第8話 人は人知れず他人を殺す

 夜のファミレスは何だかイケナイ気分を感じるのは俺だけだろか。昼行灯は疾うに過ぎて、良い子はもう直ぐおねんねの十時を回る時間。朝焼けのノオストップライブも酒に酔い芸術に埋もれる百鬼夜行も、そしてファミレス前の街灯すら怪しく思えるもの。

 こう猫の国や妖怪の住処なんかに似ていて、百鬼夜行は言い得て妙なのだ。街を見れば年がら年中エピデミックなのかも知れない。と、思考が常にあらぬ方向へ曲がり曲がっていると、服の裾をちょんちょんと摘ままれて視線を向けると、左側からルナがメニュー表を見せてくれる。


「綴琉は決めた?」

「あ、うーん。トマトハンバーグとご飯」

「また?相変わらず飽きないねー」

「そっちだってまたおろしハンバーグだろ?」

「あったり~!さすがわたしと以心伝心なだけあるね!」

「クレナさんとヒロさんは決めたんですか?」

「あ~っ!無視しないでよ⁉」


 むくれるルナに苦笑って向かいの席に座る二人に尋ねた。銀色の髪に染めた垂れ眼がちの好青年たるヒロは、三個ずつピアスのついた耳を触って悩む。


「どれがいいのかわからないね。いっつも迷うよ」

「じゃあ、ヒロ、マルゲリータにしてよ。そしたらアタシはナポリタンにするから」

「交換ってことだね。わかった僕はそれでいいよ」

「やり~!」


 へへへっと愉快に笑うクレナは真っ赤に染めた髪に金のピアス、楓並みのルックスは強美人を素直に表すそれこそ紅花のよう。彼女自身、紅花と書いてクレナと呼ぶらしいので、誰も本名とは知らないのだ。

「そう言えば、弟。楓は元気?」


 釣りあがった意志が鋼の棘のように強そうな瞳で笑いながら談笑に花を開ける。


「元気ですよ。どんどん俺の心読まれて、最近じゃマジシャンよりもレベル高いです」

「あははは!ほんとにそれね!アタシの心もよく読まれたし、あれは正真正銘のエスパー化け物。勉強も運動も音楽に絵に家事だってできる。その上心理学が得意ときた。いつか私たちの心も身もすっぽんぽんにされちゃんじゃない?心理学で拍車かかってレベル上がったら、もう魔人!悪魔!フロイト!」

「クレナ言い過ぎだよ……って言えないのが楓だったもんね」


 苦笑いして過去を懐かしむヒロに同感ばかりにクレナは笑った。


「そうそう!いつか三大巨匠から四大巨匠になったり」

「あり得そうだから、怖い」


 そんな未来を想像すれば自然と亜寒に襲われる。それはヒロも同じだったのか、苦笑いは凍り付いて消えていく。そこで、店員に注文を終えたレイナがおずおずと質問した。


「綴琉のお姉さんとクレナ、ヒロ先輩は同級生なのよね?」


 レイナの質問に答えたのはヒロだった。


「そうだよ。僕たちと楓は中学高校と一緒でね。よく音楽をやったり遊んだりしてたんだ。学際とかもライブしたりしてね」

「へー楽しそう!わたしもやってみたいかも」


 手を叩いて好反応を見せるルナに「楽しいよ」とヒロは微笑む。ルナの『やってみたい』の言葉に学校に通っているのだろうかと、疑問を覚えるが、流石にいっているだろうと視線をヒロへ戻す。


「僕とクレナはこうして音楽の道に進んだけど、楓は進まなかったんだよね」

「そうなの?」


 俺を見て首を傾げるレイナとルナの視線をクレナへパスする。この答えを一番知っているのは俺ではなくクレナだから。釣られた二人の視線にコーラをストローで飲んでいた彼女はにやりと面白そうに笑った。


「じゃあ、問題。楓はどうして心理学に進んだのでしょうか?」

「急な展開⁉」

「えっ?心理学を選考した理由よね……?」


「う~ん」と唸って二人が考えていると、それぞれ頼んだ料理が運ばれてきて通路側のヒロがテキパキと配膳してくれる。こういった気の利く彼に、男としての紳士的憧れを抱かずにはいられない。せめてもの手拭きなんかを均等に分けるだけ。それでもにっこりと笑って「ありがとう」と言ってくれるのだ。

