第10話 不可侵協定

 随分長々と話し合いが続いたのか、マドカから「事務所に来てくれ」と連絡があったのは夕焼け空の時刻だった。

 恭介を伴って隠れ家から向かう頃には日も落ちて完全な夜。駐車場に車を停めて三階に上がると、我が家にはマドカの他に数人の強面を伴った中年男性の姿があった。

 見るからにカタギではなさそうな彼らは白子組の面々であろうか。

 一方でカタギの側である大塚精気工業の人間らしき人影は見当たらないのだが、これはいったいどういうことなのだろうか。


「カイトと恭介少年も到着したことだし、二人への説明をお願いするよ」

「心得た」


 おあつらえとして開けられていたオレの椅子とその隣の椅子。

 オレたちはここに座って強面たちの話を聞けということなのだろう。


「それではまずは自己紹介。ワシは白子組の白子竜也と申しやす」


 この白子という人物はあえて詳細を語らなかったようだが、この場では一番の年重であろう風貌と組の名と同じ姓を名乗るあたり、彼は若頭か次期組長と言ったところか。

 オレの方でも名目上は後見人と言ってもいい本家次期当主のマドカを矢面に立てたくらいなので、それくらいの地位の人間が来ていて然るべきだろう。

 黙々と語る白子の弁によると、白子組は今後いっさい恭介には手出しせず、さらに自分たちの縄張りで恭介を狙う第三者が現れたときには連絡や迎撃を行うことを壬生家と取り決めたそうだ。

 見返りは月一回、尿と毛髪の一部を提供してほしいとのことだが、軽い条件なので恭介も首を縦に振りこの件は手打ちとなった。

 白子組もオレたちを襲ったとはいえ、略式ながら名乗り合いをした上での戦いで代表たる山田一郎が敗北しているため下手にでているようだ。

 淫魔の力を研究したい科学者には恭介の遺伝子情報もそれなりに価値があるのだろうが、手打ちの酒坏に加えて警備の手間賃も兼ねていると考えれんばこんなものか。

 また、この場にいない大塚精気工業の連中なのだが……彼らにはカタギとしての社会的立場があるので、恭介に対しての賠償も含めてマドカと白子にずいぶんと搾り取られたようだ。

 今後の不可侵と口止めを約束した雇われ社長は憔悴しきった顔で帰っていったという。

 あとはこの場にいない三番目の集団。九州に本拠地を置く29歳教をどうするのか。

 オレとしても彼女たちに狙われたら恭介を社会復帰させることができないと思うわけなのだが、いかにカルト教団が相手とはいえ教祖を物理的に倒せばそれで終わりにもならないのでどうしたものか。

 しかも相手は宗教という共通言語で結束した集団である。極道者や企業のように交渉で解決するのが困難な相手だ。


「さて白子組とボクら壬生家はこれで恭介少年に関しては協力関係だ。残る敵は29歳教と今後彼のことを知ってちょっかいをかけてくるであろう新参者だな」

「余所者はワシらが睨みをきかせるので簡単には近づけませんよ。なので当面は29歳教の対応に尽力いたしましょう。なあに新興宗教なんて輩にはワシらのお仲間がケツモチについているでしょう。肝付の御老公に話をつけておきますわ」

「お願いするよ。それともちろんボクらの力が必要になったら連絡をしてくれ。白子組の兵隊が出ることになったら大事だろうしね」

「そのときは頼みますよ」


 オレたちへの説明と連絡を終えた白子は舎弟たちを引き連れて帰っていき、部屋の中にはオレたち三人だけが残された。

 さっきまでマドカ付き人として参列していた幹弥の叔父さんは白子組の面々とついでの話し合いがあるらしく彼らについていった。

 どうやら駄賃代わりに頼み事があるらしい。


「まだ29歳教の問題が残っているが、これで一段落だな。肝付御老公と言えば九州極道界の大物だ。29歳教も下手に動けば後ろ盾の組に狙われるとなれば大々的に動けないだろうし、今後は小競り合いに注意すればいいな」


 流石にマドカも疲れたようで白子組の目が無くなると久方ぶりのだらけた態度だ。

 思い切り背筋を伸ばす姿は次期当主様としての硬さが解れた幼馴染としての顔をしていた。


「今日は色々と面倒をかけちまって悪いなマドカ」

「別にいいさ。ボクも好きでやっていることだしな」


 彼女の言う好きという言葉に含みがあることをオレは気づかない。


「オレがマドカの立場だったら、面倒事は全部押し付けてたぞ」

「これだからカイトはガサツで鈍感なんだ」

「なるほど。お姉さんはお兄ちゃんのことが好きなんだね」

「そうだぞ恭介くん」


 恭介の指摘に彼を褒めて頭を撫でているマドカ。

 二人の姿が愛おしく感じたのだが、この状況でそんな感情を抱いても見え見えなマドカの真意に気づかないオレは鈍感なのだろう。


「それと自己紹介がまだだったね。ボクは圓って言うんだ。気兼ねなくママと呼んでくれ」

「流石にママは嫌だよ」

「どうしてさ。これからボクと一緒に暮らすんだぞ。母親代わりになるんだから、ママでも良いじゃないか」

「オイオイ。恭介を困らせるなよ。それに恭介はお前の息子にするのにしておくのはもったいないぞ」

「別にカイトから取ろうって言うわけじゃないぞ。ボクがママでカイトがパパ。お似合いの夫婦じゃないか」

「冗談を言え」


 オレはマドカが言っていることを半ば冗談だと思っていたのだが、彼女がわりと真面目にオレと結婚して恭介を養子に迎えるつもりがあったことなど知らぬ存ぜぬ。

 そんなオレたちのやり取りを見て恭介も流石に勘違いしてしまったようだ。オレからすればマセたことを聞いてきた。


「つまりお姉ちゃんはカイトお兄ちゃんのお嫁さんだったんだ」


 少し残念そうな顔で質問をする恭介。オレとしてもコイツが奥さんというのはちょっと残念な気持ちになるんだからやめてくれ恥ずかしい。


「その通り。そして恭介くんは今日からボクたちの息子さ」

「待て待て。別にオレたちは従兄妹だが夫婦じゃないだろう。恭介の勘違いに乗っかるなよマドカ」

「カイトのケチ」

「ケチとかそういう問題じゃない!」


 こんなオレたちのやり取りは恭介の目にどう映ったのやら。

 この日はマドカもここに泊まると言ってきたので、叔父さんも一緒にという条件付きで彼女を泊めることにした。

 流石に若い男女が二人揃って同じ屋根の下というのも恭介の教育によろしくない。

 いやオレにはやましい気持ちなど一切ないのだが、どうも今夜のマドカはストレスのせいかトチ狂っているようだしな。

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