第12話 はじまりの魔法使い
暖かな風が鼻孔をくすぐる。扉から一歩出ると、そこはもうアステリアの端、故郷の見慣れた風景だ。
振り返って見上げたロードは、今いる建物が、見覚えのある宿屋の玄関前だと気が付いた。
「ここ、前にフィオと一緒に泊まったところじゃないか。確か…レヴィも一緒に」
「そ。あん時はまだ、ぼくはただの"ケガした渡り鴉"だったな」
レヴィはにやにや笑っている。
「たまには、南のほうに塔の出口を繋ぎたかったんだ。ここならお前ん家にも近いし、雪も無いし、一石二鳥だろ?」
「まあ、…いいけどさ。戻りの扉はどうするんだ?」
「普通に部屋を借りるさ、宿屋だし。研究目的での長期滞在ってことにしとけば、だいたい誤魔化せる」
そう言って、レヴィはポケットに手をつっこみながら宿の中に入っていく。本当に部屋を借りるつもりのようだ。
ついていこうかと思ったその時、視界の端の港のほうに見えたものが足を止めさせた。
普段は見かけない大きな船が、港に停泊している。
(あれは…海軍の船?)
滅多にこの辺りに寄港しない細身の船は、確か以前、ソラン王国へ行くときにシャロットたちとともに乗船したことのある軍船だ。マストの先にアステリアの旗も掲げられているから、間違いない。
「どうした?」
眺めていると、用事を終えたらしいレヴィが外に出てきた。
「いや、軍船があるから珍しいなと思って。西の方に向かうにしても、これから冬なのに妙だなと思って」
「行って、聞いてみりゃいいんじゃないか?」
レヴィは気楽な様子だ。
「あそこに白いのがちらちら見えてるぜ。お前、あいつらに顔効くんだろ」
言われてみれば確かに、<王立>の魔法使いらしき白いローブが翻っている。
どうしようか迷ったが、結局は好奇心に負けた。ロードは渋々と坂道を下り、道草を食いながら後ろを離れてついてくるレヴィを従えて港に向かった。
船の前の桟橋では、白いローブ姿の魔法使いが二人、話し込んでいた。一人はシャロット。もう一人は、…名前は分からないが、見覚えがある。確かソランの離宮にいた、あの、女性の魔法使いだ。
ロードが近づいていくと、二人はほぼ同時に振り返った。すぐにシャロットが笑顔になる。
「あらぁ~ロードくん、今日は港のほうに来てたの?」
「いつかの軍船がまた港に来てるなと思って、見に来たんです。どうしたんですか? これ」
女性魔法使いの視線を感じながら、ロードは、船の方を見上げた。
「もしかして、その人をソランから輸送してきた、とか?」
付け足すように、自分に向けられている視線のほうを見やる。
女性魔法使いは、あわてて視線を逸らした。ソランですれ違ったあの時は白ローブ以外はあまり良く見ていなかったから気がつかなかったが、シャロットよりずっと小柄でまるで子供のような背丈だ。それに、思っていたよりずっと若い。
「え? あー、そうか。リリアとも前に会ってるんだったわねー。」
「リリア?」
「この娘。うちの若手ホープよぉ」
「……そんなんじゃない、ですけど。」
ぼそり、と低い声で呟いて、若い魔法使いは下を向いてしまった。
「あははっ、やだもう照れちゃって。うちの組織はガリ勉男子ばっかりで、ロードくんみたいなの中々お目にかかれないものねぇー」
「は、…はあ?」
「っていう冗談は置いといてぇ。リリアは普通に定期船で戻ってきたわよー。護衛も兼ねて」
「護衛? …ああ、そうか。海賊が出るから」
そういえば、ロードたちが乗った定期船の船長は、帰りには"物騒な積荷がある"と言っていた。その積荷というのが、ソランから戻って来るアステリアの魔法使いたちという意味だったのか。
「で、この軍船はー、…まあ、何ていうのかしらね。非常時警戒用と、陸軍輸送用? みたいな」
「というと」
「主任、それは機密では…」
リリアがたしなめるような視線を向けたのを、シャロットは片目をつぶって受け流す。
「いいのよー、ロードくんは。教えといたほうが、後々絶対いいことあるから」
「…それ、聞くと巻き込まれるって意味ですか?」
「ううんー全然ー。むしろ聞かなくても巻き込まれるカンジ?」
にっこり笑いながら、シャロットは首を傾げた。
「困ったことにー、西の方から戦火に追われた難民と思しきかなりの人数がアステリアをめざして移動中みたいなのよねー。魔法使いも一定数混じってるとか。このままじゃ国境は突破されそうなカンジなのよぉ」
「それって…まずいんですか?」
「規模にもよるけどねぇ。住むところない人たちがご近所に大量に押しかけてきて、道端で物乞いしながら生活されるのも困るでしょー?」
「…それは、…そうですね」
「ま、どうするか決めるのは軍の人たちだけどねぇ。街道沿いの町には陸軍がいちおう通告出したみたいよー。どっかに難民キャンプでも作るのかしらね」
シャロットは肩をすくめた。
(そのまま、春を越えて住み着くつもりなのか?)
