練に君が必要だといえば、ガドルも納得する。実際、君以上の人材は思いつかない。龍の試練が終われば、あとは君の好きにすればいいから」
セドリックは、にこやかな笑みを浮かべる。
「好きに?」
「ああ。そのまま僕のところに残るもいいし、ガドルの下に戻るのも自由。なんなら、軍をやめても僕は止めない」
セドリックの隊に移ってしまえば、辞意がガドルによって却下されることはない。イリーナを妹のようにかわいがり、副官としての腕を買っているガドルを思うと、イリーナの胸はずんと重くなる。
「考えさせてください」
イリーナはそれだけ言うのがやっとだった。
セドリック、第一師団がイリーナを必要としているのは間違いない。
そしてイリーナが『逃げ場』を探しているのも。
即答できなかったのは、未だにイリーナの奥にくすぶる初恋の残り火だ。
セドリックの執務室を出たイリーナは、そのまま外に出る。
空はすっかり暗くなり、星が瞬いていた。
──なぜ、すぐにそうしたいと言えないのだろう。
いつまでも不毛な想いを抱いていても仕方がない。
それなのに、まだガドルのそばにいたいと思っている自分がいる。
イリーナは大きくため息をついた。
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