#4:呪い解く神官
「くっ………………はっ!」
覚醒する。
思わず体を跳ねさせるように飛び起きる。
「ここは…………!」
てっきり、ゴブリン平野に放置されているものだとばかり思っていた。
だが、起きたのは建物の中だ。
というか、俺は、ベッドでぬくぬくと眠らされていたらしい。
「…………………………?」
ようやく意識がはっきりしてくる。焦りも落ち着いて、周囲の状況を確認できるようになった。
俺が寝ていたのは、建物の中だ。普通の、一軒家。ダダの一家の屋敷に比べると粗末だが、素朴な木の造りが好ましくさえ思える。
寝ていたベッドも素朴なものだ。俺の体に掛けられていたのは、猪の毛皮を繋ぎ合わせた毛布だ。
そして、今気づいた。
俺は裸で寝かせられていた。
「…………………………っ!」
気づいた瞬間、毛布で体を覆った。
裸を見られた!?
誰に?
「まずい…………」
単純に恥ずかしいというのもそうだが、もっと厄介なのは……。
見られたことだ。
胸元の黒い根源刻印。
脇腹の焼き印。
全身の鞭打ちの傷。
まずいまずいまずい………………!
全部、露呈した。
俺が見習い神官だというのが嘘だと。
「リザ? 起きましたか?」
声がして、扉が開かれる。
姿を見せたのは、メアリだった。
「メアリ…………」
「よかった。無事のようですわね」
彼女が一歩を踏み出す。
「くるな」
それを、思わず静止した。
「……来ないでくれ」
「リザ………………?」
「見たんだろ、俺の体」
体が、震える。
「気づいたんだろ。俺が、見習い神官じゃないって……」
「リザ」
ふわりと。
メアリは俺を抱きしめた。
「ええ、確かに」
ぎゅっと、抱き寄せて。
「見ましたわ。だって、あんな黒い雷を使って、その後すぐに倒れたんですもの。体に異常がないか、確かめるしかなかったんです」
「……………………」
「その全身の傷、鞭打ちのものですね。分かります。よく見てきましたから」
「メアリ、俺は…………」
「奴隷、だったんですね。脇腹の焼き印も見ました。でも、てっきり奴隷から見習い神官になったものだと思いましたが、その様子だと…………」
「クタ村に、いたんだ……」
口をついて、言葉が出た。
「そこで、俺は奴隷として――」
その言葉を留めるかのように、メアリはさらに俺を強く抱きしめる。
「あなたが何者でも、関係ありませんわ。言ったでしょう? 女だけの旅に遠慮はいらないと」
「…………………………」
そうか。
この人は、優しんだな………………。
当たり前のように。
その当たり前が、この世界ではずいぶん難しい。
「それに、あなたが何者であっても、神官として奇跡を授かった身でしょう? 刻印が黒いのは少し気がかりですが……」
「奇跡…………そうだ」
メアリの体から離れる。毛布がばさりとベッドの上に落ちた。
「左腕のケガ。早く『ヒール』を」
「それには及びませんわ」
彼女は俺を制止する。
「平野での戦いからもう一日経っていますから、たぶん奇跡は使えるでしょう。でも今は回数を節約しておいてください。きっと、必要になりますわ」
「それは………………」
どういうことだ?
「大丈夫。まだ痛むので弓は持てませんが、普段使いには困らない程度に回復しましたわ」
まあ、本人がいいと言うなら今は従っておくか。一回しか使えないし。
「そういえば、ここはどこなんだ」
毛布をもう一度被りながら、メアリに聞いた。
「ニルス村ですわ」
「村…………」
それは、考えてみれば分かることだけど……。
「詳しい話は後で。今は起きて、着替えてください」
見ると、部屋の片隅に俺の剣と服が置かれている。
「安心して。袖をめくって傷跡に気づいたとき、見せてはまずいと思いましたから。あなたの体を見たのは私ひとりだけですわ」
「そうか…………」
少しだけ、安心する。
言われた通り服を着こみ、サンダルを履く。重たい上にとんだなまくらだと判明した剣を手に、部屋を出た。
建物を出ると、そこは確かに村だった。時刻は朝。東の空が明るい。
「ここが…………」
ニルス村。ゴブリン平野の中腹に位置する村。
だが…………。
人が、残っている?
村には何人もの人が残っていて、外で作業をしている。てっきり土地が死んだとき、すぐに村人たちは退去したものだと思っていたのだが……。これはいったい?