頭の中に、西から続く街道沿いの町や風景を思い浮かべながら、ロードはしばし考え込んだ。
なぜ今の時期に移動するのか、という理由は、判る。
冬の最も寒い時期、戦火が一時的に弱まった今だからこそ、今のうちに、少しでも暖かい、安全な地方に移動したいというのだろう。
だが、ソランのような海岸沿いの国々や、もっと近くに安全な場所はあるはずだ。わざわざ街道を越えてアステリアを目指す理由は、よく分からない。
「アステリアのどこかを目指してたりするんでしょうか。ノルデンのほうには向かってないんですか?」
「今のところはね、アステリアのほうだけねー。ノルデンって寒いイメージが強いのかも。ノルデンでも、アステリアに近いあたりとか、あんまり気候変わらないのにねー」
「ノルデンの国境の近くで、最近、騎士団の襲撃事件があったらしいんです。それで、警戒してるから、とかは」
「えっそうなの? その話はまだ聞いてないけど…。難民との衝突?」
「いや、違うと思います。魔法使いが攻撃したとか…詳しいことは、おれもよくは」
言いながら、ロード自身、どこまでが確実な情報なのだろうと疑問に思い始めていた。
ノルデンの国境付近で起きたという騎士団の襲撃事件は、リドワンに聞いただけなのだ。シャロットのいうとおり、もしかしたら、西から戦火を逃れてきた魔法使いの誰かが…
…いや。それなら、"壊滅"するまでには至らないはずだ。リドワンは、騎士団が壊滅した、と言った。
そんなことができる魔法使いは、そうはいない。
「ここも国境からそう遠くないしねぇ」
船の向こうに視線をやって、シャロットは、ひとつ小さく溜息をついた。
「ねえ、ところでロードくん」
「何ですか?」
「後ろにいる…えーっと、その子って、お知り合い?」
「え? 後ろ?」
振り返ったロードは、いつのまにかすぐ後ろに立って炙ったイカの串刺しを咥えているレヴィを見つけた。
「話は終わったのか?」
噛み切れないイカを口から出しながら、レヴィが尋ねる。香ばしい焼けたイカの臭いが辺りに漂い、ロードは思わず顰めつらになった。
「それ、どっから持ってきたんだよ。」
「そこの屋台で買ったんだけど。」
と、レヴィは港の端のほうを指差す。地元の住人向けに近海で獲れた魚を小売りしているあたりだ。確かに屋台らしきものは出ているが。
「わりといけるなコレ。海の幸もたまにはいいもんだ」
「…ったく。スキあらば買い食いしてんなお前。それ、絶対ポケットには突っ込むなよ? 上着に匂いつくからな」
ぽかんとしているリリアの横で、シャロットは笑いを噛み殺している。
「ロードくん、これから村に戻るんでしょ?」
「そうですけど、何かありました?」
「急ぎじゃないけど、ちょっと聞きたいことがあるのよー。いつでもいいんだけど。後で会えたらね」
「判りました」
シャロットたちと別れ、港から見えない路地まできたところで、二人はどちらからともなく足を止めた。
「…西の連中がアステリアを目指してる? どういうことだ」
最初に口を開いたのはレヴィのほうだ。食べ終わったイカの串を指先で弄びながら、宙に地図を描く。
「軍が動いてるっつーことは、もう先陣は国境まで到達してるんだろう。で、後続がそれなりの規模ってことだ。どこの国の連中だ?」
「レヴィがシルヴェスタの森から逃がした人たちってことは?」
「多分ない。場所もバラバラだ。ノルデンに近い場所に輸送したこともあったし、…それに、全部あわせて精々数百人だぜ」
「十分多いと思うけど」
「軍が動くほどじゃない。それに、あいつらの中には魔法使いはいなかった」
二人の視線は、ほぼ同時に海の先の遠くへと向けられる。
「…ハルに聞いてみるか。」
「そうだな。そろそろ"鴉"のほうも、見つけられてるかもしれないし」
村に戻る途中でちょっと立ち寄るような何気ない足取りで、二人は通り沿いの店に入っていく。そして、扉の向こうに繋げられたマルセリョートへと飛んだ。
次に目の前に広がった海は、さっきまで見ていた海よりもほんの少し色が薄い。南の沖合にある、マルセリョートの近海なのだ。
波の音の響く白い浜辺に、今日は島の主の姿はない。
「ん、どこかに行ってるのかな?」
「近くには…見当たらないな」
辺りを見回してから、ロードは、島から続く砂州の向こうを見やった。入り江の在る島に隣接するそのあたりに世話役のシンの家がある。
訪ねてみると、シンは、ちょうど家でヤシの繊維で縄をなっているところだった。
ハルがどこへ行ったのか尋ねてみたが、返事は、はっきりしないものだった。