 男でもその眩しさは厳禁。BLは趣味でない俺にとってトキメキはなく……なんてバカな思考回路を今だ逃げ出せていない自分を恥ずかしく思いながら、ナイフでジュワーと湯気を立てるハンバーグに切れ目を入れてトマトソースを均等に乗せていく。流れ出す肉汁と香ばしさが腹の蟲を刺激する。


「やっぱり音楽より心理学のほうが好きだったとか?」


 テリヤキを口に掘り込んだレイナにクレナが無言で頭を横に振る。ヒロが切り分けたマルゲリータをクレナは垂れるチーズごと口に放り込む。紅の差す唇を野性的に舌で舐て、にへらにレイナをみた。それにムッとなるレイナだが、ルナが先に答える。


「クレナの心を暴きたかったとか?」

「ちょっとそれは怖くない?」

「綴琉のお姉さんならありそうだし、あの独断王女風情のクレナの友達なら有り得るんじゃないかな?」

「弟としては有り得てほしくない……」

「てか、さりげなくアタシをディスるのやめろ。誰が独断王女風情だ」


 レイナもゴクリ生唾を飲み、俺は辟易とする。憤怒するクレナはコーラを飲み干してマルゲリータをぱくつく。そんな感性豊かなクレナを苦笑いしながら、ナポリタンが汚した口の端を手拭きで拭う。

 答えを知っている立場からすればこの後の衝撃のほうが何倍も恐ろしい。けれど、いい線に辿り着いたルナに感服はする。クレナも不機嫌から一層、「へー」と面白そうにヒロが分けたパスタを掻きこんだ。


「まー近いっちゃ近いね」

「わたしが言っておきながらだけど、どう反応していいのかわからないんだけどねー……」


 ははは……と乾いた笑みを零すルナにレイナも無表情に食事を進める。

 俺は楓のことを信頼しているし、尊敬も愛おしくも思っている。それは過去があり共に育ち支えてくれた姿を知っているからだ。彼女の生き様も在り方も優しさも理解しているからだ。

 天真爛漫にして文武最強。天地変異を起こす一騎当千の才色兼備で才気煥発な超人的美女。大器晩成を大器朝成に変えて起死回生を常に繰り返すような人。

 俺から見れば楓は一つのステータスであり、そして俺は姉と血錠のようなものがある分、苦笑い程度で納得できる。

 けれど、俺以外の人から見れば楓は異人。最早次元の違う人扱いなのだ。

 宇宙人や超能力者がいないかと聞かれれば楓を指名してもいいし、超能力が科学によって解明された学園都市に入ればレベル5に押しあがれるだろうから、電撃撃ってみてと頼み込んでもいいほど。学校の七不思議を総取りする人間が夜乃楓、俺の姉だ。

 中高と一緒なら俺よりもクレナとヒロの方がきっと理解しているし、身に染みて神経が麻痺していることだろう。ナポリタンスパゲティを半分食べ終わったクレナは、紙ナプキンで口を拭ってヒロが入れてきた二杯目のコーラで喉を潤した。

 ピザの残りをクレナから受け取るヒロ。猫舌で一生懸命ふーふしながらおろしハンバーグを食べるルナ。ほとんど食べ終わった俺とレイナ。

 クレナは身体を前のめりに垂れる髪を耳にかけた。その一々の行動がやけに色っぽくいつ見ても慣れる気はしない。一瞬、強烈な視線を感じて横を見れども、今だ熱を冷ますのに一生懸命なルナとウーロン茶で潤すレイナ。気のせいかと思ってクレナの話に耳を傾けた。


「答えはね……」


 じれったい間をわざと置くクレナにレイナは緊張を漂わせ、ルナは熱の冷めたハンバーグを咀嚼した。まるで正反対の二人の反応であれ、期待が注がれる。そして、クレナは告げた。


