#3:再びニルス村へ

「…………まだ痛い」

「そりゃそんな危ないことしたら怒られるやろ。自業自得や」

「治癒の奇跡は、使ったらまた怒られるよなあ」

 その翌日の朝。ぶつくさ言いながら俺はドグと一緒に教会の裏手にある馬小屋に向かっていた。

「絶対たんこぶになってるって」

「しかし呪いを五人分引き受けるとはなあ。どうなっとるや?」

 ドグは首をひねる。ふむ、やはりあれは普通のことではないらしい。と、すると、彼女たちが有する銀の根源刻印では同じことはできないのだろう。やはり俺の、黒い刻印が呪いに抵抗していたらしい。

 どういう仕組みかは分からないが。

「でも、これからもあんなに大人数が呪いを受けて教会に来たら、あの手段を取るしかないだろ。まさか『奇跡が回数切れなので明日来てください』なんて言えないし」

「そうやな。ニルス村の石碑でウチも奇跡を授かれればちょっとはマシになるんやけど。贅沢は言えへんな」

 教会の裏には、馬小屋が三つ並んでいた。そのうちのひとつ、左の小屋は打ち捨てられていた。使われているのは二棟だけのようだ。

「ほら、さっさとユニコーンに餌あげよか」

「…………ああ」

 ついにこのときが来てしまったか。

「……ん? どないしてん」

「いや、この小屋にユニコーンがいるんだよなあと」

「そらいるやろ。逆に何がいるねん」

「…………俺、ユニコーン苦手なんだよなあ」

 白状する。だいぶ不正確な言い回しだが。

 苦手なのは俺じゃなくてユニコーンの方だ。俺は処女じゃないから、近づいたらどつき回される。

「ほら、純潔じゃない人を突き殺すって言うじゃん。俺、自分が純潔だとはあまり思えなくてさ。選別のときも戦々恐々で……」

「せやかて、世話せなあかんやろ」

 ドグが呆れたように言う。

「これからなんぼでも世話するで? 今のうちに慣れや」

「………………」

 とんでもない正論だ。

 でも慣れるとかそういう問題じゃないんだよ!

 俺はユニコーンに近づけないんだ。

「ほら、さっさとし」

「……ああ」

 腹を決めるしかないらしい。

 確かに、これからユニコーンの世話は何度もすることになる。俺がこの神学校で過ごす上で、ここは誤魔化しがきかない。なんとかユニコーンに近づかず、世話をする方法を考え出さないと……。

 ドグが真ん中の小屋、俺が右の小屋を担当する。閂を外し、扉を開いた。

「ぶるるっ!」

「うわあ」

 情けない声を上げて後ろに下がる。まだ小屋に入ってもいない内から、ユニコーンにものすごく警戒されている。

「ど、どうどう…………」

「……………………」

 にらみ合いが続く。

 駄目だこりゃ。

 こいつ、クタ村のやつより警戒心が強い。

「リザさん!」

 うおっと。後ろからメロウ先生の声がした。

 てっきり馬小屋掃除に苦慮しているのがバレたかと思い、戦々恐々振り返ると、そこにいたのは先生だけではなかった。

「あ、ニルス村の村長さん」

 先生の後ろには村長さん、それから何人かのニルス村の人たちが連れ立っていた。

「何かありましたか?」

「ああ、それなのですが、神官様」

 村長はいかにも困ったという顔をしている。なんか、あまりいい予感はしないな。

「おかげさまで、領主様に救援を頼むことができましてな。グランエルの騎士団が村に来てくださいまして、避難は着々と進んでおります」

 そこで村長は俺の傍に寄って、ぼそりと声を潜める。

「……神官様がオーガを倒してくださったお陰で、平野のゴブリンが大人しくなりまして。しばらくの間でしょうが、余裕ができたのです。おかげで村人たちも比較的ゆっくり、財産を整理してからグランエルに向かっております」

「ああ、それはよかったですね」

 でも、だとしたら何の用件で?

「ニルス村の人たちは、あなたを頼ってきたのですよ、リザさん」

 メロウ先生が言う。

「俺を?」

「ええ。あなたがここへ来る道中で助けたのでしょう? 神官は人々の信に答えるもの。それは見習いであれ同じことです。この人たちの声を聞くのはあなたの役目ですよ」

 もちろんわたしも協力はしますが、と先生は付け足す。

「分かりました。それで村長さん、何があったんですか? また呪いが?」

「おお! まさしくその通りなのです。村の警護に訪れた騎士のひとりが呪いを浴びまして。騎士らしい蛮勇と言いますか、度胸試しのせいですな。あの焼け焦げた土地に近づいたのです」

「それはそれは……」

 まあ、戦いを本職とする人たちだから多少の勇み足は必要だが……。どうしてこう、見えてる地雷に飛び込むかな。

「グランエルまで送り返すことも考えましたが、それよりは神官様に来ていただく方が確実だろうと思いまして」

「そうですね…………」

「それともうひとつ、実はありまして」

 なんだなんだ?