「おお、お目覚めになられましたか」
「うわっ!」
突然横合いから声をかけられてびっくりする。見ると、年老いた男性が立っていた。どうやら村長らしい。
「神官様、ご無事で何よりです」
「いや、その…………」
「これも根源の龍の思し召しでしょう。いやはや、我らも光明が見えました」
ちょっと待て。
なんか勝手に話が進んでいるぞ。
「じゃあ私、少し馬車の様子を見てきますわ」
メアリは何と、この困った村長の始末を俺に押し付けた。
「車軸にヒビが入ったそうですの。この村までは何とか引っ張ってこれましたが、ここから先走れるか確認しないと」
「……………………」
なるほど、馬車は放棄しなかったんだな。俺が雷撃でゴブリンを追っ払ったために、横転した馬車を戻して引っ張っていく余裕ができたらしい。
それならよかった。
いやそうではなく。
結局村長の世話を押し付けられた。
「あの…………」
「どうか神官様、我らをお救い下さい!!」
「うっ……」
声がでかい! 期待もでかい!
「その、俺は神官じゃありません。見習いです!」
「見習いでも奇跡を授かりし身! 我らには救いの光です!」
駄目だ全然話聞かねえ。
「あの、えっと」
さて、どうする。
まずは現状の確認だ。
「ここ、ニルス村で合っているんですよね」
「ええ。ここはニルス村です。神官様は昨日の昼頃、馬車に載せられてやってまいりました。それはもう苦し気に呻いておられまして。お身体の方は大丈夫ですかな?」
「それは、まあ……」
安心する。置いていかれなくてよかった。
「村の一大事を助けていただき、本当にありがとうございました」
「え?」
「その、村にオーガが引き連れたゴブリンの大軍が攻めてきましてな。あわや村が襲われようかというとき、突然オーガたちが進路を変えたのです。それからしばらくして、黒い雷が天を焼きました。聞くところによりますと、あの雷は神官様のものだとか」
「…………………………」
見られていた。だが、今のところ悪く受け取られてはいない、か。アデルさんの炎のように分かりやすく恵みを与えるものじゃないが、今回はオーガを退けたことでプラスに受け取ってもらえたようだ。まあ、こういう反応ばかりが引き出せるとも思えないし、まだ当分隠せるだけは隠した方がいいだろうが。
それと、聞くところによるとオーガだな。あいつ、村を襲おうとしていたのか。そういえば俺を襲ったゴブリンの一匹が逃げたが、きっとそいつが伝令になったのだろう。結果的にオーガを引き寄せ、それを倒すことで村もメアリたちも救えた。幸運が重なったな。
「すみませんが、あの雷のことは他言無用でお願いします」
まず、釘を刺しておく。
「あの力は、あまりむやみに人前に出していいものではありませんから」
「お望みでしたら。村の者にも口止めしておきます」
よし。あとは……。
「それで、なぜ皆さんは村を出ていないのですか?」
それだ。どうして彼らは村を出ていない? 俺たちは土地が死んだのを知らずに旅を続けてしまったから、突っ切る以外の選択肢がなかった。だが彼らは、土地が死ぬその瞬間に勘付いたはずだ。すぐに逃げ出せば、グランエルまではここから半日くらいの距離のはずだし……。
「それは、口で説明するよりも見ていただいた方が早いかと」
言って、村長は俺を誘う。ついていくと、村の出口付近に辿り着く。
村はやや小高い丘にあって、ここからゴブリン平野を一望できた。一面、立ち枯れになった黄色い草に覆われた死の草原。そのはるか奥に。うすぼんやりと蜃気楼のように町が見えた。あれがきっと、都市グランエルだろう。
ついに、目視できるところまで来た。ドラゴヘイムに着いて、初日に名前を聞いてから二か月と少し。ようやく、ここまで。
感極まって、剣の鞘を握る手に力が入る。だが大事なのはそこじゃない。村長が指で、やや左の方向を示す。そこを見ると、そこには………………。
「なんだ、あれは…………」
ぽっかりと、その草原一面が黒く焦げていた。そして何か、真っ黒な山のようなものが鎮座している。
風に乗って、焦げ臭いにおいがここまで届いた。これは……肉の焼ける臭い。
「不逞の勇者ハッタローが行った蛮行の跡です」
村長が言う。
「数日前、あのあたりから突如として青い炎が上がりました。そして、気づくと土地が死に始めていたのです」
初太郎め…………何をやった?
