#2:人手が足りない
「呪いが、蔓延している?」
メロウ先生の説明に、思わず聞き返した。
「ええ。どうやらこのドラゴヘイム全土で、呪いが蔓延しているようなのです」
教会と寮は渡り廊下で繋がっていて、雨に濡れることなく簡単に移動することができる。速足で進むメロウ先生の後を追いかけながら、俺も急ぐ。腰の『罪洗い』ががちゃがちゃと音を立てた。
「ここ最近のことです。まず辺境で呪いの発生が確認されました。それから、あちこちの土地で散発的に……。その対策として、王は解呪の奇跡が使える神官を根こそぎ王都に集めたのです」
「…………そうか、それが」
「ええ、人手不足の正体です」
昨日、メロウ先生が言っていたのはそういう……。
「お気づきになっていたでしょう? この神学校に神官も、見習い神官もまるでいないことに」
「……………………あ!」
お気づきでなかった。
そういえば、昨日から神学校ではまるで人を見ていない。今朝なんて、食堂にいたのは俺とドグ、そして先生だけだ。昨日はてっきり安息日だからみな出かけているものだと思っていたが、それだと辻褄が合わない。
なるほど。先生が神官長で校長という立場なのに朝食の当番を買って出ていたのは、単に人がいないからか。
「そもそも、解呪の奇跡はとても希少なものです」
今朝の会話で俺があまり根源教の知識に明るくないと察したのだろう。さすがに先生は教師だけあって、俺の知識レベルを瞬時に推し量って適切な解説を加えた。
「もとより記した石碑の数は多くありません。その上、たいていは訪れるのが難しい土地に置かれていまして……。ニルス村のように、簡単に訪れられる村に置かれているのは非常に珍しい例なのです」
「……………………!」
そうなのか。しかし、そんな場所が死んだ土地になってしまった。ことの重大さが、さらに重くのしかかる。
俺が行きがけの駄賃とばかりに解呪の奇跡を授かったのは、本当に幸運だったんだな。
「そういう立地ですから、グランエルの神官はまず解呪の奇跡を使えます。しかし王は、彼ら神官を根こそぎ徴発しました。王都で呪いが発生した場合に備えて。わたしは立場があったので残れましたが、結果的に三か月前、すべての神官が見習いを含め王都に発ちました」
それで神学校には誰もいないと。
「一か月前にシスター・ドグが入学し、昨日あなたが入学したのが精々の人員です。解呪の奇跡どころか、治癒の奇跡を使える人員にも困るほどで。ドグさんはグランエルに来て初めて奇跡を授かったので、治癒の奇跡が使えないのです」
ふむ。じゃあおそらく、この教会にもクタ村やニルス村のように石碑があるんだな。ただそれは治癒の奇跡を記したものじゃないから、ドグは使えない。
「要するにそれって、島に一人しかいない医者が都会の大学病院に徴集されるみたいな話じゃ……」
「…………はて?」
「いえ、こっちの話で」
ともかく。やばさは分かる。
この世界にも医者はいるし、一般的な治療法はある。だが、治癒の奇跡の簡便さと即効性は比較にならない。そしてグランエルは大きな教会と神学校があるように、ある程度神官の人数を揃えていたはずだ。当然、そうなれば神官の数を前提にした社会の運用がなされるはず。つまりグランエルの医療を担っている中枢を、ごっそりぶっこ抜かれたわけだ。
王都を守るというただそれだけのために、グランエルは危機にさらされている。
「神官はグランエルにとっても大事な人たちでしょう? 断れなかったんですか?」
「王の勅命を断るなど、とても」
そうだろうな。この辺は現代人の俺にはいまいち感覚の掴めないところだ。地方自治権なんてあってないようなものか。
「それに王都の教会で従事できるとあれば、彼らにとっては昇進のようなものです。見習いの子たちも、王都の神学校で学べるのならここよりも環境が整っていますし……。その面から言っても、断るというわけには」
