第5話 知っていながら
六限目の終了を告げるチャイムと共に学校全体に解放感が溢れる。俺も違えず背伸びをして脱力した。
「終わった」
「お疲れ綴琉」
俺の前の席の冬斗は帰る準備をしながら振り返った。
「お疲れ。冬斗は今日も部活?」
「ああ。もう直ぐ地区大会がるからな。先輩たちは気合入ってるよ」
「そうなんだ。もう明後日から七月だし、レギュラー圏内に入って来るんじゃないか?」
「まだまだ。それは先輩が引退してからだな。それよりも、地区大会は一年生は応援もないから、そこら辺で休みがあるかも」
「じゃあ、どっか遊びに行こか」
「そうしよう。和希と話てまた連絡する」
立ち上がった冬斗は和希を呼んで俺に手を振る。俺も振り返して、去っていく二人を見ていた。
そして、案の定と言えるタイミングで携帯がピロンと鳴る。ラインの通知に出る名前は
教室を見渡せば、レイナの席で何やら話し込んでいる。しかし、その傍らスマホはぎっしりと握られており、俺の視線を敏感にキャッチして投げ返してくる。あの日に受け継いだ使命と言うか協力を今更うんざりしながらも、夏菜の気持ちが十二分に伝わってくるので無視などできやしない。
俺としても早くどうにかなってもらいたいもの。
ラインを開けると、猫のアイコンから出る噴きだしにメッセージがある。
≫私も冬斗君と遊びたいです
何故か敬語でのお願い。どうやら先ほどの会話が聴こえていたらしい。恐ろしい地獄耳と慄きながらも、首を傾げる。
≫俺はいいけど……冬斗次第だな。和希は大賛成だと思う。
≫じゃあ、冬斗君が了承してくれたらいいんだね。
≫まーそうだけど……。
そう簡単に言える話ではない。冬斗と小学校からの幼馴染として言える。
冬斗はあまり女子とは遊ばない人間だ。
イケメンで高身長にして高スペックな美青年だが、本当に信頼している人かクラスなどでの集まりにしか遊びの承諾はしない。
中学の時に何度か遊びにいったことがあるらしいが、「付き合ってもいない子に気を遣って笑うのは罪悪感がある」とのこと。
言わば本気でないと意味がないのだ。その分男子なら気が楽というもの。俺も和希も冬斗の趣味なども知っているし、下手に笑ったり気を遣わなくていい。だから、ここに夏菜が加わることの意味は冬斗に休みを与えないことと同義。
俺も冬斗に共感するところがあるから、幼馴染兼友達としてある程度関係性を保てている。きっと、冬斗も少しばかりは俺のことに気付いているのかもしれない。だから、どうしても言葉に詰まってしまう。心の内は誰も語れない……。
≫もし無理ならいいよ。チャンスはまだあるし!
俺の困り顔を見たのか、ガッツポーズのスタンプが送られてくる。実際、夏菜からお願いするより俺が冬斗にお願いしたほうが確率はいい。けれど、友達としてそんな安直なことは出来ない。悩んだ果てにこう返すしか思いつかなかった。
≫有邨さんから誘ってみて。
ダンっと大きな音がしたと思ったら、夏菜が携帯を机の上に落とした音らしい。「大丈夫?」と聞いているレイナに慌てて「大丈夫大丈夫!」と苦笑い。そして、レイナではなく俺を凝視して。
≫えっ?私から⁉それって、上手くいくの⁉
≫まー有邨さんのことだし、俺は言えないからごめん。
≫いやいやいいんだよ!私の方こそ夜乃君に頼ってばっかりだから!……そうだね。私のことなんだがら、私がやらなくちゃね!
握りこぶしの猫スタンプは現実の夏菜の握りこぶしを作っている姿そのもの。ラインの中でも表情豊かだと珍しいものを見たOLの感慨に耽る。
「じゃあ、レイナ。私部活行くから」
「わかった。頑張ってね」
「うん!頑張る!」
元気よく教室から出て行ったと時同じくメッセージが届く。
≫頑張ってみる!ありがとう!