「——〝人の考えがわかれば、音楽で支配できそうじゃない〟って言ったの、あの天才美少女様はね」


 意味がわからない。理解できない。ルナとレイナの脳内は?で犇めき合う。


「えー……と。……どういうこと?」


 問いかけるレイナにクレナは面白く背もたれに体をあずけた。首元につけているルビーに似たペンダントが胸もとから跳ねる。


「言葉通りなら音楽で洗脳するってことなんじゃない?」

「え?怖すぎじゃない!綴琉のお姉さんって、薬でもやってるの?」

「断じてやってない。元々薬の成分として生まれてきたような人だ」

「アハハハハ!弟の言う通りさ」

「じゃあ、お姉さんと一緒に住んでいる綴琉は結果的に薬の中毒者ってことになるのかな?」

「なるわけないだろ。……まー薬じゃないけど、姉さんに中毒にはなっているかもな」

「それってどういうことよ?」

 首を傾げるレイナと解釈が斜め上を飛行機のように飛んでいったルナに、俺は楓の姿を思い出しては、言い得て妙だが中毒者になっているのだろう。それはきっと、クレナもヒロも思うところがあるようで、「言葉は深いね」とヒロが濁し、「でも、惹かれて気持ち良かったんだから仕方ないじゃんか」とクレナは受け入れる。

 夜十時を回ったファミレスには数名のお客様しかおらず、自分たちの声がよく響いて冷たく感じた。


「それは置いといてっと。で、本当の所は『人の心がわかれば、その人への言葉を紡ぐことができるから』らしいよ」


 懐かしみ嬉しそうなクレナにヒロもまた思い出して含みある笑みを浮かべた。いくら中毒になっていようと、重ねた年月が中毒だけでは済まさない。そんな盲目的で狂酔的な熱は依存よりも虚しい。

 数回瞬きしてお互いを見合ったレイナとルナは、安心の息を吐き胸を撫でおろす。


「音楽が好きなのね」

「そうね。あの子の演奏も凄かったけど、歌詞に突き刺さるものがあったわ。あれがアタシもヒロも好きで、いつか楓がアタシたちが創った曲に歌詞を綴ってもらえるように音楽をしているってわけ」

「そうだね。僕もここにいる理由はそれが大きいかな?」


 音楽家は音楽を届ける者。もしくは紡ぎ音色で満たす者。そして世界を色づける者。たった一部の解釈に過ぎない。だけど、楓にとっては意味あることで、心理学を学んでまで為したい事なのだ。

 そして、それを待ち焦がれる仲間がいる。

 楓との物語のために努力して生きている人ったいがいる。

 それは、どれほどに美しく眩しい演奏家だろうか。

 楓の弟として、ただ単に嬉しく感じ、同時に無気力さに嫌気がさす。


「いいわね!私もプロになって大きなステージで歌うのが夢なの。だから、楓さんともいつか一緒にやりたいわ」

「いいねそれ!なら、アタシが旋律してあげる!誰にも負けない激烈なやつをね‼」

「じゃあ、僕がドラムだね」

「ほんと⁉期待してるわよ!」


 楽しそうに夢を膨らませて笑うレイナたちを見ていると、やはりどうしようもなく無気力で無価値で無能に思えてくる。

 本気で夢や憧れに向かって突き進む彼女たちは、あまりにも眩しすぎる。

 夜だけの世界に唐突として現れた一等星のよう。

 千差万別の鮮やかな星々。遠くからなら小さいのに、誰をも惹きつける輝きを放ち、近くから見れば、その強大さに眼を細め、背けずにはいられない。月光のように淡くなく、太陽のように無機質ではなく、イルミネーションのように人工的でもない。

 自然のなす己だけが創造するそれこそ『希望』だ。

 だから、無性に死にたくなるし消えたくなる。俺という存在の居場所がないと言われている気がして、気持ちがどんどん冷めていく。全てがモノクロにみえるようになったあの日から、俺は求めている。

 服の裾が誰かに摘ままれる。ルナが俺を見て、儚く自嘲的に笑った。


「——わたしたちだけだね」


 俺以外に聞こえない微音でそう残した。


(そうだな……。俺とルナは違うくて同じだった。俺もルナもレイナたちみたいに、生きられないんだ。……あんなに眩しく綺麗になんて)