「もちろん、我々もすぐにグランエルへ避難する準備を整えました。しかし、その間にあの焦げたあたりを確認に行った村の者が、呪いに侵されて帰ってきたのです」
「…………呪い?」
「ええ、呪いです」
村長は繰り返す。まるで呪いという単語がお互いの共通認識として存在しているかのようだが、俺は理解できていないぞ。呪いって、あの呪いか? しかし村長に聞くのもな……。この人、俺が神官だと思っているし、そのフリを俺も今しているわけで……。呪いが神官なら知っていて当然の単語だった場合、メッキが剥がれかねない。
ここは話を合わせながら様子を探るか。
「こちらへ」
またしても村長は俺を導く。
「どうやら、あの焦げたあたりは呪いの瘴気に満ちているようなのです。ですから、誰も近づきたがりません。問題は、グランエルへ向かう方角にあれがあることで……。右にちょいと避ければ問題なさそうにも見えますが、わしらには呪いの何たるかは分かりませんからな。あの方角に向かって呪いを受けたらと思うと、怖くて……」
そうか。やや方角がずれているものの、グランエルの方向にあの呪いのスポットがある。そこに近づくと呪われるかもしれない。少し距離を取れば大丈夫そうに思えるが、そんな素人考えで向かって無事で済むか怪しい。で、グランエルに向かえずここで足止めを食っているというわけだ。
「こちらでございます」
俺が導かれた先は、村の小さな教会だった。
「教会はありますが、数年前、神官様がお亡くなりになり……。それ以来無人でございます」
「そうですか…………」
レムナスと同じ状態か。まったく、この国はどうなっているんだ?
「ここに。呪いを受けた者がおります」
「………………」
「ですがその前に少し、よろしいですかな?」
「はい?」
村長は俺を教会の裏手に案内する。裏手……。クタ村と教会の構図があまり変わらないなら……そこには……。
やはり、馬小屋だ。そして、そこにいるのは。
ユニコーン。
「このユニコーンはさきほどお話した神官様のものです。二頭いたのですが、一頭は土地が死んですぐに亡くなり、もう一頭も…………」
見ると、そのユニコーンは衰弱している。俺が近づくとさすがに息を荒げたが、それでもこっちに挑みかかるだけの力は残っていないようだ。
それに、このユニコーン、腹が出ているな。これは、妊娠しているのか?
「どうですかな? このユニコーンの様子は……」
「いえ、どうにも……」
これ以上近づいてユニコーンが暴れたら、俺が処女じゃないとバレる。まあばれても奇跡を使える以上は見習い神官だと言い張るのも難しくないんだが、バレない方がここは得策だ。
「妊娠もしているようですし、下手に触るのはよしましょう」
「そうですか……それがいいやもしれません。新しい神官様がお見えするときまで、大事に守ろうと思っていたのですが」
ユニコーンの希少性がいまいち分からないが、そうだな……。村としては神官がいた証でもあるし、次の代に引き継ぎたかったろう。だが俺には何ともならん。近づくのさえ無理なんだから。
馬小屋を後にして教会に入ると、その大広間の中央に若い青年が寝かされていた。
「……………………これが」
呪い。なるほど、青年の皮膚はどす黒いものに侵食されている。苦しそうに彼は呻き、大汗をかいている。
そして俺にはなぜか、これがケガでも病気でもないと直感的に理解できた。
まがまがしいものを感じる。ドラゴヘイムの人間として作られたこの肉体の感性なのか、それとも胸の刻印の力なのかは分からない。ただ、もし俺が元の三十代の体なら何も感じなかっただろうことだけは、何となく把握した。
きっとこの青年は、このままだと死ぬだろう。放置すれば、黒いものが体中を侵食して、最後には……。
「お願いします!」
村長は頭を下げる。
「この者にどうか、解呪の奇跡をお与えください!」
「え、いや…………」
メアリが奇跡の回数を節約しろと言った理由は理解できた。
だが、解呪の奇跡って何!?
