第22話 夜明けより蒼へと

 十人十色————

 それは各々の個性が在り生き方があるとした四字熟語。自分は持っていない他人だけの『特別』。

 学校でも社会でもどこであっても、人間はこれを事あるごとに使用する。決して卑下にせず尊重と言う名の使命やモットーと掲げるのだ。

 世界には色々な人がいる。

 だから、自分の考えややり方が全てではないと。

 他人を理解していこう、他人の人権を尊重しよう。

 つまり差別だダメだと説いているだ。


 俺から見れば専ら嘘だらけの世迷言。忖度や詭弁でしかない。欺瞞といっても何ら間違いではない。


 十人十色など当たり前だというのに。


 人類が自我を獲得したその時から他者は他者であり、己は唯一無二。同じ人間などいるはずがない。どれだけ似ていようと、同じ環境で生きてこようと、教育されたとしても、絶対に感情という名の不測な波は己の周波のみによってつくられる。

 誰かが感じた感情を、同じように感じることなど不可能。世界は違う人々で有り触れている。


 それなのに、さも素晴らしい人権尊重だと宣い公言する人間は履き違えている。十人十色を主張する割に、格差を定め弱者を殺し無能を排除する。社会や条約などの檻に雁字搦めに調教し、そう在らせようとする。


 学校で言えば、先生の話を聞いて授業を真面目に受けて勉学に励ませる。その人の意志など関係なく、学校に所属しているというだけで自由や意志すら奪う。学生として縛り付ける。今思っていることを誰かに言えば、馬鹿だと嗤われるのが関の山。そして当たり障りのない綺麗ごとで調教される。無理矢理に形に嵌め込まさせられて、それに逸脱することは許されない。

 偽りと社会と忖度に噓八百。

 それが生きる術だと、大切な処世術だと信じ込ませる。

 それが学校の監獄。


 例えば会社。大人を名義に立場や格差、そして不始末の後処理。出来ない奴は叩かれて、無能な奴は省かれて、変わっている奴は嬲られる。女も男も関係ない。

 条約、盟約、法律、規律、規則、ルール。

 その監獄に定められているルールに従うしかない。そこからはみ出せば、それこそ人生を終わらさせられる。

 みんな自由でみんないい。言葉だけだ。

 十人十色なんて言っているだけで、誰も他人を見ていない。尊重などしていない。

 力ある者が敬られ、権力を持つ奴が人権すらも握る。個性を売りにしていると宣っていても、社会だから会社だから組織だからの連続。

 誰も見ようとしない。讃えようとしない。求めようとしない。ただのイメージアップ。糞みたいな法人だ。


 そうであるとされた世界で、省かれた俺たちみたいなちっぽけな存在は、存在として認められない。十人十色など幾人一色だ。きっと彩ですらない。汚くゴミよりも腐った醜い成れの果て。思考を放棄した屑どもだ。そんな世界だ。俺はそう疑わない。

 だから人間関係なんて大っ嫌いだ。


 けれど…………もしも同じ志を持ち。もしも同じような心情で悩み苦しみ。もしも……どうしようもなく死にたい人がいるのなら、俺は手を差し伸べる。


 人間との関係なんて嫌いだ。俺を含めて人間は総じて屑で畜生だ。自分のその中の一人だと疑わない。

 だけれど、そんな屑共の中でも俺自身は生きる価値のある人間だと、あついらとは違う人間なんだと足掻いてやる。だから、誰か同じような想いを抱えている人がいるのなら、俺はこの手を差しだそう。

