夜明けより蒼の世界で生きる者たちへ
青海夜海
第一章 夜明けより蒼の頃
第1話 日常からはみ出した歯車
夜明けより蒼の世界で生きる者たちへ————
奏でよう音楽を。歌おう世界を。届けよう想いを。
この死にたくて消えたくてどうしようもない世界に、省かれ者のわたしたちが生きていくために。
全ての垣根を超える音に乗せて抗おう。日向の世界で殺された闇を抱える者たち伝えよう。
偽りでも嘘でも虚像でも忖度でも上辺でもない。蒼に生きる同士に抗いの咆哮を、わたしは叫ぶ。
——この夜明けの来ないわたしたちが生きる意味を見出すために。
誰に理解されなくとも、馬鹿にされようとも、こんなふざけた現実などわたしが書き換えてやる。わたしの世界で生きさせてやる。だから、どうか——あなたの言葉で紡いで。存在価値を見出せない異端者たるわたしたちの支えとなるように。そして求める救いとなるように。
わたしは音楽をする。
メロディーを奏で歌を歌い色彩の数多と心の幾千を示す存在になる。何も価値のないわたし。
それでも、この気持ちだけは、キミとの気持ちだけは成し遂げてみせる。
——さあ、夜明けより蒼の世界で生きる者たちに、わたしの……私たちの奏でる世界が伝わりますように。
*
知らない天上で目が覚めた。いや、知らなくはないがあまりに活用はしない部屋の天井。白が視界を占めて、その間から誰かが俺を覗き込む。さらりと流れた金髪が珍しく、名前を覚えないことで定評のある俺でも直ぐに名前を思い出せるほどの有名人。
窓辺から射す陽光が彼女の美しさを際立たせる。まるで夕波の波辺を発起させる彼女の青みがかった瞳と揺れる金髪。その瞳が俺の覚め切った眼を捉えた。
「やっと目が覚めたわね。遅いわよ。もう放課後」
髪をくるくると指に巻いて遊ぶ彼女はため息を同時に安心したような表情になる。それにどこか申し訳なく身体を起こして視線の位置を合わせる。
「……ごめん。迷惑かけた」
「いいわよ、別に。それよりも私帰りたいから速く支度してくれない?」
どうやら俺のことを待っていてくれたみたいだ。苦笑いで返してベッドから起きる。保健室の独特な消毒液のにおいが鼻孔を刺激する。顰める俺を見て彼女は笑った。
「ほらさっさと行くわよ」
「ちょっと……」
俺の手をとって小走りに保健室を後にする。付け足しだが、保健室にいたのは軽い熱中症である。だから、急に走るのは良くない。俺の脳が騒いでいることを彼女ことレイナは知ることはなかった。
教室のドアを開けるガラガラという音を横耳に教室内へ二人一緒に入る。
「誰もいないわね」
「ほんとだ……ごめん。こんな時間まで俺を待っててくれて」
「べ、別に待ってないわよ」
「そうなのか?俺はてっきり心配で待っててくれたのかと」
「ちっ違うわよ!なんで貴方を心配しなきゃダメなのよ!わ、私はただ気になってただけだし、それにほら!あっ貴方が一人で帰るのは可哀想だったから残っていてあげたの。決して貴方が心配で待っていたとかじゃないからっ!」
頬を赤らめて必死に俺に詰め寄る姿は微笑ましくて、それが彼女らしくて俺はついつい笑ってしまった。
「な、なに笑ってるのよ!さっさと鞄取って帰るわよ……。遅かったら先に帰っちゃうから」
腕を組んでぷんすか怒るレイナにあははと苦い顔をして自分の席で帰る準備をして素早く戻ると、やっぱり彼女はまだそこで俺を待っていてくれた。その態度が嬉しく、同時に苦しくなる。後味の悪い苦いレモンを噛んだみたいだ。だって、君が待つほどの価値が、俺のどこにあるというのだ。
俺に気付いたレイナは口角を上げて鞄を後ろに組んで歩き始める。
「さあ帰ろ、
「……そうだな。帰ろ」
俺はレイナを追って歩く。改めてレイナの人となりに胸の辺りがざわつく。
こんなにも俺を気遣って心配してくれている。少しツンデレだけれど誰かを考えて一思いなレイナを好ましく思う。出会った日からいつもいつも一緒にいてくれて、俺はまた現実から眼を背けて笑っている。無条件にそのことを自覚して冷酷に陥ってしまい、だから頬を緩める。俺の解釈とレイナの解釈の違い、そこにある俺の私欲が不自然な笑みを生み出す。決して本心から漏れだしたものなんかじゃないと、わかっていながら辞める事はできない。
俺の下手くそな笑みを見て「どうしたのよ?」と訝しむレイナに「何でもないよ」と瞬発的に返しす。今貼り付けているのは仮面だろうか、誤魔化すような下手くそな笑みだろうか。俺にはわからないし、わかりたくない。
