第2話 序

 三日前に遡る。

 池袋の雑居ビルでしがないフリーの特殊探偵業を営むオレのもとに、同じ日に異なる依頼人から同じ内容の依頼が舞い込んだ。

 簡単に言えば大塚精気工業という会社の研究所に幽閉されている「病田恭介」という少年を救出して、自分のもとに連れてきて欲しいのだという。

 依頼人のうちのを一人は少年の祖父を名乗る「山田一郎」という老紳士。

 もう一人は叔母を名乗る「メリー谷間田」という若作りした化粧の匂いがキツい女。

 この二人は互いに「恭介少年唯一の肉親」と名乗っているわけだが、それが二人もいるのはどう考えても怪しかった。

 そもそも依頼内容に嘘がないのであれば、恭介少年は精気の研究においては国内でも有数のシェアを誇る大手企業が法を犯してまで手に入れた実験体ということになる。

 そんな少年を連れてこいと言われても、彼らは大塚精気工業から恭介少年を奪いたいだけの第三者にしか思えない。


「カイト、居るか?」


 それから一日が過ぎた。

 煙草を吸いながら愛用のサイコガン「黒き魔槍」のメンテナンスをしているとドアの向こうからマドカの声がする。

 オレが「オウ」と返事をすると、彼女は手慣れた仕草で入ってきた。

 マドカはオレの従兄妹でいわゆる幼馴染。ついでに言えば我が街池袋の自治会長をしている他、この事務所が入っている雑居ビルのオーナーでもある。

 彼女には昨日のうちに二人の依頼人についての裏取りを頼んでいたので、今日はその結果報告に来たようだ。

 理由は知らないがこの日のマドカは無駄にめかしこんできたので、彼女でメリー某を見てもよおした吐き気の口直しをしてから彼女が持ってきた調査結果に目を通した。


「まあこれは当然か」


 調査結果はさもありなん。

 山田一郎の正体は非人道的な方法で精気を充填したエネルギーボックスを作成することを組のシノギにしている極道組織「白子組」の若い幹部で、オレの前での老紳士姿は演技のための老けメイクだったそうだ。

 そしてメリー谷間田の方は九州熊本に本拠地を構える新興宗教団体「29歳教」の信者ということだ。

 二人とも家族関係についても調べがついていて、どちらにも病田恭介という親族は存在しない。導き出される答えは「双方の所属する組織が恭介少年を手に入れようとしている」以外にはあるまい。


「とはいえすぐにバレる嘘をついてまでオレのところに依頼をするのはどういう神経をしているんだっての」

「そんなのわかりきった話じゃないか。カイト以外にこの依頼を達成できる人間がどれだけいるのかってことだよ」

「そうかね。ヤクザにカルト。どちらも頭数は多いんだから、やりようによっては自分らだけでイケるだろうに」

「フフフ。そのために組織がガタガタになるリスクが目に見えているんだ。カイトに依頼したほうが、どれだけボッタクられてもマシって判断だよ」

「それじゃあなんだ? 連中は大塚精気のことは怖いのに、オレのことは怖くないってのかよ」

「どっちも金には苦労してないようだからね。金で解決できれば怖くはなかろう」


 オレの金欠具合を嘲笑うようにマドカは笑いながら答えた。

 実際この事務所だって池袋の自治会長であるマドカが無償で貸してくれなければオレは根無し草一直線だ。

 実家が近いとはいえ顔を出しにくいし、かといって賃貸住宅を借りられるほど収入は安定していない。

 オレの営むフリーの特殊探偵業とは得てしてそういう貧乏家業になりやすい。いろいろ物入りなので高い報酬を取ることがデフォルトなこの業界としては、オレのやり方がお人好しすぎるってのもあるのだろう。

 マドカからすれば「独立しないで大手にいれば良かっただろうに」と思っていても当然の話だ。

 そうやってオレの金欠を煽りながら、ちょくちょく食事や備品の工面をしてくれるコイツの存在は、オレとしても幼馴染さまさまなんだが。


「でもよぉ……こんな状態じゃ、片方に少年を引き渡したらもう片方が黙っていないだろう。依頼はキャンセルしたほうが良いんじゃねえか?」

「それでもカイトはこの件に首を突っ込むことになるよ」

「はにゃ?」


 そう言うとマドカはもう一つの資料をオレに見せた。

 それは大塚精気と恭介少年の関係をマドカがわかる範囲でまとめたものなのだが、それに目を通したオレは頭を抱えてしまった。

 それによれば大塚精気が天涯孤独で戸籍上既に死亡している彼を新型精気ジェネレーター開発の実験台にしていたというのはまあ予想通り。

 だがここから先が急を要する。なんでも大塚精気は一週間後に新型精気ジェネレーターの完成披露パーティを行う予定なのだが、それに先立って実験体である恭介少年を生体部品に改造する予定だとか。

 有名メーカーがそんなことをすれば露呈した際にはかなりの大問題になるはずなのだが、どうもマドカの情報によればそれが発覚するとしたら、件の新型精気ジェネレーターが第三者の手で修復不可能な状態にまで解体された場合だけと胸くそ悪い。

 これらのソースは新型精気ジェネレーターの情報をリークした一人の研究員。彼は良心の呵責からこの件を公開しようとするが既にこの世から消されているようで、マドカでなければ死人に口なしとしてこの情報は闇の中に葬られていた。

 マドカの分析では白子組や29歳教が恭介少年の存在を知ったのも、例の研究員が半端に流出させた情報を手に入れたかららしい。


「許せないだろう? カイトは昔からこういう相手には徹底的にケンカをしてきたもんな」

「ああ」


 この感情が正義感かと言われたら少し異なると思う。

 だがマドカが言うように、この話を聞いてオレはどうしても恭介少年を助けたいと思ってしまった。

 知らない子供の命だからと見捨てるのは簡単な話だが、知ってしまった以上はオレには見過ごせない。

 ヤクザやカルトも似たようなことを考えているのだろうから気に食わないが、特に彼の命すら使い捨てようっていう大塚精気は許すことができない。

 そう思ったオレは怒りで指先が熱を帯びてしまう。

 ちょっと精気が暴走しているらしい。


「タイムリミットを考えると今夜には乗り込んだほうが良さそうだね。ボクも手を貸そうか?」

「いやオレ一人でやる。これ以上お前の手を借りるとお返しを考えるのが面倒くさい」

「そんなことは気にしなくても良いのに。今回はボクもちょっとムカついていてさ。むしろカイト一人でやるっていうのなら、そのぶんの埋め合わせをしてほしいくらいだよ」

「ったく、仕方がねえな」


 どうやら今回はオレだけでなくマドカも怒っていたようだ。

 この様子だと仮にオレが恭介少年を見捨てる判断をしていたら、マドカはオレのことを半殺しにしてから一人で乗り込むつもりだったのだろう。

 まあそんな選択は彼女にも先読みされている通りオレにはない。オレたちは件の研究所に夜襲をかけるべく、日の沈む前は準備に勤しんだ。

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