「長? しばらく前から見かけていないが…」
「しばらくって、どのくらい」
「二日くらい前…か…。沖合いに鯨の姿で見かけて、それから戻られていない」
家の奥のほうは静かで、シンの奥さんの声もしない。子供たちと一緒にどこかへ出かけているのだろうか。
鴉の姿の時に子供たちに羽根をむしられそうになっていらい、ここへ来るたびにビクビクしていたレヴィも、今日は、緊張を解いて落ち着いた様子だ。
「ったく、この忙しいときに…どこへ行くか言ってたか?」
「聞いていない。ただ、このところ島の周囲でずいぶん警戒していた」
ロードたちは顔を見合わせた。警戒? 何故だろう。
「急いでいるのなら…」
「いや、明日また来る。戻ったら、そう伝えといてくれ」
シンの家をあとに、再び入り江の島に戻って来る。レヴィは頭をぽりぽりかきながら腑に落ちないという顔をしている。
「あいつが伝言も残さず一人で遠出するなんて珍しいな…、別件の<影憑き>でも出たのか? にしてもな」
「それにさ、"鴉"の追跡には、ハルも参加してたんだろ? 万全じゃないはずなのに、どうしてまたすぐに出かけたりしたんだろう」
誰もいない波打ち際には透明な海の水が押し寄せ、静かな音とともに星の砂を洗っている。水平線しかない世界では、空と海の境目も曖昧だ。
「ま、どうせそのへんの海にいるだろ。」
疑問を振り切るように言って、レヴィはやって来たときと同じ入り江の奥の崖にある洞窟の奥の扉へ向かって歩いていく。
立ち去りながら、ロードは、もう一度だけ海のほうに視線をやった。けれど見慣れた青白い輝きは、視界の中のどこにも見当たらないままだった。
一度ポルテに戻り、レヴィとはそこで別れた。
「んじゃ、またな。多分、次はリスティが買出しに来る。」
「ああ。ハルが戻ってきたら、何て言ってたか結果を教えてくれ」
港前にシャロットたちの姿は、もう無かった。
歩き慣れた道を、ロードは、村に向かってゆっくり歩き出す。港前に軍船が停泊しているものの、港町の中には、軍人の姿はさほど見当たらない。町の空気にも緊張はなく、差し迫った危険があるようには感じられなかった。
(西からの避難民か…。どのくらいの人数なんだろう)
それに、今は停戦状態にある戦争が、冬を越えて再び始まるかどうかも気になっていた。
踏み荒らされたままの畑が放棄されてしまったら、西の方は深刻な飢饉になる。フィオの森も、侵入者から守ることが難しくなるだろう。
冬の夕日が背後から追いかけてくる。
長い影を従えながらゆるやかな坂道を登りきったところで、ロードは、ちょうど村を出ようとしていヒルデに出会った。
「あら、ロードさん。お戻りだったんですね」
「ああ。どうした?」
「ちょっとポルテにお買い物。夕食に使うつもりだった材料が足りなくて」
それでなのか、手に買い物籠を提げている。
「大急ぎで行ってきます。日が暮れる前には戻りますね!」
そう言って、彼女は長い髪を跳ね上げながら元気よく坂道を駆け下りていく。思わず笑みを浮かべてから、ロードは、再び歩き出した。
気をつけることなど何もない。村と港町の間は一本道だし、歩いて往復しても一時間ちょっとだ。
ガトの家の前を通りかかる。今日は、ガトは表には出てきていない。家の外に所狭しと積み上げられていた石板などは少し片付けられていて、オリーブ絞り工場のおかみさんが家の前を掃除していた。
「あらロード、今、帰り?」
「ええ。先生は?」
「寝てるわよ」
そう言って、おかみさんは苦笑する。
「何日もほとんど徹夜して、夢中で研究してたみたいでねえ、糸が切れたみたいに寝てる。ありゃあテコでも起きないわねえ。そういうわけで、今のすきにお掃除と、貯まった洗濯物の片付けよ。ヒルデもさっきまで手伝ってくれてたんだけど…そういえば、買い物に出かけるって。会った?」
「そこですれ違いました」
「そう、ならいいわ。いい子よね、あの子。」
「……。」
ヒルデがこの村に住むのは一時的だったはずなのに、ロードの知らない間に、彼女はここでの居場所を確かなものにしていく。
帰って欲しい、と思っているわけではない。
ただ、――ただ漠然と、彼女には他ににもっと"居るべき場所"があるのではないかと思ってしまうのだ。
自分の将来。自分の夢。ヒルデの兄のユルヴィのように、一生を賭けられるほどの仕事など、この小さな村にあるようには思えない。
オリーブの丘を登り、家の前まで来たところで、ロードはふと足を止めた。視界の端に黒いものが過ぎった気がしたからだ。微かな羽音。
(レヴィ?)