そりゃ王都だもんなあ。俺も王都の神学校で学べると言われればそっちを選んでしまうだろう。学習環境は大事だ。
「というか、呪いの原因ってなんですかね?」
気になるのはそこだ。
「ニルス村の人たちは、妙に焼け焦げた土地に踏み込んだときに呪いを受けてましたけど……」
「死んだ土地の中には、呪いの瘴気を発するようになる場所があると聞きます」
教会の入口までたどり着く。
「そうした土地に踏み込むと、呪いを受けてしまうのでしょう。あるいは、呪いの瘴気が風に乗って町に流れたか……。瘴気を精神力の弱い者が浴びれば、微量でも呪いに侵されます」
「じゃあ、今朝運ばれてきた人たちも?」
先生は首を横に振る。
「分かりません。グランエルでもここ最近、呪いに侵された人たちが見つかっています。ただ、この辺りで土地が死んでいるのは、つい最近のニルス村近郊以外にはありませんから……。いずれにせよ、土地の死が呪いと関わっているのは間違いないでしょう。あの不逞の勇者ハッタローが活発に活動を始めた時期と、呪いの蔓延した時期は一致しています」
「…………初太郎」
あの勇者気取りのポンコツ……。やってることが勇者どころか魔王軍幹部だぞ。
「ともかく、今は治療に専念しましょう」
教会に入る。そこには十数人がぞろぞろと連れ立っていた。
すわ全員が呪いを受けたのかと思ったが、それは違った。呪いに侵されているのはその中の五人だけだ。その全員が苦しそうに呻きながら、教会の椅子に寝かされている。
「呪いを受けたのは彼らで全員ですか?」
「ええ、そうですわ」
…………ん? その声は。
「メアリ!」
「…………リザ? あなたなの?」
なんと、教会にいた人のひとりはメアリだった。
「まさかこんな早くに再会するなんてな」
「ええ、本当に。その様子だと無事、神学校には入学できたようですわね」
雨に濡れた栗色の髪を撫でながら、穏やかに彼女は言った。
「お知合いですか?」
横から先生が顔を出す。
「はい。一緒にグランエルまで来たんです」
「そうですか。では事情を聞いて、それから先に解呪を始めてください。あなたは二回、奇跡が使えましたね? それで二人を治してください。わたしは介抱に必要なものを持ってきます」
「分かりました」
メロウ先生が一度教会を出る。
「それでメアリ、何があったんだ?」
「それがこちらにもさっぱりですの」
彼女は肩をすくめる。
「今朝、宿の食堂で食事をしていたら、急に客の二人が倒れましたの。それで担架を使って運んでいたら、通りがかった市場でも三人が倒れていたのでついでに引っ張ってきたという感じで」
よく見るとメアリはいつもの革鎧を身に着けていない。本当にゆっくりと朝を過していたら事態に巻き込まれたみたいだな。
「とにかく解呪を…………」
ひとりに近寄る。おそらく宿屋で朝食でも食べていたのだろう、軽装の青年だ。だが、一昨日にニルス村で見たときのように、彼には黒い痣のようなものが浮かんでいない。しかし苦しんではいる。と、すると、黒い痣は服に隠れた部分にでも現れたのだろうか。
そう思って、なんとかく青年の手を掴み、袖をめくる。確かに、袖で隠れた腕のところに、黒い痣が――――。
「……! お待ちなさい!」
メアリが鋭く叫ぶ。びっくりして手を離した。
「な、なに?」
「触っては駄目! 呪いが移る!」
「え?」
はっとして、手を見る。青年に触れていた部分、指がわずかに黒ずんでいる。
「なっ……」
逆に、青年の腕からは黒い痣が消えている。
「まさか知らなかったなんて……」
メアリが焦ったように言う。
「呪いは移動するんですわ。直接触れてしまうと、呪われた人から触った人に。だから私たちも、担架を使って触れないようここまで運んだのに…………!」
ああ、そういう。単に呪いに侵された人が動けなかったんじゃなくて、触れないから担架を使ったのか。
「大丈夫ですか?」
「………………ん? ああ」
そこで、ふと不思議なことに気づく。
呪いって、こんなに大したことないのか?
