第20話 エピローグ 〜壊れた家族〜
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~優香視点~
杏奈は、あの日の出来事について語り始めた。
3年前だからといって曖昧な記憶ではない……杏奈は人生最大の汚点となった日を今も鮮明に覚えている。
「……あの日、私の友達が起業に成功してね。その人の家に行って二人っきりで祝杯をあげてたの。私もそれに協力していたから、御礼がしたいと前々から言われてて……もちろんあの人にも許可を貰ってたわ」
「ちょ、ちょっと待ちなって!お父さんに許可貰ってたのは分かったけど、アンタなに?男と二人っきりで飲んでたのっ!?」
「え……あっ!」
自分の説明不足に気が付き杏奈は大慌てで否定した。机を挟んで優香と対面で座っているが、怒りの表情で娘は母を睨み付けている。
「ち、違うのよっ!行ったのは女友達の家よっ!前に話した事あるでしょ?松本京子さんの家。子持ちで雄治と同級生の息子さんも居るわ」
「……そ、そうだよね流石に……それだったら許可する父さんも怒るところだわ──じゃあなに?その状況からどうやって男とホテルに行くわけよ?」
「……ここからは女としてより、一人の大人として幼稚で恥ずかしい話になるわ」
「…………ふぅ~……聞くのが怖いけど、とりま話てくれる?」
母に淹れてもらったコーヒーを飲み、優香は少し覚悟を決めた。
「うん──最初は普通に飲んでたんだけど……ちょっと飲み過ぎちゃって……京子の娘さんが大事にしていた、リビングに飾ってあるふぃぎゅあ?っていう人形を壊してしまったの。こっ酷く怒られて、反発したら喧嘩になって……それで彼女の家を飛び出したの」
「ごめん想像以上に恥ずかしいんだけど?大の大人が人様の家で物を壊して、それで怒られたから家を飛び出したって!?なに考えてんのよっ!!前々から酒癖が悪いんだから泥酔するまで飲むなって、私も父さんも言ってただろっ!」
「ご、ごめんなさい……もうあの日以来、お酒は一滴も口にしてないの……これからも飲まないわ……」
酒癖の悪さは杏奈の唯一の欠点だと周りから言われる程酷いものだった。
だがしかし、アレだけ酒好きだった母親が数年前から唐突に酒を一切口にしなくなった。
時には酷く泥酔し、優香や雄治に口付けする事も多かった為、旦那も優香も理由を深く考えずに飲まなくなった事を大いに喜んでいたのだが……まさかこんな恥ずかしい裏話があるとは思ってもなかったのだ。
事実を知り優香は浅く溜息を漏らした。
「──それで?その後どうなった訳?」
「………怒りながら帰り道を歩いてたんだけど、二人組の男に話しかけられて……そこからの記憶がないの。気が付いた時にはホテルの中に居たんだから」
「……!?ちょっと待って!!それって完全に拉致じゃん!!」
「うん……後でわかった事なんだけど、睡眠薬の入った水を飲まされたみたいなのよ。酒が入ると水が欲しくなるから親切を装って私に飲ませたらしいわね」
それを思い出し、怒りを滲ませながら話す杏奈。
しかし、話を聞いていた優香も同じくらい怒りながら母親に詰め寄る。
「それって犯罪でしょっ!なんで警察沙汰になってないの!?言えば良いじゃん!私にっ!家族にっ!そして雄治もそう言えば分かってくれるだろっ!!飲み過ぎたのはめちゃくちゃ怒られるだろうけどさっ!」
「警察はダメだったの……私が捕まっちゃうから」
「え?なんで母さんが捕まるのよ?」
「……運が良い事に、行為が始める直前で目を覚ましたんだけど……頭に血が登ってた私は、二人のうち一人の男を半殺しにしたの。あの時は何にもされてない状況だったから警察に行ったら私もただじゃ済まないと思う」
「そういえば私も母さんに空手を習ったんだっけ?……でも警察に行っても大丈夫だと思うよ?」
「私が殴った男……未だに顔の形が治らないんだって。強姦未遂をしたから向こうも何も言わないけど、何もされてない状況で執拗に謝る声も無視して何度も何度も殴ったからきっと過剰防衛になってしまうわ」
優香は息を呑む……そして思い出す。
目の前の母が自分よりも腕っぷしが立つ女だった事を。
故に、酒さえ飲んで居なければチンピラ如きに遅れなど取らなかっただろう。
酒が入ると、杏奈は想像を絶する程に思考能力が低下してしまうのだ。
「…………ぅん」
優香は何も言わずに母の話を聞く事にした。
「もう一人の男は殴ってる最中に逃げ出したわ。半殺しにするつもりだったから後を追い掛けた……それで彼に追いついたのがホテルの出口だったんだけど、目の間には雄治が立っていて……」
「……マジかよ」
話を聞いて優香は頭を抱えた。
そして本当に最悪なタイミングだったんだと思い知らされた。その場で雄治と会わなければ幾らでも対処のしようが有っただろうと……杏奈に殴られた所為で、男は傷だらけだったが、きっと動揺していた雄治にその姿は映らなかったのだろう。
有るのは、母親が知らない男とホテルから出て来たという事実のみ。
──ただ、優香には一つ腑に落ちない疑問点があった。
「どうして雄治はホテルの前を彷徨いてたの?時間的にも夜遅いでしょ?」
「うん、21時位だったと思う。その日は確か夜祭が有って、帰り道であそこが近道だったのよ」
「……はぁ~」
何もかもの間が悪すぎる。
僅かなズレでも生じていれば、あんな場面で鉢合わせになる事は無かったのだ……
本来なら杏奈も男達にケジメを取らせた後、旦那に起こった出来事を話し、酒も控えるように気を付けて居ただろう。もし警察沙汰になっても拉致・監禁を盾に争っていた筈だ。
