#3:カルラの町

 地獄は、すぐに現れた。

「じゃあ、さっそく……」

「え?」

 馬車が発ち、レムナスの港町を離れると、俺は連中に羽交い絞めにされ、服を脱がされた。

 後はもう、決まりきったパターンだ。

 連中は四人がかりで、俺を順繰りに犯した。

 昼も夜も関係なく。

 殴ったり蹴ったりはされなかった。だが、連中は拳を振う以外の、女を嬲りつくす業のすべてを知悉していて、それを俺に実践した。

 四人に犯され、しばらく休み、また回復した人間から順番に俺を犯す。ひたすら、その繰り返しだ。狭い馬車の中は酷い人いきれで、蒸して苦しかった。

 唯一休めたのは、野営を張るために馬車が止まり、連中が仕事に勤しんだときだけだ。後はずっと犯され続けた。食事すら、行為の最中にとらされる。

 満足に眠る時間もない。夜は連中が交代で見張りに立っていたが、見張り役の男が俺を犯すからだ。

 そして時間を追うごとに、男たちの要求はエスカレートしていく。

 口と舌を使って全身を舐められるのはまだ序の口だ。

 嗜虐心をあおられるのか、やつらはしきりに俺の傷跡に舌を這わせた。

 肉のない乳房を揉みしだかれ、乳首を吸われた。

 性器に指を押し込まれ、血が出るほどに弄り回された。

 それだけではない。

 あの汚らしいを咥え、奉仕するように要求した。

 精を飲んでみせろと下卑た声で笑った。

 そんなことが四六時中繰り返されて。

 限界は、簡単に迎えてしまう。

「………………おろして」

 馬車での道程もいまだ三日目というところだった。馬車の幌を雨粒がばらばらと強く打つ中、俺は口走っていた。

「……もう、降ろしてください」

 想像のはるか何十倍も、苦痛だった。

 まだ酒場で男の相手をしていた方がマシに思うほど。

 レムナスで客を取っていたときは、一時間にしろ、一晩にしろ、終わりはあった。だが今は、終わりが見えない。

 一週間後が、遠い。

 これ以上は、心が…………。

「いいのか?」

 四縄四縛フォーバインドのリーダーは笑いながら言った。

「まだグランエルまで半分も進んでないぞ? それにこの雨だ」

「いい、ですから…………」

「ふうん」

 連中の反応は淡白だった。無理にでも俺をグランエルまで引っ張っていくんじゃないかと思ったが、そうはならなかった。

「じゃあ、もういいぜ」

 言って。

 走る馬車から、連中は裸の俺を放り捨てた。

「ぐっ、え…………」

 ぬかるみの中に頭から落ちる。何とか体を起こして馬車の去っていった方を見ると、俺の衣服とサンダルが転々と転がっていた。

「…………………………」

 もう、悪態をつく気力もなかった。立ち上がり、ふらふらする体を何とか動かして、服を回収する。

 泥と雨を吸って重くなった服を着こんで、サンダルを履く。雨に濡れた体が凍える。

 これから、どうする?

 痛みと気だるさでぼうっとする体に反して、雨に濡れて冷たい頭は意識がはっきりしていた。

 とにかく、歩くしかないと思って足を前に進める。

「うわっ」

 足もサンダルも泥だらけで、おまけにぬかるみが酷い。すぐに足を取られて、転んでしまう。立ち上がって、今度はもっとゆっくり、足元を確かめながら歩く。

 考えろ。少しでも、いい方向に。

 少なくとも、レムナスを出ることはできた。馬車で三日分、道を進むことができた。それは進展だ。

 そう思わなければ、やっていけない。

 ここからは徒歩で、村を経由しながらグランエルを目指すしかない。

 やがて二股に分かれている道に辿り着く。どちらが正しい道か逡巡したが、道には立札が書いてあった。右がカルラの町、左がクタの村とある。

 思い出す。酒場の地図によると、よりレムナスに近かったのはカルラの方だ。まあ、あの縮尺が狂った地図をどこまで信じるのかという問題はあるが……。

 地図を信じるなら、ここから歩いて近いのはカルラの方だろう。まずはそちらを目指すのがいいはずだ。

 はたして、その推測は当たっていて。

 歩いて一時間くらいしたころだろうか。雨が上がり、雲の隙間から太陽が見え始めたころ、俺はカルラの町に辿り着いた。

「………………ここが?」

 開けた平原の中に、突如として現れた町。…………町?

