#5:面接と交渉

 翌日、俺はどういうわけか領主の館に呼ばれていた。

「いったいどういう用件でしょうか」

「領主様が、あなたに面会したいとのことです」

 屋敷の廊下を、俺は黒いマントでくるんだものを抱えて歩いていた。隣を歩くメロウ先生が俺の疑問に答える。

「神学校入学の件について。正式な認可は領主様の采配ですからね。しかし……普段であれば面会などせずに二つ返事で了承してくださるのですが」

 どういうわけか、俺に会いたがっているということか。

「きっと、一昨日に解呪をしたことが伝わったのでしょう。あのようなことをして無事で済むリザさんの体に、興味を持ったのでは?」

「その言い方はなんか嫌なんですが」

 ぞっとしない。

「ところで、その持っているものは……」

「ああ、これですか?」

 持っていたものを向ける。先生はわずかにたじろいで後ろに下がる。そんなに嫌か。

「教会で育てるのに領主の許可がいると先生も言っていたじゃないですか。だからこっちとしても領主との面会は好都合でしたね」

「……そういうことにしておきましょう」

 やがて、領主の執務室の前に辿り着く。

「グランエル神学校のシスター・メロウです」

 扉の前で先生が呼び掛ける。

「新入生のリザを連れてまいりました」

「どうぞ、入ってください」

 ………………ん?

 中から聞こえる声が、ずいぶん若いような。

「失礼します」

 ともかく、入る。

 領主の執務室は、広々としたものだった。来客用のソファとローテーブル、執務用の木製のどっかりした机、毛の長い絨毯は豪奢な赤。それでいて、どこまでも静かで穏やかな雰囲気が漂う。調度品も落ち着いた色合いのものが多い。ダダの屋敷がいかにも金をちらつかせるような雰囲気だったのとは大違いだ。金持ちの本当の豊かさと余裕が現れている。

 気になるのは、壁にかけられた大きな肖像画だ。そこには、粗末な麻の服を着て、丸い盾と短い剣を持った男が描かれている。男の顔にはざっくりと大きな傷があり、その傷で右目を失っている。

 右肩には火傷の跡らしいものが見えた。ふいに、脇腹の焼き印がじくじくと痛む。

 見たところこれは…………奴隷? 奴隷の剣闘士の絵だ。しかしなぜ?

「はじめまして、リザさん」

 声がして、俺はようやくそっちを見た。

 執務机の向こうに、男がひとり立っている。日の光を取り込む大きな窓を背にして。手入れの行き届いた癖のない艶やかな黒髪がいかにも彼の金満家としての側面を見せる。眼鏡の奥に、理知的な黒い瞳が輝いていた。体は細身で肌は生白く、明らかに外で体を動かすより部屋で本を読むのが趣味に合いそうな人間だ。

「僕がグランエル四代目領主、クラウス・ライオットです」

「…………………………」

 彼が、領主?

 だが…………。

 目の前に現れたその男は、まだ俺とそう年が変わらないように見えた。つまり年のころ十三か十四くらい。若いというか幼い。

「ライオット様」

 メロウ先生が緩やかに膝を折る。まるで王に対する最敬礼のようだが、まあ、この中世的世界観のドラゴヘイム的には、領主への敬意は絶対なんだろう。郷に入りては郷に従え。俺も抱えていたものを脇に置いて、膝を折った。

 しかし……。暴徒ライオットねえ……。ずいぶんな名前だな。

「彼女が新入生のリザです。常識と思慮にやや欠けるところがありますが……、既に三つの奇跡を授かり、特に解呪の奇跡の力は驚くべきものです」

 これ褒められてるんだよな? メロウ先生的には、どういうわけか入学に待ったがかかっている俺をフォローしているつもりなのかもしれない。

「ええ。既に話はいろいろと聞いています。それで、すみませんがシスター。僕は彼女と二人きりで話したいと思っています。しばし、席を外してもらっても?」

「…………それは、はい」

 メロウ先生は立ち上がる。

「では、リザさん。くれぐれも失礼のないように」

「………………はあ」

 心配そうな顔をしながら、先生は部屋を後にする。マジで心配されてらあ。そりゃ、俺はこの世界の上下関係には不慣れだけども……。

「それで、リザさん」

 クラウスが話を進めようとしたとき、がさごそと、俺の脇に置いていたマントでくるんだものが動き出す。

 そしてひょこっと、顔を出して俺に鼻をこすりつけてきた。

「それは…………?」

「昨日、ニルス村で産まれたバイコーンです」

 そう、俺はあのバイコーンをグランエルに連れて帰ってきていた。

「これを産んだユニコーンは、土地が死んだ影響を受けたのか、それともバイコーンを産んだのが原因なのか分かりませんが、ほどなく死にました」

 あのユニコーンは産後すぐは問題なさそうに見えたが、しばらくして急激に衰弱し、最後には死んでしまった。二頭いるうちの一頭もニルス村近郊が死の土地になってすぐに死んだと言っていた。ひょっとしたらユニコーンは土地の影響をもろに受けるのかもしれない。それで弱ったというのもあるだろうし、バイコーンが産まれたのもあるいは土地の影響か…………。