やる気の満ちた言葉に「頑張れ」と返して感慨にまた耽る。これは巣立つ我が子を見守る親の気分だろうか。ならばこんなに清々しいことはない。なんて感慨を底から抱けないことは知っている。それでも、いいじゃないかと、また俺は俺に嘯く。
そんなバカみたいな感慨に耽る俺の背後からレイナの声がして、ドキッと鼓動が跳ねあがり急いでメッセージページを隠す。
「綴琉、どうしたの?」
「い、いや。……何でもない」
「ふーん」
咄嗟に隠した携帯を凝視するレイナはどこか不機嫌で、俺もこの事は秘密であるので明かすことができない。そもそも、レイナに話していないらしいので、そこをどうにかしろよと悪態を吐いてみても意味はない。
睨むような勢いが気まずく、無理矢理に話を逸らした。
「それよりも、朝はごめん。迷惑かけて」
「……いいわよ。あんた所で倒れられるよりはマシよ」
髪の毛をくるくると人差し指で遊ぶレイナのぶすっとした顔に、思わず笑ってしまう。それが更に彼女の火を着火させたが、それでもいいと思った。
「なによ……?」
「いや、ちょっと秘密の相談を受けてたんだ」
「……」
「誰かとかは明かせないけど、レイナを『裏切る』ようなことじゃないから」
「裏切るって……例えばなに?」
まだ納得できないようで、俺は苦く笑って少し冗談を言ってみる事にした。俺の想像するレイナの表情が当たるのかどうか、最近はそんなことを考えるのが好きだ。それが俺自身の答えを紛らわせてくれるから。
「今は、俺はレイナの傍からいなくなったりはしない」
まるで小説に出てくるワンシーンの決め台詞。もう既に誰もいない教室で囁く甘い言葉はレイナの脳を痺れさせ、脊髄が麻痺する。
出会った日がリフレインしては、そのプロポーズ紛いの本心に灼熱がレイナを襲う。噴火した火山のように真っ赤になったレイナは口をパクパクさせては、俺を見てから教室を見渡して、また俺を大きく開いた碧眼で瞠目していた。
その表情は俺の想像と同じ、いやそれ以上に胸に来るものがあり、他の男子がみれば恋に落ちるんじゃ、なんて考えてしまうほどに羞恥に赤くなるレイナは可愛らしく火照っていた。
知っている。レイナはこのような言葉や行為に体制がないことを。
だけど、いつもよりも紅に包まれたとろけるような表情。更に際立った紅射す小さな唇。俺を見つめて離さないサファイアのような碧眼。
胸が高鳴る。鼓動が伝染してしまうほどにうるさい。血流が激しくレイナから眼を離せない。いつもりよも何倍も色気と可愛らしさの混じった異国の血を引く少女は、誰よりも美しく感じた。
数秒か数分か、あるいは永遠か。けれど、廊下から聞こえる話声に時が動き出し、俺もレイナも慌てて目を逸らした。
「あーうち、今日どっかいきたい」
「じゃあじゃあ、駅前に出来たカフェ行ってみない?あそこケーキが人気らしいよ!」
「じゃあ、そこに決ーまり!柚希早くいこ」
「もー焦らなくても逃げないよ、美弥」
たったったと駆けていく軽躁な足取りが俺とレイナを我に返す。互いを見ずに気まずさに包まれた沈黙が重苦しく、耐えられるような空気ではなかった。ただのからかいが、どうしてレイナにここまで灼熱にさせたのか、わからない。…………わからない。
相手の感情も心も思考も当人以外には把握する術はない。だから、馬鹿になるくらいしかできない。
「じゃあ、俺らもそこに行こ」
「……えっ?わ、私も……」
「当たり前だろ。からかい過ぎた謝罪としてケーキ一個驕るから。それとも今日はあっち?」
「そうだけど……駅前なら丁度だし……仕方ないわね。時間までいいわよ。その代わりケーキは二個ね」
「はぁー太るぞ」
「私この通り太らない体質だから大丈夫よ!」
腰に手を当ててスリム体型を強調するレイナ。スカートから伸びる細く綺麗な脚に、制服の上からでもわかる、贅肉の一つもない身体。それでもわかる双丘の膨らみ。きりっとした輪郭や頬もそう。黄金比でまとめたようなレイナに太るなどいう言葉は似合わない。ドヤ顔のレイナに薄く微笑んで歩き出す。先ほどの空気はどこへやら、いつも通りの淡い空気が俺とレイナの間に流れていた。
「ちょっと待ってよー!」
鞄を持って慌てるレイナの後ろ目に、廊下の静けさと聞こえてくる部活動の熱気に、俺の心は酷く荒んで清れていた。嫌いになってしまったものと、好きを共有してくれるもの。その狭間で今日も心がざわついてしまう。ざわついて自己嫌悪に苛まれて死にたくなる。
こんな会話に意味はないのに。俺じゃないないのに、馬鹿みたい。
こんなものが、本物であるはずがない。
俺が求めるものは、彼女じゃない。
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