 一目見ただけは、どうにもそれが町かどうかは分からなかった。

 なにせ、カルラは木製の大きくて立派な塀にぐるりと周りを囲まれていたからだ。

 レムナスの港町も石壁に囲まれていたが……。しかし、この塀は真新しい、とまではいかなくとも、風雨に削られたところが少ない印象を受ける。ここ数年での普請だろう。カルラは新興の町なのだろうか。それとも最近になって、塀を作った?

 これ、町じゃなくて軍隊の駐屯地とかじゃないのか?

 聞いた話では、この辺りは魔物が少ないという。にもかかわらず、この堅牢さはいったい……。ネズミ返しもついているし……。いや、あのネズミ返し逆じゃないか? なんで内側に向かって反り立っているんだ?

 これじゃあ外敵から身を守る壁というより、内側の人間を逃がさないための檻だ。刑務所の塀だぞ。

 ともかく近づいてみる。門はぴったりと閉じられていた。

 これでは町に入れない。

「すみ……げほっ、ごほっ!」

 声を出そうとして、むせた。

「ああん? 誰だ?」

 だが取りあえず人を呼ぶことはできた。門の上にある物見台から、男が顔を覗かせた。

「あのっ…………! 町に入りたいんですが!」

「なんだおめえ? 浮浪者か?」

 まあ、この泥だらけの格好ではな……。

「怪しいやつめ。入れてたまるか!」

 これが文字通りの門前払いか。まるで話にならない。

「お願いします!」

「駄目だ」

 などと、押し問答をしていると。

 俺の背後から、馬のいななきが聞こえた。

「……………………っ!」

 連中のことを思い出す。

 ひょっとして、俺を追ってきたのか?

 身震いして、体が硬直する。

「奥様の馬車だ!」

 だが、物見の男がそう言ったので、俺は少しだけ緊張を解いた。

 振り返ると、道の向こうから一台の馬車がこっちに向かってやってくるのが見えた。

 やがて馬車は、俺のすぐ眼前に迫る。

 馬は相変わらず、あの六本足の気味が悪いやつだ。だが、俺が乗った馬車の、というかレムナスで見たどの馬よりも毛並みがいいように思われた。雨に打たれた跡があったが、それでもつやつやと毛が輝いている。

 その馬が引く馬車も、一味違う。

 俺の乗ってきた、荷物を満載にしたいわゆる幌馬車とはまた別の種類。あれは……ホームズものの実写映画でよく見るような、箱馬車と呼ばれる種類のものだろう。十九世紀のロンドンでよく見られた、馬車版のタクシーみたいなもので、人を載せて移動させるためだけの乗り物だ。小さな箱馬車は黒く塗られていて、あちこちに泥の跳ねはあるが高貴な佇まいだった。

 これは、よほどの金持ちが乗っているんじゃないのか?

「おいこら!」

 馬を操っていた御者が物見の男に怒鳴る。

「奥様のお帰りだぞ! 早く開けねえか!」

「だったらそこのガキをどかしてくれ!」

 物見の男も声を張り上げる。

「町に入ろうとしてんだ。得体も知れねえしさっさと追い払え!」

「仕方ねえなあ……おい小娘!」

 いかん……矛先がこっちに向いた。

「さっさとどっか行きやがれ!」

 御者の男が腰を上げ、馬車から下りようとしたときだった。

 ぴたり、と。

 男の動きが止まる。

「………………?」

 不審に思っていると、男は馬車の方を向いて、何事か話し始めた。

「へえ、奥様…………はい、はい。え、ガキですか? 小娘です。年は十三くらい。泥だらけで人相はさっぱり」

 どうやら、馬車の中に向けて状況を説明しているようだ。

「え? ガキを……? ああ、はい、分かりました……おい小娘!」

 話がまとまったらしい。御者は俺に声をかける。

「奥様がお前と話をしたいそうだ」

「………………え?」

「いいからこっち来い!」

 拒否しても、意味はなさそうだ。

 俺は言われるがまま、箱馬車に近づく。扉に近づくと、そこの覗き窓にかかっていたカーテンが取り払われる。

 顔を覗かせたのは、妙齢の女性だった。

「あら」

 茶色い波打つ髪の女性。化粧をしていて、耳には光るものがある。レムナスの人間とずいぶん格好が違うな……。それだけで、彼女が金持ちなのはすぐ分かる。顔つきはどこか驕慢なところがあるが、年月を経て、年相応の落ち着きと礼節を得たように見えた。金満家らしい余裕を持った態度として昇華している。