 矛盾で成り立った求める者同士。鋭利なナイフを胸に刺して、赤いはなびらを舞い散らかした者同士。

 レイナと繋いだ関係よりもずっと醜く酷い報われない関係性。それでも、求めるものが、生きるための使命が生み出せる、可能性の関係性。

 ルナも抱えている。未来に希望を持てない、消えてしまいたい。ルナという少女はこんなボーイッシュでよく笑うような少女なんかじゃないのだ。三人で先ほどのライブのことで盛り上がっていると、クレナの視線がルナに向いた。それを素早く察知したルナは儚さを引っ込めて、裾を摘まんでいた手も引っ込ませる。


「そうそう。レイナも良かったけど、ルナもいつも以上に良かったわよ。あの歌も凄くみんなに響いていたしね」


 喝采するクレナにその作り終えた嬉しそうな笑顔を向けた。俺が嫌う偽物の笑顔。俺が厭きる偽りの姿。明るく表情変化の激しいベースのルナ。


「ほんとに?ありがと~!わたし的にはレイナの方がカッコいいし声も綺麗で好きなんだけどね」

「あはは。ありがとう。でも、ほんとにルナの曲はいいと思うわ。でも、もうちょっと早く言って欲しいわよ。準備とか練習もあるんだから」

「ごめんね~!なんか、気分じゃないと歌えないんだよね~」

「ルナらしいね」


 その悪気ないレイナの言葉に、ルナから一瞬だけ表情が消え去る。


「……わたしらしいって、なんだろう…………」


 そんな呟きは意味を為さない空虚な飾り。


 バンドメンバーで楽し気に声を上げた。それを傍から見ていれば一致団結の仲良しメンバーのそれ。急な曲変更に文句を言いながらも、最後には最高だと褒めたたえる最高のメンバーたち。それを外に四人は今日のライブの反省や感想なんかを言い合う。とてもいいチーム。憧憬すら持てる。

 けれど、俺にはそんな風に見えることはない。きっとルナがいる限りそうは見えない。

 偽り続ける彼女を横目に俺の心中にはルナの歌が永遠に繰り返して流れていた。


「そう言えば、『夜明けより蒼』を作ったのって、ルナよね」

「……そうだよ」


 少し言葉に詰まるルナだが、誰も気にした素振りはなく、レイナは興味津々とばかりにルナにキラキラの瞳で詰め寄った。


「じゃあじゃあ、あの歌詞を書いたのもルナなの?」

「——っ⁉」


 胸が弾ける緊張の何倍もの痛みを帯びながら、俺は視線をルナに送る。それに気づき、言葉に詰まったルナは「あー」と懐かしむように思い出すように首を横に振った。


「歌詞はわたしの友達みたいな人が書いてくれたの」

「へーなんか納得ね」


 そのレイナの言葉に「へっ……?」と思わず素で漏らすルナに、レイナは微笑んだ。


「だって、あの歌はすごく苦しそうだもの。死にたくて消えたくてどうしようもない。だけど死ねなくて消える事もできなくて、足掻くことしかできない……みたいな感じに私には聴こえるわ」


 それの何がルナじゃないのだろうか?


「私もそんな感じかな。いい歌だし私は好きだね。でも、歌詞はルナじゃないってのは納得かな」


 どこに納得なんだろうか?


 二人の勝手な解釈に唖然として口をパクパクさせるルナ。今、彼女の心の中はどう拉げて曲がりくねって荒れ狂っていることだろう。それとも虚無に支配された無味だろうか。そんなルナを見ていたくなくて、俺が変わりに問う。


「なんでそう思うんだ?」


 柔らかな素人からの疑問にレイナとクレナが答えた。訝しみも忌憚も不自然も感じない。俺の完璧な代弁にルナが俺を見て、レイナの声音は俺とルナの心を弾丸で貫いた。クレナの雄弁は絶対零度の監獄で棘で刺し穿った。