偽りは嫌いだ。平気で嘘をついて交わる関係性に意味を見出せない。誰かに委ねるのも、社会に従うのも、誰かに規定された自分でいるのも我慢ならない。
だからせめて〝嘘のない関係性〟を結んだレイナの前だけは、素直でいたい。せめて俺らしく、彼女に真剣に向き合えるように在りたい。なのに、俺は『素直』にまた誤魔化した。
「私の顔に何かついてるの?」
「……なんだろうな?」
「え?本当についてるの⁉えっえっなに!何がついている⁉」
慌てふためくレイナは、その綺麗な顔を振れるかどうかを思案して手がいったり戻ったりしている。その姿が可笑しいだけで、まるで魔法に罹ったマリオネットの如くくつくつと笑ってしまう。
見た目がクールでビューティーなレイナではあまり想像できない光景。とても女の子らしく、頼れる孤高の高嶺などではない。ただの女の子。普通の女の子だ。
それだけ、レイナも自分に気を許してくれているんだと、胸に開いた穴が痛みだす。台風が上陸しては、俺の蟲に毒を加え掻き毟るかのようにぐちゃぐちゃにする。
「なに笑ってるの⁉そんなことよりどうにかしてよ!」
吐き捨てた息は重力よりも重い気がした。
「……ちょっと待って」
「早く綴琉っ!なにが、なにがついているの⁉」
「うん?あー……赤がついてるかな」
「赤?」
もうどうでもよく感じた俺の答えに首を傾げるレイナは、頬を触ってその熱に更に真っ赤に染める。そのプチトマトのような彼女は羞恥と怒りに俺の肩をポカンと叩いた。その痛みが純粋に俺を現実に引き戻す。
「だましたの⁉」
「……えっあー……じゃあ、綺麗な顔がついてる?」
「~~~っ‼きききっ、っ違う!私が訊いたのは顔じゃなくて、顔についてるものよっ。あと疑問形にしないでよー!」
ぎりっと睨むレイナの碧眼はサファイアにも似ていて綺麗だ。少し見とれてしまう俺の頬っぺたを摘まんで引っ張てくる。
その痛みは毒を浄化し、台風を追いやる。
「いぃぃぃぃたぁぅぃ」
「ふんだ。……いじわる」
完全に怒って先に歩いて行ってしまうレイナを、痛い頬をさすりながら少しだけ躊躇って追いかける。
互いに灯す温度の差に罪悪感と閉塞感を抱き、自己嫌悪が押し寄せる。俺としてもあんなキザなことを言えるわけではない。だから咄嗟に間違わないように疑問形でおちょくりで誤魔化した。綺麗というのは本心であれ、声に出すことで何かが変わるのではと思ったから。だから、誤魔化した。俺自身も思考しないために。
それでも、温度の違いは俺の不甲斐ない中途半端な行いであり、それを咎めるかのように蟲たちが身体の全てを埋め尽くし、貪る。
気持ち悪くて吐き出したい。だけど、満たされて思考できない状態に歓喜している俺がいる。
小走りに追いついて靴箱で履き替えて出て行くレイナの後を追う。部活動が終わりを迎える夕暮れ。夕焼けと群青が交じり合う空の下、レイナの横に並ぶ。
「さっきはごめん。からから過ぎた」
「……ふん。じゃあ、顔についてるのも、き、綺麗ってのも嘘なのね?」
睨み付けてくるレイナに、嘘は言えないと俺はぐっと喉が詰まる。そう、彼女には偽らない。それが二人の関係性で相互理解だ。
そうしなければ、俺は本当に死んでしまう。いや、死にたくなってどうにかなってしまう。
嘘は嫌いだ。嘘なんかで関係性が成り立ちなんて糞くらいだ。
偽る姿に何を求められる。偽ることは決して相容れないことの裏返しだ。
だから、俺はレイナに嘘をつかない。俺という人間で横に並ぶ。
嘘じゃない、誤魔化しだ。偽りじゃない、培ってきた俺の一部だ。
だから腹を括った。レイナの顔を真正面に本音を言うとなると、やはり緊張が走る。物語の主人公のような鈍感ではない普通の高校一年の男子生徒たる俺。普通に恥ずかしいし、あらゆる方向に危惧してしまう。
そんな俺を面白そうに見てくれるレイナ。
「ほらほら。早く言ってよ~」
「わかったよ。いいよ。言ってやるよ」
ニヤついているレイナを真正面に捉えて、俺は吐き出してやった。
もう、どうにでもなればいい。
「顔についてるって言うのは嘘」
「やっぱりね。おかしかったのよね」
うんうんと納得するレイナは次の俺からの一言で固まってしまう。それは嘘のない状態だからなおさらなのだ。俺の一言。
「き……綺麗ってのは、その……まーほんと、だから……」
「へぇっ?…………そ、そうなの……」
「…………」
「…………」
二人して羞恥にそっぽを向く。その顔は真っ赤に夕焼けよりも赤く染まっていた。
(もう~~っなんなのよーっ‼)