「ずいぶん汚れていますね」

 ガラス越しの声は少しくぐもっていた。

「あなた、どこから来たの?」

「…………レムナスから」

 嘘をついてどうこうなる状況ではない。正直に話した。

「レムナス? あんな遠いところから歩いてきたの?」

「馬車です。相乗りした人たちに酷いことをされて、逃げてきました」

「そうだったの…………」

 女性は憂いと悲しみを籠めた目で俺を見た。そんな、同情を伴った視線を送られるのはこの世界に来て初めてだったから、戸惑う。

「そんな泥だらけでは風邪をひいてしまうわね」

 奥様は馬車の後ろを指した。

「そこに荷台にお乗りなさい。私の屋敷で休ませてあげましょう」

「え…………っ!」

 まったく思いがけない申し出に、素直に驚いた。

「あ、ありがとうございます!」

 礼を言って、荷台に乗る。門が開く音がして、馬車が動き出す。

 ようやく、町に入れた。

 町はレムナスと同じような、石造りの建物が林立している。ただ構造的に大きな違いがあるとすれば、レムナスは港や市場を中心に町が広がっていたのに対し、カルラは一本の大きな街道が町全体を横切り、それを軸に町が発展している点だろう。街道を何台もの馬車が行きかい、両脇には宿屋が並んでいる。宿場町なのか?

 それに、町の建物が全体的に新しい。レムナスのものより石の壁面が綺麗だ。

「おら、しっかり力入れて運べ!」

 男の怒鳴り声がして、そっちを見た。そこでは年若い青年が粗末な服を着て、馬車に荷物を運び入れていた。後ろでは太った主人らしい男が木の棒で地面を叩いて威圧する。

 それだけならば、まあ、あり得る光景だ。この世界に労働基準法なんて存在しない。立場の弱い者は、強い者に搾取される。そういう世界だ。

 ただ気がかりなのは、働かされている青年だ。粗末な服を着ているのは俺とあまり変わらないが、どういうわけか、足枷が嵌められている。枷は両足を緩く繋いでいた。あれだと歩くのは大丈夫でも、大股を開いて走るのは難しいだろう。……逃走防止?

 あの青年は罪人か何かか? それで、労役を強いられているとか?

 そんなことを考えていると、馬車が進路を街道から横道に変える。そしてやがて、あまり建物が多くない場所に辿り着き、そこで止まる。

 荷台から下りて、建物を見る。

「こ、これが………………」

 これが、屋敷か……。

 レムナスにはなかった、豪勢な屋敷が建っている。土地をふんだんに使って、広々と建物が翼を広げているようだった。なるほど、土地の広さが建物の広さに繋がり、そして裕福さのバロメーターになる。そういうところは、俺のいた世界と価値観が変わらないのか。

 屋敷の前にある庭も豪勢だ。種々の花々が咲き乱れ、雨露に濡れて光っている。かぐわしい匂いが風に乗ってこちらまでやってきた。

 なんて瀟洒な空間なんだ…………。

 だが、この屋敷も新しいな……。どういうことだ? この町自体、最近にできたのだろうか。

「おかえりなさいませ、奥様」

 屋敷からぞろぞろとメイドがやってくる。ある者は奥様に日傘を差し、ある者は御者から馬を引き取って奥に運び入れる。

「この子は?」

 メイドの一人が俺を指して言う。

「拾いました。雨に打たれているでしょう。風邪を引かないように、洗って湯に入れて温めてあげなさい」

「かしこまりました。では、こちらに」

 言われるがまま、ついていく。

 俺は泥だらけなものだから、そのまま入ると屋敷を汚してしまう。そこで使用人の通用口らしいところへ連れていかれる。屋敷に入る前に服を脱がされ、そこでまず一通りざっと体を水で洗われる。タオルで水気を拭ってから、ようやく屋敷に入る。

 すぐに風呂場に連行され、そこで体を洗った。メイドたちが石鹸と湯を使い、俺の体を撫でていく。

「………………ふう」

 湯を使って体を洗うのは、レムナスでは客の男だけだった。たまにご相伴にあずかることもあったが、それは水で洗って冷えた体の女を抱きたくないという男の勝手な目的のためだ。こうして、湯と石鹸で体を清潔になるまで洗ったのは、ドラゴヘイムに来てからでは初めてだ。

 ついで、髪も洗われる。俺がファーストと会ったあの白い空間にいたときは艶やかでまっすぐなストレートだった髪も、一か月ろくに洗えなかったせいでごわごわのくしゃくしゃだった。それが今になって梳かれ、元通りになっていく。