いや、違う。
目尻の端がひきつるような感覚を覚えて、ロードはとっさに腰のナイフに手をやった。
振り向き、構えようとするより早く、体の動きが停まる。
「…ッ」
どういう魔法なのか分からないが、体中に重石を巻きつけられたかのように動けない。
目の前に、薄い笑みを浮かべた男の顔がある。
見覚えのないこげ茶色の縮れた髪、痩せた頬…
一度も見たことが無いはずなのに、特徴的過ぎる気配が、それが誰なのかを如実に物語っている。
”西の鴉”だ。
細身の男は、目の前に宙に浮かんだまま、覆いかぶさるようにしてこちらを覗き込んでいる。フードのついた黒い布のマントは半透明で、向こう側の風景がわずかに透けて見える。
「――やはり、此処だったな」
「お前…張り込んで…?」
「もっと力を抜け。抵抗しようとすればするほど苦しくなる。なに、少し確かめたいことがあっただけだ。」
その口調は尊大で、まるでロードのことを地べたにはいつくばる目下の者とでも思っているかのようだ。
だが実際、今のロードはそれに等しかった。
指一本動かすことも出来ず、扉の前に張り付いたように動けない。
宙に浮かんだまま、男は値踏みするようにじろじろとロードを眺め回した。
「ふーん…こいつは面白いな。不完全だが肉体に固定された固有の魔力…本当に"賢者"の直接の子孫なのか? 一体どうやって作った? そんなことが可能なのか。考えてもみなかった」
まるで実験動物でも扱うような口調だ。実際に触れられているわけではないのに、無数の手に体中弄り回されているようで、気持ちが悪い。
「お前は…何者なんだ」
「ん?」
「…どうして<影>が、そんなことを気にする?」
その途端、男は眼を大きく見開き、呆れたような口調で吐き捨てた。
「<影>! お前には私が<影>に見えるというのか?」
「違うって言うのか? どう見ても――」
夕陽がちょうど、丘の上に指しかかろうとしている。
長く影を引いた黄昏時の空の下で、男の体は半透明な擦りガラスのようになっている。
そこにありながら、そこには無いもの。生き物でもなく、命を持たず、ぬくもりも感情も無いはずのもの。
微かな違和感はある。だが、それ以外にどんな答えがあるというのだろう。
「――人間が、そんな姿になって生きられるわけがない…」
「それは、この世界の法則だ」
男は、にべもなく答える。
「言った筈だ、この世界は不完全なものだと。完全な世界では、人は寿命などという煩わしいものから解き放たれ、個は時の束縛を受けずに保たれる。真に自由になれるのだ」
それは、以前、初めての邂逅の時にもこの男が口にした言葉だった。
あの時は、ただの世迷言か詐欺のための口上だと思っていた。けれどもし、それがただの「理想」や「想像」ではなく、真実なのだとしたら。もし、本当に目の前のこれが、元は人間だったのだとしたら。
「あんた一体…」
「リューナスだ。様はつけなくていいぞ」
その名は確か、最近どこかで…。
「…魔法全書の著者?」
「そうだ! よく知っていたな、褒めてやろう。もっとも、残念なことに他の本は抹消されてしまったようで、この時代にはそれしか知られていないのだがな」
千年前の――、最初に魔法体系を著した「はじまりの」魔法使い――。
にわかには信じられなかった。男の口調はあまりにも明瞭で、嘘をついている、とも思えない。
ロードの表情を見て、男は薄っすらと笑う。
「疑っているというのか? なるほど、お前は今まで、この世界のシステムに何の疑問も抱いていなかったわけだ。"賢者"の権威が落ち、世界が破綻しかかって呪文の脆さが露呈してもなお、この忌々しい不完全な檻を守ろうとしているわけだな? 愚かしい。実に愚かしく、無駄な努力だ。――この世界はとんでもないバグだらけの不良品で、粗末なシロモノだぞ。目の前に見えているものが真実だ。真の楽園では、寿命、怪我、病気、つまらぬ些細なことに煩わされ、ままならぬ肉体に囚われることなく存在することが出来る。私がその証拠だ」