「……………………」
俺の手は、黒いものに侵されている。確かに呪いを受けたらしい。だが、呪われた人たちがそうしていたように、苦しんだりはしない。全然、体に異変はない。
「…………リザ?」
メアリもそのことに気づいたらしい。
「大丈夫、なの?」
「………………ちょっと、こっちに」
彼女を連れて、建物の柱の影に移動する。
「なあ、メアリ、呪いってダメージに個人差があるのか?」
「…………ええ、一応」
彼女は額にしわを寄せる。
「呪いそのものの重さにもよりますが、同程度の呪いでも人によって反応は変わりますわ。倒れて動けなくなる人もいれば、歩く程度ならできる人も……」
「なるほど」
ケガや病気と同じか。同じケガをするでも、ぎゃあぎゃあ騒ぐ人もいれば案外けろっとしている人もいるからな。
「でも個人差があると言っても、そんなに大差はありませんわ。少なくとも大の大人が苦悶して倒れるほどの呪いを受けて、まだ子どものあなたが平然としているのは妙ですわ」
それも、確かに。
「ちょっと、見てくれ」
胸元を開いて見せる。
「この根源刻印、何か変わったところはないか?」
「…………? いえ、特には」
「そうか」
「何か気になりますの?」
「ああ。どうもこの刻印から力を感じるんだ」
まるで、呪いに抵抗しているみたいに。
「黒い根源刻印。その力で呪いを抑えていると?」
「かもしれない」
服の襟を元通りに戻す。
「ところで、呪いが移るって言ってたけど……」
「ええ。さっき見ての通り、呪いは触れると移動する性質があるの」
だからあの青年から俺に、呪いが移ったと。
「だから呪いに侵された人が助かるために、雑踏に紛れて他の人に触れて呪いを移動させてしまう場合があるとか…………ああ」
そこでメアリが気づいたらしい。
「ひょっとして食堂の人たちも、それで?」
「かもしれないな。呪いに侵されたのは他の誰かで、そいつが助かるために触れたんだ。だから傍目には、あの人たちが唐突に倒れたように見えた」
呪いのダメージには個人差があるという話だから、元の罹患者は歩くことくらいはできたのだろう。だが新しく移された人は、耐えきれなかった。
「市場で倒れていた人たちもたぶんそれだ。きっと呪いを受けていた元々の人は、グランエルの外から流入してきたんだろう。グランエルの人間なら、シスター・メロウが解呪の奇跡を使えるのを知っているはずだ」
グランエルの教会事情を知らないから、解呪の奇跡に頼れず他人に移したんだろう。
「…………よし、少し、試すか」
「……何を?」
「ちょっとな。いいことを思いついた。うまくすれば、奇跡の使用回数を節約できるかもしれない」
俺の根源刻印の力を試すいい機会だ。それに、人手不足は慢性的な問題。仮に神学校に新しい見習い神官が来ても、ニルス村近郊の土地が死んだ今、解呪の奇跡の使い手を増やすことができない。
なら、少しでも奇跡の回数を節約して大勢を救う手を考えるべきだ。
俺にはその力が、あるかもしれない。
呪いを受けた人たちのところに戻る。
「神官様!」
俺が呪いを引き受けたことで回復した青年は、他人の呪いが移らないよう少し離れたところに移動して、こっちに声をかけた。
「お身体は大丈夫なのですか? 僕の呪いが…………」
「ええ、問題はありません。それより、少し試したいことがあります。俺はあまり、呪いには詳しくないので、状況を見て、危なそうだと思ったら止めてください」
「何を…………なさるおつもりで?」
「俺が、呪いを引き受けます」
さあ、始めよう。
まずひとり目。
手で触れる。その人の呪いは消えて、俺の腕の痣が一層黒くなる。
まだ大丈夫だ。
ふたり目。
「リザ!」
メアリが叫ぶ。
「呪いが、顔に……」
「大丈夫。まだ、ちょっと息が詰まるだけ……」
三人目。
呪いを引き受ける。
次の人の元へ移動しようとして、体がふらついた。
「……神官様!」
誰かの声が聞こえる。
「もうお止めを! それ以上は」
「だ、大丈夫…………あとひとりくらいなら」
めまいがした。息が荒い。なるほど、これが呪いか……。
でも、まだいける。
四人目。呪いを引き受け、立ち上がる。
腰に帯びた剣。その柄頭に嵌められた黒い髑髏の魔法石に触れる。
「………………リザさん!」
戻ってきたらしいメロウ先生が、驚きの声を上げた。
「その呪いは、いったい…………。触れたのですか」
「ええ、ちょっと、実験を……」
よし、やれるな。
「根源の龍よ。我が祈りを聞き届け、我が身を呪いから解き放ちたまえ」
体が、光に包まれる。
「…………『キュア』!」
すうっと、苦痛が取れていく。
「……できた!」
「なんと!」
教会に集った人たちは、口々に驚きの声を上げる。
「呪いを、解いた! 五人の呪いを、その身に受けて!」
「これは、いったい……」
「なんという奇跡!」
ゆっくり息を吐く。
…………よし。
この技は、有効だ。
これで奇跡の回数を節約できる。五人分の呪いを一回の奇跡で解くことができた。
「リザさん!」
先生が駆け寄ってくる。
「大丈夫なのですか!?」
「え、ええ」
「はあ、まったく、あなたは…………」
ため息をつかれる。
そして。
「本当に、なんて危険なことを!!」
拳骨が飛んできた。
視界に星が飛んで、俺はそのままぶっ倒れた。
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