「ニルス村に放置するわけにもいかず連れて帰りましたが……この通り大人しく……。ああ、もう、引っ付くなツヴァイ」

 どういうわけかこのバイコーンは俺にやたら懐き、引っ付いてくる。手綱で引かなくても俺の後ろをついて歩いてくるほどだ。そのくせ、ドグをものすごく警戒していた。

 バイコーンがユニコーンと真逆の性質を示すと仮定するなら、ユニコーンが処女を好むのと逆に、バイコーンは非処女を好むのだろう。相変わらず男の純潔か否かはどうでもいいらしく、フェンリーや村長さんには何の反応も示さなかったが。

「ふふ。もう名前をつけているのですね」

 俺とツヴァイの様子を見て、クラウスは笑う。

「名前の由来を聞いても? 聞きなれない名前ですから」

「俺の知る遠い異国の言葉で、数字の二を示します」

 ドイツ語だな。大学生の頃、第三外国語としてドイツ語を学んでいたことがある。まあ単位のためにやっていたからほとんど使えないんだが。

「それで、領主様にこの度はお願いがありまして」

 そう、そこが本題だ。

「どうかこのバイコーンを、神学校で飼育する許可をいただきたく」

 それが、俺のユニコーン対策だ。

「それは、なぜ?」

「バイコーンは非常に珍しい生き物です。偶然手に入れたこれを研究の対象にしない手はありません。ユニコーンから産まれた、不浄を司る災いの獣。この生き物を研究することは、ユニコーンの生態を裏面から解き明かすことにもつながるでしょう」

 ツヴァイの頭を撫でる。

「危険性についてはこの通り、何の問題もありません。ツヴァイは非常に大人しく、また俺に懐いています。バイコーンに触れると呪われるという話も迷信でしょう。仮にそれが事実だとしても、俺なら呪いに抵抗できます」

「………………うむ」

 さて、どう出る?

 俺のユニコーン対策。ユニコーンの世話係を放棄スポイルするための作戦が、これだ。バイコーンの専属世話係になる。そうなれば必然的にユニコーンの世話をしなくて済む。単にバイコーンの世話で忙しくなるというだけではない。生態が不明瞭ながら、触れると呪われるとすら言われるこの生物を扱う人間を、まさかユニコーンに近づけようとは思うまい。安全策として、ユニコーンから隔離するのが当然だ。

「バイコーンについては、理解しました」

 クラウスは頷く。

「実在すら疑われるほどに希少な生き物です。その生物を手に入れたのですから、研究しない手はない。その点は僕も同意します。見たところ危険性も少ないようですしね。もっとも、万が一に備えた対策も用意は必要でしょうが」

 よし、いい感触だ。

「ですが」

 と、ここでクラウスは言葉を翻す。

「バイコーンの話は一旦置いておきましょう」

「………………はい?」

「まずは、あなたの神学校入学の件が先ですね」

 ああ。

 そういえばそうだったな。

 俺の神学校入学、こいつに正式な受理をしてもらわないといけないんだった。

「リザさん。僕はあなたのここ数日の行いに、非常に興味を覚えています」

 クラウスがまっすぐ、俺を見据えた。

「一昨日は、呪いに侵された者を五人、一度に治療したと聞いています。なんでも自分に呪いを移し、まとめて一度の奇跡で解呪したとか。普通の神官であればできないことです」

「…………………………」

 あれは、どうにも悪目立ちだったな。俺の黒い根源刻印、その性質を知る上でも必要な実験ではあったんだが。

「さらにそれ以前、そもそもグランエルを目指すにあたり、死の土地となったニルス村を駆け抜けたそうですね。いくら土地が死んで日が浅いとはいえ、ずいぶんな蛮勇です。そこで解呪の奇跡を授かり、村の人を治療したとも聞きました。村長さんが報告してくださいましたから」

 ふむ。その口ぶりだと、オーガを黒雷で焼き払ったことは約束通り黙っていてくれたらしい。

「しかしいずれにせよ、興味深い事例ですが問題があるわけではありません。リザさんもご存知の通り、今グランエルでは解呪の奇跡を扱える者が不足しています。あなたのような存在は、グランエルにとってはありがたいのです」

