第3話 海路の災難
その数日後、ロードは、シルヴェスタの森へ向かうため、ヒルデとともに船の上にいた。
ポルテ港からソランヘの定期船がちょうど出発するというので、慌しく準備を整え、ほとんど手ぶらのまま飛び乗ってきたのだ。戦争に巻き込まれやすい陸路よりは、海路のほうが確実だ。しかもソランまで行けるなら、そこからシルヴェスタまでは、さほど遠くはない。
西方の小国ソランへ向かうのはこれで二度目。今回の乗客は十人たらず、積荷のほとんどはソランとの交易用の貨物だ。
「ついて来てくれなくても良かったんだけど…いいのか? サーラとの約束」
「戻ってからでも大丈夫ですよ。それに、話に聞くシルヴェスタの森は、わたしも一度見てみたいんです。」
海風にうーんと大きく伸びをしながら、ヒルデは、水平線の向こうに視線をやった。
「冬の海って、ちょっと色が違う感じですよね」
「ああ、太陽の日差しが少し違うから」
確かに、前回この航路を辿った時より、海の色が少しだけ濃く見える。
波は真昼の光にきらきら輝き、海鳥たちが港の周囲を大きく旋回している。夏の沖合いで子育てを終えて、餌の多い陸の近くに戻って来たのだ。
ハルの見た限りでは、ソラン周辺はまだ戦争に巻き込まれておらず、そこからの陸路が最も安全そうだという話だった。少なくともアステリアの西の端、ポルテ港からソランへの海上の道では、戦争は起きようが無い。まともな海軍を持つ国が、アステリア以外にほとんど無いからだ。
(レヴィがいれば、一瞬で着くんだけどな…)
以前シルヴェスタへ行った時は、今ほど戦争が激しくなかったから街道沿いに馬車を乗り継いで陸路で行けた。自分の足でシルヴェスタへ行ったのは、あの一回くらいだ。
レヴィと旅をすると長距離の移動も一瞬だから距離や時間の感覚がおかしくなりがちだが、こうして自分だけで移動してみると、互いの住まいが遠く離れていたことを思い出す。
そのレヴィも、最近は珍しく塔にこもりがちのようだ。冬は嫌いだと言っていたのに、今年は、雪の降る季節でも塔を離れていない。
(ま、たまには、こんな旅もいいさ)
海風に身を任せながらロードは思った。
何もすることのない、特に何も考えなくてもいい気楽な旅。
この際だ、もう少し魔法の練習をしよう、と思った。海の上なら、少なくとも、家の中で練習するよりは失敗の被害が少ない。
――けれど、船旅は平和なままには終わらなかった。
事件が起きたのは、それから数日後。船がアステリアの国境を越えて、しばらく航海したあたりでのことだった。
船は順調に予定の航路を消化して、その日も特に何事も無く一日が暮れ、船倉に隣接する客室も既に寝静まっていた。波の音だけがかすかに聞こえる静かな夜。
そのしじまを突然破ったのは、けたたましい警鐘と船員たちの叫び声。
「右舷に不明船接近、接近!」
「…何だ?」
目を覚ましたロードは、眠気を振り払いながら硬いベッドの上に起き上がった。外の廊下を船員たちが走り回っている。
「ヒルデ、起きてるか」
「はい。でも…あの」
カーテンを下ろした、隣の寝台からもぞもぞと声がする。
「待ってください…服を着ないと…」
「いいよ、おれが見てくる。ここで待ってろ」
ロードは、上着を羽織りながら船室を出た。と同時に、鈍い衝撃とともに足元が大きく揺れる。
「うわっ、と」
バランスを取りながら辺りを見回す。
座礁でもしたのかと思ったが、浸水の気配はない。それに、このあたりの航路は沖合いで、暗礁も無かったはずだ。
「海賊だ! …うわああっ」
叫び声とともに、甲板に上がる階段から船員が一人、転がり落ちてくる。駆け寄って、ロードは船員を抱え起こした。
「大丈夫か?」
「あ、ああ…」
「相手は何人だ」
言いながら、彼は腰のベルトに提げたナイフに手をかけた。数人程度なら、投げナイフだけでもなんとかなる。
「わ、分からない…甲板に乗り移ってきたのは、四・五人で…けど、船のほうにはもっと…」
「もっといる、か。」
それなら、巧くやらないと追い払うのは難しそうだ。
ロードは足音を忍ばせて、階段の中ほどから甲板の様子を伺った。話し声と足音。どうやら、甲板にいた見張りが縛り上げられ、船長室のドアが蹴破られようとしているらしい。
魔石の輝きは見えないから、魔法使いはいないようだ。