「だって、ルナにあんな昏いのは似合わないじゃない?」

「そうそう。ルナは「もっといくぞーっ‼」って感じなのよね。あんな昏いのはわたしたちに合わないし、あーでも、最後の曲とマッチするから最高なんだよね」


 目の前が暗くなって死の海に落ちていく感覚が襲う。いや、精神を殺していく。刃物で出来上がった魚たちが俺とルナは口炙り、強烈な牙で粉砕の如く魂をも穢してくる。心を捻り潰して粉々に、拉げた果実よりも無惨に否定していく。死を同義で、尊厳の剥奪となんら変わりなく、存在の糾弾にまごうことない。モノクロの灰の埋まっていく。


「そうよね。偶にいれると最高だし、最後の曲と合わせたら物語みたいで私は好きよ。まーあの歌詞はルナには似合わなけど……曲もルナっぽくないけど……その人と一緒に作ったって感じなの?」


 存在意義すら喪わされたルナは絶望の虚無の果てで、偽りの自分を動かした。


「……そうだよー。まーわたしらしくないのは認めるけど!」

「やっぱりー!その歌詞の人どんな心情でこの曲作ったのかね?」

「知らないわよ。でも、曲を聴けばわかるでしょ。てか、さっき私が言ったし」

「アハハハハ!まーアタシには理解できない感情だわ」

「……それは……私もそうなのかも……」


 ちらりとこちらを窺ったレイナだが、にこやかに炭酸水を飲むルナを見てホッと胸を撫でおろした。

 言わば、理解できないとはルナと交わることはできないと言っている様なもの。

 レイナの心配は、自分が創った曲を理解されなくて大丈夫かと、今更ながら自分の発言に責任を感じた不安からの赦しごい。

 そんなものに一々腹を立てるなどバカバカしい。今更でとっくに傷ついてきた。けれど、この曲を欲している人はいる。けれど、この曲の後に来る希望の歌が彼らに光を与える。レイナもクレナもそこにしか意味を見出していないのだ。伝わらない救えない意味を為さない。


 無理に笑う彼女が悲しくて苦しく、見てられない。歯を食いしばって腕を抓る震える指が痛々しい。

 ああ、現実なんてどうしてもままならない。そして理不尽で不条理だ。社会という根も、格差という存在意識も、関係という縛りも、等しく不義理で不条理で理不尽と差別だ。


 それを知っていて、だから苦しむ。

 己から見える世界が、自分の居場所でない気がして、もしくはいてはならないような気がして、存在意義を求めてしまう。

 だから、死にたくなって消えたくなって叫ばずにはいられない。

 言葉で表すなど浅はかで烏滸がましいルナの表情、心情に共鳴して、何も言えない。俺もルナとなんら変わりなく傷ついていたかったなのに……。

 そんの時、パチンと掌を叩く音が時を隔てた。


「もう、みんな食べ終わったし帰ろうか。あまり遅くなっちゃ心配されるからね」


 ヒロの一声はまるで鶴の一声。こちらの心情を気にしての発言なのかはわからない。だけど、確かな鶴の救いだった。


「そうね。もうこんな時間だし、私は帰るわ」

「レイナが帰るならアタシもかーえろ」

「じゃあ、支払いは個別でやろうか。綴琉君もルナもそれでいいね?」

「あっああ……」


 下手くそな笑顔で頷くルナと言葉に詰まりながらも返す俺の声に、ヒロは頷いて立ち上がる。それに倣ってレイナ、クレナと会計に向かった。それを眺めながらルナが席を立つのを待っていると、ボソリと切ないどうしようもなさが零れたのを耳にした。


「……死にたいね」


 ルナの表情はわからなかった。泣いていたか、苦しんでいたか、歪んでいたか、怒りに満ちていたか。


 否——虚無だ。


 背中越しで見えていなくてもわかる。だって、俺とルナは同じ。

 どうしようもないやるせなさも、死にたさも、消えたい衝動も同じ。

 嘘が嫌いになった。偽りがバカバカしく思えた。きっと、ずっと、俺が自分で理解した時よりも、もっと前に感じていたのだ。虚無感も無力感も、無味無臭な自分も理不尽で差別社会なこの世の中も。

 俺は気づいていた。死にたくて消えたいニヒリストであることを。


 だから、だから——『夜明けより蒼』をルナと一緒に創ったのだ。

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