 陶器製の立派な湯船に湯がなみなみと注がれている。その中に体を浸すと、疲れが流れ落ちていくようだった。

「……っ、ああ」

 見ると、馬車から投げ出されたときにだろう、肘と膝をすりむいていた。それが湯に染みて痛む。そのことに気づくと、メイドが素早く一人に耳打ちして、その人はさっと風呂場を抜けていく。

 十分に温まってから湯船を出ると、脱衣所で待機していたメイドたちが俺の体を拭いた。特に長い髪は念入りに水気を拭われた。まあこの時代、ドライヤーとかないだろうからな。髪が長いと乾かすのも一苦労だろう。俺は元の世界では短髪だったからドライヤーを使ったことはないんだが。

 体を拭くと、メイドが塗り薬を持ってきた。何度も塗られたことがある、あの緑色の薬だ。それを擦り傷に塗られた。…………え? この薬ってご家庭によくある常備薬なの? いや、これだけ大きな屋敷だから備えている高級品と信じたいぞ。レムナスの医者、この薬塗るだけでだいぶ金取ったんだからな!?

 まあそれはさておき。

 体を拭くとタオル地のゆったりしたガウンを羽織らされた。真っ白でふかふかの清潔なものだ。この世界では服が洗濯され清潔さを保っていることすら贅沢だ。

 客間らしい部屋に通される。

「しばらくお待ちください」

 メイドは去り、部屋に残されるのは俺一人だけになる。

 客間はまたぞろ豪勢な造りをしている。白い石造りの暖炉、マントルピースの上に置かれた装飾品。白磁の花瓶にみずみずしい花。どれも、レムナスでは見なかったものだ。

「…………これは?」

 部屋には一枚の絵が掲げられていた。肖像画らしい。二人の人間が描かれている。一人は奥様だ。けっこう若く描かれている。そういう要望を出したのか、はたまた描かれた時期が随分前なのか……。もう一人は太った中年男で、小学校の音楽室に飾られた作曲家の図画みたく、カールした白髪をしている。これは……彼女の夫か?

「…………ん?」

 しかしどうも、この絵は変だ。肖像画の端、額縁に隠れているが、僅かに焦げた跡がある。それに、どうも妙にカンバスが細長いというか…………。

 顔を近づけて見て、その理由は分かった。この絵は、切り貼りされている。

 おそらく、絵に描かれた二人の間に、誰かいたのだ。それを抹消している。中央にいたはずの三人目を切り取って、そうと分からないように二人だけの部分を繋げている。近づいてみると、つなぎ目がうっすらだが見えた。

 誰がいたのだろうか。まあ、家族の肖像画らしく見えるから、普通に考えて息子か娘か……。しかしわざわざ絵を切り取るなんて、よっぽど手酷い物別れをしたらしい。

「その絵が気になりますか?」

「え、あ、ああ……」

 気づくと、隣に奥様がいた。いつの間に。

「ふふっ」

 彼女は笑って、俺の頬に手を当てた。

「随分見違えましたね。可愛らしいこと」

「………………」

 たぶん褒められたのだろうけど、あまり素直には受け取れなかった。この世界で可愛らしさなんて、嫌らしい男を引き込むだけだから。

「さあ、座って落ち着きましょう」

 導かれるままソファに座る。ローテーブルを挟んで反対側に奥様が座った。メイドが入って来て、俺の目の前に湯気の立つカップを差し出した。甘い匂いがする。ホットミルクだ。

「お上がりなさい」

「あ、ありがとうございます」

 受け取って、一口啜った。熱い、そして美味しい。心の内から温まる味がした。

「自己紹介がまだでしたね。私はトロットツキー・マッケンナの妻マヌア。このカルラで、町の代表のようなものを務めています」

 すると、厳密に役職が決まっているわけではないのだろうか。そういえばレムナスでは総代とか呼ばれていたな。呼び名すら統一されていないのか。どういう町の自治システムなんだ?

「あなたは?」

「……理三郎です」

「リザグオー? 変わった名ですね」

 やっぱりそういう発音になるのか。

「…………………………」

「やはりあの絵が気になりますか?」

 俺の視線を感じて、奥様が言った。

「隣に映っているのが私の夫です。三年前に亡くなりました」

 三年前、か…………。

「絵が焦げているように見えますが」

「ええ。三年前、大火事で。そのとき、夫は亡くなったのです。あのが町に火を放ち……」

「ハッタロー? ……………………初太郎!!」

 思わず、大声をあげてしまう。

 しまった。あまりにも大げさな反応だ。

「あら」

 しかし、俺の反応を奥様は勝手に解釈した。

「流れ者の浮浪者に見えましたが、ハッタローの名前は知っているのですね。それとも、それだけ勇者の名前は轟いているのでしょうか?」

「えっと…………」

 まさか「そのクソ馬鹿、異世界転生した俺の兄です」と白状するわけにもいくまい。そもそも今の話の流れをまとめると、カルラの町が三年前にハッタローのせいで焼けて、マヌアさんの夫が死んだというわけだろう。初太郎の関係者とバレればどんな恨みを買うか分からない。