「す、すみません。俺、見習いなもので」
心苦しいが……。
「奇跡はひとつしか使えないんです。治癒の奇跡だけ」
「それなら問題ありません」
てっきり落胆されるものと思っていたが、あっさり村長は俺の主張を受け入れた。
「実はこの教会の地下に奇跡の石碑がありましてな。おあつらえ向きに、解呪の奇跡を記しておるので……。奇跡を授かれる神官様であれば、何の問題もなく……」
「そ、そうですか……」
本当に都合がいいな。まあ、それでも神官が亡くなった今のニルス村では、誰も奇跡を授かれなくて困っていたんだろう。ユニコーンがあの状態だと選別もできないだろうし、彼らの常識では誰も奇跡を授かれないことになっているはずだ。
実際は純潔か否かなど何の関係もなく、誰でも授かれるんだけど。
とはいえ…………。
「分かりました。地下ですね。それでは祈りを捧げてきますので、少々お待ちください」
言外についてくるなと言い含め、地下を目指す。そこにはクタ村と同じように、白い光を放つ石碑が置かれていた。
きっちりと扉を閉める。これでよし。
「さて……」
ちゃんと俺は、奇跡を授かれるだろうか。
前回のあれはいろいろイレギュラーだった。結果として奇跡を授かりこそしたが、次がどうなるか分からない。案外、奇跡は黒雷のついでに引っ付いて来ただけで、ここでは授かれないという可能性だってある。
だから念のため、人払いをした。それに石碑がどんな反応を返してくるかも未知数だし。
まあ、奇跡を授かれなかったら「土地が死んでいるせいでしょう」とか適当を言って切り抜けるが。
何はともあれ、まずは祈ってみよう。
剣を地面に置く。片膝を立てて跪く。アデルさんがやっていたのを真似して。
「根源の龍よ、人の子、リザが祈りを捧げます」
白い光が、一層強くなる。手ごたえを感じて、更に祈る。
「あなたの奇跡を、脆弱なわが身にお授けください」
胸元の根源刻印が、白く光る。やがてその光は、石碑の輝きとともに終息する。
「授かれた、のか…………?」
胸元を開いて、刻印を確認した。相変わらず黒い。色が銀色に戻ったりはしないらしい。
力がみなぎる! という感じはしない。
本当に授かったのかやや怪しいが、仕方ない。
剣を手にして地上に戻ると、神妙な面持ちで村長は待っていた。見ると、教会の扉や窓からも大勢の村人がこっちを見ている。
すごくやりづらい。
呪いを負った青年の傍に跪く。剣を置き、左手をかざす。
「根源の龍よ」
言葉が、脳裏に浮かぶ。
「我が祈りを聞き届け、彼の者を呪いから解き放ちたまえ。『キュア』」
祈りは、通じた。
光が青年を包むと、みるみると、呪いで黒ずんだ体が綺麗になっていく。
「奇跡だ」
「奇跡が起こった」
人々が口々に呟く。
辺りは、どこか敬虔な喧騒に包まれた。
その中心にいるのは、俺で。
それは少し、やりづらい。
「よしっ!」
メアリが最後の荷物を馬車に収める。
「出発の準備、できましたわ」
「………………うん」
馬車の修繕は、村にある材料だけで問題なく完了した。
べこ太も一日休んで、完全に回復している。
「メアリ、腕の調子は?」
「ばっちりですわ」
彼女の腕は、既に奇跡を使って回復させている。回数制限こそあるが、やはり奇跡は強いな。即効性があるというのが何よりもいい。
「よろしいのですかな、わしも乗って……」
「構いませんわ」
村長とメアリが話をした。
「グランエルに避難のための救援を頼みに行くのでしょう? 私ひとりでも報告できますが、村の内情を知る人がひとりはいた方がよろしいでしょう」
「それも、そうですな」
村の出口には、心配そうに馬車の周りに集まる村人たちがいた。
「神官様、行ってしまわれるのですか」
村人の一人がたまらずというふうに言う。
「どうか我々の村をお守りください!」
「いや、俺は…………」
思わず口ごもる。
「大丈夫です。グランエルに支援を頼めば、別の神官が来ます。俺みたいな見習いじゃなく、もっとまともな神官が……」
「しかし……! 村をオーガから守り、呪いを解いてくれたのは間違いなくあなた様です!」
村人の言葉は、力強い。
それは、少しだけありがたい。
「ありがとうございます。その言葉だけで、俺は報われます」
決意を固め、前を向く。
「いよいよか………………」
いよいよ、グランエルに向かう。
ドラゴヘイムに着いてから、ずっと目指していた土地。馬車で一週間と言われて、結局ここまで二か月以上かかってしまった。
いろいろあった。
本当に、いろいろ。
ようやく、着くんだ。
「出発だ。行こう!」
馬がいななき、馬車が進む。
自由都市グランエルまで、あと少し。
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