#2:土地が死んでいる
メアリと名乗った少女は、やや高慢な顔つきからは想像できないほどに気さくで世話焼きな性格をしていた。
「最近までエルフェルトにいたんですの。そこで仕事人として修業を積んで、グランエルで独立しようと思って」
と、馬車の中ではそんな話をした。
「エルフェルトはいいところでした。人とエルフが共存できる、ドラゴヘイムでも数少ない土地でしょう」
「………………?」
それは、どういうことだろう。
「レムナスにもエルフはいましたよ、メアリさん」
「メアリで構いませんわ。私もリザとお呼びします。私たち、そう年は離れていないでしょう?」
「はあ…………」
この世界の上下関係はいまいち掴めない。
「リザは、レムナス以外の町にいたことは?」
「少し……。でもこの辺りから出たことはなくて」
「そうでしたか……。では知らないかもしれませんわね。このドラゴヘイムでの、エルフの扱いについては」
聞くところによると、エルフという種族はドラゴヘイムでは人として認められていないという。人でないのなら、奴隷として扱われるということだ。同じ種族すら奴隷扱いして何ら恥じるところのない人間という生き物が、人以外の生物に対してその支配欲を発揮しないはずがない。
根源の龍の前にすべての人は平等。根源教の教えが虚しく響く。アデルさんが言っていた、人以外の種族はその教えにカウントされないという話とも合致する。
「エルフ、ドワーフ、リザードヘッド、ビースト、マリーン。ほとんど人と変わらない種族なのに、どうして生まれが違うだけで一方がもう一方を隷属していいと思うのでしょうね」
「…………………………」
じゃあこの国がいびつなのかと言われれば、たぶんそうなのだが……。そのいびつさは、人間が潜在的に抱えるものだ。
ドラゴヘイムも地球も、人間の本質は大差ない。
「ところでリザは、見習い神官さんでしょう?」
「え?」
「神官と名乗っていましたけど、神官のブローチはしていませんでしたし……」
ブローチ………………?
ああっ!
少し、顔をしかめる。しまったな。
そういえば、ダダの父親は神官服の胸元にブローチをしていた。宝石を抱く龍の意匠をほどこしたブローチ。ただの飾りだと思っていたが、あれは神官の証明だったのか。仕事人の許可証のようなものか。
よく思い出してみれば、ダダはブローチをしていなかった。見習い神官と名乗ったアデルさんもだ。そこに気づくべきだった。
「どうして嘘を?」
まずい…………ここで下手を打てない。
「う、嘘をつけと神官長から教えられまして……」
なんとかひねり出す。
体中にある鞭打ちの跡がズキズキ痛んだ。
「いくら教会の人間でも、見習いでは教会の権威が弱まる。そうなると、奴隷商に目をつけられかねないので会う人間には自分が神官だと嘘をつけと教えられまして……」
どうだ…………?
「そう……奴隷商の対策に」
メアリは少し、顔に影を落とした。……どういう反応だ? どうも、俺の言ったことの真偽を別にして、違うことを考えているような気がする。
「リザは、奴隷商に会ったことがあって?」
「……一度だけ」
そいつに売られましたとは、口が裂けても言えないな。
十三歳かそこらの女性奴隷が売られて、まさか処女のまま売られた先で過ごせるとはメアリも思ってはいまい。つまり俺が元奴隷だとバレることは、非処女だとバレることで、それは同時に見習い神官だという嘘の露呈につながる。
まあ、俺には根源刻印があるので、見習い神官だという証明はできるんだが……。しかし、あの黒い刻印はあまり人に見せない方がいいと思った。刻印を見せることなく、恰好だけで見習い神官だとゴリ押せるなら、それに越したことはない。
「どうして、あんな商売が成り立ってしまうのかしら」
ため息を吐くメアリ。
「いくら国が認めているからといって、あんなことが……」
何か彼女にも、奴隷制に思うところがあるのだろうか。
ふらりと、頭がふらつく。
「あ、れ……」
そのまま、倒れる。
「………………リザ?」
「いや、その、体が、ふらついて……」
「リザ? 顔色が…………」