物陰に身を潜めながら甲板のほうを覗いてみると、船の行く手を阻むように斜めにつっこむ形で別の小型船があった。それが海賊たちの乗ってきた船だろうか。船首に突っ込んでも壊れないとは、よほど丈夫な作りなのか、当て逃げ用に作ってあるのかもしれない。
船の間には杭のついた渡し板が接続され、海賊たちが次々と乗り移ってきている。確かに、十人は居るようだ。
「積荷は何だ? アステリアの船ってことは、魔石を積んでるかもしれねぇぞ。あれは高く売れる。調べろ!」
(おっと、こっちに来る)
荒っぽい足音が近づいて来る。ロードは大急ぎで階段の下に身を潜めた。
魔法を使うにしても、甲板に出てからだ。こんな狭いところでは使わないほうがいい。…今までの経験から考えて、後片付けの大変な失敗の仕方をするに決まっている。
目の前に、海賊の足と思しきブーツが見えた。
その瞬間を狙って、ロードは階段のすきまから手を伸ばし、足を掴んで思い切り引っ張った。
「う、わーーー?!」
古典的な方法だが、効果はてきめんだ。
思い切りバランスを崩した一人が、目の前にいたもう一人を突き飛ばす形で転がり落ちてくる。ぎょっとして三人目が立ちすくんだ隙をついて、彼は階段の下から飛び出した。
「なっ、てめ…」
すれ違いざま、足をひっかけて突き落とす。三人目もまた、悲鳴を上げながら階段を転がり落ちていく。下の方で、先に落ちた二人が三人目の重量にうめき声を上げているが、不可抗力だろう。
「そいつらを縛っといてくれ!」
廊下の奥にいるであろう、さっきの船員に向かって叫びながら、彼は一気に甲板に飛び出した。
広いところに出てしまえばこちらのものだ。叫び声を聞いて一歩下っていた海賊たちが、一瞬のどよめきとともに一歩ずつ下る。
「何者だ」
いかにも手だれといった風貌の、黒い髭を恐ろしげに生やした男が鋭い眼光でロードを睨みつける。
手には鈍い輝きを放つ太い海賊刀を握っている。お飾りなどではあるまい。星明りの下でも、刃に刻まれた無数の細かな傷や刃毀れの跡がよく見える。
「寝てたところを叩き起こされた、ただの乗客さ。悪いが、この船には無事に目的地についてもらわないと困るんでね」
「ふん、まさか、そのちっぽけなナイフだかで、わしらを相手にするつもりじゃなかろうな」
「そのまさかだけど?」
ロードは、腰から一本、ナイフを抜いた。
確かに、この数を相手にするには、投げナイフだけでは難しいだろう。
だが、最初からそれ以上の手段に頼るのも嫌だった。何しろ、物体を操作する魔法は、いまだに効果範囲がうまく制御できない。
(狙うなら、あの一番強そうな奴だ。初手必勝)
決めるのと同時に彼は動いた。
ナイフを投げる。
男は余裕しゃくしゃくに、武器を振り上げた。難なく打ち落とす――はずだったのだが、その武器が空振りした時、空気が変わった。
ナイフは空中でくるりと一回転し、向きを変えてぴたりと男の目の前に止まった。
「次は額の真ん中を狙う」
言いながら、ロードは内心でほっとしていた。
腕輪に装着する石を変えて出力が上がってからも、使い慣れたナイフを操作する時だけは、イメージしたとおり巧く行く。
実際に手で触れたものを動かすのは得意なのだ。触れていないものを「触れた」つもりで動かそうとすると、対象が絞り込めないか、想定した以上の動きになってしまうのだが…。
次のナイフに手を滑らせながら、彼は用心深く周囲の海賊たちの次の動きを見守った。
だが、様子が想定していたのと違う。しん、と静まり返って、まるで動こうとしない。
「魔法だ」
やがて一人が、上ずった声で呟いた。
「…アステリアの魔法使いだ」
「ひっ」
小さな悲鳴を上げて、何人かがあとすさる。
(あれ…?)
ロードが視線をやると、そちらの海賊たちまで怯えた顔をする。意外な効果だ。はったりをかまして少し脅かすつもりだったのに、まさか、こんなに恐れられるとは。
「ちっ…くそっ。おい、てめぇら退却だ!」
さっきまで殺気満々だった黒髭の男まで、慌てふためいた様子で武器を構えながらじりじりと下ってゆく。
「いや、え? 待てよ、おい! 何で…」
「攻撃してくるぞ! 逃げろ!」
「うわー」
甲板から海に飛び込む音がする。訳が分からないまま、ロードは自分の手元を見やった。
(…?)