あの日夜祭が無ければ、雄治があの道を通る事も無かったのだ……全ての巡り合わせがあまりに悪過ぎた。
実際に目撃するのと事後報告を聞かされるのとでは、精神ダメージに雲泥の差が生まれてしまう。
そして、実際に目撃してしまった雄治の精神的な損傷は計り知れず、深く傷付いた雄治は家族を壊さない為、この一件を無かった事にしようとした。
そんな雄治からの口止めが、親子関係を狂わせてしまっていたのだ。
それにもう一つ……杏奈は大きな過ちを犯している。そしてそれが関係を拗らせる決定打となっていた。
「……そこで出会った時に、私は雄治に嘘を吐いちゃったの……」
「え?嘘?どんな嘘吐いたの?」
「……警察に連れて行くつもりだったって言ったわ。でも本当は暴力で解決するつもりだったの……だってもう一人は酷い状態だったから今更警察には連れてけないと思ったし──それに、私が誰かを死ぬ寸前まで暴行した事を知られたく無かったの……お淑やかな母と思われたかったから。それで咄嗟に嘘を吐いたら、それが雄治に見破られて……」
杏奈はあの時の事を後悔し体を震わせる。息子に怖がられてでもあそこは正直に話すべきだったと。
「あの子って、昔から私の嘘を見破れる子だったから、私が嘘を吐いたって分かったらしいの。その後は慌てて全部本当の事を話した……でももう私を化け物を見るような目で……信じてくれなくて……うぅ……」
嘘を見破れた……最悪だわ。
あんな場面で嘘を吐くとしたら、それはもう浮気をしたって認めてるようなもんじゃん。
実際にはそうじゃないとしても、嘘つかれた方はそうとしか思わないでしょ……この馬鹿女。
「……とりあえず、お父さんに話さないと、それで」
「だめよ、それは絶対にダメっ!」
「……母さん、この後に及んで見苦しいよ。もう隠せないんだから……」
「……雄治に言うなって言われてるから」
「いや、流石に言われたからって……」
「これ以上、雄治を裏切れない……もう私はあの子の言う通りに生きるって決めてるから……」
杏奈は自分のスマホを取り出した。そして雄治とのチャット画面を開いてそれを優香に見せる。
何故そんなモノ見せるのか謎だったが、やり取りを見て娘は思わず息を呑んだ。
「……な、なに、これ……」
そこには一日に何度も行われてる、雄治とのやり取りが載っていた。
その内容は驚愕で、何をするのにも雄治に判断を仰いでいたのだ。
更に仕事以外全ての行動が雄治に送られていた。まるで身の潔白証明するかのように……そんなやり取りが繰り返し行われて居たのである。
「う……ぁ……なん……これ?」
ハッキリ言って狂っていた。
雄治とのやり取りをスクロールして行くと、仕事以外に母親にはプラベートなど一切なく、何をするにも雄治に順次報告されている。
しかも内容をよく読むと、雄治がそれを望んでいるように見えず、母の独りよがりに近かった。
雄治は何度も返信で止めるように言ってるが、杏奈が縋り付くようにそれを拒否している──
──最早、親子のやり取りではなかった。
「……約束したの……家族には言わないって。あの子がそう決めたから私はそれに従って生きるだけなの。そして雄治には全てを晒して行くつもり……だからこの事は誰にも言わないで?あの子が許可しない事は出来ない。次もし雄治を裏切ったら本当におしまいなの……お願いよ優香」
「……む、娘にこんなことお願いすんなっ、それでも母親かっ!しっかりしてよもうっ!」
「……優香。貴方もあの人も愛してるわ。でも、あの子を傷付けない為に生きるって決めたから。もう私は人生に楽しみなんていらない。こんな母さんをどうか恨んで……全部話すべきなのは分かってるけど、それで雄治に嫌われるのが本当に怖いの……今はもう私に笑い掛けてくれなくなった……だからそれ以上は……」
「母さん……」
(私は何やってんの……二人が苦しんでるのに、それに気付かないで、ずっと喧嘩ばかりしていた)
優香は蹲る母に覆い被さり、母の背中を優しく摩る。
最初に抱いた怒りは消え失せていた。
母は家族を裏切ったのではなく、知能と危機管理能力が低かっただけだと信じたからだ。
日頃の母の行いと大好きだった酒を絶っていること……そして何より、心から懺悔している母の姿が信用に値した。
「お父さんが帰って来たら……話そう?」
「い、嫌よ、怖い……約束を破ってこれ以上嫌われるのが本当に怖いのよ……助けて優香、本当に怖い……雄治にこれ以上嫌われたくないのよっ」
「………母さん」
「ほんとに雄治のこと大好きなのに……!ずっと嫌われてて顔を合わせても嫌そうな顔される……!そんな雄治を見るのが辛くて……私どうすれば良いの……!?」
「わかんないよぉ……なんであんたら、二人してそんな風になるまで耐えてたのよぉ……ちょっとくらい相談してよ……」
弟は深く傷付いてる。
だが、母も同様に苦しんで居たんだと思い知らされた。望んでああなった訳ではないのは明白なのだから。
それからどうすれば良いのか二人は話し合った。
だが答えの出ないまま朝を迎える。
「──雄治」
母との話が終わって直ぐ、優香は雄治の部屋を訪れた。
眠る弟の頭を撫でながら、これまで何もしてやれなかった自分の不甲斐なさを責め続ける。
「──うぅ〜ん……え?姉ちゃん何してんの……?」
目を覚ました雄治は、自身の頭を無言のまま撫で続ける姉を見て、恐怖のあまり少しだけオシッコを漏らしたという。
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