「神官様は村にいたユニコーンを覚えておいでですか?」

「ああ、はい」

 例の、妊娠していたユニコーンだな。

 しかしここでもユニコーンか…………。

「そのユニコーンが産気づきまして。我々、ユニコーンの世話はしてきましたが、さすがに出産となると経験がなく…………」

「なるほど……」

 だから騎士の呪いを解くのと合わせて手伝ってほしいから来てほしいと。

「すみません。呪いは何とかなるんですが……。ユニコーンの出産は俺も世話をしたことがなくて」

 ていうか近づけないしな。特に出産で気の立っているユニコーンなんて絶対近づきたくない。

「そんなら、ウチが行こか?」

 横合いからドグが顔を出す。

「ドグ?」

「ウチ、ユニコーンのお産なら手伝ったことあるで。任せとき」

「いや、でもなあ。ニルス村までは死んだ土地になったゴブリン平野を抜けるんだぞ?」

 オーガを殺して多少安全にはなったが、危険じゃないか?

「そうですね」

 先生も頷く。

「少々、容認しがたい危険さだとは思います。道中は騎士団の方々が警護してくださるとはいえ……。リザさんは一度抜けたことがありますし、剣も持っていますが」

 武器の所持はポイントにならないぞ。剣の扱いは素人なんだ。

「いうても、や」

 ここから先の説得はドグの専売特許だ。

「ニルス村に行けば解呪の奇跡を授かれるんやろ? なら行かない手はないやろ。これからときが経てば村にはもっと近づけなくなる。その前にひとりでも解呪の奇跡を手にするべきや」

「……それは、そうですが」

「大丈夫。ウチなら防護の奇跡使えるし。騎士団の人たちが守ってくれるなら安心や。ぱっと行ってぱっと戻ってくる」

「……確かに」

 ちらりと先生は俺を見る。

「今後のことを考えると、あなたも解呪の奇跡が使えた方がいいですね。今がその絶好の機会だというのも事実です。しかし……生徒を危険なところに送るのはどうにも……」

 先生が渋っていると、そのとき。

「では、俺が同行するというのはどうでしょうか」

 後ろから、声が掛けられる。

「え?」

 そこには、短い茶髪の少年が立っていた。

「あなたは………………」

 メロウ先生の問いより先に、答えはドグから返ってくる。

「お兄ぃ!」



「えっと、フェンリーさん? フェンリー・マックールさん」

「フェンリーで構わないよ、リザさん」

 そういうお前が俺をさん付けで呼ぶんだが。

「はあ………………」

 俺とドグ、それから彼女の兄を名乗るフェンリーという少年を合わせて、俺たちはニルス村に向かっていた。乗っているのはグランエル騎士団が出してくれた二頭引きの広い馬車だ。俺たち以外にもニルス村の村長さん、それから三人の騎士が乗っている。騎士のうちひとりは御者となって手綱を握っていた。

 フェンリーと名乗ったその少年は、年のころ十五、六くらい。精悍な顔つきで、細身ながらも運動に慣れているという感じのひきしまった肉体をしているのが、着ている革鎧の上からでも分かる。腰に帯びている剣は柄に巻かれた布が擦り切れて、使い込まれているのが見て取れた。

「あらためて自己紹介を。俺は海浜都市リバルバルで騎士をしている家系の三男。この度、王立騎士団に志願すべく王都を目指していた道中、先にグランエルに着いていた妹の様子を見ようと思って」

「ははあ」

 騎士団ねえ。男ならそういう選択肢もあるわけだ。まあ俺のもともとの三十路の肉体じゃどうあがいても騎士なんて無理だが。つくづく女の身の可能性の狭さが染みる世界だ。

 それにしてもリバブバルか……。確かレムナスの北にあった領地だな。

「じゃあドグ、お前ってドグ・マックールだったのか」

「うんにゃ、違うで」

 フェンリーの隣に座っていたドグが首を横に振る。

「ウチはしがないシスター・ドグや。というか、まあひょっとしたらリザはんのことやし知らんかなとも思っとったが……」

 彼女は呆れたようにため息を吐く。

「ウチら女性神官はシスターになった時点で苗字を捨てるやろ。リザはんもその口やないんか?」

「苗字を、捨てる?」

 そういうシステムなのか?

