第27話 これが日常だとする
快晴の空が広がる夏の始まり。夏休みまで後二週間を切った、この木曜日、俺は汗だくになりながら遅刻ギリギリで教室に滑り込んだ。
「はぁーはぁーっ……なんとか、間に合ったー」
途端にチャイムが律義に響き、先生がやって来る。
がやめく教室の後ろを通って、窓側の後ろから二番目の席へ向かおうとした時、ふと、レイナの瞳と俺の瞳が合わさる。それはほんの数秒にも満たない一瞬であり、俺には絶え間ないほどの時間に思えた。
すぐにばっと逸らしたレイナを背中はもう何も語っていない。
レイナとはあの激突した日以来話もしていない。
関係が解消されたのかは知る所ではないが、何にせよ、俺がレイナを傷つけた事実は何ら変わりない。
彼女の心を踏み躙り、彼女の気持ちを拒絶し、彼女の意志をも切り捨てた。人間としてもっとも悪質で蛮勇まがいの愚者の極み。
俺にこれ以上レイナと関わる資格はないだろう。きっと彼女も俺を嫌いになり、許せないに違いない。憎悪を向けられていても、殺意を抱かれていても、何ら不思議じゃないし、それをされても仕方がないと思っている。
それほどにまで、俺はレイナに酷いことをしたのだ。自分には決してされたくないほどのことを。
だから、教科書を広げるレイナから視線を外して、急激に憂鬱になった心持で席につく。
「はー……」
そんな益体のないため息が漏れた。
「うん?どうしたんだ朝から元気がないね?」
俯いていた顔を上げると、前の席の
レイナと別れた日からもうかれこれ一週間以上経っている。けれど、あの日から偶に浮かない顔をしているようで、冬斗と和希には心配をかけていることは十分に理解している。
それでも、ふと、彼女の表情が浮かんでは、あの選択は間違いじゃなかったのだろうか、と不安に駆られ、もう意味のない思慮を続けるばかり。
答えなど出るはずもないのに……。
こんなに悩まされているのは一概に七歌とレイナの関係性が変わったからかもしれない。
七歌曰く、今週の日曜日にレイナとショッピングに行くと緊張しながら張り切っていた。まだ、自分たちの関係が断たれていないことに、どこか安堵しては無性に息苦しくなる。
俺は一体、何をレイナに望んでいるのだろう?
またしてもバカな思考に更けていると、冬斗の声が至近距離で聞こえ、顔を上げるとニ〇センチもない距離で、彼の整ったイケメン顔が視界一杯を埋めた。あまりの近さに声を上げて後ろに倒れそうになる俺だが、冬斗が先回りして人差し指を自分の口にあて、反対の手で俺の腕を掴んだ。その仕草に声を噤み、なんとか後ろに倒れずに済む。
「はー助かった……」
「わるい、驚かせたみたいだな」
「いや……こっちも考え事してて、その、ええーと……」
どう言い訳しようか考えていると、冬斗は「別にいい」とばかりに頭を横に振る。
「中途半端に訊いた俺が悪かった。言えないこととか、あるもんな」
なんだかその言い方が引っかかるが、俺は冬斗の善意に乗っかるように曖昧に笑った。
「こっちこそ。纏まったらいつか話す。あと、別に何でもないし、大丈夫だから」
「…………そうか。大丈夫ならそれでいいんだ」
冬斗の表情があまりわからなかったが、納得してくれたようで胸を撫でおろす。
身体を前に戻した彼を見て、廊下側から二列目の前から二番目の席にいる
四限目の英語の授業中、引き出しにいれていたスマホが通知を知らせる光がみえた。なんだ?と思いながら一度前を見る。
英語の
男子や一部の女子からの人気は高いが、俺は怖いのであまり関わりたくない。
先生の視線を確認しながらLINEを開いた。
≫綴琉、げんき~?
そんな何でもない七歌からにメッセージに呆れてしまう。けれど、その口の端が緩んでいることを俺は知らない。
すぐさま「元気だけど、どうした?」と返事を返すと、朗読が一瞬でついて驚いてしまう。
≫元気ならよかった!実は、曲の相談がしたくて、暇な時とかない?
≫放課後なら大体暇
≫え~⁉高校生なのに切なすぎない?
≫うるさい。そっちだって変わらないだろ
≫わたしはバイトしたり、路上ライブしたり、演奏手伝ったりしてるよ
うっ。普通に俺よりも青春してるし……。
悔しくて思うが別にいい。
七歌は音楽があり、俺が学校生活をしている間のすべて音楽に捧げている。その違いで生きる道の違いで、持っているものの違い。
凡人以下でしかない俺は普通の学校生活を送って、それでも虚無に苛まれている。
だから、学校での青春に特別興味は抱けない。
≫それよりも、いつにするんだ?
≫う~ん。じゃあ、明日の十七時でいい?
その約束に返事を返そうとしたとき、もう一つ通知が画面上にバナーとして現れ、その送り主たる和希に、なんだ?と思ったその時。
「夜乃君、私の授業中に何をしているのかしら?」
ぎこぎこぎこ、とロボットのぎこちない音が聞こえそうな緩慢な動きで、俺は恐る恐る顔をあげた。
そこには額に青筋を浮かべた笑っていない笑顔の河合詠美が見下ろしていた。
和希があちゃーと顔を覆っているが、そんな変芸を気にしている場合じゃない。手に握るスマホを引き出しへと、俺は引きつりそうな笑みを浮かべてみた。
「な、なんのことでしょうか……?」
「言い訳とはいい度胸ね」
「言い訳なんて……」
「なら、今すぐその手に持っている物を私の前に出しなさい」
完全にクロだと判断されている。これ以上反論すればもっと痛い目にあうだろうと予測でき、詠美先生の激昂を浴びたくない一心からすぐに諦めるようにスマホを詠美先生の手に乗せた。
それを確認した詠美先生は「放課後、私の所に来るように」そういって、彼女は戻っていった。
その一言一句やキリッとした動きに、知らない内にため息と安堵の息を吐いていた。それに胸の鼓動の激しさといったら情けない。
和希は遠くでごめんと手を合わせている。なら、先ほどのメッセージは危険を知らせるものだったのだろう。和希に手を軽く振り替えす。
その隣でレイナの友達、夏花がからかうようにこちらを見ていた。大抵のクラスメイトは夏香と同じ反応で、詠美先生が黒板を叩く音で笑いは消える。
そんな教室にため息を吐いて、窓の外を眺めた。
「ドンマイ」
「はー」
冬斗からの慰めに一層滲めに思いながら、適当に時の流れに身を任せた。
結局、七歌に返事を返せていない。朗読をつけたまま無視している俺を不審に思っているだろうか。
そんな考えは夏の空に流れる大きな雲のように、ありきたりで揺蕩うだけに過ぎなかった。
ボケーとしていると、詠美先生から指名をくらい、全くわからない英文読解をさせられ見事に恥をかいた。
そんな俺を皆は笑い、「かわいそー」だとか、「運がわるいな」とか「あーあ、携帯なんて弄ってるから」とか口々に寄せ集められる。
ただ俺はくだらなく息を吐いた。そんなやる気のない俺を視て、詠美先生は直ぐに他の誰かへと質問する。
そんな何でもない取り繕った日常の中、レイナは俺を見ることは一度もなかった。
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