そのまま、ほとんど気を失うように眠りについてしまった。
たぶん、緊張の糸が切れたのだろう。
ドラゴヘイムに来てから、今日まで。
いろいろあったから。
その全部が今になって、疲れとして体にのしかかる。
単純に、ノックダウンした。
それから数日は、倒れる俺をずっとメアリが看病してくれた。
食事と水、それから薬も与えてくれた。
本当に。
この馬車に乗ったのは、正解だったな……。
「どうして…………」
熱にうなされる意識の中、そんなことをぼやいた。
「どうして、メアリは、俺なんかのこと」
「決まってるでしょう。旅の道連れだからよ」
俺の額に手を置いて、彼女は答えた。
「それに、リザのような女の子を放ってはおけないでしょう」
それは。
この世界では。
初めて聞いた、まともな人間の、まともな思考だった。
「う、ううっ…………」
思わず、涙が出る。体が弱っているせいもあって、堪えられないくらいに溢れ出した。
「あらあら」
「辛かったんだ…………辛かったんだよ……」
「………………」
そっと、メアリは俺の頭を撫でた。
「クタ村、だったわね。私が通り過ぎた、焼き払われた村は。リザは、あそこの出身なのでしょう?」
「…………………………」
「あの手口は、ハッタロー一派のものだった。村人もたくさん死んでいた。あなたの知り合いも、きっと大勢死んだのでしょう?」
「……………………」
大勢、ではない。
ただ二人。
一か月程度の付き合いだった。あまり仲良くしていたとは思わない。それでも、俺を助けてくれた人たちが死んだ。
悲しい。
人が死ぬのは、悲しいんだ。
まるでジャングルのような密林地帯を抜けたころ、暑苦しかった気温が、秋の過ごしやすさをまとった。
馬車が平野へ飛び出し、その時分になって、俺の体は回復した。馬車の旅は、五日のうち四日ほどが過ぎていた。
「まさか『ヒール』は風邪に無効とは」
「あくまで治癒の奇跡、というわけね」
風邪を早期に治す目的と、それからメアリに自分が見習い神官だと嘘のアピールをする意味も込めて治癒の奇跡を使ったが、まるで効果はなかった。そのせいで自力での回復を待つしかなかった。
病気を治す奇跡はまた別物、ということか。まあ、そんな便利なものがぽこじゃかあったらドラゴヘイムの文明がもっとそれに頼った変化をしていてもおかしくないもんなあ。見たとこ中世っぽい世界観が維持されているし、剣と魔法の世界と言っても、使えるのは一握りか。
「それにしても…………」
「どうかしました?」
「いや……」
さっきの密林地帯、なんか変だったな。
このドラゴヘイムの地形は、どうも妙だ。
あの
まるでオープンワールドサバイバルゲームのバイオームだ。草原があったと思ったら、唐突に森林地帯が現われる。密林の中は真夏のように蒸し暑く、そこを抜けると途端に空気が変わる。同じ草原地帯でも、クタ村近郊は夏近い気候だったのに、ここは秋口に近い。
子どもが描いた下手な地図のように、何の脈絡もなく地形と気候がごっそり変わる。まだこの辺りは草原と森林が交互に続く程度で済んでいるが、下手をすると突然火山や雪山が出てきてもおかしくない。
とか、そんなことを考えていると。
急に馬車が停止する。
「うわぁ……」
情けない声を出して、慣性に引っ張られて馬車の中で等速直線運動を再現してしまう。端的に言うと転んだ。
「いつつ……」
「リザ、大丈夫?」
「……まったく、自動車講習で急ブレーキの危険性を学ばなかったのか?」
「きゅ……え?」
「こっちの話」
起き上がる。
「御者さん、どうかしましたの?」
メアリが馬を操っていた御者に聞く。
「二人とも、あれを…………」
正面を指さす御者のおばさんの声は、震えていた。
馬も、怯えたようにいななく。
「………………あれは!」
メアリが馬車を飛び出す。慌てて俺も追いかけた。
「メアリ! なに、が…………」
馬車を出て、すぐに俺も異変に気づいた。
「これは…………」
土地が、死んでいる。
さっきまで通ってきた草原地帯は、草が青々と茂っていた。それなのに、俺たちの正面に見える、そこから先の道は草が軒並み、黄色く枯れている。
なんだこれ?