 じゃあなんでわざわざ口にしたんだ。どうにも含みがあるな。

「そういえば、あなたが腰に帯びている剣も、見覚えがありますね」

「………………ええ」

「ライオット家が処刑人に使わせていた斬首用の剣ですね。王都の職人に五本作らせたものの一本です。実は四本はまだ我が家にありまして。一本だけ、外に送り出したのです」

「それは、どういう……」

 クラウスはくすくすと笑った。

「ちょっとした遊び心ですよ。我が家には武具のコレクションがたくさんあります。僕は武器や防具の類を振う気質ではありませんが、それでもあれらを見ると心躍ることがあります。しかし、ときに……。本当にただ陳列し、飾っておくだけでいいのかと思うこともあります」

 彼はわずかに歩を踏み出し、こちらに近づいた。

「処刑人の剣。銘を『罪洗い』。罪人の首を斬り落とし、さまよう魂を斬り払うその剣を、もし外に送り出したら、誰が手にするのだろうかと興味を覚えました。やはり武器は、ふさわしい人の手に渡ったとき、もっとも輝くものですから」

 そして、そんな遊び心の末に、この剣は俺の手に渡った。

「まさか見習い神官の手に渡るとは思いませんでしたが……。面白いことがあるものです。ですがちょうどいいかもしれません。あなたがグランエルに留まり神官としての研鑽を積む中で、その剣がどのような役割を果たすのか、見届けるのも面白そうです」

 面白いかどうかで俺の去就を決められてもな。

 だが、この様子だと別段、俺が入学することは問題なさそうな雰囲気だな。

「ところで」

 しかし。

 ここで。

 クラウスは話を逸らす。

「これは脇に逸れた話になるので、もし心当たりがないのであれば適当に聞き流してほしいのですが」

「はい」

「………………………………っ!」

 な………………。

 なんで、このタイミングで、その名前が……。

「先日、クタ村がハッタロー一派に焼かれました。その折、クタ村の教会を治めていた神官のダグラス・バーバラ殿とその息子ダダ殿がグランエルに逃れてきました」

 ダグラス…………ああ、あの父親そういう名前だったのか。村では一貫して神官長と呼ばれていたし、ダダも奥様も名前を全然呼ばなかったからな。

「彼らは王都にすぐ向かいましたが、報告の最中、ダダ殿が呟いた名前がそのリザグオーです。あまりドラゴヘイムでは聞かない響きの名前なので、妙に記憶に残りまして」

「…………………………」

「ところでリザさんはクタ村からやって来たとシスター・メロウから聞きました」

 まずい………………。

 これは…………。

「しかし、ダグラス殿もダダ殿もあなたのことは一言も話さなかった。そこがどうも引っかかります。そこへきて、リザグオーです。リザグオーとリザ。少し名前が似ていますね」

 こいつは……クラウスは、気づいている。確信を得ているかは定かではないが、かなりの確度で俺がリザグオーだと推測している。

 だからか。だから、俺の入学手続きを保留していたのか。

「………………………………」

 クラウスは、俺を見ることなく、執務室を歩む。

 そして、肖像画の前に立つ。

「この肖像画、なんだと思いますか」

「…………………………はい?」

 唐突に、なんだ?

「この絵には、何が描かれていると思いますか?」

「えっと…………」

 意図を掴みかねる。

「剣闘士、ですか?」

「ええ、剣闘士です。奴隷の」

 彼はこっちを見た。

「ここから南に行ったところに、剣闘都市ガーランドというところがあります。そこでは昔から、奴隷の剣闘士を戦わせる興業が盛んでして」

 それが、どうかしたのだろうか。

「この絵はガーランドで活躍した剣闘士の絵です。彼の名前はクラウン・ライオット」

「え?」

「僕の曽祖父にあたります。そして、都市グランエルを興した初代領主」

「……………………」

「曽祖父は剣闘士から騎士にまで成り上がり、最後には王から領地を授かったという話です。そしてその都市こそグランエル」

 クラウスは窓辺に寄る。

「ここ数日、あなたはグランエルを見たでしょう? どうでしたか?」

「ええ」

 何となく、聞きたいことは分かる。

「リザードヘッドに亜人。この国では奴隷扱いが当たり前と聞いていた種族が、店を持ち、所帯を持ち、普通に生活していましたね」

「はい。それこそ、初代領主の目指した都市づくりです。すべての種族、すべての人が、幸福に暮らせる都市。当然、奴隷制度をここでは認めません」

 奴隷制度を公然と認める国にあって、奴隷制度を認めない空間。

「ゆえに、あなたが何者かはどうでもいいのです」

 クラウスは断言する。

「あなたが異国の人間であろうと、元奴隷であろうと、それはここでは何の意味も持たない。だから、僕は…………いや、このグランエルはあなたを歓迎します」

「じゃあ…………」

「入学を認めます。この町に安寧をもたらす神官たらんことを祈ります。

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