「ドグは、俺の腹違いの妹なんだ」

 詳しくはフェンリーが話してくれる。

「父の愛人の子で。騎士や貴族の家系で子どもが、特に女児がいるときは、お家騒動を嫌って神学校に出すことがあるんだよ。苗字を失えば、一族の人間ではなくなるから。ドグもそういう経緯で、父が無理を言って神学校に。しかも神学校はリバブバルにもあるのにわざわざグランエルに……」

 ふうん。出家みたいなもんか。ただ、やっぱりここでも男女で不均衡があるんだな。男は所帯を持てる都合上、苗字を失わない。だからダダはダダ・バーバラのままだったのか。

 ドグがどうして金勘定にうるさく、武器や調度品を見る目を持っていたのかもそれでだいたい分かった。生まれつき、そういうのに囲まれた環境だったと。

「リザさんは少し、経緯が違うようだね」

「まあ、いろいろと」

 経緯もクソもないのだがな。

「それで旅の途中に可愛い妹の様子を見に来たと」

「そんなところだよ」

 可愛い妹の部分否定しないなこいつ。こんなくそ生意気な小娘なのに。

「しかしなんでまた王立騎士団に? さっき聞いた話では、リバブバルで騎士をしている家系という話でしたが……」

「そんなん決まっとるやろ」

 ドグが口を挟む。

「家を継ぐのは長男。もし長男になんかあったときの次男。家に必要なんはそんだけや。三男はいらない子。せやからウチらマックール家の爪はじき者同士、仲良くしとるわけや」

「いらない子…………」

 いい気分はしないな。俺も三男だ。そして兄二人のせいでいろいろと不利を被り、その最大級として異世界に転生させられている。

「そう悲観することでもないよ」

 フェンリーは優しくドグの言葉を制する。

「おかげで自由だ。騎士団に参加するのもね」

「騎士団に参加して、成り上がりを狙っているとかでは?」

「俺はそこまで野心家ではないよ。ただ、勇者とともにこの世界を救いたいとは思っているけどね」

「勇者…………」

「もちろん、あの不逞の勇者なんかじゃない、本物の勇者だ」

 それは…………。

「そりゃ勇者いうより賢者やな」

 ドグが言う。

「不死の賢者ツグィロウのことやろ」

 継次郎ツグィロウ…………!

 あいつが、本物の勇者だと…………?

 お笑い草だな。

「あ、おい見ろ!」

 文句のひとつでも言ってやろうかと思ったところで、同乗の騎士が声を上げる。

「馬車が襲われている!」

 正面を見ると、確かに、馬車が草原地帯の道に立ち止まっている。そしてゴブリンの群れに襲われていた。その数は十数匹。大ピンチ! というほどでもないが、騎士たちは馬車を守りながらの戦闘で少し手こずっているようだ。

「ぬかるみに車輪を取られたな。それで立ち往生している間にゴブリンに……」

 昨日は雨が降っていたからな。今日は朝から晴れていたが、道が悪くなっていたか。

「加勢する」

 騎士たちはぞろぞろと馬車を降りる。

「フェンリー殿は残って馬車の護衛を」

「了解」

 フェンリーも降りて辺りを見渡す。俺も馬車を降りた。

「リザさんは馬車の中に」

「いえ。ゴブリンなら剣の試し斬りにちょうどいいですよ」

「それは……。また珍しい武器を持っていますね」

 などと話していると、草むらから三匹、ゴブリンが飛び出してくる。いずれも猪に乗ったライダーだ。

 面倒だな。

 よし。ここは防護の奇跡を使おう。ニルス村に発つ前、身を守る手段としてメロウ先生に勧められて奇跡を授かっていた。グランエル教会の地下に置かれた石碑に記されていたものだ。

「根源の龍よ」

「待ちや」

 後ろからドグが出てくる。

「リザはんは村で解呪するんやろ。奇跡は温存しとき。ウチがやる」

「……ああ」

 ドグが一歩、前に出て右手をかざす。

「根源の龍よ。我が祈りを聞き届け、あらゆる災厄から我らを守りたまえ。『プロテクション』!」

 すると。

 俺たちの眼前に、半透明の白い壁が現われる。

 ゴブリンライダーたちはそのまま突っ込み、壁に激突する。そのまま転がって倒れた。

「今や!」

「ああ!」

 壁が消え、フェンリーが前に出る。転んで動けなくなっているゴブリンと猪にとどめを刺すだけだから簡単な作業だ。

 これが防護の奇跡『プロテクション』。目の前に壁を張るという実にシンプルなものだが、ある程度の攻撃ならなんでも防げるという便利な奇跡だ。

「リザはん、横!」

 ドグの声がして我に返る。見ると、草むらから一匹、ゴブリンが木の節でできた棍棒を振り回しながら迫ってくる。伏兵か! ゴブリンの癖に!