あのあたりだけ、唐突に枯葉剤を撒かれたようになっている。草がやせ細り、土を露出させてすらいた。
どうなっているんだ…………。
「この土地が死んでるなんて、聞いてない」
メアリが呟く。
「つい最近、土地が死んだんだわ。これもきっと、あの不逞の勇者ハッタローのせいで……」
「初太郎…………!」
俺の呟きに、メアリはちらりとこちらを見て、それから正面をまた向く。
「俺は正直、土地が死ぬとヤバいってことしか分かっていないんだけど、具体的にどうなるんだ?」
「土地が死ぬと、魔物が活性化しますわ。逆にそれ以外の人や生き物が住めなくなるの。農作物も育たない、不毛の大地となって二度と戻らないとすら言われていますわ」
すげえ端的にヤバかった。
初太郎のやつ、ドラゴヘイム中をこんな状態にする気か? そして継次郎は、それを知っていてまるで止めないでいる。
あいつら、勇者ごっこもいい加減にしろよ!
「じゃあ、ここは迂回するしか……」
「そうしたいのは山々なのですが……」
俺たちは馬車に戻り、御者のおばさんを含めた三人で協議する。
「迂回すると何日かかりますか?」
「余計に三日かかるねえ」
御者は答える。
「食料が持たないよ」
「食料…………」
頭が痛くなる。
「すみません、俺が加わったせいで……」
「リザのせいじゃありませんわ」
メアリが即座に否定する。
「元々、この馬車は私の外に三人の仕事人で相乗りしていました。彼らがクタ村で火事場泥棒を働くのに呆れて置いていきましたが、そのときせめてもの情けと食料を分けたのが失敗でした」
まとめるとこうだ。
すなわち、俺とメアリが出会った時点で、食料は当初予定されていた五日間の旅程、その二人分に非常用の保存食しか残っていなかった。それ以外はクタ村に残った仕事人たちに与えてしまった。
それでも俺一人くらいは乗れたし、俺自身も食料は持ち込んでいたから別にそれで何の支障もなかった。ただ、予定通りの旅程を踏めれば。
本来の予定では、この先にあるニルス村近くで野営を張るつもりだった。そこで一泊した後、グランエルに向けて走り抜ける。だが、これでは……。
「迂回しようにも、この辺りにはニルス村以外にない。食料が調達できなきゃ野垂れ死にさね」
御者の言うとおりだ。まだ、迂回先に別の村があれば希望はあったのだが……。
「じゃあ、あの土地を突っ切るしかないのか……」
「それしかない、ですわね」
メアリが頷く。
「幸い、土地が死んでからあまり時間は経っていないように見えますわ。魔物の活性化が本格化する前に、抜けられるかも……」
「賭けだな、いよいよ…………」
戦力があれば、その選択肢も悪くなかったんだが……。こっちには戦えない御者、治癒の奇跡しか脳のないエセ見習い神官、そして正面戦闘が本職ではない仕事人だ。あまりにパーティのバランスが悪い。
「今、時間は昼過ぎか…………」
空を見る。
「予定では、夕暮れにニルス村に着く予定でしたわね。でも、今から行くと死の土地で一泊ということに……」
「そ、それは嫌だよ!」
御者が体を震わせた。
「ええ。ですから、ここから少し下がったところで今日はもう野営を張りましょう」
メアリが提案した。
「日の出を待って、それからこの平野を突っ切ります。村も突っ切って、一日走り続ければ日が暮れる前にグランエルに辿り着ける」
それが、一番か。
「そのためにも十分みんな、休みましょう」
「そうだねえ。おいで、べこ太」
そういえばその馬の名前、べこ太なんだな……。どういう名づけ方だ。べこって牛じゃないのかとか疑問は沸いたが、今はどうでもいい。
六本足の馬でも、可愛がる人はいるんだな……。
「ところで」
メアリに聞いた。
「魔物が活性化するという話だったけど、具体的にはどんな魔物が? それによっては、対策も立つし……」
「ええ。魔物は何もないところから湧いて出たりはしないわ。元々いた生物が凶暴化するのが基本ですわ」
「なるほど…………」
それこそゲームのように湧いて出るわけじゃないんだな。裏返せば数は有限で、常識的な量しか現れないはず……。それは少し希望だ。
「ちなみに、この辺りにはどんな魔物が?」
「…………ゴブリン」
メアリは顔をしかめ、心底嫌そうな口調で言った。
「地面に穴を掘って巣を作り、そこで暮らす穴ゴブリンが住む平原。ゆえにここから先の平野は、ゴブリン平野と呼ばれているの」
女三人でゴブリンの巣に突貫か。
嫌な予感しかしないぜ。
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