「ロードさん! ご無事ですか」
後ろの階段から、ヒルデが甲板に上がってくる。身支度を整えて、腰の剣に手をかけながらだ。
「ああ、何ともない。っていうか、向こうが勝手に逃げていったんだけど…」
「はい?」
ヒルデは怪訝そうな顔で、帆を上げようとしている海賊船のほうを見やった。
海賊たちは、杭のついた渡し板をひっぺがし、海に飛び込んだ船員たちがまだ甲板に上がりきらないうちから、一刻も早く逃げ出そうとしているように見える。
「何か、されました?」
「いや、特には…。ナイフ浮かせただけ」
空中に浮かべていたナイフを引き戻しながら、ロードは、さっきまで海賊たちがいたあたりに眼をやった。
そこには、縛り上げられた見張りと船長の姿がある。ケガは無さそうだ。
「縄を切りますね」
ヒルデはそう言って、剣を抜くと一刀のもとに縄を断ち切った。
「これだけしか出番がないなんて。わたしの分も残しておいてくださればよかったのに」
彼女は少し不満げだ。
「うーん、まあ…次に襲ってきたらね」
「次があっちゃ困るんですけれど。――それにしても海賊だなんて。定期船の航路は安全ではないんですか?」
「平時ならな。だが今は、沿岸の警備なんぞ無いに等しい」
束縛から自由になった船長が、溜息をつく。
「戦争が始まってから、このへんの海は治安が悪くてな。それでいつもより沖合いを走ったんだが…。君たちがいてくれて、助かったよ」
「いえ、わたしは何も。」
ヒルデは、得意げにロードのほうを見る。
「ロードさんお一人でやっつけてしまわれたんですから。さすがですね」
「何もしてないんだけどなあ」
彼は気まずそうに頭をかいている。
「魔法で少し脅かしてみようかと思っただけなのに――」
「そりゃあ効果は絶大さ」
船長は訳知り顔だ。
「アステリアからの船に魔法使い、だろう? <王立>を連想したんだろうよ。あんたが関係者かどうかは知らんがね。今の西の連中は、魔法使いを極端に恐れている」
「そう、なんですか?」
初耳だった。
「西の方にも何度か旅はしてますけど、今までは、そんなに怯えられたこと無かった」
「ああ、恐れられるようになったのはむしろ最近さ。どうやら戦場でよっぽど暴れているらしいな、魔法使いってやつは。」
苦笑いしながら、船長は言った。
「ま、魔法使いなんて滅多に会えるもんじゃなし。今回は運が良かったよ。」
「いや…あの。」
本当は、まともに魔法が使たことはほとんどない、というのは、結局言いそびれてしまった。言っても信用してもらえなかったかもしれないが。
海賊が去ったのを見て、部下の船員たちが駆け寄ってくる。船長は、船の被害状況を調べるように指示を出し始めた。ロードたちは、邪魔にならないようその場を離れた。
まだ納得がいかない顔をしているロードを見て、ヒルデが苦笑する。
「どうしたんです? お手柄なのに、そんな顔」
「いや、…こんなので役に立ったって言われても、何だか妙な気分で。」
ナイフを軽く放り投げ、くるりと回して腰のベルトに収める。
「向こうは十人以上いたんだから、もう少し抵抗してくれてもなぁ」
「でも、そのくらいなら楽勝でしたでしょう?」
「…まあ、な」
正直に言えば、そうだった。
以前のように投げナイフを加速させたり引き戻したりするだけでは厳しかっただろうが、今はナイフの軌道を自由に変えられるし、複数同時に操ることも出来るようになった。それに、多少の失敗に眼をつぶれば、――敵の武器をいっぺんに取り上げることも出来なくはない。
考えてみれば確かに、魔法使いなど、普通に暮らしていても滅多に出くわさないのが普通なのだ。ほんの二年前までは、旅をしていても数えるほどしか出会ったことが無かった。ここ最近の、世界でも指折りの魔法使いばかりが身近にゴロゴロしている状況が異常なだけだ。
「いつのまにか、ロードさんもいっぱしの魔法使いになっちゃいましたものね」
笑いながら、ヒルデは船倉に下りる階段の方に歩いていく。
「もう、護衛の必要は薄れてきちゃったのかもしれませんね」
「……。」
ロードは、自分の手を見下ろした。そんなつもりは、自分では全くないというのに。
結局、海賊襲撃は、その一回だけだった。
目的地までの航路では、それ以上の問題もなく、船は、予定通りソラン王国の王都、カールム・カレレムの、見覚えのある港へと到着していた。
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