 鞘から剣を引き抜き、振り下ろされた棍棒を防ぐ。すると…………。

「ぐきっ!」

 ゴブリンが間抜けな声を上げた。そりゃそうだろう。なにせ……。

 棍棒が真っ二つに斬れたからだ。

「な…………」

 さすがにこっちも驚く。が、今は……!

「このっ!」

 剣を横薙ぎに振う。刃は呆けていたゴブリンの胴体に食い込み、そのまま両断した。

 骨に当たったような硬い感触すらない。まるでバターを切るみたいにすっぱりといった。

「前の剣は斬れなかったが、今度の剣は逆に斬れすぎる…………」

 剣を振って血を払う。

「いくら斬首用の剣だからって、ここまでとはな……。それにこれ、けっこう昔の武器だろ。よくこの切れ味を維持していたな。きちんと手入れされていた証拠だ……」

 棍棒を防ごうとしただけ、こっちに斬ろうという意識がなくても斬れてしまう。こいつはとんだじゃじゃ馬だ。

 だが、なるほど、これはあの宝剣を売った代わりに手に入れたものとしては充分な武器だ。

 この剣なら、初太郎と継次郎をぶっ殺すにも支障はない。いい買い物だ。

「大丈夫か! リザさん」

「ええ、なんとか……」

 ゴブリンと猪を片づけたらしいフェンリーがこっちに来る。

「…………ん?」

 まだ、草ががさごそと揺れている。

 ゴブリンが残っているのか? そう思って俺とフェンリーは剣を構えた。

 が、現れたのは………………。

「……え!」

 灰色の鱗を持つ、トカゲのような生き物。

 いや、トカゲではない。

 その背には羽が生え、尾には鋭い棘が何本もぎらついている。そして灰色の目でこちらを見ながら、口からちろちろと火を噴いていた。

「ドラゴン?」

 フェンリーが呟く。

 そう、ドラゴンだ。

 大きさは、ゴブリンが乗っていた猪よりもさらに一回り小さい。だから本当に、まだ子どものドラゴンだ。

「なんで、土地が死んでるのにドラゴンが……」

 なにやらフェンリーが意味深に呟くが、俺は別のことを考えていた。

 それは、根源の龍が言っていたこと。

「…………………………」

 彼女は言った。「龍を殺し、人の未来を……明日へ」と。

 その意味するところは分からない。それに、彼女は俺に使命を与えないとも言った。だからこれはお願いだ。

 もしこの世界を、俺に地獄すら見せたこの世界を、それでも救ってくれるというのなら。

 頼むと。

 正直、俺は世界なんて救いたくはない。俺にあらゆる地獄を見せたこの世界を、救いたいとは思えない。

 だが、この世界にも人は生きていて、苦しんでいる。彼らを救う力を彼女は授けてくれた。

 そしてなにより、復讐するための力を。

 だから義理がある、とは言わない。なによりも復讐が最優先だ。

 しかし、例えばドラゴンがゲームのラスボスクラスにやばい敵なら俺だってあっという間に諦めていたが。

 目の前にいるのは子どもで、剣の一太刀で簡単に殺せそうだ。

 なら、彼女の願いに応えてやるのも悪くない。

 それくらいなら、してやれる。

「……………………よし」

 殺そう。

 それがどうして、世界を救うことになるのか分からないけど。

 俺は剣を振り上げ、そのまま勢いよく振り下ろす。

「ぎゃっ!」

 ドラゴンは驚いたように飛びのく。まだ羽が小さくて飛べないらしい。ジャンプでぴょんと避ける格好だ。

 そのまま草むらに逃げようとする。

「待て!」

「待つのはリザさんの方だ!」

 がしっと。

 後ろから羽交い絞めにされる。

 振り返ると、フェンリーが俺を押さえつけている。

「は、離せっ!」

 男に体を触られて、全身が粟立つ。

「ジブン、何しとんねん!」

 むしろ拘束がゆるむどころか、正面からもドグが押さえつけた。

 その顔はいつもの能天気さに似合わず、青ざめている。

「ものを知らんやつやとは思っとったけども、まさかここまでとは! それともジブン、ハッタロー一派の回し者かいな!」

「はあ?」

 なんで俺が初太郎の手の者になるんだ?

 ドグは冷や汗をかきながら、俺に向かって叫ぶ。

「リザはん、世界滅ぼす気か!!」

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