「……それで、……仲間を増やそうと、西の国で戦乱を引き起こしたのか?」
「そんなつまらぬことをするものか。あれは勝手に、愚か者どもがやったことだ。いわば一種の
リューナスは、大げさに芝居がかったそぶりで首を振る。
「魔法を教えた途端、まるで自分が万能になったかの如く勘違いして身に過ぎた行為に手を染める。そんな連中は昔も居た。滅びの道を選びたいものは捨て置けばよい。放っておけば、いずれ勝手に命を落とすだろう」
「なぜ魔法を…」
「"楽園"に入るためには魔力が必要…と言えば納得するか? 肉体を捨てるからには代償がいる。巡る血の代わりに魔力によって存在を繋ぎとめるのだ。私は自らをもって、その理論の正しさを証明した」
圧倒的な自信と説得力。胸のあたりに、心臓のように波打つ赤い輝き。
流れ込んでくる怒涛のような言葉に流されそうになりながら、ロードは、ぎりぎりのところで踏ん張った。
(精神感応の魔法…、こいつの言うことに惑わされるな)
そう。言葉とともに流れ込んでくる力は、意識の根底から揺さぶろうとしてくる。抵抗力の弱い人間なら、いともたやすく惑わされてしまうほどに。
「その目は、まだ納得していないというようだ」
男の顔が近づいて来る。手が伸びて、ロードの頬をわしづかみにした。
「ならば力ずくでも納得させてやろうか? "賢者"どもが後生大事に守っている"創世の呪文"とやらの全てを、私は知っている。あれの最大の欠陥は――」
その時だった。
「その子から手を離せ!」
悲鳴にも近い叫び声とともに、皿を叩きつけるような硬い破裂音が響いた。
体を押さえつけていた重石のような気配が消え、ロードは前のめりになって地面に手を突く。
小さな舌打ちとともに、リューナスが離れてゆく。
声の主は判っていた。ここにいるはずもない人物。立ち上がりながら振り返るロードの目の前に、白いものが覆いかぶさってくる。
「ごめん、ロード。間に合わなくて…ごめん」
「十分間に合ってるよ。早すぎたくらいだ。」
なぜここに、と問う暇も無く、泣きそうな顔のハルを必死に引き剥がしながら、ロードは、その肩をつかんだ。
「どうやって来たんだ? レヴィは? 一緒じゃないのか」
周囲に、黒髪の魔法使いの気配はない。
「…泳いで」
「泳いで?」
声を上げてから、ロードは、自分の手が少し湿っていることに気がついた。
よく見るとハルの髪は、さっき海から上がってきたばかりのように水分で絡まり、肩に張り付いている。
「まさか…島からここまで…?」
だから、二日も姿を見かけなかったのか。
「あいつが近くに張り込んでいたのが視えたんだ…もう二度と失敗したくなかった…、だから」
”もう二度と”。
その言葉で、状況が理解出来た。
かつてここで、ロードの母マーシアが<影>に襲われた時のことを、ハルは考えていたのに違いない。そうだとしたら、たとえ一日の間だったとしても、次にレヴィが来るのを待ってなどいられるわけがない。
ロードは小さくため息をつき、頭をかくと、振り返って玄関の扉に手をかけた。
「…とりあえず、家の中入って。そろそろヒルデも戻って来る」
「怒ってない?」
ハルは、妙にしょんぼりとしたままついてくる。
「怒るわけ無いだろ、おれのためにわざわざ来てくれたんだから。」
陽はとうに地平線の向こうに沈み、空には夜の住人たる星々が輝き始めている。
有り得ないと思っていたことも起き得ることを知ったその夜、ロードは、何かが動き始めたことを感じていた。
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