 なるほど、この町の塀もそうだし、建物もなんか全体的に新しいような気がするわけだ。全部燃えて、そこから三年でここまで復興したのか。

 それにしてもあの馬鹿、勇者なんて御大層な呼び方されているのか……。というのは気がかりだが。

 不逞て。

「いろいろあって、その…………」

「そうでしたか……。あなたもハッタローに」

 適当にお茶を濁す。俺も初太郎の被害者だと都合よく誤解(まあ誤解でもないんだが)してくれたマヌアさんは、同じ被害者としての同情を向けてくれる。

 騙しているようで気が引けるが、仕方あるまい。

 こくりともう一口カップの中身を飲んでから、少し突っ込んだことを聞いてみることにした。

「あの肖像画、切り貼りされた跡がありましたが……」

「分かるのですね」

 マヌアさんは意外そうな顔をして目を見開いた。

「随分目ざといのですね。絵の修復の跡に気づくなんて。見目も整っていますし、実はどこか、裕福な家庭のご出身なのですか?」

 ………………そうか、絵を鑑賞するスキルもこの世界では教養のひとつなのか。俺は文学部の出だが、一般教養で西洋絵画の一般的な知識を学んだから、そういうところに目がついてしまったんだろう。

 流れ者を装うなら、その辺りも気を使った方がいいか……。

「いえ、その、そういうわけではなく、ただ気づいただけで」

「そうですか?」

 それにしても、この人は俺の背景を探るなあ。ただの好奇心だろうか。

「ああ、いえ……。おっしゃるとおり、あの絵は元々、私の家族三人が描かれていました」

「三人?」

 カップを置く。

「はい。娘がいたのです」

 いた、とは。穏やかな話ではなさそうだ。

 だが一方で、夫が死んだという三年前の大火で一緒に亡くしたというふうでもない、と。もしそうならさっき、娘が死んだことも喋っているはずだ。

「少しじゃじゃ馬なところのある娘でしたが……我が家の家業のことで、揉めまして」

「家業?」

「この町にハッタローを追ってきたという、あのにいろいろ、吹き込まれたのです。それが原因でしょう」

「ツグィ、ロウ…………」

 今度は少し、驚きが少なかった。

 ツグィロウ?

 それはたぶん、継次郎のことだ。俺がリザグオーと呼ばれるように、継次郎もドラゴヘイムじゃ訛ってツグィロウと呼ばれるのだろう。やつは不死のチート能力を持っているから、不死と呼ばれるのは納得だ。

 初太郎の名前が出た時点で、継次郎もこの町に来ている可能性には思い至っていた。継次郎は初太郎を追っていたわけだし、三年前に一度は封印できているのなら、追いつけてもいるからだ。初太郎をどこで封印したのかは知らないが、広いドラゴヘイムの中で案外近場を追いかけっこしていたらしい。

 あれ、でも、今。

 俺の言葉、妙に舌ったらずだったような…………。

「ツグィロウの名前は知りませんか? ハッタローよりは地味ですからね。しかし、ドラゴヘイムに二人のとは……。伝説の通りなら、……」

 伝説? それより、今、転生勇者と言ったか?

 マヌアさんは、いや、というよりドラゴヘイムの人間は、二人が別世界の人間だと知って……。

「それ、で、家業、とは…………」

 俺は何とか、言葉を絞り出す。だが、口を突いて出たのは俺が今一番どうでもいいと思っていることだ。

 なぜ?

 頭が、ぼうっとする。

 瞼が重い。

「ああ、そうでしたね」

 マヌアさんは話を戻す。

「我が家は、を生業としているのです。それが娘には面白くなかったのでしょう」

「………………ど、れい?」

 それ、は…………。

 体から、力が抜ける。

 ソファの上に、倒れ込む。

 眠い………………。

 疲れが、出てきたのか?

 ……違う。これは、そんな穏やかなものじゃ……。

 ぼやける目で、カップを見る。

 ひょっとして、……?

「ようこそ、カルラへ」

 奥様の言葉を最後に、俺の意識は途切れた。

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