 きっと世界は数多な色彩で溢れていると信じているから。特別がなくても、生きる価値を見出したいから。せめて、生きているんだと証明したいから————

 俺は再び君のメッセージを掴んだ。


 ≫わかった。——夜明けより蒼で。



 監獄を休んで家で永遠にキーボードの練習をしていた俺は、ふと手を止めた。


 外を見ればもう時期夕焼けがこの街に降りてくる。黄昏に染める青空の夜の香りは、今日はどんな風に輝くのか。世界の彩なんて一瞬で些細な風景。

 それでも、昨日とは違う、明日もやってこない切り取った一瞬の一秒のその瞬間は、どの時間帯であれ、きっとかけがえのない色彩だ。


 それが世界の本質だと教えてくれる。


 世界の社会の変わり時、夜明け、朝焼け、夕焼け、夕暮れ、薄暮に宵。もっともっとたくさんの変わり時がある。

 それが好きだ。その時だけは見ていたい。この眼で美しい時だけでも見ていたい。


 Dコードに属するドの一音を押すと重く、それでも軽やかに響いた。ファのシャープは綺麗にどこか悲し気に響く。

 音の言葉なんて知らない。楽譜だってほとんど読めない。だけど、ただ音だけを頼りに昔聞いたことのある音を鳴らしてみる。ただ動画を真似して指で鍵盤を叩く。



 軽やかで儚い入りは静かに、桜並木のさようならのように。

 四拍子の長調のアレンジが空に流れる川に散った桜の旅のように、昼灯りの木漏れ日やそよ風と一緒に流れていく。

 そして、ふわり浮かんだはなびらの群れが大空を旅立つ。

 見えてくる街の風景に懐かしいふるさとの故郷に、沢山遊んで泣いて笑った温もりの地に。

 そしてそれぞれの未来や道に進む岐路。

 それでも別れを惜しみさようならと手を振り続ける友達。

 流れていく。流れて、旅立つ。まだ見ぬ世界に向けて。


 これは確か『旅立ちの日に』なんて曲だったはずで、楓がアレンジしていたのを何となく覚えている。

 その曲はやっぱり彩を持っていた。夕暮れでは寂しいのに、遠くから響く電車の音をノスタルジックに仲間にいれた。

 次は喋り声。次は自転車の音。次は——。

 やっぱり音楽だけが音色たちが、日常を彩ってくれる。何でもない世界の雑音を音楽としてくれる。それだけで明るく見えるのだ。

 だから、もう音楽はやめられない。

 好きだからやめられない。

 伴奏の終わり共に、俺は余韻を残して旅立った。

 それは一つ、人生の岐路。



 夕暮れが沈み薄暮が通り過ぎようとする夜の入り。きっと春には桜が満開で咲く、あの公園の街灯が温かく照らす下、やっぱり君がいた。


 俺と君が出会った所で、俺が君に魅せられた所。

 そして、俺が君と一緒に音楽をすると決めた所。

 君以外に誰もいない公園は静寂に、どこまでも蒼く見える。暗く青く静か。

 夏の夜に鳴く蝉の音色はうるさく、通り過ぎていくどこかの時代音は騒音。夏の鬱陶しい暑さが汗を浮かべ、微かな雲に遮られた月明かりはまだ照らさない。でも、ベンチを見下ろす彼女の背中に歩みよって声を掛けた。


「——七歌なのか


 昨日君に教えてもらった君の本当の名前。少しだけ肩を揺らした七歌はゆっくりと振り返って、俺を見つめた。

 桃色の髪が揺れる。白のスカートが揺れる。彼女の美貌が揺れる。その瞳も揺れた。七歌は俺の名前を揺らして呼んだ。


「……綴琉」


 その声は案外に小さく、少しの躊躇いが違和感を過らせた。どうしたのかと、少々不安に揺らぐ俺を先に見て、七歌は口を開ける。


「今日はありがとうね」

「う、ううん。俺も答えを持ってきたし」


 そう言うと何故か眉を顰めた七歌。またも不安が過ぎる。

 俺が想像していた彼女であれば、嬉しそうに花を開け、次にはゴクリと息を呑んで緩みそうで強張りそうでもある表情をして、真剣に答えを求めてくると、そう想像していた。

 なのに、七歌は眉を顰めてどこか罰が悪そうに視線を一瞬、彷徨わせた。悩みか不安か緊張か迷いか。

 俺にはわからない。七歌の真意を問おうとして、だけれど感づいた七歌がまたも先に口を開く。


「今日も暑いね。暑くて朝五時に起きちゃったよ。でね、昨日話したわたしを施設から連れ去った小百合さんっていう人が久しぶりに帰ってきたの。それで、家族水入らずってのはおかしいけどね。わたしが作ったカレーを一緒に食べたたんだ。あっ!今絶対料理とかできなそーって思ったでしょ。わたしこう見えても家事全般は得意なんだよ!どう?びっくりした?あははは…………」


 早口でたくし上げた言葉の数は、まるで何かを焦るようで誤魔化すよう。独り相撲のような七歌は戸惑う俺を見て、深い息を吐きだした。

 それは呆れたとか諦観とか虚無とかそんなのではない。自分に対する嫌悪のようで自分を酷く馬鹿にして諦めるような息の音。

 それが何を意味しているかわからない。多少他人に敏感なだけで、楓のように心理を導くなどできない。俺の価値は俺によって決まっているから。だから訊ねるしかない。


「何かあったのか?」


 七歌は壊れそうに何度も何度も頭を横に振った。水の中で藻掻くように、気持ち悪さを拭い去るように。


「ううん。……なんにもないよ」


 そんな言葉で納得などできやしない。その相貌を見て、そうかと頷けるほど、人間を辞めていない。

 人間は屑だ。醜い欲望の鬼だ。それでも、繋がりはあるし、大切も存在するし、助けたいと願う思いも、心の純白も生きている。

 だから、今の彼女を見て、吐き捨てるなど俺には……俺はしなくない。


 七歌が何か誤魔化していることはわかる。それだけは感じられる。それがなんなのかは、わからない。

 どんな言葉を告げればいいのか喉が詰まる。ないもわからないからこそ、言葉にしたくても、それはただの同情に類する妄言でしかない。ただ一度の程度の低い言葉で、何かが変わってしまうのが怖い。だから、知りたくて、知りたくなくて、でも知りたいと願うのは烏滸がましいのか。