(もうーっ!なんなんだよっ‼)
心の声は二人して同じ。女性に向けて綺麗と言ったのは初めて。だから、途轍もない。こんなことを世の恋人たちははしているのかと思うと、身震いしてしまう。
レイナを見れば、両手で顔全体を隠して「う~っ」と呻いている。幾ら顔を隠しても耳の先端まで紅くて丸わかり。それが可笑しくて変に羞恥心はどこかへ行った。無言で歩く俺とレイナ。
隣を通り過ぎていく自転車に乗る同級生。走り抜いてく子供たち。家の前で話し込む母親たち。みゃ~と鳴く猫。
この町の色々の景色が穏やかに二人を包んだ。
なのに俺には欠けてみえる。鮮やかな世界はモノクロに染まっている。それを自覚すると一気に感情は無に帰る。冷酷なまでに、彼女のことを意識外へと追いやった。
この普遍的な日常でさえ、俺は終わらせたくなる。こんな関係性を続けていて意味があるのだろうか。妥協するように生きていて何が掴めるのだろうか。そんな自暴自棄に陥りそうになったその時、顔を両手覆って前を見ていなかったレイナがへこみに躓いて。
「きゃっ⁉」
「あぶ——」
前のめりに倒れるレイナの前に腕を回して何とか支えた。腕にかかる柔らかな触感も鼻孔を擽る香りもレイナから伝わる体温も、今だけは感じなかった。感じる暇も余裕も感情の起伏も、泡沫で彷徨っている所だ。
「はー……大丈夫か?」
「え、うん。だいじょうぶよ……ありがと」
「ん。レイナに怪我がなくて良かった」
いつも通りを取り戻してそう笑って見せると、安心したようにレイナも微笑んだ。その奥にある感情は知らないが、俺は知らんふりをする。気づかない。気づくわけにはいかない。そんなものを俺は求めていない。
ふと、レイナは気づいた。自分たちの距離の近さとどういった状態であるのかを。
恐る恐る確認するように視線を絡まる腕へ伸ばし、そして俺の顔を見て匂いに体温の上昇を感じる。
「あの……綴琉」
「なんだ?」
まったく気付いていない俺にレイナは視線だけで合図を送る。それに気づいて視線を辿って…………。
「うわぁああっ!」
変な声を荒げてレイナから飛び離れる。心臓の鼓動が激しく緊張よりも羞恥よりも激しい言葉にできない感情の蠢きが襲う。そして甦る確かなもの。ふわりとした柔らかな感触。鼻孔を刺激した色香な香り。俺のものとは全く違った彼女の体温。そして首元にかかった甘い吐息。その全てが、男性を殺すに値するような全てが、鮮明に正確に甦って、再びの更なる動悸と熱に炙られる。
「ごっごめん!下心とかあったわけじゃなくて……」
「わっわかってる!私を助けてくれるために、その……仕方なく、よね?」
「そう!事故だからっ!事故だよ!……正直事故としては嬉しかったけど……あっ」
ついつい出てしまった本音に俺は開いた口を手で塞いだ。しかし、時すでに遅し。目の前のレイナはジト目で俺を睨み付けてくる。その寒々しい寒気を纏った視線にゾクリと身体の芯から震えを起こした。
「ふーん。嬉しかったの?私の身体を触れたことが?」
「まって。違う……違うくはないかもだけど、その……」
「私の身体に触れたくて助けてくれたと」
「だから、違うって!君の安全が最優先で。これはほんとで、ほんとで……ごめん。ありがとう」
もう頭がこんがらがって意味もなく謝罪と感謝を伝える俺に、レイナはやはり赤らめた頬を膨らませて言うのだ。先ほどの全ての持ち主たる彼女は胸を両手で隠してふんっと顔を背けた。
「……えっち」
それを残して走っていくその背中を見ながら、顔を手で覆って俺は呻いた。
「何やってんだか……俺は」
自分のバカさ加減に嫌気がさす。確かに嬉しいことであったことは認める。それでも、今の俺がやることじゃない。やっていい事じゃない。
いや、違う。俺は変わりたくてレイナと一緒にいるんだ。本心で在りたくて、生き方を見つけたくて彼女と関係を結んだんだ。
ラブコメをしている暇なんてない。何でもない日常に甘んじていていいはずがない。だって、俺を助けてくれた彼女は今でもずっと、抗って生きているんだから。
だから、こんなものに価値があるのだろうか?
俺の中の俺が吐き捨てた。
「ほんと、なんなんだよ……死にたいな。死ねよ俺」
ため息を吐いて、とにかくレイナの後を追いかけた。
レイナの微笑を知るのは隣で歩く猫だけだとしても。
そして、夜明けより蒼の世界がやって来る。
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