逃走

 今日が、フリードリヒ・シュミットこと、ギュンター・ローゼンベルガーとの約束の日だ。オストハーフェンシュタットではいろいろあったが、ギリギリの日程で、何とかここに来ることができた。

 夕方になり、約束の時間が近づきて来たので、ヴィクストレームは安レストランの“オアーゼ”までやって来た。

 ローゼンベルガーは現れるだろうか? 警察には、彼と会うことはないと嘘をついているが、彼は用心して現れないかもしれない。

 ヴィクストレームはさらに待つ。あたりも暗くなり、見える明かりと言えば、建物の窓から漏れるものだけ。そして、通りには人はほとんど見られなくなった。少し先には帝国軍の監視が数人立っているはずだが、ここは良い具合に死角となっている。


「ヴィクストレームさん」

 路地の薄暗い影から、やや小さな声を掛けられた。

 ヴィクストレームはそちらのほうを振り返る。陰からゆっくりと現れたのはシュミットことローゼンベルガーだった。ヴィクストレームは路地の奥へ進み、ローゼンベルガーの前に立つと返事をした。

「シュミットさん、来てくれたのね」

「ああ、約束だからな。念動魔術も教えてもらいたいし」

「この二週間、どうしてた?」

「この辺りで、警察の姿を良く見る様になったので、注意してたよ」

「私のほうも色々あったわ。やはり、あなたの委任状でひと悶着あって」

「そうか。それで、魔術書は無事に手に入れたのか?」

「まあ、なんとかね」

 そこまで話をすると、通りのほうから別の声がした。

「ヴィクストレームさん」

 ヴィクストレームは、はっとしてそちらを振り返った。

 そこには、ヤゾフとノイマン警部、さらにその後ろに警官が数名、いつの間にか現れていた。

 後を着けられていたのか? ヴィクストレームは、自らの油断を悔いた。

 ヤゾフは続ける。

「そっちは、ローゼンベルガーだな?」

 ローゼンベルガーは舌打ちすると、間髪入れずに加速魔術を使う。彼はヴィクストレームの視界から消える。

 一瞬で、ヤゾフ、ノイマン、警官たち全員がその場に倒れた。

 ヴィクストレームのそばにローゼンベルガーが戻ると、彼の手に血の付いたナイフを持っているのが彼女の目に入った。彼女は少々大きめの声を上げた。

「殺したのか?!」

「そうだ」

「なぜ、殺した?! これでは、私まで警察に追われてしまう!」

「仕方ないだろう?! 俺は捕まるわけにはいかないからな」

 この場で言い争っている状況ではない。ヴィクストレームは苛立ちを抑えながら言う。

「ここ離れよう。すぐに、見回っている兵士に見つかる」

「ふん。兵士も全員、倒してやるよ」

「これ以上、面倒なことになるのは、私が困るんだ!」

 ヴィクストレームは倒れているヤゾフに近づいた。首から血を流している。やはり、すでに死亡していた。

「なんということだ……。こいつは“エヌ・ベー”だぞ、非常に面倒なことになる」

「“エヌ・ベー”? なんだそれは?」

「帝国の秘密警察だ。ともかく、ここを早く立ち去ろう」


 ヴィクストレームとローゼンベルガーはその場を離れるため路地から通りに出た。そこから、監視の兵士に見つからないように、ヴィクストレームは幻覚魔術を使う。

 二人は、魔術のおかげで誰にも見つかることなく、ヴィクストレームの泊まる宿屋の部屋まで来た。

 ヴィクストレームは逃走のため荷物をまとめる。ローゼンベルガーはそれを座って見ているだけだった。ヴィクストレームの持っていた荷物は、もともと少なめだったので、逃走には、さほど負担はないだろう。

 ヴィクストレームは少々早口で言う。

「ナザッド・ボールック高原に向かうわ。あなたも協力して」

「なぜ、そんなところへ?」

「街を脱出した後、やらないといけないことがあるのよ」

「やることとは?」

「謎の怪物が出没しているのだけど、それを退治しなければいけないのよ」

「なぜ、俺がそんな協力を?」

「まず、私がここに居られなくなった理由はあなたにあるのよ。それに、あなたも警察に追われているから街を出た方が良い。後は、もし協力してくれたら、途中で念動魔術以外にも、いろいろ魔術を教えてもいいわ」

 ローゼンベルガーは少し考えるようにうつむく。そして決断する。

「まあ、いいか……。この街の生活はちょっと退屈してたんだ」

「決まりね」

 ヴィクストレームは自分のカバンを肩に掛けた。

「あなたは荷物はいいの?」

「なにもない。このままついて行くよ」

「そう…。この時間は、街壁の門は閉まっているから念動魔術で越えるわ」

「念動魔術で? どうやって?」

「念動魔術は自分の体を浮かせることもできるのよ」

「そういうことも出来るのか」

 ローゼンベルガーは驚いたようだった。ヴィクストレームはそれには反応せず、街からの脱出を急ぐ。

 二人は静かに宿屋を出た。そして、幻覚魔術で姿を消して通りを街壁の門を目指した急ぐ。馬が使えないので、移動にかなり時間がかかったが何とか門までたどり着いた。門にも見張りの兵士が何人も居るのが、松明の明かりで照らし出されていた。

 ヴィクストレームとローゼンベルガーは門の近くまで来たが、姿が見えないので兵士に気付かれることはなかった。

「よし、飛び越えるから、私につかまって」

 ヴィクストレームは言う。ローゼンベルガーはヴィクストレームの首に両手を回してしっかり掴んだ。

「いいぞ」

 ローゼンベルガーの合図で、ヴィクストレームは魔術を使い、二人の身体を宙に浮かせた。そして、軽々と街壁を飛び越えて反対側の街の外へ着地した。

 あたりは、真っ暗で足元も良く見えない。それでも、一刻も早く街から離れないといけない。二人はナザッド・ボールック高原の方向へ向かい歩き始めた。

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