 言いづらく言い難い秘密なのか。

 俺に心配をかけてしまうと危惧してのことか。

 もしくは言い憚れる事柄か。


 考えても考えても、いくら昨日の七歌を思い出しても変わった点はなかった。彼女の過去を聞いた時も、全く負の感情を漏らしてはいなかった。

 むしろ大切な母親の形見を俺なんかに貸してくれた。

 なのにどうして?わからない。

 だけど、それで済ましていいわけがない。良いはずがないんだ。


 ……だけど、言葉が何も見つからない。

 励ますような言葉も笑わせるような言葉も心理をつく言葉も、そのどれもが嘘っぽっちで益体のないただの飾り。大っ嫌いな学校の模範生がする偽りの忖度紛いの繕った嘘。

 意味がない。意義がない。意志もない。

 それこそ、七歌を傷つける刃物でしかない。

 俺はそんなものを求めて、与えるためにここに来たんじゃない。


 そうだ!俺は俺の意志を伝えるためにここに来た。七歌に逢いに来た。

 なら、それを伝えればいいだけじゃないか。

 知りたい欲望の最中、俺の胸はもう一つの欲望に准じてしまう。間違えかもしれない、劣等で烏滸がましい押し付けと、伝えたい、晴らしたいばかりの献身。

 それでも、正解ではなく、感情を俺は選びとった。

 あの音楽を聴いて選び抜いた俺の選択を伝えることを。

 見据えた瞳にやっと七歌の瞳が映った。互いの瞳に互いが映りこむ。七歌の瞳の奥にいる自分に頷いた。


「七歌」

「……なに?」


 一歩下がる彼女を一歩詰め寄る。


「君が貸してくれた音楽……凄く、世界を貰った。……人生の歩みを見せてもらった。

 誰かからの温もりも、生きるための足掻きの叫びも、託された光も……俺は好きだ。

 憧れた。惚れた。ずっと俺の頭の中を耳を搔き乱すんだ。ずっとずっと…………」

「————」


 七歌は足を止めて俺を見上げる。

 ギターケースを置いたベンチの丁度前、背後から夏の葉が風に乗って彼女を通り越す。

 昨日、感じた音楽が甦る。全て忠実に確実に俺を痺れさせる。

 支えと抗いと旅立ち。

 ああ、俺の支えはきっと音楽で君なんだ。君がいたからこうして音楽に身を包むことが出来たんだ。君と出会っていなかったら、レイナとの関係もなかったし、きっと自殺していた。

『夜明けより蒼』をつくっていなかったら、俺じゃない俺で生きていた。

 大っ嫌いなその他大勢のエキストラとなって、ゾンビよりも醜く生きていたに違いない。

 誹謗中傷や罵倒の嵐で音楽を辞めてなお、そこに、君が、ルナが、七歌がいたから、また立つ向かう決心ができた。

 レイナとの関係を刻むことができた。

 もう一度君に俺から会いに行けた。


 ああ、だから音楽で抗うんだ。俺が永遠に憧れる彼らの曲のように、生きろと吠えるのだ。生きると証明するのだ。これが俺たちの生きる足掻きで抗いだと。


 だから、今日旅に出る。

 支えとなってくれた君の隣で、抗い続ける……生きるを叫ぶ音楽を奏でるために。

 これが旅立ちで人生の始まりだ。そんな全てを乗せて、自由なままにこの気持ちを伝えた。


「——俺は七歌と一緒に音楽をしたい。どんな事があっても、辛くて死にたくなっても、今度こそは一緒に音色を奏でたい。……君の歌が好きだ」

「———————」


 一世一代の告白。情熱の激情の純愛の告白。それ以上の夜明けより蒼に生きる者としての告白。

 ああ、ああ……嗚呼。

 風がそよぐ。波がゆらゆらと揺蕩う。空の闇が蒼く世界に満ちていく。樹々の騒めき。音の静寂。世界の変化。焦がれる道。恐怖な未来。可能で未知な夜の明日。

 この気持ちも言葉も彼女に届いただろうか。

 瞠目する大きな瞳は星空のよう。小さな唇は小さな吐息を漏らし、長いまつ毛に揺らいだ前髪が引っかかる。整った顔立ちも綺麗な鼻筋も儚げで桜のような彼女の魅力。

 鼓動がうるさい。熱が邪魔だ。研ぎ澄まされた聴覚が七歌の息しか捉えない。

 そして——そして、そして…………一粒の雫を零した。


「……………え?」


 唖然とする俺。

 涙は目じりから頬を伝った。夜空に流れる流れ星なのに、誰にもきっと誰かにしか見つけられないような微かな光の道。

 七歌の目の前にいたから見つけることができただけの、揺れた雨に日には紛らわせた感情の小さな濁流。


 七歌は————わたしは泣いていた。

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