第17話 星空の下で
近づいて来る足音に気づいて、我に返った。
夕暮れの陽射しの残り火が、西に消えようとしている。いつしか、日没の時間も過ぎていたらしい。どのくらいここにいたのか――長い時間が経ったような気もするが、実際はほんの一時間かそこらだったのかもしれない。戻って来た時は既に、午後も遅くなっていたはずだ。
足音の主は、ヒルデだった。
「そろそろ夕飯が出来そうなので呼びに来ました。召し上がりますよね?」
「そのつもり。レヴィは?」
「居間でお休みになってます。ソファで」
「ああ。」ロードは口元を緩めた。「あいつ、あそこが気に入ってるから。飛び回って少し疲れてたんだろ。食べ物の匂いを嗅げば起きてくるさ」
「ロードさんも…お疲れなんじゃないですか?」
「おれは、特に。何もしてないから」
手に握ったままだったナイフを腰のベルトに収めながら、ロードは、ひとつ小さく溜息をついて空を見上げた。
話している間にも、夜の帳が薄く下りて、空にはもう、無数の星が輝き始めている。
ただ、空の中にある自分の星だけは、どんな風に視線を投げてもすぐに見つかる。目が合うような感覚と言うべきか、まるで空からこちらをじっと見ているかのようだ。
「ハルやフィオたち、巧くやってるかな…。」
「何も知らせが無いんですから、きっと大丈夫ですよ。今夜は、随分と星空がきれいですね」
「そうだな。島のほうが綺麗に見えるけど、ここでも十分。――そういやヒルデは、島の星空はまだ見たことがないんだっけ?」
「ええ。そんなに綺麗なんですか」
「綺麗だよ、すっごく。波の無い浅瀬に立ってると、星空が水面にも映って、足の下まで星空のような気がして。まるで空に浮かんでるみたいでさ。今度、見に――あ」
「どうされました?」
「…いや、…」
聞こうと思って聞けなかったこと、ずっと気になっていたことが喉元までせり上がってくる。
「いつか」の未来を約束するということは、それまでの間、彼女がここに住むことが前提となってしまう。
春になれば、ここに住むようになって一年が経つ。当初は予想もしていなかった長い時間。共にに過ごしてきた日々は、ヒルデにとって義務ではなかったのか。
「ヒルデ…、いつまで、この村に居るつもりなんだ?」
「いつまで、とは。」
「家には帰らないつもりのか? このままここに居ても…。お見合い話だってあったんだろ?」
「……。」
「恩返しだったら、もうとっくに終わってるよ。十分すぎるくらい返してもらった。だけど、おれからはこれ以上、何も返せないんだ。ごめん」
ヒルデの表情が、驚きと、別の何かに変わっていくのが判った。
怒らせてしまったのだろうか。怖くなって、ロードは視線を空へと向けた。どう言えばよかったのだろう。言わないほうが良かったのだろうか。
空には無数の星が輝いているのに、どの星も知らん振りで、こんな時には何も言ってくれない。
「ロードさん…、わたし、見返りが欲しくてここに来たわけではないんです。最初は本当に恩返し…いえ、興味だけでした。でも今は違います。いまは…」
振り返ると、ヒルデはぎゅっと自分の拳を握り締めて、大きな眸を見開いてロードを見つめていた。
「あなたと一緒にいたいんです」
その瞬間、自分がどんな顔をしていたのかはロードにも分からない。ヒルデの言葉は、彼が予想していたどれとも大幅に違っていた。
「……、…えっ…と?」
「だから。わたし、ここにいたいんです! 村での仕事も見つけましたし、あの、同じ家にいてご迷惑なら別の家を探しますから。邪魔はしませんから、居てもいいでしょう?」
「えっ、いや…何言ってるのか良く…」
「やっぱり、迷惑でしょうか?」
少女の目に涙が浮かんだ。
「ほかに好きな人、いるんですね……。」
「え、え? 好きな人って、どういう」
「あの<王立>の女の人ですか?」
「シャロットさん? 何で?」
「違います…?」
「違うも何も、そんなこと考えたこと無いよ。好きって誰が誰を? 話がよく見えなくて」
「……。」
気まずい沈黙。恐る恐る、疑いながらヒルデが口を開く。
「…ロードさん、もしかして、今まで誰かに告白されたことないんですか」
「あるわけないだろ。女の子にモテた覚えもないし、ていうか好かれる要素なんて無いし」
「本気で言ってます? それ」
「…うん」
「何だか、腹が立ってきたわ」
言うなり、ヒルデはいきなり、ロードの顔を両手で掴むと、思い切り自分のほうに引き寄せた。
次の瞬間に起きたことは、ロードにとっては人生で初めての謎めいた出来事だった。
顔を離しながら、ヒルデは燃えるような眸で腹立たしげに囁いた。
「色々悩んだのに! サーラやリスティさんにまで相談してたのがバカみたい。」
それから、突き放すようにロードの胸をこづいて、さっさと一人で家の中に戻っていってしまった。
「…???」
口元に手をやりながら、ロードはしばらく考え込んでいた。それから、遅れてようやく何をされたのかに気がついて、前身が真っ赤になっていた。
(今の…まさか…)
彼は思わず、両手で顔を覆って座り込んでいた。
(どうすればいいんだよ、これ…)
「おーいロード、メシ出来たってよー」
玄関のほうから、全く空気を読まないレヴィの、寝起きでどこか呆けたような声が響いてくる。
「早く戻ってこいよ。お前がいないと始まんねーだろ」
「さ、先に食べてていい! すぐ行くから!」
慌てて両手で風を当てて火照った顔を覚ましながら、彼は、さっき間近で見た、ヒルデの拗ねたような表情を思い出していた。
一体いつから――どうして――、
尋ねたいことは山ほど思い浮かぶのに、一つとしてまともに聞けそうに無いことは、自分自身がよく判っていた。
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